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2章 キリコ生活は地獄

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 あたしは音無花音だ。
 音無花音とそのツレの行動パターンを熟知している。

 あたしは彼女たちが登校してくるよりも早く学校へ来て、一階の女子トイレにひそんでいた。
 今朝はキリコママに起こされて、白がゆにシャケフレーク、じゃこ入り卵焼きを食べてきた。エネルギーをチャージしたからなのか、やる気でみなぎっている。

 いつものように大声で話す双葉の声が聞こえてきた。だんだんとこちらへ向かってきている。
 昇降口から向かってきて二階へ上がる階段、その奥にトイレという配置だ。
 階段を上っていったらすぐにここから出ていかねばならない。上の方まで行ってしまったら危険だ。転がり落ちて骨折しかねない。二、三段くらいがちょうどいい衝撃なのだろう。

 あたしはその気配を感じ取ってすぐにあとを追った。
 三人の後ろ姿を見て安心する。
 キリコには彼女たちとの待ち合わせの時間と場所を伝えていたのだが、ちゃんといつも通りの行動を取ってくれたようだ。

 三人は階段を上りかけている。タイミング的にはちょうどいい。
 あたしは手を伸ばして音無花音をつかもうとした。だが、手をつかめそうにない。
 ならばと、肩にかけたバッグを引っ張ろうとしたときだった。
 パシンッと大きな音がして右手に大きな衝撃が走った。

「同じ手にはのらないよ」
 あたしの手をはたいたのは友梨奈だった。警戒されていたのだ。
「キリコ、マジでヤバい」そして双葉は鼻をつまんでいった。「っていうか、湿布臭くてバレバレ」

 しまった。背中と腰が痛くて我慢できず、湿布を四枚も貼って寝たんだった。
 双葉はゲスい笑い方をすると、何事もなかったかのように友梨奈とふたりで音無花音をがっちりガードして階段を上っていった。
 ふたりがすっかり腰巾着になったように見えてくる。――いや、それどころか今回のハプニングで結束力が増したようだ。

 もう一度転がり落ちるという機会を失ってしまったあたしは、上から降り注いでくる声を聞いてることぐらいしかできなかった。
「そういうえば花音さー、スマホどうした?」
「ん?」
「全然返してこないじゃん」
「ああ、きのう雨に打たれたらさ、ちょっと調子悪くて」
「ウソ。災難続きじゃん」

 おかしい。音無花音のスマホはあたし自身が持っているはずだ。
 バッグから取り出して電源ボタンを押す。
 ――あ。充電切れだ。

 そういえば充電するのを忘れていた。
 キリコの部屋に充電器ってあっただろうか。机の上にもなかったし、ベッドのヘッドボードにも電気スタンドと小さなボックスティッシュが置いてあるだけだった。

 充電するだけなら百円ショップで売ってるようなものでも大丈夫かな。あ、だめだ。お金ない。
 音無家にどうにか帰らないと。
 でもキリコの協力なしには無理だ。玄関の鍵を持ってないし、誰かいても勝手には入れない。
 充電切れならスマホでキリコとこっそり連絡取れないし、取り巻き二人がいては直接話しかけるのも無理っぽい。学校が終わってから自宅前で待つよりほかはなさそう。

 がっくりと肩を落として階段を上っていくと、三人の会話はまだ続いていた。
「立て続けに災難が起こるとかさ、なんか取り憑かれてるよ、それ」
「キリコだ、キリコに取り憑かれてる」
「やめてよ」
「逆にわら人形でキリコを呪いなよ」

 あたしたち、あんなに大声で騒いでいたんだ。
 客観的に見ると、たとえ自分のことを言われているのではなくてもうっとうしい。
 でも、あたしたちは半ば、わざとそうしているみたいなものだった。周りの子たちがそば耳立てて、「こいつをいじるのはありだ」というのを知らしめるために。

 みんな安心するのだ。ターゲットが自分ではないことに。そして、誰かがそうしてるなら、自分にも責任はないって。むしろ同調しておく方が無難だって。
 あたしはそっち側の人間じゃない。先導する方だ。なんのためにここまでやってきたんだ。キリコにその地位をゆずるためじゃない。

 よし。階段がだめなら思いっきり突き飛ばして、一緒に転がってみればいい。
 あたしは猛ダッシュで音無花音を追いかけた。
 階段を上りきって三人は横並びに歩いている。このまま突っ込めば――。
 まっしぐらに走って行く。

「あっ!」
 ふいに足下になにかが飛び出してきて、足に突っかかった。
 思いっきりスピード上げて走っていたものだから、どうにも止まらない。勢いよく前につんのめって転び、強く体を打ち付ける。

「うっ」
 胸が苦しい。
 痛いのはあたしだけだ。伸びた手の先でさえも音無花音には届かなかった。

「あら、ごめんなさい」
 謝罪の意も感じない声が響いた。
 追いかけるのに夢中で気づかなかったが、廊下の端に糸川さんが立っていた。
 彼女が足を出してあたしを転ばせたのだ。
 いつも連れ立っている中野さんと深井さんもやってきて、廊下で伸びたままのあたしを取り囲んだ。

「いいこと? 花音には半径五メートル以内に近づかないでね?」
 なんなんだこれは。あの三人の差し金か?
 霧島桐子を取り巻く状況がひどくなっている。
 キリコがあたしに手を出したことが知れ渡り、それをきっかけにエスカレートしていってるのだろうか。
 騒ぎに気づいた双葉ら三人は立ち止まり、「なにしてんの」「うける」とかいいながらあざ笑っていた。

「あ、そうだ」
 キリコはわざとらしくそういうと、さっそうとあたしの前までやってきて、視線を合わせるようにしゃがんだ。
 あたしがいつもやる立ち振る舞いに引けを取らない。
 なんでこんなにも板についているのだ。
 あのネクラなキリコが。どうしてここまで音無花音を演じられるのか、悔しいくらいキリコは音無花音になりきっている。

「あのね、わたし、きょう日直なんだよね。誰かさんのせいで足痛いから、キリコが代わりに日直の仕事してくれない?」
 あたしはすっころんだままの情けない格好だったが、せめてもの反抗心で睨み返す。
 だけどキリコはあたしが断らないことを知っている。
 霧島桐子は頼み事を断らない。初めて断る相手が音無花音であってはならない、断じて。音無花音にこれ以上の恥をかかせてはならないのだ。

 キリコはあたしの耳元でそっとささやいた。
「イメージ、崩さないよね?」

 あたしがいったことをそのまま返してきた。
 このタイミングでいうかと腹が立ったが、あたしの答えは決まっている。日直の仕事くらい。どうってことはない。本来はあたしがやるはずだったのだから。そう言い聞かせる。

 打ち付けた体が痛いけどおなかの底に力を入れた。
「もちろん。代わってあげる」
「そう、よかった。ありがと」
 キリコは満面の笑みを浮かべ、ニヤついている双葉と友梨奈の元へ戻った。そこへ糸川さんたち三人も加わる。

 このままではカースト底辺どころではない。ひとり対クラス全員になってしまう。ひとりの絶対女王に支配されるより、いじるターゲットがひとりに絞られる方がよっぽど結束が固くなる。
 それをあたしが請け負うなんて冗談じゃない。
 キリコとあたしが入れ替わるなんて不当だ。全然釣り合ってない。
 もう、イヤ!
 一刻も早く自分の体を取り戻さなければ。
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