上 下
11 / 22
5章 女子になりたい男子

1

しおりを挟む
 美容院の予約をすっぽかしていた。
 それ以外は万事順調。元に戻っていた。
 キリコと抱き合ったとき、元に戻ったと気づかないくらい自然で、まばたきした瞬間に、見ていた部屋の景色が変わったなというくらいあっさりしたものだった。

 ああ、でも、ちょっとした変化はあった。
 キリコがあたしたちのグループの仲間に入ったことだ。
 登校途中に、まずはあたしから双葉と友梨奈にキリコのことを話しておくことにした。キリコはグズで要領を得ないといけないから。

「キリコさ、先輩ににらまれていたらしいよ」
「うっそ。ほんとにグズだよね」
 双葉はあけすけにいう。

「音無花音が生意気だから引きずり落とせって。たぶん、それってカーストから引きずり落とせっていう意味だと思うけど、普通に階段から引きずり落とすとか、ありえなくない?」
「ちょーウケる。なんなのそれ」
 友梨奈と双葉は爆笑だ。こっちは激痛で湿布臭くなるほどのケガだったのに。

「でさぁ、キリコもヤバいけど、やられっぱなしもムカつくじゃん? キリコをこっちに取り込んでスパイさせようよ」
「ああ、ありだね」
「おもしろそう」
「パシらせよう」

 ふたりは盛り上がってこの話しに乗ってきた。
 休み時間、三人でキリコの机を取り囲んだ。
 キリコはほぼ動かない。いつだって自分の席で背中を丸めている。

「というわけで」
 あたしは有無を言わさずまくし立てた。
 キリコには先輩からなにか言われたときにはすぐに報告するように申し伝えた。
「あたしたち、キリコの味方だから」
 あたしは念押しして仲間に入れてやったことを強調した。
 キリコは可もなく不可もなくみたいなつまらない顔をしている。
 双葉が恫喝まがいににらみをきかせる。
「そうだよ。先輩は来年には卒業しちゃうんだよ。どっちについたほうがいいかわかってるよね?」
「キリコもうれしいでしょ。仲間に入れて」
 友梨奈はキリコの頭をぽんぽんと優しく触れると、髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回した。

 まずはこんなかんじでかまわないよね?
 あたしだって、急には変われないんだから。


 放課後、双葉と友梨奈を連れ立って帰るところだった。
 上履きをぬいで履き替えようとしたら、ぽつんと一点、上履きにシミがついていることに気がついた。
 お昼の時、ここにも飛び散ったのか。

「そうだ、忘れ物。とってくる」
 あたしは洗ったハンカチをベランダに干していたことを思い出し、双葉らにそう告げて取って返した。
 給食の盛り付けをしているとき、ソースがはねて制服の袖を汚されてしまったのだ。
 やらかした相手の糸川さんはビビっていたが、あたしは「気にしないで」と表情を変えずに自分のハンカチで拭き取った。

 上履きまで汚されていたなんて、ちょっとウツだ。家に持って帰って洗ったら、明日までに乾くかな。でも、持って帰る袋も持ってきてないし。今日のところはしかたない。
 だけどハンカチは気に入ってるものだし、そのまま放っておけないので取ってきた。

 戻ってくると――双葉も友梨奈も待ってはくれてなかった。
 急いで靴を履き替えて表へ出る。
 通りを見渡せば、なぜかキリコまでがいつの間にか合流していた。
「ちょっと!」
 大声張り上げて呼び止める。

 十五メートルくらい先の十字路に横断歩道があって、三人は道路を渡ってさらに先へと進んでいた。
 ふたりの後ろを歩いているキリコが「早く!」とのんきに叫んでいる。
「早くって……急に親しげに話しかけないでよ」
 文句を言いながら走って追いかける。

 横断歩道を渡ろうとしたときだった。視界の端に車が飛び込んできて、ブレーキをかける大きな音がした。
 ――ウソ……間に合わない……っ!
 油断していた。横断歩道に信号はないけど、通学路でもあるから警察官がたまに立っていることもある。横断歩道は歩行者優先だから、歩行者に道を譲らないドライバーを取り締まる場所として知られていて、手前で待っていると止まってくれる車も多い。

 だけど、飛び出したあたしが悪い。
 ――戻らなきゃ……
「いやぁぁぁぁ!」
 誰かの悲鳴が聞こえた。

 と、同時に強く腕を引っ張られ、あたしは誰かに抱え込まれながら転がった。ぐるぐるとめまいを起こすくらいに。
 ようやく足の捻挫もよくなったというのに、またあちこちに激痛が走る。
 だが、車に跳ね飛ばされたのなら、こんなんじゃすまなかっただろう。

 あたしは助けてくれた人の下敷きになったが、なんとか無事だった。相手の長い髪が顔に覆い被さって邪魔でも文句はいえまい。
 自分と同じトリートメントの香りがした。黒髪のモデルがCMをしていたこのトリートメントはあまりに人気で、一時期は品切れが起こっていたほどだった。
 まさか、女子が体を張って助けてくれたの?
 その命の恩人は、自分の腕でゆっくり体を支え起こすと顔を上げた。

 ――え?
 彼女の顔を見てさらに驚いた。
 想定などするはずない。
 目の前にあたしがいるなんて。
 キリコならともかく、あたしが入れ替わり体質になってしまうとか、とばっちりもいいところだ。
 驚いたとはいえ、あたしはこれが二度目だ。入れ替わりがはじめての相手はものすごくびっくりしているはずだった。

 なのに――目の前にいる音無花音は髪をかき上げ、こちらの姿を認めると、「あっ、ごめんなさいっ」といって飛びのいた。
 こちらの姿を見て動揺する様子はない。
 相手の目の前には自分の姿があるはずだけど、入れ替わったのではないのだろうか。
 まさかの、分裂? あたしがふたりに? そんなバカな。

 痛む体を気遣いながら上半身を起こすと自分の足が見えた。黒いズボンをはいている。上半身を見ればうちの学校の制服である学ランを着ている。
 ――えぇ。男子になっちゃったの?

 そのときだ。「おい!」と怒鳴り声が降りかかってきた。
「危ねぇだろうが!」
 車の助手席に乗った男が窓を全開にし、身を乗り出すように怒りをあらわにしていた。
 なにもそんなに大人げないことをいわなくても……と、思っていると、すかさず音無花音が「そっちも気をつけなさいよ!」と、すごみをきかせる。
「ちょ、ちょっと……」

 ヤバくないか。あたしはその威勢の良さにひるんでしまった。
 でも、周りにいた歩行者や、学校の駐車場にたまたまいた先生が集まってきて、相手も分が悪いと思ったのか、それとも運転手の方は冷静だったのか、走り去ってしまった。

 双葉たちも駆け寄ってきて音無花音に群がった。
「大丈夫なの?」
「最近ケガしすぎじゃない?」
 入れ替わりを知らない双葉と友梨奈はちょっとあきれたようにいう。
「平気だよ。車に突っ込んでいったのはさすがにヤバかったけど」
 音無花音はなんということもないようにおどけながら、二人に支えられて立ち上がった。

「ヤバいじゃないでしょ」
 やってきた先生が注意する。
「いきなり飛び出したのはあなたの方だし、あんな言い方して逆ギレされたら大変よ」
「すみません……」
 しおらしく音無花音は頭を下げた。

「そもそも、夕凪くんが助けてくれたから何事もなかったんだし」
 先生はあたしの腕を取ると「大丈夫?」といいながら引き上げた。ひょいっと、簡単に体が持ち上がる。

 ということは――この体は夕凪風太なのか。
 立ち上がると集まっていた人たちを頭一つ上から見下ろした。
 180センチはあろうかという高身長。痩せ気味の体はひょろひょろっていうか、ナヨナヨ。
 今は女子みたいなベリーショートだが、いっときは侍のようなポニーテールにしていたこともある。
 ぶっ飛んでいるところもあるが、目立つこともない。孤独を愛するといったら聞こえがいいが、たしか、あまり友達はいなかったはず。

 なんであたしは夕凪になってしまったんだ。
 入れ替わった音無花音もあたしらくないというか……そうよ、あたしらしくはない。さすがのあたしもあそこまで気が強くない。だからといって、平穏な夕凪の性格ともちょっと違うようにもかんじる。

「ふたりとも、なんともない?」
 先生がたずねる。
「はいっ」
 間髪おかず音無花音は元気に答えた。ケガはないようだ。それはきっと、意外にも男らしく夕凪が守ってくれたおかげでもあるのだろう。

 夕凪風太の体になったあたしはというと、泣きたくなるほど体中が痛い。筋肉も脂肪もなくてクッション性がないものだから、ひじもひざも、肩甲骨も尾てい骨も、出っ張った骨という骨が痛くて、手の甲もすりむいていたが、夕凪とはいえ一応男子なので「なんともないです」とやせ我慢した。

「ありがとね、ナギ」
 音無花音はあたしに向かってそういうが、あたしは夕凪をナギとは呼んでいない。そう呼んでいる女子もいるけど、ただ席が隣というだけで、夕凪のことをなにも知らない。

「……気をつけろよ、マジで」
 と、夕凪のふりしていってはみたものの、やはり、しっくりこない。

「なんか、ナギおかしくない?」
 友梨奈が微笑交じりに指摘すると、双葉は「花音の前だからじゃない?」と応じ、「そっかそっか、男気あるところ見せないとね」と、ふたりはへんな方向にはやしたてる。
「もう、ちょっとやめてよ。帰るよ」
 音無花音はふたりをなだめた。

「じゃあ、今度こそ本当に気をつけて」
 先生に送り出されて4人は帰って行った。
 冗談じゃない。このまま帰してなるものか。
 あたしはひっそりあとをつけて、音無花音がひとりになるときを待った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

令和の俺と昭和の私

廣瀬純一
ファンタジー
令和の男子と昭和の女子の体が入れ替わる話

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

夏の決意

S.H.L
青春
主人公の遥(はるか)は高校3年生の女子バスケットボール部のキャプテン。部員たちとともに全国大会出場を目指して練習に励んでいたが、ある日、突然のアクシデントによりチームは崩壊の危機に瀕する。そんな中、遥は自らの決意を示すため、坊主頭になることを決意する。この決意はチームを再び一つにまとめるきっかけとなり、仲間たちとの絆を深め、成長していく青春ストーリー。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

坊主女子:学園青春短編集【短編集】

S.H.L
青春
坊主女子の学園もの青春ストーリーを集めた短編集です。

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~

蒼田
青春
 人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。  目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。  しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。  事故から助けることで始まる活発少女との関係。  愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。  愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。  故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。 *本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

処理中です...