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1章 なんであたしがカーストど底辺に!?

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 ベッドに腰掛けたあたしの前に、キリコが――あたしの姿をしたキリコが、丸い椅子に腰掛けていた。

 あたしは祐子先生に支えられながら保健室に連れてこられた。気分が悪いといっていたキリコも一緒に。
 担任の祐子先生と保健の青柳先生は、あたしたちを病院に連れて行くかの相談をするため、校長室へいっているところだ。
 あたしは背中と腰を強打していたし、キリコ、つまりあたしの体も足をひねって捻挫をしていた。足首がものすごく腫れ上がって、見た目はあたしの姿をしたキリコの方が痛々しく見えた。

 双葉と友梨奈は先生に教室で待機するよういわれ、保健室にもついてこなかった。今はあたしたちふたりだけ。シンと静まりかえった室内は、薬品のにおいこそしないが、あまり居心地がよくない。

 とにかく、なにが起こったのか状況を整理しなければ。
 背中を丸めて黙り込んでいるキリコに声をかけた。
「あなた、キリコだよね。あたしとキリコが入れ替わったってことだよね?」
「そうなんだと思う」
「双葉と友梨奈はこのことは?」
「気づいてなさそう」

 キリコはあたしの体で、自信なさそうにもそもそとしゃべった。
 鏡でしか見たことのないあたしの姿。こんなにもどんよりとしたオーラをまとっているなんてありえない。それだけでイライラしてくる。

「どうしてこんなことになってるのかわかんないけど、とにかく、ちゃんとして」
「ちゃんとって?」
 本当にキリコはあたしが何を言っているのかわかっていないようだった。ぽかんとこちらを見つめている。
「もう! 背筋伸ばして。どうしてそんなにうじうじしてるの。陰キャに見えるじゃん。あたし、そんなふうに見られたくないの」
「ごめん……慣れてなくて」

 そのとき、スマホが鳴った。キリコが持っていたあたしのバッグの中からだ。
 あたしはバッグをひったくり、スマホを取り出して確認した。双葉からのメッセージだ。

『どう?』
 ――病院に行くことになった
『ヤバ』
 ――キリコも一緒
『キリコにやられたってハッキリいったほうがいい』
 ――だね

 メッセージを返し終えるとキリコに向き合った。
「スマホは自分のを持っておこう」
「うん」

 本当は持ち物全部交換したかったが、そういうわけにはいかないだろう。キリコの姿をしたあたしが音無花音の持ち物を持っていたら、ややこしいことになる。双葉も友梨奈もキリコに相当不信感を抱いてしまったから。
 いっそのことふたりに本当のことを話してしまおうか。
 あたしとキリコが入れ替わったなんて信じるかな。

 信じなかったらどうなるの。あたしとキリコが結託してなにかをたくらんでいるとか、ふたりと断絶することにならない?
 絶対ムリだ。隠し通さないと。
 音無花音とキリコが仲良くしているなんて絶対にダメ。

 キリコを見ているとムカムカしてきた。
 あたしはキリコに向かって「ねぇ!」と叫んでいた。背中が丸まったままのキリコがビクリと肩を震わせる。
「お願いだからあたしをちゃんと演じて。わかるでしょ、音無花音として振る舞ってよ。イメージを壊さないで」
 あたしは立ち上がって、音無花音の乱れた髪を直してやった。

 ずっとそばで見守りたい。
 音無花音が音無花音であるために。
 こんなことで狂わされたくはない。今は双葉も友梨奈も音無花音がケガをして同情してくれてるけど、ちょっとしたことで反感買ったらおしまいだ。

 それにひきかえ。
 キリコはいいわよ。なにもしないで自分の席でぼうっと座っているだけでキリコだし、誰もかまいやしないんだもの。
 あたしはキリコのことを引き立たせてやろうだなんてみじんも思わない。キリコなら誰でも演じられる。
 でも、音無花音はそうじゃない。あたしにしか音無花音にはなれない。

 ――あぁ。なんでこんなことになっちゃったんだろう。
 急に悲しくなってきて、涙が出そうになる。

「なんで階段から引きずり落とそうとしたの。結局あなたの方が下敷きになって腰をうったじゃない」
 正確にいうと、中身が入れ替わってしまったので、腰の痛みを感じているのはこのあたしなのだが。
 キリコは目も合わせず、おどおどとしていた。
「ケガをさせようとか、そんなつもりじゃなくて……」
「じゃあどうして」
 迫ろうとしたら、ガラガラとドアが開いて担任が帰ってきた。とっさに音無花音から離れる。なんとなく気まずい空気が流れた。

 祐子先生はどう思っているだろう。
 双葉と友梨奈、そしてあたしがクラスを取り仕切っているのは薄々感づいているはずだ。
 でもそこへ最下層のキリコが不自然に立ち入ってきている。

 祐子先生はあたしの肩にそっと触れた。
「霧島さん、落ち着いてきた?」
「……はい」
 あたしは自分が霧島桐子の姿をしていることを受け入れ、返事をした。
 スマホをブレザーのポケットに突っ込んで、おとなしくベッドに座り直す。

 祐子先生も近くの椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
「青柳先生の車で病院へ行くことになったから。保護者の方はそちらへ来てくださる」
 祐子先生はそっとため息をつくと、やっかいごとに巻き込まれたときのような困った顔をした。
「それで、なにがあったの」
 あたしのほうを向いて聞いた。こっちが聞きたいくらいだっていうのに。

 たぶん、祐子先生は勘違いをしている。
 まさか入れ替わっているなんて思いもしないだろうから、あたしがキリコになにか嫌がらせでもしたのではないかと、心配しているのだ。いや、心配というか、自分が解決しなきゃいけない面倒な問題を見つけてしまったような、ちょっとしたいらだちまで感じてしまう。

 なんて答えようか。
 間があくとキリコが口を開いた。

「わたしが悪いんです」
 こちらからすれば、その一言だけでも迫真の名演技だった。
 堂に入った音無花音が霧島桐子に手を差し伸べる。
「わたしが足を踏み外して、それで後ろにいた霧島さんにぶつかってしまって……」
 ね?と問いかけるようにあたしに目配せする。

 あたしをかばっているようでいて、実のところ自分がしでかしたことを隠そうともしていた。
 こちらだってもうこの話しは終わりにしたかったので、素直にうなずいておいた。キリコの姿をしている以上、キリコが引きずり落としたとも言いにくい。

 別に先生に真実を知ってもらいたいわけではない。霧島桐子が音無花音にケガをさせたことなんて、今はどうでもいい。キリコが何かたくらんでいるのなら、それを知りたいだけ。
 音無花音の姿をしたキリコは、あたしが注文をつけたとおり、いつの間にか凜としたたたずまいで、キリコの姿をしたあたしに微笑みかけてさえいた。

 それはそれで間違ってはないのだけど、あたしのふりしたキリコはどことなく不気味に見えた。
 ものすごい上から目線で、有無を言わさぬ圧力で、霧島桐子が否定することを許さない。
 大正解。完璧。

 そして、音無花音が「なんでもない」というのなら、先生のほうも「なんのトラブルもなし」とそれを真に受ければすむ話だった。

 キリコは――キリコはどうすればいいんだっけ?

 座ったまま無表情でやりすごす。
 不安も不満も見せてはならない。キリコであるあたしは楯突いてはいけない。そういう役割なのだ。
 暴れたいのを押さえる。いつかは元に戻るんだから。

 あたしは霧島桐子を引き継ぎ、キリコは音無花音を引き継ぐ。
 今、考えられる最善の方法だった。
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