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第一章 運命の糸は、意図せず絡みつくものです。

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 筋張った男らしい手が私の脇から腰、そして太ももへのラインを値踏みするように辿っていく。醜く太ってしまってから、どれだけの月日ご無沙汰かなんて覚えてもいない。背中は分厚い贅肉に覆われているのに、壁の固さを訴えてくる。頭上からは規則正しい吐息が聞こえているのに、それを掻き消す程に自分の心音がうるさくて堪らない。こんなことになるなんて想像してなかったけれど、平静を装うしか私には選択肢はないのだ。

「い・・・、五十嵐いがらし社長。如何されましたか?」

「・・・はぁ」

 返事の代わりに降ってきた溜息に、長年積もり積もった劣等感が津波のように押し寄せてくる。また、私は期待を裏切っている。いいや、期待なんて疾うにされなくなった。平均点すら取ることが出来なくなった私は、何の為に存在しているのだろう。

「お前の所属は?」

 劣等感に吐き気さえ感じていたところに、初めて五十嵐社長が口を開いた。

「え、いぎょうです」

「そんなことわかっている」

「え・・・と?」

「何の会社に勤めている?」

 呆れた声に不安が募り、鼓動が更に速度を増すのを感じる。早く逃げたいのに、壁際に追い詰められた状況で打開策が浮かばない。「痴漢!」とでも言いながら突飛ばせばいいだろうか? いいや、何を考えているのだ。こんな女に言い寄る男なんていないし、自惚れもいい加減にしろと思われて恥をかくのは私の方。考えれば考える程、気分も視線も落ちていく。

 ぐにっ。

「ったい・・・です」

 背肉を摘ままれて、思わず顔を上げた。こちらを見下ろしている五十嵐社長は、女神様も嫉妬するくらい美しかった。しっかりとした眉に、アイラインを引いているのかと錯覚する程に濃密な睫毛。綺麗な鼻筋に薄い唇はさくらんぼのように愛らしい。七対三で分けられた前髪は、五十嵐社長の色気を惹きたてるように揺れている。清潔感溢れるこの男は、皆が欲しいものを何もかも手にしているのだろう。

「お前はラヴィソンの社員だ」

 顎を持ち上げられて、五十嵐社長の指が私の両頬に食い込む。ただでさえ醜い顔が、きっと更にひどい。それでもされるがままなっているのは、五十嵐社長の手がビクともしないからだ。

「日本でも大手化粧品会社に数えられる、ラヴィソンだ」

「・・・」

「その営業が何という体たらくだ」

 その言葉が指しているのは何のことかだなんて、誰よりもわかっている。仕事を理由に甘やかし続けた身体は、もうすぐ七十キロの大台に片足かけているところだ。学生時代大好きだったお洒落への情熱は、過去に置いてきてしまった。毎日五分で済ませるメイクは、お昼ごろにはほとんど落ちてしまっている。寝ぐせが付こうが結べば同じと、後ろでお団子にしているだけの髪は年に一回美容室に行けばいい方だ。わかっている。自分がどれだけダメなのかくらい。

伊藤日和いとうひより。三か月だ」

「___え? 何が、ですか?」

 今だに掴まれたままの顔を引かれ、五十嵐社長のさくらんぼまでほんの十センチ。

「三か月で俺の商品を一千万円分売ってこい。お前が俺の会社、IGバイオの担当だ」

 若手の俺様博士社長×窓際営業ガールのシンデレラストーリー。開幕です。

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