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第二十章~吸血鬼騎士のディアーボルス~
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アジ・ダカーハの影が、彼女を包み、姿を隠す。そして、その影は、アバドンと同じぐらい大きくなり、隙間から紅き瞳を覗かせる。
「ガァアァアアァア!!」
雄叫びをすれば、辺りは震え、地を抉る。
影が晴れ、姿が見えたかと思えば、それは禍々しいもの。
三つの頭と六つの血より濃い紅い瞳。背中から生えるは、二枚の翼。紛うことない、三頭竜の姿。禍々しくおもう眼は、ただ冷徹にアバドンを見つめ、キラリと輝く。
「我をここまでしたのは流石と言おう、第五ラッパよ。だが甘かったな、小娘。今のお主では我は倒せぬと思え!!」
巨体にあわせ、気迫もありえないほどの殺気を含んでいる。
先程までの姿では感じなかった殺意が、全て、体現されている。
「っ。とうとう来ましたか、アジ・ダカーハ。ここまで人間に肩入れしているとは思いませんでしたよ。けれど、今更本気をだそうとも変わらぬことよ。人間に、天罰を下すのだ」
さすがの第五ラッパでも、アジ・ダカーハの本来の力とやり合うのには自信が無い。それも、第七ラッパ本来の力はまだ出していないため、部が悪い。
「言っておくがアバドン。我はお主をとめるだけだ。我が第七ラッパだろうがどうだろうが、そんなことは関係ない。ただ、アジ・ダカーハの意思である」
ただそれだけをいって、アジ・ダカーハは攻撃にでた。
「紅い糾弾〈スカーレットバレット〉!!」
アジ・ダカーハがかざした手の魔法陣から、紅い弾が躍り出る。ゆらゆらと左右に揺れながらも、標的に向かって進む。
「そんなの、当たりませんよ」
アバドンは、それを先ほどのように、手で止めようとする。
けれど、そこでアジ・ダカーハは口端を釣り上げた。
「そんなヘマすると思うか?」
なにか、破裂したような音が弾ける。
紅い弾は、数個に分かれ、アバドンの手をすり抜けるように躱す。
第五ラッパは、目を見開き、防御の魔法陣を展開する。
単純であれど、千夜や、グレンでさえも分からない戦い。魔術など、全く知らないけれど、威力が半端ないことは辛うじてわかる。
アバドンにあたった紅い弾は、たたあたるだけでなく、アバドンの皮膚を溶かす。再生しにくくして、少しでも体力を削ぐつもりだ。
すぐにその意図を察した第五ラッパは、ラッパを出現させ、吹く。そして、再生能力を向上させた。
「呻きなさい。屍人形(カダヴルマリオネット)」
突然出た闇から生気を失った人間――否、大量の人形がでてくる。
不気味にも、こちらに向かってきて、その上、アバドンは咆哮を放つ。
負けじと、こちらも咆哮を放ち、人形を鋭い爪で切り裂く。
「ったく。次から次へと面倒なことを。仕方あるまいな」
鬱陶しそうにため息をついたアジ・ダカーハは、気晴らしにでもと空をみる。
足元ではどうやら、本隊と、なぜか先程までアジ・ダカーハが戦っていた人間が戦っている。吸血鬼も表に出てきている。人間の中で、派閥があるらしく、二つの組織に分かれてしまっていた。同じ種族であるのに、なぜ争うのかは想像できない。肩を竦めてしまうほど、どうしようもないものだ。
謎の戦場と化してきたものだ。
視線をアバドンに戻し、グルル、と一声なく。
「我が眷属よ。我が血において命ずる」
第五ラッパが魔法陣を築くのがわかる。けれど、変わらず恐ろしい口から言葉は紡がれる。
「虚無より来たれり」
第五ラッパが展開していた魔法陣が、高位の防御するものだと気付く。また、二つ目を展開し、それは攻撃性のものだった。
けれど、顔色一つ変えず、アジ・ダカーハは唱える。
「全てを灰にせよ」
――暗焔冥帝(シュヴァルツスレイヴ)
その言葉は、まるで生きているかのように姿を現す。
漆黒の焔が、アバドンに走り、包み込む。
払えど、時は既に遅く、付き纏う焔は更に燃え盛り、魔法陣さえも消して、アバドンを灰と化した。
「あ、あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ゛」
小さな呻き声を出し、第五ラッパは地に落ちた。
体力と、魔力のほとんどを、第五ラッパはアバドンに託している。底なしの淵まで通じる穴を開けてまでアバドンを召喚しているのだから、当然といえば当然のこと。
本隊としては、戦力を大幅に減らし、このままアジ・ダカーハに荒らされては困るもの。
「ふむ。とりあえず戻るか」
淡い光を放ちながら、白髪の少女の姿に戻ったアジ・ダカーハは、地に降りる。
そしたら、すぐさま本隊の者と思わしき人間が襲ってきた。
後退して一度躱し、距離をとってからまた突進する。
力は、もう変化に使ってしまったため、ダーインスレイヴを召喚したらそれまでだ。それに、人間を殺してしまえば本来の目的が果たせない。
背後に回り込み、うなじに向けて手刀を見舞う。見事クリーンヒットし、人間は気絶した。けれど、一息はつけなかった。また隙間を縫うかのように人間がでてきて、刀を振りかざしてくる。更に、矢を放ってくる者がでてきたり、狙われ三昧だ。
半ば四面楚歌な状況になりつつあるが、まるで舞うかのように、ステップを踏んで綺麗に躱す。
そしてスカートの裾を持ち上げ、一礼。
ここが戦場でなければ、拍手喝采だっただろうに、虚しくも刀のぶつかり合いが響く。
「ちょっとした舞台のようだな、これは」
何気なく満足そうに笑みを浮かべる。
場違いな笑みは、非常に不気味で、恐怖心を煽った。
白糸のように美麗な白髪。ルビーをはめ込んだかのような紅き瞳。少女めいた顔立ちに似合わぬ、大人っぽい口調。
なんとも不思議で、魅力があるのだが、ただ一つ。不気味な笑みが全ての印象を覆す。
天地がひっくり返るように、美しいと思わせながら危ない。まるで、毒を持った美しい蝶のように。
「おやおや。ちょっと目立ちすぎたかのぅ。まるで"戦姫"(ヴァルキリー)のようではないか」
腰に携えた刀の柄に手をかけ、呑気にも、これまた失態、と恥じる。
全く、全ての行動の意味がわからないまま、時は流れ、戦場も終わりを迎えそうだった。
けれど、そう思った刹那、ドクンと、心臓がはねる。
「な、なんじゃ······?」
己の身になにがあったのかわからず、手をみる。
なにも、変化は起きていない。だが、体内では何か変わっている気がした。
『時は満ちた!! 今こそ現れろ。全ての混沌の王よ、全ての悪の王よ! この紅き戦場を、対価として捧げよう!!』
何者かが、そう叫ぶ。
まるで、天に何かを乞うように。
願うように。
カチリ
時は刻まれ、静寂が流れる。
数間を置いて、声が、大気を通して鼓膜を揺らす。
それは、消え入るような。願うかのように震えていて。
「嗚呼。全てを始まりに戻すのだ·······」
それからはもう、誰もわからなかった。解るはずがなかった。
まるで、時が急速に進むかのごとく、空にポツリと浮かんでいた陽は沈み、代わりに月が現れる。
赤黒い空は、第五ラッパの力が消失してさえ変わらない。むしろ、濃さを増し、夜と思わせるような色となる。
異常に期していた。
夜となった空は落ち着き、風も吹かない。
剣戟もなく、ただ異常に目が向かってしまい、寂しくも音はなにもなかった。
そして、黒い髪が人知れず舞う。
煌びやかに、月光を受けて輝きを増し、星を散りばめるかのように舞っている。
そのすぐ下を見れば、月にも負けない黄金に輝く瞳。
その美しさに目を奪われ、唖然と一同は見つめる。
一斉に注目を浴びているが、変わらず黄金の瞳は、淡々と総毛立つほどの戦気を孕み、世界を射抜くように見据えている。
「呼ばれてみれば、なんですか。これは」
さきほどまでアジ・ダカーハだったはずなのに、その雰囲気がない。
辺りを見渡して、少女は肩を落とした。
「少ない対価でここまできたのに、まだ盛り上がりに欠けますね」
誰もが唖然とする。誰も、声を出せない。
少女は、不気味な笑みを浮かべて。一言。
「では、死の演舞をみせてくれますか?」
その場にいたものを魅了する声が、静けさを破る。
誰もが整理しただろう。彼女の姿を。
ライラと名乗ったときは、普通の少女のように明るく、アジ・ダカーハと名乗れば最強にして最凶の悪魔。しかもそのどちらもライラでありアジ・ダカーハ自身。交差していく情報は、整理するには時間がかかる。
頭がついていかずとも、わかるのは、
世界の終わり。
彼女は微笑むが、それは悪魔の笑みであり囁き。多種多様な顔を見せたぶん、疑心暗鬼に拍車がかかる。誰もが信じられない。どの顔が素性なのか。誰も答えが見い出せない。
そんな、驚きと困惑の表情を浮かべる一同をみた彼女は、まるで、どうしたの、と声が聞こえそうなほどに、小首を傾げた。
揺れる黒髪は、月光を帯びて綺羅とひかる。
「し、死の演舞って。なにいってんだよ。おまえ、アジ・ダカーハだろ·······?」
千夜が、引きつったような表情で問う。この状況において、声を出せただけマシだ。
グレンは様子を伺うように彼女を睨む。
顎に人差し指をあて、考える素振りをしてから、彼女は、艶やかな唇を動かした。
「そうですねぇ。アジ・ダカーハの最終形態、という感じでしょうか。本来の姿が先ほどで、今は、力を保った状態で姿を縮めているんですよ。もっとも、大きい方が暴れるにはもってこいなんですけどね」
苦笑をしつつ、自身の体を確認しているのか体を抱くように腕を交差させる。
千夜は半信半疑でありつつも、グレンに近付き、耳打ちをする。
「確か、イリスはライラではないんだよな?」
「そうだよ。前世というだけだ」
「つまりライラはアジ・ダカーハでありあいつで、イリスはまた別の存在ってことか?」
千夜が確かめるように問えば、これはなんとも言い難いように悩みつつも、軽薄な笑いを見せて答える。
二人を除いて、人間と吸血鬼は、二人の意外な仲の良さに、これまた唖然とする。
共通の敵であったとしても、さすがにここまで気軽に話せるのは、また別の話だ。
「そうじゃないかな。彼女自身も言ってることだし。ここまで複雑だと僕もわかんないよ~」
「だよな」
考察を始める二人をみて、彼女は微笑む。
元が彼女の願いとはいえ、叶わぬ夢だと切り捨ててしまっていた。表ではまだ追っているようにしていたが、いずれ諦めるのも仕方がない。なにせ、過ごすには長すぎる、気が遠くなるほどの時を過ごしたのだから。その分、苦しいこともある。嫌になってこの結果だ。分かる人などいない。
「ふふっ。一部ですが、夢は叶ったようですよ」
他人事のように、胸元にあるものを握りしめる。密かに呟いた声は、誰の耳に届かず、空に溶けた。
やがて、なにやら話していた二人はこちらに体を向け、柄に手をかける。明らかに殺意を向けてきて、その尋常でない殺意を浴びた他の者は、自分に向けられたものでもないのに、生唾を飲み込んでいる。
彼女は薄ら寒い笑みを浮かべ、唇を濡らす。まさに顔にあるのは愉悦、喜悦、悦楽。喜怒哀楽の喜をそのまま表したかのような具合だ。変わらぬ不気味さに、恐怖が絶えず襲ってくる。
「やるっきゃあねぇか」
「あっは♪ 怖い怖い」
鞘から刃をみせる。
宣戦布告にも捉えられるそれを、彼女は笑みを絶やさず、自身も鞘から黒き刀を抜き、答える。
「其方らよ、我が屍を乗り越えてゆくがいい!!」
地を蹴り、体が前へと進めば、遅れて漆のような漆黒の髪が舞う。
目にも止まらぬ速さで、唖然としている者共の前を通り過ぎ、それぞれ武器を抜いた二人に一振り。
素早く二人は左右に分かれて後退し、構えをとる。
一振りをしても足を止めず、空いている左腕を体の前で右から左へと薙ぎ払うかのように動かす。
パキリッ、と空間を割ったかのような音を立てて出現したのは、『空間操作』によって現れた銀に染められたクナイ。それも、二人の周囲を囲って現れている。
瞬時にそれを理解した二人は、態勢を低くして強く地を蹴り前に出る。
首の皮一枚で躱し、そのままの勢いで突っ込んでくる。
どちらも、前進して衝突――僅かに千夜が押され、少し宙に浮いた状態から着地。千夜はほぼ勘で半身にして後ろから飛んでくるクナイを避け、更に後ろから向かってくるクナイを刀で叩き落とす。
グレンは彼女の元にいち早く駆けつけ、剣をひらめかせる。
だが、その一撃は不意打ちを狙ったにも関わらず避けられ、間を詰められる。
「ははっ」
愉しそうに、彼女はグレンの懐に飛び込んで下からグレンを見上げる。危険を察知するも、グレンは対応出来ず、彼女が鳩尾に向かって放った掌底を咄嗟に腕で受け止める。
「ぐはっ――ッ!!」
彼女の腕からは想像出来ないほどの威力が放たれ、苦痛が全身に駆け巡る。せりあがってくる嘔吐感を無理矢理にでも抑え込み、前をみる。
「動きが遅いよ」
追撃で、横顔を殴られ、宙で何回か回転しながら地に打ちつけられる。
「いったいなぁ。千夜には手加減したのかよ。妬くよ?」
想像以上の衝撃に、冗談も空元気となる。
傷もなおらない今では、全ての傷が致命傷になりうる。もっとも、彼女が相手では、弄ばれるだろう。
生き地獄のようなものを想像しただけで、身体が震える。
「あらまぁ。私は愛されていると捉えても?」
これまたご冗談をいう彼女に、とても冗談で返せるわけがなかった。
失笑で躱そうとするグレンだが、即座に襲いかかってくる殺気にゾクリと身震いする。
にこやかでも、彼女はやはり不気味だ。その笑みの裏になにがあるかわからず、不安になる。それはうまく捉えれば神秘的であろうが、どうにも彼女のソレは不気味以外の何者でもない。
「どうでしょう。彼はまだしも、私は惚れられていた側なので」
「あら。そうだったのですか。なにぶん、これまでの記憶を知らないもので。でも、意外ですね。私はあなたを好きになるのですか」
どことなく悲しげに聞こえる声からして嘘ではないことがわかる。
だけれど、そんな悠長なことはいってられない。
呼吸も落ち着いてきたところで、グレンは立ち上がる。ある程度の麻痺もとれた。
再び構えをとり、なにがあっても防げるようにする。
横目で見れば、千夜もすでに立て直していて、その袖口には札が装填されている。
「そろそろ本番かなー」
まずは初手。それでもあの威力というのは実に気が引ける。
静寂が支配――否、覇気に押されて強制的に静かになった空気に、砂利を踏みしめる音が伝わる。
静寂を壊したのは、同時にでてきたグレンと千夜だった。
「疾ッ!!」
ズドン、と地を踏んだ音を置き去りにし、間合いを縮める。
彼女は、二人を交互に見ながら様子を伺い、後ろに飛び退く。
その隙間を縫うようにグレンの剣がひらめき、方向をかえ、斬撃を放ってくる。
上半身を前に倒した状態で着地した彼女は、勢いを殺して前に飛び出る。
隙が多いグレンを守るように、千夜は躍り出て、彼女のかざした刃を左手添えた刀で防ごうとする。
黒刀を振り下ろし、重力を上乗せした攻撃は、千夜の刀にぶつかる。
「ぐっ――ッ!」
足元が陥没し、態勢が僅かばかり崩れる。
その瞬間を、彼女が見逃すはずが無かった。両手で握っていた柄から、片手を離し、その空いた片手でクナイを放とうとする。
「させるかっ!」
千夜の得物と、彼女の得物の間に、剣を滑り込ませ、グレンが振るう。
(頬に掠ったか)
地面を抉りながらも、地から足を離さなかった彼女は、頬に伝わるなにかに触れる。
ぬめりとした感触が手に伝わってきて、手についたそれをみる。手は朱に、紅に染まっていた。思ったより深いようだ。治癒は、体内にある魔力を使われるため、すぐ塞ぐだろうが、致命傷を負えば、今の魔力ではなおせないだろう。
少し緩んでしまっていた気を引き締め、より笑みを深める。
「久しぶりに血を流しましたね。いやいや。これはこれはなんとも懐かしい。生きている心地がする」
手の甲で血を拭い、感嘆するように述べる。
その間でも、グレンは駆け出して剣を振るう。
それを間一髪とでも言うように体をくの字にして避け、下から掬うように刀をあげ、くるりと一回転。そのまま縦に振る。
グレンは半身で頬の皮一枚を犠牲にする。
このゼロ距離で避けられたのは、賞賛に値すべきものだろう。彼女は、む、と小さく声を漏らし、上に飛ぶ。
グレンを軽々と飛び越え、背後をとる。
「背中ががら空きですよ?」
「それはどうかなぁ?」
自信ありげに刀を振る彼女に対し、余裕があるような笑いを見せるグレン。
ハッ、と前をみれば、千夜が札をすでに投げていた。
前に出ていた勢いもあり、札が額につけられる。
「爆裂しろ」
ただ一言。
札は淡い光を放ちながら、言葉に呼応するかのように熱をともす。
「なっ――!!」
思わぬ連携プレーに驚愕を隠せない。ここまで連携してくるなど、予想外もいいところだ。
爆発が響き、爆風が吹き荒れる。
粉塵によって彼女の姿がみえなくなる。だが、その覇気は消えることも、衰えることさえなかった。
「な、なんだ?!」
粉塵が突如竜巻のように渦を巻く。そして霧散した。
その中央にいたのは彼女だ。乱れた髪をなおすように、手ぐしで整えている。
「発動まで遅すぎますよ。古典的ですね」
微笑み、千夜をみる。
千夜は、特に効かないことに対して驚きを持たず、むしろ効かない前提でしているようだった。
「まさか――!」
察したようで、上を見上げる。
月光で、顔は見えないが、影が宙にあった。
そして、それがグレンだと断定する。
「紅蓮衝破・烈!!」
上段からの、それでいて隙の多い攻撃。けれど、相当な威力があることは確実。
紅い軌跡を描いた斬撃は、不意をついた彼女にあたる――と思われたが。
「″黒百合″」
黒い外套がゆらめき、彼女と斬撃の間に滑り込む。彼女は、斬撃が見えなくなるが、慌てず、その終始を予想できているかのように目を閉じる。そして、言葉を紡いだ。
「目醒めなさい、″黒椿姫″」
″黒百合″は、変貌を遂げた。
あまり広範囲を覆っていなかった外套は、彼女の周りをも覆い始める。
斬撃が外套にあたるも、それは簡単に防がれ、その上、隙だらけのグレンに、影の矢が放たれる。
そして、花開くように、包まれていた彼女が姿を現す。
肩口には、金であしらった竜の意匠がより黒衣を際立たせ、存在感を放っている。右足にレッグホルスターもつけられ、太ももを強調する。
変わったのは、見た目だけではなかった。
「″黒椿姫″、陰槍」
鋭利にとがった槍が外套から現れる。宙でそれを掴んだ彼女は、くるりとまわり、その遠心力をつかって投げた。
「ふっ――!!」
短い気合いとともに投げた槍は、確実にグレンを捉えていた。
影の矢を防いでいたグレンの隙は大きい。
血飛沫が舞い、パタリと骸がおち、土埃を舞い上がらせ――るわけでもなく。槍がグレンにあたることはなかった。
邪魔をしたのは、空気をも切り裂く斬撃だった。その実行犯は、千夜。
槍の柄に、斬撃をあて、少しでも軌道を逸らしたのだ。柄といえど、とても細く、その上高速で移動しているのだ。それに当てようとは、技術が相当必要なもの。
「これはまた·····」
驚きも交えた言葉が漏れ出る。
彼女にとっては、たかが二人。けれど、侮りすぎていた。
唐突にも関わらず見事な連携。どちらの技術を有効に使う、柔軟性。さすがの彼女であっても、舌を巻くほどだ。
体力も少ない。魔力もさほどない。体力を温存する戦法だが、それでは技術が劣る。手加減をした状態でも上手くいくと思っていたのだが、予想を上回る結果となった。これでは、この戦法は使えない。
「うむ。これは仕方がないな」
もはや諦めたように呟く。
その呟きを聞いた二人は、警戒をより強めた。
その通り、禍々しいほどに視界に捉えられるほど、黒刀は紫色のオーラを放つ。視界さえも捻じ曲げてしまうほど、強い闇。
彼女の顔からは、これまで絶えていなかった笑みは消え、瞳には虚無しか映っていなかった。
「手加減する意味はないな。予想以上だ。これほどまでに、追い詰められるとは思わなかった。······だから、感謝として、私の本気を受けてもらおう――!!」
残像を残す勢いで踏み出したかと思えば、既に千夜の前にいる。
「――ッ!!」
咄嗟に刀で防ごうとしても、間に合わず、横腹に黒刀の先がはしる。
深くめり込み、音もなく切り裂いた。
「がはっ······!!」
猛烈な痛みにおそわれ、思わず片膝をつく。
出血はそこまで酷くないが、じわりじわりと地に落ちる。
彼女は、切り裂いても止まらず、即座に踵を返して追撃とばかりに黒刀を突き出してくる。
「かっ。は、白龍!!!」
痛みを押し殺し、白龍の力を引き出す。五感は鋭利になり、回復力もあがる。
あげられた反射神経で、突きをギリギリ半身で避け、その勢いで後転して片膝をついた状態で着地する。
程なくして傷の表面は繋がった。もう少し時間が経てば完全に治るだろう。だが、彼女が待つはずもない。
当たらなかった得物を、千夜の逃げた方向へと一振り。
そのとき、ギロリと睨まれ、一瞬であるが足が竦む。
一瞬であれど、この戦場において致命的な時間。逃げる機会を失い、避けられないと思った千夜は死を覚悟した。
だが、その時はいつまで経っても訪れず、代わりに男の声がくる。
「はい、恩返しだからねー」
「仇で返されるかと思ったがな」
苦笑しながらも、差し出された手を取り立ち上がる。
間一髪のところで、グレンが弾き返した。
彼女を見れば、どうやら本気で来るらしい。ここまで粘ってはいるが、さすがに体力もそろそろなくなる。このような戦いを続けていれば終わらない。彼女は体力の消耗を小さくした戦い方だったのだろうが、もうすでにその面影はなく、見違えたほどに疾駆している。その素早さは異常に期していた。
「本気で来やがるな」
「ま、あんな殺気をだされたらほんとに怖いよねー」
「「········」」
二人して、冗談など、もう言える余裕はなかった。かなり追い詰められている。彼女はその気になれば、初太刀で殺せていた。でも、それをしていない。まさに、遊んでいるのだ。誰かを殺すのに、迷いなどない。殺し慣れてしまっている手だ。
「二人でかかってきなさい。お遊びはこれからよ」
外套が風でゆらめく。
月を背にした彼女は、さながら月の神のようだ。
黒髪が舞い上がれば煌めき、外套がゆれれば闇が躍る。
再び笑みを浮かべた彼女は、仁王立ちで攻撃を待っている。その立ち姿は、イリスを思わせるものだった。
「ありゃ魔王だな」
「楽しんでるしねー」
あまりにも堂々とされ、小細工など施したくなくなる。それが狙いだろうが、どうも気がひける。
「んじゃ、行くとするか!!」
「先行はもらうよ!」
同時に駆け出し、千夜は回り込み、グレンは一直線に進む。
グレンが剣をふりかぶって押さえつけ、そこに千夜が斬りかかる。
彼女は横目で見極め、千夜が斬りかかるタイミングでグレンの横をすり抜け、相打ちにさせる。だが、千夜は右足を、グレンは左足を軸足として方向転換する。
「ほほぅ」
咄嗟の連携でも、全てを予測しきっている。彼女が避けるのも分かっていて、あまり勢いを強くしていなかった。
ステップを踏みながら、後退し、距離をとる。右足に付けてあるレッグホルスターから札を数枚、袖口に潜ませ、そのうちの一枚を黒刀に貼り付ける。
「燃えろ、暗焔。″炎帝″(レーヴァテイン)」
札から黒い炎が黒刀にまとわりつく。螺旋を描くように巻き付き、陽炎を立ち上らせる。
ただ少し振るっただけでも転がっている瓦礫が灰になる。
「最後の勝負としましょうか。私が立っていた暁には――人類最終試練は乗り越えなかったとし、この世を終わりに導きます」
終了宣言。
酷く透き通る声は、話しかけるような声量であっても、空気を揺らし、一同の鼓膜を揺らした。
言葉に答えるように、黒炎はより強く燃え上がる。
「そんなことはさせるか!」
「僕たち英雄が阻止してあげようじゃないか」
もう、千夜とグレンしか戦えない状態なってしまい、ほかの人間や吸血鬼は争う様子もないようで、観戦を決め込んでいる。
そんな観客を、半ば呆れたような感じでみてから、短いため息をつく。
「やれるものならね。でも、卑怯じゃないかなぁ、君ら。観戦するのは構わないけど、任せっきりでさ? 気を付けないと、命あるかわかんないよ?」
彼女は首の後ろを叩いて挑発する。
ギクリ、と身を震わせて想像をする。
(よわいな·····)
千夜やグレンは前線にでて、彼女と戦っている。だが、対して他の奴らというとその勇気すらだせない。実力がどうのこうのではなく、ただ出ていない。恐れてしまっている。
「死にたくないのなら得物をもて。恐怖は躊躇しかもたらさん。その得物を振るうことに躊躇しますか? 私を斬ることに躊躇しますか? しないでしょう、するはずがないでしょう。ならば、反抗してみなさい!」
一喝。
シーンと静まり返る空気に、彼女は目を細める。無理かと半ば諦めた瞬間、声が響いた。
『そうだ! あんなやつなど人間の敵ではない!!』
『こっちは大勢いるんだ! みんな力合わせれば勝てるぞぉぉぉぉぉお!!』
鼓舞するような声。
空気は引き締められ、緊張と切迫した空気が流れ始める。
「やればできるじゃない」
よかったなとでもいうように、彼女は千夜に視線を投げる。
だが、千夜はその様子を見てなんとも言い難い顔をした。
「敵に鼓舞されるって、普通おかしいだろ······?」
「頭抱えたくなるねぇ」
「「はぁ·······」」
喜べばいいのか、悔しがればいいのか。
どちらにせよ、よく分からない気持ちに悩む。
そんな様子をみて、彼女は小さく頷き、刀を構える。
「これだよ、これ。やっときた。さあ、始めようか!! 得物を持て、闇を切り裂け、その先にある希望を掴め! 我はその闇となり試練となる!! 人類最終試練――ラスト・エンブリオの始まりよ!!」
高らかに叫ぶ。その声は嬉々として、弾む。″黒椿姫″が喜ぶようにはためき、黒刀は炎を激しく立ち上らせる。
獰猛な笑みを浮かべた彼女は、月光を浴びて綺羅と輝く。
そして、大軍が動いた。
今まで動かなかった人間と吸血鬼の部隊が、千夜とグレンをカバーするように前に出る。
まさか出てくるとは思わなかったので、二人共驚きつつも強制的に後退された。
すぐさま彼女は囲まれ、得物を向けられる。
だが、笑みを絶やさぬまま、横に一閃。
それで三人の首ははねられ、体が崩れる。それでも、勢いは絶えず、恐れずに突き進んでくる。
それを真っ向から受け止め、弾き返し、突きを放つ。
「さすがに数が多い、なっ!!」
苦しいといった表情などない。愉しいという感情だけが心を占めている。
″黒椿姫″で無数の陰槍を召喚し、四方八方に放つ。
たたき落とすものもいれば、首を刈られ倒れる者もいる。
やはりそれでも勢いは落ちない。死んでもいいという勇気とやる気で満たされている。
ここまで充実した戦いはないだろう。本気で相手をしてくる者など、彼女にとってないことだった。その瞳をみれば誰もが足を竦ませ、無抵抗で崩れていく。そういうのばかりだった。だが、今は違う。誰もが殺す気でやってきている。
「ははっ!! これは楽しいものだ!」
これまで以上に声を荒らげ、刀を振るう。
細かい傷がつくが、今はそんなことどうでもいい。真正面からくるのはなかなかない。
「弓隊、放てー!!」
掛け声とともに矢が降ってくる。
刀を振るって叩き落とすが、それでも肩や足に刺さる。
そこに追撃で槍が飛んでくる。
すぐさま矢を抜いて投擲し、槍を捕まえてまたそれを持ち主のところへと投げつける。
ストッ――と音もなく額に刺さり、血飛沫が舞う。そのままその骸は後ろへ突き飛ばされ、後ろにいた者はぶつかり倒れ込む。
『恐るなぁ!!!!!! 前だけみろぉおお!』
怒号にも似たそれは、大軍の中から発せられ、その言葉でさらに神の力を引き出してくる人間。吸血鬼も回り込みつつ背後を取ってくる。
「千夜とグレンとやらのほうがまだマシだな。そこ、通してくれるかなっ!!」
一人を一太刀で切り伏せ、翻した刀で雁首をはねとばす。
時には心臓を突き、時には真っ二つに切り裂いていく。
そうこうしているうちに、だんだんと数は少なくなっていく。だんだんと、前線から外れた人が見えてくる。
「引け!! まずは距離をとれ!!」
千夜が焦ったように叫ぶ。
無理もないだろう。こんなにも勢いがあるが、策はない。策なしなら、いくら数が多くとも勝ち目は少ない。
煽られて乗った結果がこれだ。ただ蹂躙されるだけ。そんなもので、勝つことなどできやしない。
「残念だけど遅い。·····″黒椿姫″敵を屠りなさい!!」
外套を翻しての一喝。″黒椿姫″は主の呼び声に答えて外套を鋭利に――するわけでもなく、ただ風に揺れていた。
「ど、どうしたの?」
″黒椿姫″は、特に攻撃の意思を示さず、揺れている。
まさかのことに、唖然となる彼女。そこに千夜が入ってくる。
「せあぁぁぁぁああ!」
「――っ!!」
目の前のことに視線を戻して、回避。髪の毛数本を犠牲にしての後退。
彼女には珍しく呆気にとられていた。それほど重要な事なのだろう。なにせ、主の言うことを聞かなかったのだ。
――″黒椿姫″
それは″黒百合″の覚醒した姿。シェードと呼ばれる闇の精霊の一人が宿ったもの。触れた者の精神に攻撃する上位の精霊。歴史上では下位のはずだが、なぜかこのシェードは上位になっている。
擬人化や、槍を中心とした武器を陰で作り、投擲することもできる。
″黒椿姫″は、自身で選んだ王にしか使えないという特殊な精霊でもあり、扱いにくい。
魔界では、″黒椿姫″のことを口を揃えてこう呼ぶ。
――王権(レガリア)、と。
そんな″黒椿姫″は、戦闘に関しては最強といえる。回復能力もあり、主の傷を驚異的なはやさでなおすのだ。けれど、主の言うことを聞かず、独立するのは初めてだった。
(まさか、この男を殺したくないと·····?!)
後退しながらも、黒刀で斬撃を放つ。
千夜の攻撃を捌きながら、思考を巡らす。
(一体なにがあったんだ?!)
理由も不明。″黒椿姫″のことを考えればあるはずのないこと。けれどなぜ躊躇ったかがわからない。
(甘くなったか?! ″黒椿姫″!!)
愚痴にも似た問いを心の中で叫びながら、答えを待つ。
その間にも、千夜は上から振り下ろしてくる。それを正面で受け止め、左に逸らし、態勢を崩したところで横に降る。だが、それすら千夜は振り返って弾く。
「どうやら、″黒椿姫″は反応してくれないらしいな。やることを間違ってるんじゃないか?」
鍔迫り合いになり、声がよく聞こえる。
「どうでしょうね。ただの反抗期の可能性もありうるのでしょうし」
「でも、戦場では初めてだろ?」
「さてさて。私はそこまで記憶力には自信がないので」
笑みを含めた言葉で返す。
千夜は少し余裕のあるような顔をして、鍔迫り合いから後退して離れる。
「これでは広範囲の攻撃はほぼ不可能ですね。″黒椿姫″はあの男に封印されたのでしょうか」
考察にしても、勘が占める思考に、彼女ながらも悩む。
これでは、魔力を使わず全方位へと攻撃が仕掛けられない。四面楚歌なこの状況では全方位への攻撃が必須だ。それがないとなると、手傷を確実に負う。
「おうおう、そろそろ降参か?」
煽り気味に千夜は声を上げる。
その顔には、笑みがあった。気を抜きすぎというわけでもない、余裕をもつ笑み。それは、さきほどまで彼女がしていたことだった。
逆にされて、彼女の背筋にはゾクリ、と寒気がはしる。
(これか、これなのか)
その久しぶりの感覚に、心を躍らせる。
高揚した気持ちを抑えるように、柄を強く握り直す。
「各隊、突撃だ!!」
『おおぉぉぉぉぉぉぉ!!!』
合図とともに、気合が飛び交う。
大気を震わせる声は、地を揺らし、温度を上げる。
「こりゃ熱いなぁ」
鬱陶しさに汗を滲ませながら、彼女は一歩引いて態勢を立て直す。
「″黒椿姫″、戦う気、ないの?」
問えば、答えるように揺らめく外套。
その返答に、落胆をしつつも、切り替えて構える。
「しっかたないねぇ。ちょっと一人で頑張るか、な!」
踏み込み、前に飛び出す。
ふわりと着地したかと思えば、血飛沫が宙を舞う。隙間から見えるのは、彼女の笑み。
ザクッと不気味な音が奏でる狂想曲が戦場を埋め尽くす。
黒衣を纏いし彼女は、まるでタクトを振るかのように得物を振るう。視界はさほど時間もかからずに紅に染まる。
「陣形をとれ!! 惑わされるなよ!」
千夜がすぐさま命令を下し、散らばった仲間を引き戻す。
その間にも、彼女は薔薇を咲かせる。
不気味な音と、それぞれの気合いが交じる戦場。幾度の剣戟があっても、そこに残っているのは彼女。誰も仕留められやしない。
「ふふっ。万策も尽きるかな?」
ニヤリとした表情で、彼女は得物を振るう。
だが、どうにも引っかかることがあった。
この人数の多さだ。
吸血鬼がいたとしても、ここまでいない。大軍にしろ、もう数え切れないほどの人を殺している。それなのに、次から次へと、絶えずくる。あまりにも異常だった。
「まさか·······!」
一振りで眼前の敵を屠り!その奥を凝視する。
そこには、なにもない。
ただのボロボロの建物のみだった。
だれもいないわけが無い。あそこは、千夜が休んでいた場所だ。移動するにしろ、捉えられないはずがない。
「幻影かっ!!!」
上へと斬撃を放てば、パキリ、と空が割れる。ヒビは広がり、やがて実物をみせる。
覆っているドーム状のベールは、煙が固まったもの。そして、それをコントロールできる人物は、脳裏に一人しか浮かばない。
「隼人、気付かれたぞー」
呑気な声が、鼓膜を揺らす。
本能的にそちらに振り返り、一振り。
悠々とたっている、五人の者がいた。
そして、その一人の武器からは、煙が絶えず出ている。
「だが終わりっしょ?」
返答するように、笑みを含めた声音で返す隼人。笑みを浮かべてながらも、冷や汗を額に浮かべている。
「まんまと騙されたわけか。してやられたな」
呆れたように、彼女は顔をひきつらせる。それもそうだろう。無駄に体力を消耗してしまったからだ。相手は消耗どころか回復している。この差は非常に響く。
彼女は身を屈め、残像を残して地を蹴り、その勢いで突く。
だが、それも幻影。
手応えのない感覚。
すぐさま情報整理され、踵を返して幻影であれど、本物であれど、とにかくしらみつぶしに放つ。
砂埃が舞い、視界は防がれる。
「残念ですね」
突如聞こえた声に、反射的に視線を向ける。
けれど、その後見た景色は、紅だった。
「――え?」
わからず、脳内が混乱する。錯誤する情報が、混じり合い、わからなくなる。
数秒の間を置いて、彼女は自身に起きたことを理解した。
膝がくずれおちる。
黒髪は白髪にもどり、ふわりと舞って、自分の血だまりに吸い込まれる。
後ろを振り向けば、息を切らした、苦悶の表情に染まっているであろう、仮面を被った吸血鬼がいた。
脱力した体から、止まらないというように血が溢れ出る。
「ああ、そうか。そうなのか」
意味深に声を漏らした彼女――ライラは、微笑を浮かべた。
赤へと戻った瞳は、空を捉え、やがて一同をうつす。
一人一人の顔をみて、再び仮面の吸血鬼に視線を戻す。
唖然とした表情をみて、クスッと笑えば、仮面の吸血鬼は慌てる。
「お前、戻ったのか?!」
なぜ今、というように驚く千夜。
これまで、戻る気配など微塵もなかった。だが、意外とすんなり戻ったので、驚きを隠せられない。
「まあな。·······あれが、私の最終形態。人類最終試練の、本来の姿。私こそが試練を課し、そして魔王となる。魔王は倒される運命を背負う。だから、もう、一緒にいられないはずだ。既に、試練を人類が乗り越えたということで、世界の運命は大きく曲がっている。元々路線を外れていたが、大幅にズレた。後戻りはできないと思え。それに、まだ、完全に終わっていない。種族が消えることもない。その種族と仲良くできるか。それが私の課す試練だ」
じっと見据え、ライラは千夜の眼差しを、試すように視る。
しばらくして、ライラは目を伏せて、安堵したように息をつく。
「その試練。俺は受けよう」
刀を地に刺し、千夜は承諾の意を見せる。
うむ、とライラは確認して、掌を千夜にみせる。
「我が名において、試練を課そう。種族共存をもってしてクリアとする。ここに、契約書を提示する」
どこからともなく、ひらりと羊皮紙が二枚現れ、千夜のもとへ一枚飛んで行く。
その契約書に一通り目を通した千夜は、丸めて懐へおさめた。
「これで、安泰かな·····。そろそろ時間のようだ。私はそろそろ消える。存在意義をなくしてしまうだろう。だが、忘れるな。私は運命とともにある。いつでも傍にいる」
人間の中には、涙ぐむ者もいた。多く関わってきた人たちだ。今回の戦には、そういう人が多くいる。
ライラは悲しみをぐっと抑え、立ち上がる。
その体はフラフラで、まともに立てない。仮面の吸血鬼に肩を貸してもらいながら、ようやく安定したところで、息を吸う。
「私はライラ・イラ・コードだ!! 人類最終試練を課し者にして不滅の刃! 私は消えぬ、全ては消えぬ。残すものはただひとつ! 共存だ!! 私は深く爪痕を残して消えよう! それこそ、私の存在意義であり、私の存在した証だ!」
宙に響き、余韻が残る。
それを聞き届けた一同は、誰もが得物をしまい、最期を見届けた。
仄かに淡い光を体から出しながら、ライラは力のない顔で微笑む。
最後に、仮面の吸血鬼に問う。
「私は······悪魔であっても、吸血鬼の騎士になれただろうか?」
その笑みは悲しそうで、けれど悔いのないような。
仮面の吸血鬼は、深く頷き、答えた。
「えぇ。あなたこそ、吸血鬼騎士。吸血鬼騎士のディアーボルスでしょう」
そして、その言葉を聞き、ライラは弾けるように、砕け、宙に吸い込まれるように、未だ光を放ちながら星と化した。
「ガァアァアアァア!!」
雄叫びをすれば、辺りは震え、地を抉る。
影が晴れ、姿が見えたかと思えば、それは禍々しいもの。
三つの頭と六つの血より濃い紅い瞳。背中から生えるは、二枚の翼。紛うことない、三頭竜の姿。禍々しくおもう眼は、ただ冷徹にアバドンを見つめ、キラリと輝く。
「我をここまでしたのは流石と言おう、第五ラッパよ。だが甘かったな、小娘。今のお主では我は倒せぬと思え!!」
巨体にあわせ、気迫もありえないほどの殺気を含んでいる。
先程までの姿では感じなかった殺意が、全て、体現されている。
「っ。とうとう来ましたか、アジ・ダカーハ。ここまで人間に肩入れしているとは思いませんでしたよ。けれど、今更本気をだそうとも変わらぬことよ。人間に、天罰を下すのだ」
さすがの第五ラッパでも、アジ・ダカーハの本来の力とやり合うのには自信が無い。それも、第七ラッパ本来の力はまだ出していないため、部が悪い。
「言っておくがアバドン。我はお主をとめるだけだ。我が第七ラッパだろうがどうだろうが、そんなことは関係ない。ただ、アジ・ダカーハの意思である」
ただそれだけをいって、アジ・ダカーハは攻撃にでた。
「紅い糾弾〈スカーレットバレット〉!!」
アジ・ダカーハがかざした手の魔法陣から、紅い弾が躍り出る。ゆらゆらと左右に揺れながらも、標的に向かって進む。
「そんなの、当たりませんよ」
アバドンは、それを先ほどのように、手で止めようとする。
けれど、そこでアジ・ダカーハは口端を釣り上げた。
「そんなヘマすると思うか?」
なにか、破裂したような音が弾ける。
紅い弾は、数個に分かれ、アバドンの手をすり抜けるように躱す。
第五ラッパは、目を見開き、防御の魔法陣を展開する。
単純であれど、千夜や、グレンでさえも分からない戦い。魔術など、全く知らないけれど、威力が半端ないことは辛うじてわかる。
アバドンにあたった紅い弾は、たたあたるだけでなく、アバドンの皮膚を溶かす。再生しにくくして、少しでも体力を削ぐつもりだ。
すぐにその意図を察した第五ラッパは、ラッパを出現させ、吹く。そして、再生能力を向上させた。
「呻きなさい。屍人形(カダヴルマリオネット)」
突然出た闇から生気を失った人間――否、大量の人形がでてくる。
不気味にも、こちらに向かってきて、その上、アバドンは咆哮を放つ。
負けじと、こちらも咆哮を放ち、人形を鋭い爪で切り裂く。
「ったく。次から次へと面倒なことを。仕方あるまいな」
鬱陶しそうにため息をついたアジ・ダカーハは、気晴らしにでもと空をみる。
足元ではどうやら、本隊と、なぜか先程までアジ・ダカーハが戦っていた人間が戦っている。吸血鬼も表に出てきている。人間の中で、派閥があるらしく、二つの組織に分かれてしまっていた。同じ種族であるのに、なぜ争うのかは想像できない。肩を竦めてしまうほど、どうしようもないものだ。
謎の戦場と化してきたものだ。
視線をアバドンに戻し、グルル、と一声なく。
「我が眷属よ。我が血において命ずる」
第五ラッパが魔法陣を築くのがわかる。けれど、変わらず恐ろしい口から言葉は紡がれる。
「虚無より来たれり」
第五ラッパが展開していた魔法陣が、高位の防御するものだと気付く。また、二つ目を展開し、それは攻撃性のものだった。
けれど、顔色一つ変えず、アジ・ダカーハは唱える。
「全てを灰にせよ」
――暗焔冥帝(シュヴァルツスレイヴ)
その言葉は、まるで生きているかのように姿を現す。
漆黒の焔が、アバドンに走り、包み込む。
払えど、時は既に遅く、付き纏う焔は更に燃え盛り、魔法陣さえも消して、アバドンを灰と化した。
「あ、あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ゛」
小さな呻き声を出し、第五ラッパは地に落ちた。
体力と、魔力のほとんどを、第五ラッパはアバドンに託している。底なしの淵まで通じる穴を開けてまでアバドンを召喚しているのだから、当然といえば当然のこと。
本隊としては、戦力を大幅に減らし、このままアジ・ダカーハに荒らされては困るもの。
「ふむ。とりあえず戻るか」
淡い光を放ちながら、白髪の少女の姿に戻ったアジ・ダカーハは、地に降りる。
そしたら、すぐさま本隊の者と思わしき人間が襲ってきた。
後退して一度躱し、距離をとってからまた突進する。
力は、もう変化に使ってしまったため、ダーインスレイヴを召喚したらそれまでだ。それに、人間を殺してしまえば本来の目的が果たせない。
背後に回り込み、うなじに向けて手刀を見舞う。見事クリーンヒットし、人間は気絶した。けれど、一息はつけなかった。また隙間を縫うかのように人間がでてきて、刀を振りかざしてくる。更に、矢を放ってくる者がでてきたり、狙われ三昧だ。
半ば四面楚歌な状況になりつつあるが、まるで舞うかのように、ステップを踏んで綺麗に躱す。
そしてスカートの裾を持ち上げ、一礼。
ここが戦場でなければ、拍手喝采だっただろうに、虚しくも刀のぶつかり合いが響く。
「ちょっとした舞台のようだな、これは」
何気なく満足そうに笑みを浮かべる。
場違いな笑みは、非常に不気味で、恐怖心を煽った。
白糸のように美麗な白髪。ルビーをはめ込んだかのような紅き瞳。少女めいた顔立ちに似合わぬ、大人っぽい口調。
なんとも不思議で、魅力があるのだが、ただ一つ。不気味な笑みが全ての印象を覆す。
天地がひっくり返るように、美しいと思わせながら危ない。まるで、毒を持った美しい蝶のように。
「おやおや。ちょっと目立ちすぎたかのぅ。まるで"戦姫"(ヴァルキリー)のようではないか」
腰に携えた刀の柄に手をかけ、呑気にも、これまた失態、と恥じる。
全く、全ての行動の意味がわからないまま、時は流れ、戦場も終わりを迎えそうだった。
けれど、そう思った刹那、ドクンと、心臓がはねる。
「な、なんじゃ······?」
己の身になにがあったのかわからず、手をみる。
なにも、変化は起きていない。だが、体内では何か変わっている気がした。
『時は満ちた!! 今こそ現れろ。全ての混沌の王よ、全ての悪の王よ! この紅き戦場を、対価として捧げよう!!』
何者かが、そう叫ぶ。
まるで、天に何かを乞うように。
願うように。
カチリ
時は刻まれ、静寂が流れる。
数間を置いて、声が、大気を通して鼓膜を揺らす。
それは、消え入るような。願うかのように震えていて。
「嗚呼。全てを始まりに戻すのだ·······」
それからはもう、誰もわからなかった。解るはずがなかった。
まるで、時が急速に進むかのごとく、空にポツリと浮かんでいた陽は沈み、代わりに月が現れる。
赤黒い空は、第五ラッパの力が消失してさえ変わらない。むしろ、濃さを増し、夜と思わせるような色となる。
異常に期していた。
夜となった空は落ち着き、風も吹かない。
剣戟もなく、ただ異常に目が向かってしまい、寂しくも音はなにもなかった。
そして、黒い髪が人知れず舞う。
煌びやかに、月光を受けて輝きを増し、星を散りばめるかのように舞っている。
そのすぐ下を見れば、月にも負けない黄金に輝く瞳。
その美しさに目を奪われ、唖然と一同は見つめる。
一斉に注目を浴びているが、変わらず黄金の瞳は、淡々と総毛立つほどの戦気を孕み、世界を射抜くように見据えている。
「呼ばれてみれば、なんですか。これは」
さきほどまでアジ・ダカーハだったはずなのに、その雰囲気がない。
辺りを見渡して、少女は肩を落とした。
「少ない対価でここまできたのに、まだ盛り上がりに欠けますね」
誰もが唖然とする。誰も、声を出せない。
少女は、不気味な笑みを浮かべて。一言。
「では、死の演舞をみせてくれますか?」
その場にいたものを魅了する声が、静けさを破る。
誰もが整理しただろう。彼女の姿を。
ライラと名乗ったときは、普通の少女のように明るく、アジ・ダカーハと名乗れば最強にして最凶の悪魔。しかもそのどちらもライラでありアジ・ダカーハ自身。交差していく情報は、整理するには時間がかかる。
頭がついていかずとも、わかるのは、
世界の終わり。
彼女は微笑むが、それは悪魔の笑みであり囁き。多種多様な顔を見せたぶん、疑心暗鬼に拍車がかかる。誰もが信じられない。どの顔が素性なのか。誰も答えが見い出せない。
そんな、驚きと困惑の表情を浮かべる一同をみた彼女は、まるで、どうしたの、と声が聞こえそうなほどに、小首を傾げた。
揺れる黒髪は、月光を帯びて綺羅とひかる。
「し、死の演舞って。なにいってんだよ。おまえ、アジ・ダカーハだろ·······?」
千夜が、引きつったような表情で問う。この状況において、声を出せただけマシだ。
グレンは様子を伺うように彼女を睨む。
顎に人差し指をあて、考える素振りをしてから、彼女は、艶やかな唇を動かした。
「そうですねぇ。アジ・ダカーハの最終形態、という感じでしょうか。本来の姿が先ほどで、今は、力を保った状態で姿を縮めているんですよ。もっとも、大きい方が暴れるにはもってこいなんですけどね」
苦笑をしつつ、自身の体を確認しているのか体を抱くように腕を交差させる。
千夜は半信半疑でありつつも、グレンに近付き、耳打ちをする。
「確か、イリスはライラではないんだよな?」
「そうだよ。前世というだけだ」
「つまりライラはアジ・ダカーハでありあいつで、イリスはまた別の存在ってことか?」
千夜が確かめるように問えば、これはなんとも言い難いように悩みつつも、軽薄な笑いを見せて答える。
二人を除いて、人間と吸血鬼は、二人の意外な仲の良さに、これまた唖然とする。
共通の敵であったとしても、さすがにここまで気軽に話せるのは、また別の話だ。
「そうじゃないかな。彼女自身も言ってることだし。ここまで複雑だと僕もわかんないよ~」
「だよな」
考察を始める二人をみて、彼女は微笑む。
元が彼女の願いとはいえ、叶わぬ夢だと切り捨ててしまっていた。表ではまだ追っているようにしていたが、いずれ諦めるのも仕方がない。なにせ、過ごすには長すぎる、気が遠くなるほどの時を過ごしたのだから。その分、苦しいこともある。嫌になってこの結果だ。分かる人などいない。
「ふふっ。一部ですが、夢は叶ったようですよ」
他人事のように、胸元にあるものを握りしめる。密かに呟いた声は、誰の耳に届かず、空に溶けた。
やがて、なにやら話していた二人はこちらに体を向け、柄に手をかける。明らかに殺意を向けてきて、その尋常でない殺意を浴びた他の者は、自分に向けられたものでもないのに、生唾を飲み込んでいる。
彼女は薄ら寒い笑みを浮かべ、唇を濡らす。まさに顔にあるのは愉悦、喜悦、悦楽。喜怒哀楽の喜をそのまま表したかのような具合だ。変わらぬ不気味さに、恐怖が絶えず襲ってくる。
「やるっきゃあねぇか」
「あっは♪ 怖い怖い」
鞘から刃をみせる。
宣戦布告にも捉えられるそれを、彼女は笑みを絶やさず、自身も鞘から黒き刀を抜き、答える。
「其方らよ、我が屍を乗り越えてゆくがいい!!」
地を蹴り、体が前へと進めば、遅れて漆のような漆黒の髪が舞う。
目にも止まらぬ速さで、唖然としている者共の前を通り過ぎ、それぞれ武器を抜いた二人に一振り。
素早く二人は左右に分かれて後退し、構えをとる。
一振りをしても足を止めず、空いている左腕を体の前で右から左へと薙ぎ払うかのように動かす。
パキリッ、と空間を割ったかのような音を立てて出現したのは、『空間操作』によって現れた銀に染められたクナイ。それも、二人の周囲を囲って現れている。
瞬時にそれを理解した二人は、態勢を低くして強く地を蹴り前に出る。
首の皮一枚で躱し、そのままの勢いで突っ込んでくる。
どちらも、前進して衝突――僅かに千夜が押され、少し宙に浮いた状態から着地。千夜はほぼ勘で半身にして後ろから飛んでくるクナイを避け、更に後ろから向かってくるクナイを刀で叩き落とす。
グレンは彼女の元にいち早く駆けつけ、剣をひらめかせる。
だが、その一撃は不意打ちを狙ったにも関わらず避けられ、間を詰められる。
「ははっ」
愉しそうに、彼女はグレンの懐に飛び込んで下からグレンを見上げる。危険を察知するも、グレンは対応出来ず、彼女が鳩尾に向かって放った掌底を咄嗟に腕で受け止める。
「ぐはっ――ッ!!」
彼女の腕からは想像出来ないほどの威力が放たれ、苦痛が全身に駆け巡る。せりあがってくる嘔吐感を無理矢理にでも抑え込み、前をみる。
「動きが遅いよ」
追撃で、横顔を殴られ、宙で何回か回転しながら地に打ちつけられる。
「いったいなぁ。千夜には手加減したのかよ。妬くよ?」
想像以上の衝撃に、冗談も空元気となる。
傷もなおらない今では、全ての傷が致命傷になりうる。もっとも、彼女が相手では、弄ばれるだろう。
生き地獄のようなものを想像しただけで、身体が震える。
「あらまぁ。私は愛されていると捉えても?」
これまたご冗談をいう彼女に、とても冗談で返せるわけがなかった。
失笑で躱そうとするグレンだが、即座に襲いかかってくる殺気にゾクリと身震いする。
にこやかでも、彼女はやはり不気味だ。その笑みの裏になにがあるかわからず、不安になる。それはうまく捉えれば神秘的であろうが、どうにも彼女のソレは不気味以外の何者でもない。
「どうでしょう。彼はまだしも、私は惚れられていた側なので」
「あら。そうだったのですか。なにぶん、これまでの記憶を知らないもので。でも、意外ですね。私はあなたを好きになるのですか」
どことなく悲しげに聞こえる声からして嘘ではないことがわかる。
だけれど、そんな悠長なことはいってられない。
呼吸も落ち着いてきたところで、グレンは立ち上がる。ある程度の麻痺もとれた。
再び構えをとり、なにがあっても防げるようにする。
横目で見れば、千夜もすでに立て直していて、その袖口には札が装填されている。
「そろそろ本番かなー」
まずは初手。それでもあの威力というのは実に気が引ける。
静寂が支配――否、覇気に押されて強制的に静かになった空気に、砂利を踏みしめる音が伝わる。
静寂を壊したのは、同時にでてきたグレンと千夜だった。
「疾ッ!!」
ズドン、と地を踏んだ音を置き去りにし、間合いを縮める。
彼女は、二人を交互に見ながら様子を伺い、後ろに飛び退く。
その隙間を縫うようにグレンの剣がひらめき、方向をかえ、斬撃を放ってくる。
上半身を前に倒した状態で着地した彼女は、勢いを殺して前に飛び出る。
隙が多いグレンを守るように、千夜は躍り出て、彼女のかざした刃を左手添えた刀で防ごうとする。
黒刀を振り下ろし、重力を上乗せした攻撃は、千夜の刀にぶつかる。
「ぐっ――ッ!」
足元が陥没し、態勢が僅かばかり崩れる。
その瞬間を、彼女が見逃すはずが無かった。両手で握っていた柄から、片手を離し、その空いた片手でクナイを放とうとする。
「させるかっ!」
千夜の得物と、彼女の得物の間に、剣を滑り込ませ、グレンが振るう。
(頬に掠ったか)
地面を抉りながらも、地から足を離さなかった彼女は、頬に伝わるなにかに触れる。
ぬめりとした感触が手に伝わってきて、手についたそれをみる。手は朱に、紅に染まっていた。思ったより深いようだ。治癒は、体内にある魔力を使われるため、すぐ塞ぐだろうが、致命傷を負えば、今の魔力ではなおせないだろう。
少し緩んでしまっていた気を引き締め、より笑みを深める。
「久しぶりに血を流しましたね。いやいや。これはこれはなんとも懐かしい。生きている心地がする」
手の甲で血を拭い、感嘆するように述べる。
その間でも、グレンは駆け出して剣を振るう。
それを間一髪とでも言うように体をくの字にして避け、下から掬うように刀をあげ、くるりと一回転。そのまま縦に振る。
グレンは半身で頬の皮一枚を犠牲にする。
このゼロ距離で避けられたのは、賞賛に値すべきものだろう。彼女は、む、と小さく声を漏らし、上に飛ぶ。
グレンを軽々と飛び越え、背後をとる。
「背中ががら空きですよ?」
「それはどうかなぁ?」
自信ありげに刀を振る彼女に対し、余裕があるような笑いを見せるグレン。
ハッ、と前をみれば、千夜が札をすでに投げていた。
前に出ていた勢いもあり、札が額につけられる。
「爆裂しろ」
ただ一言。
札は淡い光を放ちながら、言葉に呼応するかのように熱をともす。
「なっ――!!」
思わぬ連携プレーに驚愕を隠せない。ここまで連携してくるなど、予想外もいいところだ。
爆発が響き、爆風が吹き荒れる。
粉塵によって彼女の姿がみえなくなる。だが、その覇気は消えることも、衰えることさえなかった。
「な、なんだ?!」
粉塵が突如竜巻のように渦を巻く。そして霧散した。
その中央にいたのは彼女だ。乱れた髪をなおすように、手ぐしで整えている。
「発動まで遅すぎますよ。古典的ですね」
微笑み、千夜をみる。
千夜は、特に効かないことに対して驚きを持たず、むしろ効かない前提でしているようだった。
「まさか――!」
察したようで、上を見上げる。
月光で、顔は見えないが、影が宙にあった。
そして、それがグレンだと断定する。
「紅蓮衝破・烈!!」
上段からの、それでいて隙の多い攻撃。けれど、相当な威力があることは確実。
紅い軌跡を描いた斬撃は、不意をついた彼女にあたる――と思われたが。
「″黒百合″」
黒い外套がゆらめき、彼女と斬撃の間に滑り込む。彼女は、斬撃が見えなくなるが、慌てず、その終始を予想できているかのように目を閉じる。そして、言葉を紡いだ。
「目醒めなさい、″黒椿姫″」
″黒百合″は、変貌を遂げた。
あまり広範囲を覆っていなかった外套は、彼女の周りをも覆い始める。
斬撃が外套にあたるも、それは簡単に防がれ、その上、隙だらけのグレンに、影の矢が放たれる。
そして、花開くように、包まれていた彼女が姿を現す。
肩口には、金であしらった竜の意匠がより黒衣を際立たせ、存在感を放っている。右足にレッグホルスターもつけられ、太ももを強調する。
変わったのは、見た目だけではなかった。
「″黒椿姫″、陰槍」
鋭利にとがった槍が外套から現れる。宙でそれを掴んだ彼女は、くるりとまわり、その遠心力をつかって投げた。
「ふっ――!!」
短い気合いとともに投げた槍は、確実にグレンを捉えていた。
影の矢を防いでいたグレンの隙は大きい。
血飛沫が舞い、パタリと骸がおち、土埃を舞い上がらせ――るわけでもなく。槍がグレンにあたることはなかった。
邪魔をしたのは、空気をも切り裂く斬撃だった。その実行犯は、千夜。
槍の柄に、斬撃をあて、少しでも軌道を逸らしたのだ。柄といえど、とても細く、その上高速で移動しているのだ。それに当てようとは、技術が相当必要なもの。
「これはまた·····」
驚きも交えた言葉が漏れ出る。
彼女にとっては、たかが二人。けれど、侮りすぎていた。
唐突にも関わらず見事な連携。どちらの技術を有効に使う、柔軟性。さすがの彼女であっても、舌を巻くほどだ。
体力も少ない。魔力もさほどない。体力を温存する戦法だが、それでは技術が劣る。手加減をした状態でも上手くいくと思っていたのだが、予想を上回る結果となった。これでは、この戦法は使えない。
「うむ。これは仕方がないな」
もはや諦めたように呟く。
その呟きを聞いた二人は、警戒をより強めた。
その通り、禍々しいほどに視界に捉えられるほど、黒刀は紫色のオーラを放つ。視界さえも捻じ曲げてしまうほど、強い闇。
彼女の顔からは、これまで絶えていなかった笑みは消え、瞳には虚無しか映っていなかった。
「手加減する意味はないな。予想以上だ。これほどまでに、追い詰められるとは思わなかった。······だから、感謝として、私の本気を受けてもらおう――!!」
残像を残す勢いで踏み出したかと思えば、既に千夜の前にいる。
「――ッ!!」
咄嗟に刀で防ごうとしても、間に合わず、横腹に黒刀の先がはしる。
深くめり込み、音もなく切り裂いた。
「がはっ······!!」
猛烈な痛みにおそわれ、思わず片膝をつく。
出血はそこまで酷くないが、じわりじわりと地に落ちる。
彼女は、切り裂いても止まらず、即座に踵を返して追撃とばかりに黒刀を突き出してくる。
「かっ。は、白龍!!!」
痛みを押し殺し、白龍の力を引き出す。五感は鋭利になり、回復力もあがる。
あげられた反射神経で、突きをギリギリ半身で避け、その勢いで後転して片膝をついた状態で着地する。
程なくして傷の表面は繋がった。もう少し時間が経てば完全に治るだろう。だが、彼女が待つはずもない。
当たらなかった得物を、千夜の逃げた方向へと一振り。
そのとき、ギロリと睨まれ、一瞬であるが足が竦む。
一瞬であれど、この戦場において致命的な時間。逃げる機会を失い、避けられないと思った千夜は死を覚悟した。
だが、その時はいつまで経っても訪れず、代わりに男の声がくる。
「はい、恩返しだからねー」
「仇で返されるかと思ったがな」
苦笑しながらも、差し出された手を取り立ち上がる。
間一髪のところで、グレンが弾き返した。
彼女を見れば、どうやら本気で来るらしい。ここまで粘ってはいるが、さすがに体力もそろそろなくなる。このような戦いを続けていれば終わらない。彼女は体力の消耗を小さくした戦い方だったのだろうが、もうすでにその面影はなく、見違えたほどに疾駆している。その素早さは異常に期していた。
「本気で来やがるな」
「ま、あんな殺気をだされたらほんとに怖いよねー」
「「········」」
二人して、冗談など、もう言える余裕はなかった。かなり追い詰められている。彼女はその気になれば、初太刀で殺せていた。でも、それをしていない。まさに、遊んでいるのだ。誰かを殺すのに、迷いなどない。殺し慣れてしまっている手だ。
「二人でかかってきなさい。お遊びはこれからよ」
外套が風でゆらめく。
月を背にした彼女は、さながら月の神のようだ。
黒髪が舞い上がれば煌めき、外套がゆれれば闇が躍る。
再び笑みを浮かべた彼女は、仁王立ちで攻撃を待っている。その立ち姿は、イリスを思わせるものだった。
「ありゃ魔王だな」
「楽しんでるしねー」
あまりにも堂々とされ、小細工など施したくなくなる。それが狙いだろうが、どうも気がひける。
「んじゃ、行くとするか!!」
「先行はもらうよ!」
同時に駆け出し、千夜は回り込み、グレンは一直線に進む。
グレンが剣をふりかぶって押さえつけ、そこに千夜が斬りかかる。
彼女は横目で見極め、千夜が斬りかかるタイミングでグレンの横をすり抜け、相打ちにさせる。だが、千夜は右足を、グレンは左足を軸足として方向転換する。
「ほほぅ」
咄嗟の連携でも、全てを予測しきっている。彼女が避けるのも分かっていて、あまり勢いを強くしていなかった。
ステップを踏みながら、後退し、距離をとる。右足に付けてあるレッグホルスターから札を数枚、袖口に潜ませ、そのうちの一枚を黒刀に貼り付ける。
「燃えろ、暗焔。″炎帝″(レーヴァテイン)」
札から黒い炎が黒刀にまとわりつく。螺旋を描くように巻き付き、陽炎を立ち上らせる。
ただ少し振るっただけでも転がっている瓦礫が灰になる。
「最後の勝負としましょうか。私が立っていた暁には――人類最終試練は乗り越えなかったとし、この世を終わりに導きます」
終了宣言。
酷く透き通る声は、話しかけるような声量であっても、空気を揺らし、一同の鼓膜を揺らした。
言葉に答えるように、黒炎はより強く燃え上がる。
「そんなことはさせるか!」
「僕たち英雄が阻止してあげようじゃないか」
もう、千夜とグレンしか戦えない状態なってしまい、ほかの人間や吸血鬼は争う様子もないようで、観戦を決め込んでいる。
そんな観客を、半ば呆れたような感じでみてから、短いため息をつく。
「やれるものならね。でも、卑怯じゃないかなぁ、君ら。観戦するのは構わないけど、任せっきりでさ? 気を付けないと、命あるかわかんないよ?」
彼女は首の後ろを叩いて挑発する。
ギクリ、と身を震わせて想像をする。
(よわいな·····)
千夜やグレンは前線にでて、彼女と戦っている。だが、対して他の奴らというとその勇気すらだせない。実力がどうのこうのではなく、ただ出ていない。恐れてしまっている。
「死にたくないのなら得物をもて。恐怖は躊躇しかもたらさん。その得物を振るうことに躊躇しますか? 私を斬ることに躊躇しますか? しないでしょう、するはずがないでしょう。ならば、反抗してみなさい!」
一喝。
シーンと静まり返る空気に、彼女は目を細める。無理かと半ば諦めた瞬間、声が響いた。
『そうだ! あんなやつなど人間の敵ではない!!』
『こっちは大勢いるんだ! みんな力合わせれば勝てるぞぉぉぉぉぉお!!』
鼓舞するような声。
空気は引き締められ、緊張と切迫した空気が流れ始める。
「やればできるじゃない」
よかったなとでもいうように、彼女は千夜に視線を投げる。
だが、千夜はその様子を見てなんとも言い難い顔をした。
「敵に鼓舞されるって、普通おかしいだろ······?」
「頭抱えたくなるねぇ」
「「はぁ·······」」
喜べばいいのか、悔しがればいいのか。
どちらにせよ、よく分からない気持ちに悩む。
そんな様子をみて、彼女は小さく頷き、刀を構える。
「これだよ、これ。やっときた。さあ、始めようか!! 得物を持て、闇を切り裂け、その先にある希望を掴め! 我はその闇となり試練となる!! 人類最終試練――ラスト・エンブリオの始まりよ!!」
高らかに叫ぶ。その声は嬉々として、弾む。″黒椿姫″が喜ぶようにはためき、黒刀は炎を激しく立ち上らせる。
獰猛な笑みを浮かべた彼女は、月光を浴びて綺羅と輝く。
そして、大軍が動いた。
今まで動かなかった人間と吸血鬼の部隊が、千夜とグレンをカバーするように前に出る。
まさか出てくるとは思わなかったので、二人共驚きつつも強制的に後退された。
すぐさま彼女は囲まれ、得物を向けられる。
だが、笑みを絶やさぬまま、横に一閃。
それで三人の首ははねられ、体が崩れる。それでも、勢いは絶えず、恐れずに突き進んでくる。
それを真っ向から受け止め、弾き返し、突きを放つ。
「さすがに数が多い、なっ!!」
苦しいといった表情などない。愉しいという感情だけが心を占めている。
″黒椿姫″で無数の陰槍を召喚し、四方八方に放つ。
たたき落とすものもいれば、首を刈られ倒れる者もいる。
やはりそれでも勢いは落ちない。死んでもいいという勇気とやる気で満たされている。
ここまで充実した戦いはないだろう。本気で相手をしてくる者など、彼女にとってないことだった。その瞳をみれば誰もが足を竦ませ、無抵抗で崩れていく。そういうのばかりだった。だが、今は違う。誰もが殺す気でやってきている。
「ははっ!! これは楽しいものだ!」
これまで以上に声を荒らげ、刀を振るう。
細かい傷がつくが、今はそんなことどうでもいい。真正面からくるのはなかなかない。
「弓隊、放てー!!」
掛け声とともに矢が降ってくる。
刀を振るって叩き落とすが、それでも肩や足に刺さる。
そこに追撃で槍が飛んでくる。
すぐさま矢を抜いて投擲し、槍を捕まえてまたそれを持ち主のところへと投げつける。
ストッ――と音もなく額に刺さり、血飛沫が舞う。そのままその骸は後ろへ突き飛ばされ、後ろにいた者はぶつかり倒れ込む。
『恐るなぁ!!!!!! 前だけみろぉおお!』
怒号にも似たそれは、大軍の中から発せられ、その言葉でさらに神の力を引き出してくる人間。吸血鬼も回り込みつつ背後を取ってくる。
「千夜とグレンとやらのほうがまだマシだな。そこ、通してくれるかなっ!!」
一人を一太刀で切り伏せ、翻した刀で雁首をはねとばす。
時には心臓を突き、時には真っ二つに切り裂いていく。
そうこうしているうちに、だんだんと数は少なくなっていく。だんだんと、前線から外れた人が見えてくる。
「引け!! まずは距離をとれ!!」
千夜が焦ったように叫ぶ。
無理もないだろう。こんなにも勢いがあるが、策はない。策なしなら、いくら数が多くとも勝ち目は少ない。
煽られて乗った結果がこれだ。ただ蹂躙されるだけ。そんなもので、勝つことなどできやしない。
「残念だけど遅い。·····″黒椿姫″敵を屠りなさい!!」
外套を翻しての一喝。″黒椿姫″は主の呼び声に答えて外套を鋭利に――するわけでもなく、ただ風に揺れていた。
「ど、どうしたの?」
″黒椿姫″は、特に攻撃の意思を示さず、揺れている。
まさかのことに、唖然となる彼女。そこに千夜が入ってくる。
「せあぁぁぁぁああ!」
「――っ!!」
目の前のことに視線を戻して、回避。髪の毛数本を犠牲にしての後退。
彼女には珍しく呆気にとられていた。それほど重要な事なのだろう。なにせ、主の言うことを聞かなかったのだ。
――″黒椿姫″
それは″黒百合″の覚醒した姿。シェードと呼ばれる闇の精霊の一人が宿ったもの。触れた者の精神に攻撃する上位の精霊。歴史上では下位のはずだが、なぜかこのシェードは上位になっている。
擬人化や、槍を中心とした武器を陰で作り、投擲することもできる。
″黒椿姫″は、自身で選んだ王にしか使えないという特殊な精霊でもあり、扱いにくい。
魔界では、″黒椿姫″のことを口を揃えてこう呼ぶ。
――王権(レガリア)、と。
そんな″黒椿姫″は、戦闘に関しては最強といえる。回復能力もあり、主の傷を驚異的なはやさでなおすのだ。けれど、主の言うことを聞かず、独立するのは初めてだった。
(まさか、この男を殺したくないと·····?!)
後退しながらも、黒刀で斬撃を放つ。
千夜の攻撃を捌きながら、思考を巡らす。
(一体なにがあったんだ?!)
理由も不明。″黒椿姫″のことを考えればあるはずのないこと。けれどなぜ躊躇ったかがわからない。
(甘くなったか?! ″黒椿姫″!!)
愚痴にも似た問いを心の中で叫びながら、答えを待つ。
その間にも、千夜は上から振り下ろしてくる。それを正面で受け止め、左に逸らし、態勢を崩したところで横に降る。だが、それすら千夜は振り返って弾く。
「どうやら、″黒椿姫″は反応してくれないらしいな。やることを間違ってるんじゃないか?」
鍔迫り合いになり、声がよく聞こえる。
「どうでしょうね。ただの反抗期の可能性もありうるのでしょうし」
「でも、戦場では初めてだろ?」
「さてさて。私はそこまで記憶力には自信がないので」
笑みを含めた言葉で返す。
千夜は少し余裕のあるような顔をして、鍔迫り合いから後退して離れる。
「これでは広範囲の攻撃はほぼ不可能ですね。″黒椿姫″はあの男に封印されたのでしょうか」
考察にしても、勘が占める思考に、彼女ながらも悩む。
これでは、魔力を使わず全方位へと攻撃が仕掛けられない。四面楚歌なこの状況では全方位への攻撃が必須だ。それがないとなると、手傷を確実に負う。
「おうおう、そろそろ降参か?」
煽り気味に千夜は声を上げる。
その顔には、笑みがあった。気を抜きすぎというわけでもない、余裕をもつ笑み。それは、さきほどまで彼女がしていたことだった。
逆にされて、彼女の背筋にはゾクリ、と寒気がはしる。
(これか、これなのか)
その久しぶりの感覚に、心を躍らせる。
高揚した気持ちを抑えるように、柄を強く握り直す。
「各隊、突撃だ!!」
『おおぉぉぉぉぉぉぉ!!!』
合図とともに、気合が飛び交う。
大気を震わせる声は、地を揺らし、温度を上げる。
「こりゃ熱いなぁ」
鬱陶しさに汗を滲ませながら、彼女は一歩引いて態勢を立て直す。
「″黒椿姫″、戦う気、ないの?」
問えば、答えるように揺らめく外套。
その返答に、落胆をしつつも、切り替えて構える。
「しっかたないねぇ。ちょっと一人で頑張るか、な!」
踏み込み、前に飛び出す。
ふわりと着地したかと思えば、血飛沫が宙を舞う。隙間から見えるのは、彼女の笑み。
ザクッと不気味な音が奏でる狂想曲が戦場を埋め尽くす。
黒衣を纏いし彼女は、まるでタクトを振るかのように得物を振るう。視界はさほど時間もかからずに紅に染まる。
「陣形をとれ!! 惑わされるなよ!」
千夜がすぐさま命令を下し、散らばった仲間を引き戻す。
その間にも、彼女は薔薇を咲かせる。
不気味な音と、それぞれの気合いが交じる戦場。幾度の剣戟があっても、そこに残っているのは彼女。誰も仕留められやしない。
「ふふっ。万策も尽きるかな?」
ニヤリとした表情で、彼女は得物を振るう。
だが、どうにも引っかかることがあった。
この人数の多さだ。
吸血鬼がいたとしても、ここまでいない。大軍にしろ、もう数え切れないほどの人を殺している。それなのに、次から次へと、絶えずくる。あまりにも異常だった。
「まさか·······!」
一振りで眼前の敵を屠り!その奥を凝視する。
そこには、なにもない。
ただのボロボロの建物のみだった。
だれもいないわけが無い。あそこは、千夜が休んでいた場所だ。移動するにしろ、捉えられないはずがない。
「幻影かっ!!!」
上へと斬撃を放てば、パキリ、と空が割れる。ヒビは広がり、やがて実物をみせる。
覆っているドーム状のベールは、煙が固まったもの。そして、それをコントロールできる人物は、脳裏に一人しか浮かばない。
「隼人、気付かれたぞー」
呑気な声が、鼓膜を揺らす。
本能的にそちらに振り返り、一振り。
悠々とたっている、五人の者がいた。
そして、その一人の武器からは、煙が絶えず出ている。
「だが終わりっしょ?」
返答するように、笑みを含めた声音で返す隼人。笑みを浮かべてながらも、冷や汗を額に浮かべている。
「まんまと騙されたわけか。してやられたな」
呆れたように、彼女は顔をひきつらせる。それもそうだろう。無駄に体力を消耗してしまったからだ。相手は消耗どころか回復している。この差は非常に響く。
彼女は身を屈め、残像を残して地を蹴り、その勢いで突く。
だが、それも幻影。
手応えのない感覚。
すぐさま情報整理され、踵を返して幻影であれど、本物であれど、とにかくしらみつぶしに放つ。
砂埃が舞い、視界は防がれる。
「残念ですね」
突如聞こえた声に、反射的に視線を向ける。
けれど、その後見た景色は、紅だった。
「――え?」
わからず、脳内が混乱する。錯誤する情報が、混じり合い、わからなくなる。
数秒の間を置いて、彼女は自身に起きたことを理解した。
膝がくずれおちる。
黒髪は白髪にもどり、ふわりと舞って、自分の血だまりに吸い込まれる。
後ろを振り向けば、息を切らした、苦悶の表情に染まっているであろう、仮面を被った吸血鬼がいた。
脱力した体から、止まらないというように血が溢れ出る。
「ああ、そうか。そうなのか」
意味深に声を漏らした彼女――ライラは、微笑を浮かべた。
赤へと戻った瞳は、空を捉え、やがて一同をうつす。
一人一人の顔をみて、再び仮面の吸血鬼に視線を戻す。
唖然とした表情をみて、クスッと笑えば、仮面の吸血鬼は慌てる。
「お前、戻ったのか?!」
なぜ今、というように驚く千夜。
これまで、戻る気配など微塵もなかった。だが、意外とすんなり戻ったので、驚きを隠せられない。
「まあな。·······あれが、私の最終形態。人類最終試練の、本来の姿。私こそが試練を課し、そして魔王となる。魔王は倒される運命を背負う。だから、もう、一緒にいられないはずだ。既に、試練を人類が乗り越えたということで、世界の運命は大きく曲がっている。元々路線を外れていたが、大幅にズレた。後戻りはできないと思え。それに、まだ、完全に終わっていない。種族が消えることもない。その種族と仲良くできるか。それが私の課す試練だ」
じっと見据え、ライラは千夜の眼差しを、試すように視る。
しばらくして、ライラは目を伏せて、安堵したように息をつく。
「その試練。俺は受けよう」
刀を地に刺し、千夜は承諾の意を見せる。
うむ、とライラは確認して、掌を千夜にみせる。
「我が名において、試練を課そう。種族共存をもってしてクリアとする。ここに、契約書を提示する」
どこからともなく、ひらりと羊皮紙が二枚現れ、千夜のもとへ一枚飛んで行く。
その契約書に一通り目を通した千夜は、丸めて懐へおさめた。
「これで、安泰かな·····。そろそろ時間のようだ。私はそろそろ消える。存在意義をなくしてしまうだろう。だが、忘れるな。私は運命とともにある。いつでも傍にいる」
人間の中には、涙ぐむ者もいた。多く関わってきた人たちだ。今回の戦には、そういう人が多くいる。
ライラは悲しみをぐっと抑え、立ち上がる。
その体はフラフラで、まともに立てない。仮面の吸血鬼に肩を貸してもらいながら、ようやく安定したところで、息を吸う。
「私はライラ・イラ・コードだ!! 人類最終試練を課し者にして不滅の刃! 私は消えぬ、全ては消えぬ。残すものはただひとつ! 共存だ!! 私は深く爪痕を残して消えよう! それこそ、私の存在意義であり、私の存在した証だ!」
宙に響き、余韻が残る。
それを聞き届けた一同は、誰もが得物をしまい、最期を見届けた。
仄かに淡い光を体から出しながら、ライラは力のない顔で微笑む。
最後に、仮面の吸血鬼に問う。
「私は······悪魔であっても、吸血鬼の騎士になれただろうか?」
その笑みは悲しそうで、けれど悔いのないような。
仮面の吸血鬼は、深く頷き、答えた。
「えぇ。あなたこそ、吸血鬼騎士。吸血鬼騎士のディアーボルスでしょう」
そして、その言葉を聞き、ライラは弾けるように、砕け、宙に吸い込まれるように、未だ光を放ちながら星と化した。
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