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第二章 ガタガタの階段は、しがみついて泥臭く登れば良いでしょう。
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しおりを挟む向こうのソファに五十嵐社長がいる。眼鏡をかけてパソコンを操作していて、時折考えるように手を口元に持っていっている。眼鏡姿も悪くない。いや、寧ろ、良い。
「真面目にやれ」
視線を寄こすこともなく言われて、見ていることがバレてしまって恥ずかしい。こちらは集中出来ないし、居心地も悪いのだ。鼻頭に皺を寄せて舌を出してから、借り物のパソコンに視線を戻す。五十嵐社長が作った資料の多くが専門用語で分かり難い。それを調べつつ直しつつで目が疲れてしまったのだ。だから目の保養に五十嵐社長を・・・って、何考えているんだ私。
「お前、好きな食べ物は?」
「え?」
「雑談だ」
急にそう言った五十嵐社長に驚きつつ、頭に浮かんできたものがあった。
「あります。私の地元のカフェなんですけど、元々酒蔵だった建物を改築したお店で、まず雰囲気が最高なんです」
五十嵐社長は作業の手を止めて、ソファの背もたれに肘をつきながらこちらを振り返っている。相槌こそ打ってはくれないものの、話を聞いてくれる雰囲気にスラスラと言葉が出ていた。
「そこのオレオパフェが絶品です。綺麗なグラスの一番下に砕いたオレオと生クリーム、その上にパイ生地を砕いたもの。そしてチーズクリームが乗って、次は苺ゾーンです。また生クリーム&オレオがきて、最後にバニラアイスとチョコアイスに苺のソース。もう、さいっこうなんです」
「俺は甘いものが得意ではない」
「でしたら、コーヒーと一緒にどうぞ。オレオクリームとコーヒーの苦みのマッチは最高です。ハーフサイズでも頼めるので、それから食べてみるのもいいかもですよ。私も一緒だったら、苦手な部分は全部私が食べます」
「ふっ。そうか・・・それは俺も食べてみたくなった」
「食べるべきです。おススメ中のおススメです」
「その調子で、な」
「え?」
こちらを見て笑った五十嵐社長は私の顔を指さした。
「好きなもののことを話すその表情、身振り手振り、魅力的な表現。お前がそこらの営業より劣っているとは思えん。弱みはひとつ。その商品の良さをお前がどれほど知っているかだ」
そう言ってから五十嵐社長は作業に戻り、相反する私は五十嵐社長の後頭部を見て呆けている。そうか。私が商品を信じていなかったから、反論が出たときに言葉が出ずに固まってしまうのか。十年間喉につっかえていたものがストンと取れた気がした。小さく頷きながらパソコン画面に向き直る。
「あ・・・」
スライドを確認中に見つけたワードは”育毛効果”。ふと思い出す若かりし頃の過ちと育毛効果が結びついた気がした。
「五十嵐社長!」
数メートル向こうにいる五十嵐社長に声をかければ、「なんだ」とぶっきらぼうな返事が返ってくる。同じ部屋にいるのに大きな声を出して話すのは変な気がして、五十嵐社長のいるほうのソファへと駆け寄る。
「ゼロワンって育毛効果があるんですか?」
「ああ。アランで検証したが、なかなか有意義な結果が得られた」
「NIKIとIGバイオのコラボ商品ってどうですか?」
パソコンだけに向けられていた五十嵐社長の瞳が、私の言葉に吸い寄せられたようにこちらを向いた。
「私は高校生の時にまつ毛を切ったことがあるんです。雑誌に毛先を少し切ると、伸びが早くなるって書いてあって。でも全然伸びませんでした」
「何を根拠に馬鹿げたことを」
呆れたように言った五十嵐社長は、私の過去の失敗を笑ったがそんなことはどうでもいいのだ。
「それで愛用していたのがNIKIのマスカラです。繊維入りでよく伸びたので。でも思ったんですよね。それって言うならばカツラじゃないですか。スッピンになれば私のまつ毛は悲惨なままで。早く伸びてくれって神に祈りました。まつ毛美容液という存在は知っていたんですけど、お金のない高校生にはそこまで手が出せなくて。だから、育毛効果のあるマスカラっていいですよね」
「___既存で在る。それにゼロワンの育毛効果は肌に付けてこその効果だ。毛だけに塗ることで効果があるわけではない。いい作物を育てるためには、いい土が必要という原理と同じだ」
「では、マスカラ下地はどうですか? マスカラは黒くなるから肌につかないように塗りますが、NIKIのマスカラ下地は透明なので根元からしっかりと塗るんです。それなら効果があるのでは?」
「___まぁ、そうだな。下地に混ぜるのであれば培養液の量もそこまで多くないから、コストも抑えられる」
頷きながらそう言った五十嵐社長と目が合う。
「大人になってからまつ毛美容液を買ったこともあります。でも面倒くさがりの私は塗るのを忘れてしまうのです。でも、マスカラ下地は忘れません」
言いながら笑顔が止まらなかった。五十嵐社長の口元が弧を描いていたから。
「いいだろう。それを軸にゼロワンをエステ部門でも使ってもらえるように資料を作成しろ」
「はい!」
朝日が差し込むリビングで、日和は柔らかなソファに頬を付けて眠っていた。秋の朝は少し冷える。満足そうな顔をして寝ながら笑う日和の肩に、手触りの良い薄手の毛布がかけられた。サラリと揺れた指通りの良い髪を、長い指先が弄んでいる。頬に触れたその手は、愛しむように日和を撫でた。
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