おかえり、シンデレラ。ー 五十嵐社長は許してくれやしない ー

キミノ

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第二章 ガタガタの階段は、しがみついて泥臭く登れば良いでしょう。

2-12

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 今日は株式会社二木へのプレゼンの日。何度も繰り返し練習した。倉科さんにけちょんけちょんに言われながら、枕を濡らした夜もあった。それでもこの商談を成功させたいのだ。それはラヴィソンのためであり、佐山のためであり・・・。登りのエレベーターの中で隣を盗み見れば、仕事モードの凛々しい横顔。セットされた髪にネイビーのスーツ姿の五十嵐社長からは緊張を感じない。余裕さえ見える。心臓が壊れそうなくらいに鳴っていて、少し緩くなったジャケットの上から胸元を撫でた。もちろん、そんなもの気休めでしかない。

「緊張するか?」

「___ええ。とても」

「準備に抜かりはないか?」

「はい」

「___大丈夫だ。俺がついている」

 背中を撫でてくれる手にこんなにも安堵している自分がいる。正面のエレベータードアを向いたまま、視線だけで五十嵐社長を見上げた。年下なのに落ち着いていて、それも全てこれまで積み重ねてきた経験の賜物だと思う。私も頑張ったら、今からでも五十嵐社長の背中に少しでも近づけるだろうか。

「行くぞ」

「はい」

 到着したエレベーターのドアが開いた。



 予想以上だった。二木の担当者二・三名の前でのプレゼンかと思っていたのに、通された会議室には五名の社員と二木の社長も同席していた。震える手でパソコンを操作し、電気を消した薄暗い部屋でスポットライトのようにプロジェクターが私を照らしていた。

「___このような効果がIGB-01にはあります。IGバイオには五十嵐啓太という研究員がおり、博士課程までに取得した資格やさまざまな経験を活かし独自の培養を行っております。他社との比較は資料のグラフと写真をご覧ください」

「品質も安全性もよく分かった。しかし、我が社のエステサロンは自社製品を使うことにしているからなぁ」

「あ、そう・・・ですよね」

 口を開いた二木社長が苦い顔をして資料を見つめながらそう言った。自分の言うセリフは練習してきた。それでも緊張でこわばった顔に、恐怖で震える脳みそは”臨機応変”という言葉が抜け落ちてしまっている。シンと静まり返る会議室でいくつもの目が私を見ていた。それは責めるように、呆れるように。

「そこで是非弊社とコラボレーションをしていただけないかとご提案です」

 言葉の出なくなっていた私に助け舟を出したのは五十嵐社長で、視線が合えば「大丈夫」と言ってくれている気がした。こくりと唾液を飲み込みながら、パソコンマウスを操作する。大丈夫。だってこの商品は本当に効果のあるものだから。それを世の中の皆が知らないことの方がいけないこと。

「御社のマスカラファンの一人である私伊藤から提案させていただきます。資料の十二ページをご覧ください」


 言いたいことは全て伝えた。自然と動いた手と口は二木の社員を頷かせることに成功したけれど、社長がまだ渋っている。

「よく分かった。新商品に関してはうちの専務が指揮を取っているから、今ここで結論を出すことは「社長」

 今、まさに「待て」という答えを伝えられていたときだった。会議室に入ってきた秘書らしき女性が二木社長に何か耳打ちをしている。私の脳内は諦めが九十パーセントを占めていて、その光景をぼんやりした思考の中見守っていた。

「伊藤さん。専務が来るそうだ。少し待って貰えるかい?」

「え、ええ。もちろんです」

 五十嵐社長が隣に座るように手招きをしたのを見て、小走りで駆け寄る。怒られないか少しビクつきながら、ゆっくりと椅子を引いてから席に着いた。大きなテーブルの向かい側では二木の社員たちが資料を見ながら意見を交わしているのが見える。

「「・・・」」

 五十嵐社長は何も言わなかった。それでも五十嵐社長の隣にいるだけで、縮こまってしまっていた私の心が「大丈夫」と呟き始める。

「専務来られました」

 先ほどの秘書がドアを開けると、颯爽と現れたのは女性だった。綺麗にまとめられた髪に上品な化粧、高級感漂うファッションに思わず立ち上がる。

「お待たせしました。資料は確認させて貰いました。私は専務の二木と・・・あら?」

 二木専務と正面に向かい合って、お互いに目をぱちくりとさせた。この素敵な女性は、ジムで会った百合のような女神様ではないか。

「伊藤さん? まあ・・・、なんて素敵な巡り合わせ・・・」

「はい。私も驚きました」

「そう・・・、綺麗になったわ。伊藤さん。お隣の方が例の?」

 優しく微笑みながら五本指で五十嵐社長を指した二木専務を見て、「無神経ヤロー」な上司がいると話したのを思い出す。目を大きく開いてから隣を見れば、微笑んだままいる五十嵐社長から不穏な空気が漂ってくる。ああ、また失敗してしまった。

「不思議な縁だわ。素敵なご提案をいただいて、私も心が弾んだの。あなた。これは賭けてみる価値があるわ」

 “あなた”と呼ばれた二木社長は、大きく二度頷いた。まさか、まさか、まさかなの? 驚きと喜びで語彙力が低下しているが、そんなことはどうでもいいのだ。

「五十嵐社長。IGバイオという会社の名を聞いたことがあるわ。若いのに力のある経営者ね。伊藤さん。今回の提案、半分イエスと言わせていただくわ」

「は、半分ですか?」

「ええ。商品開発費は弊社で負担させていただきます。最高のコラボ商品を一か月で作り上げてください。そして、最高の伊藤さんがもう一度、私にプレゼンをしてください」

「感謝します」

 隣で五十嵐社長が綺麗にお辞儀をしたのを見て、慌てて頭を下げた。今日は私の営業人生最高の日だ。



 二木の本社を出て、駐車場へ向かっていた。なんだかふわふわして夢見心地な気分で、今ならどこまでも飛んで行けそうな気さえする。

「気をつけろ」

 危うく通行人にぶつかる寸前で五十嵐社長に腰を引き寄せられた。まるで酔っ払いを介護するような態度に、しっかりしなきゃと背筋を伸ばす。「失礼しました」と言いながら距離を取ろうとすれば、さらに引き寄せられる。恋人の距離に嫌でも胸が高鳴る。その顔面偏差値でこんなことしたら、九十歳のおばあちゃんだって勘違いさせかねない。その証拠に少しスリムになったタヌキも戸惑ってしまっているんだから。

「なんでしょう?」

 出来るだけ平静を装う。なんでもないですよって顔で、慣れていますよって声を出す。

「よくやった」

 右上から聞こえてきた声に、思わず顔を上げて声主の表情を伺う。それに気づいた五十嵐社長はじろりと私を睨んでから、視線を目的地の方へと戻した。これは、純粋に褒めて貰えたってこと・・・?

「すみません。聞こえませんでした」

「___気を抜くなと言ったんだ。まだコラボが確定したわけではない」

「でも・・・五十嵐社長なら、二木専務を唸らせる最高の商品が作れますよね?」

「当然だ」

「なら、私は大船に乗ってのんびりと揺られることにします」

 笑いながら五十嵐社長を見上げれば、少し不満そうに口角を下げた五十嵐社長が私の横腹を摘まんだ。痛みに声を上げながら五十嵐社長から距離を取れば、楽しそうに笑った五十嵐社長は私を置いて歩いて行ってしまった。痛む横腹を摩りながら追いかける。

最高の伊藤さん・・・・・・・になる努力を惜しまないことだな」

「ダイエット始めて半月で四キロ落ちました! 言われなくても、努力に努力を重ねています」

「ああ、その贅肉が掴めなくなる日が待ち遠しいな」

 背中越しでも分かる五十嵐社長の表情に、私も嬉しく思う。ダメダメだった私、少しは成長出来ているだろうか。
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