おかえり、シンデレラ。ー 五十嵐社長は許してくれやしない ー

キミノ

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第三章 掴んだ手を放すことは、許されないでしょう。

3-1

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 二木との商談から二日が経った。少しだけど、ほんの少し、くびれてきた気がする。自宅の全身鏡の前で下着姿のままの自分を見つめながら、横を向いてお腹の厚みや腕の太さも確認してみた。それでも倉科さんの華奢さには到底及ばないし、まだまだガタイの良いゴリラと大差ない。

 ふっと息を吐いてから、朝のジムに行くためにジャージを着る。私の胸元に“減量中”の文字はない。もちろん背中の特大文字“伊藤”もないが、代わりに右腕に刺繍されているのは“中村”と“福一工”の文字と校章。このジャージは先日佐山にお願いして自宅に取りに帰った高校時代のジャージだ。大きめだし何度も着たものだから気に入っている。


 最近はジャージ姿でタイムカードを押してそのままジムに行っている。わざわざスーツで行って着替えるのが手間だからだ。スニーカーを履いているのは、社内に入ればナースシューズに履き替えるから。自宅から会社までエレベーターでひとつだけだから、その間スーツにスニーカーでも気にする人などいないだろう。

「おい」

 不機嫌そうな声が飛んできて振り返れば、そこには五十嵐社長が立っていた。今日は白いシャツにグレーのジャケットだからラフではないほうだ。それでもばっちり決めた五十嵐社長を知っているから、今日の五十嵐社長は八十五点。

「俺がやったジャージは?」

「あ・・・ぁ、恥ずかしいので着ていません」

「あれのお陰で二木との契約が取れた。お前にとってあれはエクスカリバーと同じだろう」

「え、えく?」

「そんなのどうだっていい。___中村?」

 長い脚で距離を詰めてきた五十嵐社長が、ジャージの二の腕の刺繍部分を摘まんだ。

「高校の時のジャージです。先輩に卒業の時、譲って貰ったんです」

「そんなものを今でも大事に持っている、と?」

 明らかに不愉快そうな五十嵐社長は子どものように見える。そんなに自分の送ったジャージを着ないことが気に食わないのだろうか。あれはどう見ても嫌味のネタ・・ジャージだと思っていたのだけれど。

「大事というか、着心地がいいので気に入っているだけです。私、時間なので行きますよ」

「・・・」

 腕を引いても五十嵐社長が摘まんだジャージを放してくれないから、私もどうしたらいいかわからない。口を横に結んだままこちらを見下ろす五十嵐社長は、何かを言いたげなのに飲み込むように短くため息を吐いた。

「今日から二木の開発部の人間が来る。午後のジムはなしだ。午前中で一日分消費してこい」

「はい」

 早口でそう言い捨てて五十嵐社長は社長室へと消えて行ってしまった。
 なんだと言うのだ。言ってくれないから、こちらまでモヤっとしてしまった。



 受付の横に五十嵐社長・アラン・倉科さん・私の順番で並んで立っている。その向かいには茶髪パーマのチャラそうな男性と、正反対の黒髪に眼鏡の真面目そうな男性が立っていた。

「初めまして、五十嵐社長。これからお世話になります。僕が有村で、彼が斎藤です」

「こちらこそよろしくお願いします。実際に開発に携わるのは私とアランの二人です。施設を案内しますので、こちらへどうぞ」

 有村と名乗ったチャラそうな男性は、関西弁こそ出ないものの特有の訛りを感じる。五十嵐社長とアランについていく有村さんの背中を追った斎藤さんは、私と倉科さんに視線を向けて小さく会釈してから”CPF”の中へと入っていった。

「そういえば、私はCPFの中を知りません」

 受付ロビーに取り残された状態で、倉科さんにこそりと呟いてみた。倉科さんはツンとしたまま、「貴女が入ることは一生無いですけど」と言いながら、パンフレットを差し出す。

「これは?」

「うちのパンフレットです。少しですが、施設の案内も載っているので見ておいてください。私はお茶の準備があるので、伊藤さんは・・・そこでスクワットでもしておいてください」

 ふん、とでも言いたげに去っていく倉科さんが可愛くて仕方がない。精一杯の嫌味だろうが、そんなの私のHPを減らすにも至らない。なんだかんだ親切だし、ちゃんと仕事も出来るのはわかっている。私が彼女に勝てるところなど何もないのだから、そんなに威嚇しなくてもいいのに。子猫を見るような目で倉科さんを見ているのが気に食わないのだろうか。彼女が女子高出身だと聞いてなんだか頷ける。女子高は本当に性格の良い子か、周りを蹴落としてでも這い上がる子しか生き残れないと聞いた。そんな環境で揉まれて育ったのならば、私みたいな新参者には「シャー」っと、でも言っておきたいよな。

 手元のパンフレットをパラリと捲れば、CPF施設の写真が載っていた。黒い床に同系色の天板が乗った大きなテーブル。テーブルや棚がたくさんあるけれど、すべてが黒と白で統一されている。電子レンジみたいなものやコピー機みたいなもの、顕微鏡や怪しそうなビンが並び、ドラマなどで見たことのあるような研究施設だった。

 あの扉の向こうにはこんな別世界が広がっているのかと”CPF”と書かれたドアを見つめる。

 ガチャ。扉が開いて一番に出てきたのは五十嵐社長で、パチリと目が合う。邪魔だと言わんばかりに視線で「あっちいけ」とされて慌てて隅っこに避けると、五十嵐社長の背中から有村さんが顔を出した。

「ご挨拶がまだでしたね。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「ええ。伊藤と申します」

「伊藤さん! 貴女がうちの専務を口説いたと噂の営業の方ですか」

 そう言いながら近づいてきた有村さんに両腕を掴まれて拒否権の無い握手を交わす。五十嵐社長は何も言わずにこちらを睨んでいるし、後から出てきた斎藤さんは驚いた顔をしている。

「とんでもないです。IGB-01が素晴らしい商品だからですよ」

「伊藤さんはなんだか・・・光る何かを感じますね」

「な、にか・・・ですか?」

「貴女はただものじゃない。僕のココがそう言っています」

 有村さんが自信有り気に胸を叩き、にこりと微笑んだ。この人は本当に開発の人なのだろうか。どう考えても売れっ子営業マンという感じだ。二重の目は大きくはないものの、鼻筋も通っているしイケメンの部類に入る。それでも霞んでいるのは、うちには国宝級イケメンがいるからかもしれない。

「今夜は楽しみですね」

「え? 今夜何か?」

「聞いてないんですか? 今日はIGバイオと二木との親睦会ですよ」

 未だ握られたままの両手はそのままに五十嵐社長を見上げる。その綺麗な瞳は私を見てくれてはいなかった。

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