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第一章 運命の糸は、意図せず絡みつくものです。
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しおりを挟む一体どういうことでしょう?
私は社長室の固い床の上に正座させられている。五十嵐社長に渡されたのは五センチほどの厚みの紙の束。表題には「再生医療」と書いてある。大変困ったことに、三行読んだだけでわからない。よくわからない英単語や専門用語が並び、なんなら途中からは英語で書かれているところもある。数枚捲っていけば「幹細胞」や「ヒト幹細胞培養液」「ヒアルロン酸」「ペプちド」「脂ぼうサn___っと、いけない。寝るところだった。
勉強とは、わからないことばかりだとつまらなくやる気が出ない。「あ! わかった!」という成功体験を積み重ねることが大切なのだ。現状の私はちんぷんかんぷんの万年赤点昼寝ヤロウでしかない。正直に言えば化粧品会社で働いているんだから、もちろん聞いたことのある単語もある。幹細胞はここ数年でかなり注目されている美容成分で、今後の美容業界の中核を担うものだ。しかし、じゃあそれはなんですかと聞かれても、「高級な美容液に入っているアレです」って感じ。
呆けた口のまま顔を上げると、デスクで作業中の五十嵐社長と目が合う。
「___質問でも?」
「いえ・・・、それ以前です。わけわかりません。これ、論文ですよね? 一般人じゃ全くわからないです」
「お前が売る商品のことだ。一般人と同じ目線でいられたら困る」
五十嵐社長は正論を言うから嫌いだ。きっと友達も少ないと思う。何を言ったって通じ合えない気がして、諦めて資料に視線を戻す。
コンコン。急にドアがノックされて思わず肩を揺らしてしまい、資料を数枚落としてしまった。滑りの良い床をウォータースライダーのように滑った紙は、悪戯にも五十嵐社長のデスクの下に潜ってしまう。
「どうぞ」
五十嵐社長はそれに気付かなかったようで、ノックの主に返事を返した。とりあえず近くの紙だけを集めようと身を乗り出すが、私の桜島大根が痺れて役に立ちそうもない。一番近くの紙に手を伸ばすと、それはひょいと奪われてしまった。
「社長。女性をダメですよ、こんなところに」
声の主を仰ぎ見れば、大きな男性の外国人がこちらを見下ろしていた。
「ぬ・・・?」
「立てマスか?」
膝を折って手を差し出してくれた男性は、ブルーの綺麗な瞳をしている。色素の薄い髪はカールしていて坊主に近い長さ。身長が高くて肉付きもよく、ファッションに興味がないのかダボっとした長袖シャツにデニム姿だった。
「あ、いや、ちょっと無理そうです」
「Oh。社長、ダメですよ。女性は冷えてしまうといけないでス」
「そいつが勝手にそこに座り始めたんだ」
「え? ここで資料を見ろと命令したのは五十嵐社長です」
「俺はそこで見ろと言っただけで、床に正座しろだなんて言っていない」
「___言い方が悪いんです。あんな顔で言われたら“反省しとけ馬鹿”って言われたのと同然です」
「お前・・・ダメ営業の癖に口ごたえはスラスラ出るんだな」
「ええ。元々静かなタイプではないので」
「まぁまぁまぁまぁ・・・、仲良しデスネ! 良い事です」
あははと笑いながら大きな手を振りながら諫める男性は、優しい瞳で私の手を取り立たせてくれた。
「私はアランです。どうゾよろしくお願いいたシマす」
「こちらこそよろしくお願いします。どちらの国の方ですか?」
「あぁ、私はフランスです」
「おーう、えっふぇるとーう。あはは」
「アラン。馬鹿が移るぞ」
アランはとても良い人そうで、五十嵐社長の意地の悪さが際立っている。社長相手なのに物怖じせずに意見を言えているところを見ると、二人は良い関係を築いているのだろう。
「アランは三か国語を話せて、フランスの有名大学を卒業しているエリートだ。ネイチャーに論文が載ったこともある」
「ねいちゃーですか」
そんなことを言われてもいまいちピンとこない。五十嵐社長は私の脳内を読んだかのように、呆れた溜息を吐いた。
「どれほどの事かもわかってないだろう。NASAのエリート集団の中でもネイチャーに載ったことある人間が何人いるのかってレベルだぞ」
「それって総理大臣になるのとどっちが凄いですか?」
「___比べられるものじゃない。総理大臣が論文出してネイチャーに載るかと言われればそうではない」
「ミシュランの三ツ星を取るとかですか?」
「あっはっはっは。面白いデスネ。私は社長のところで勉強させてもらっている身です。研究員のひとりです。そうデスね。お名前聞いてもいいですか?」
間に割って入るように身を乗り出したアランは、私と五十嵐社長との視線を切るように立ちはだかった。そういえば名乗っていなかったと思い、首から下げていたラヴィソンの社員証をアランの目の前に差し出す。
「イトウヒヨリです」
意識しているわけじゃないのに、なんだか勝手にカタコトになってしまうのはあるあるのはず。
「Oh日和。日本らしい可愛い名前ですね」
さらりとそう言われて、嬉しさの弓矢が私の胸にキュンと刺さった。照れくさくて、無意識に口角が上がる。
「ありがとう。是非、日和と呼んでください」
「OK、OK」
コンコン。和やかな雰囲気に再びノック音が響く。
「どうぞ」
不機嫌そうな五十嵐社長の声がアランの後ろから飛んできた。
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