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第8話 トイレは静かにノックをするように。

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「柚希……なんでぇっ!?」

 誰かの悪戯かと思ったのだが、預かり日が一年前となっている。

 一年前に柚希がこれを、一年後の僕に届けるために特別な宅配業者を利用したのか。

 だけど、何の為に?

 玄関先で小包の中を確かめると、そこには見覚えのある黒い手帳型の日記が納められていた。

「交換日記……」

 一年前、警察署での事情聴取の際、僕が柚希を脅して交際を申し込んだと言い張る刑事に信用してもらおうと、この日記のことを話したが、日記は見つからなかった。

 警察は姫野家をひっくり返して日記を捜索したらしいが、やはりどこにもなく。
 僕のでっち上げだと言われてしまった。

 なのになぜ、今更これが僕の手元に……?

 取り出した日記をまじまじ見つめ、僕は徐に顔を近づけた。

 くんくん。

 日記からは微かに甘いラズベリーの香りが漂ってくる。
 間違いなく柚希の匂いだ。

「なんだ?」

 日記の隙間に挟まっていた何かがひらりと床に落ちた。メモのようだ。

 床に落ちたメモを拾い上げた転瞬――僕の体はグッと強ばり筋肉が収縮する。
 メモには見覚えのある柚希の字で、

『日記を可憐に知られてはいけない』

 一言だけ綴られていた。

 まるで何がなんだか理解できない僕の脳内は混乱している。
 そんな困惑する僕の背後から、ふいに床の軋む音が鳴った。

「……っ」

 背筋にゾクッと寒気が走り、額からは嫌な汗が流れ落ちた。
 呼吸が乱れ、動悸が速くなる。

「夜戯、誰か来たの?」
「――――!?」

 背後で可憐の声音が鳴れば、心臓は破裂しそうなほど暴れ狂う。
 心なしか可憐の声がいつもよりワントーン低く聞こえていたのは、不可解なメッセージを読んでしまったせいだったのだろうか。

「ねぇ、ちょっと聞いてんの?」
「……」

 ダメだ振り返れない。
 まるで金縛りに遭ったかのように、僕は動けなかった。

「夜戯?」

 接近する彼女の声と足音。
 僕は咄嗟に日記を服の中に隠すことにした。

「誰か来てたの?」

 背後から肩を掴まれた僕は、できるだけ平静を装いながら「いや、誰も」澄まし顔で答える

「ふ~ん」

 目を細めながら足下の包みに視線を落とした可憐は、それを注視。

 まずいっ!?

「それ、なに?」

 可憐の相貌が消えていく。
 背中を丸め、腰を折り曲げた彼女が包みに手を伸ばしている。
 あと10センチ程で手が届くというギリギリのところで、

「――痛いっ!? 痛い痛い痛いっ!」

 僕は服の中に隠した日記を庇うように踞り、腹痛を訴えた。

「えっ!? なによ、どうしたのよ急に!?」

 一か八かの仮病作戦に打って出た。

 なぜ可憐に知られるなと柚希がわざわざメモを残したのかは皆目見当もつかないが、僕は亡き恋人の指示に忠実に従う。

 可憐の注意が逸れたわずかな隙に、僕は包み紙を素早く回収して便所にエスケープ。

 バンッ!

 勢いよくドアを閉めて矢継ぎ早に鍵を掛けた。

「ちょっと夜戯!? どうしたのよ! 大丈夫!?」
「も、問題ないよ! ただの便秘からくる腹痛だから。出すもん出したらすぐに治まるから」
「それならいいけど、それよりあんたトイレに何か持って行ったわよね?」
「えっ!? なにも持って行ってないよ!」
「いや、あんた服の中に何か隠してたじゃない。それ、見せなさいよ」

 バレてる!?
 完璧に隠したつもりなのに。

 ドンドンッ。

「ひぃっ!?」

 ドアを叩く音にびっくらこいてしまう。

「ちょっとそこ開けなさい!」
「ばっ、バカ言えっ! 僕は大便中なんだぞ! 開けられるわけないだろ!」
「いいから今すぐにここを開けろって言ってんのよ」
「いいわけないだろっ! 何考えてんだよ。カトリック系の高校に通う生徒がスカトロ趣味とか笑えないぞ。神様もマリア様も絶対にお許しにならないからな」

 ガチャガチャ。
 ドーンッ!!

「ふざけないでッ!」

 怒りの咆哮を轟かせると同時、ドアを蹴りつける可憐。

 げっ!?
 なんちゅう女だ!
 大便中だと言ってるのに。


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ!!


 立て続けに耳をつんざく凄まじい音が鳴り響き、衝撃でトイレ内が揺れている。


 ひぃやぁああああああああああああああああああああああああああッ!?!?


 パニック、パニック、パニック寸前五秒前だ。

 絶え間なく鳴り響く恐ろしい打撃音に、僕のチキンハートは悶絶寸前。
 さらにドアを叩く勢いはどんどん強くなる一方、このままだとドアがぶち破られるのも時間の問題だった。

 隠さねば。

 僕はどこかに日記を隠せる場所はないものかと、狭いトイレ内を素早く見渡した。

 あそこだ!

 僕はトイレの天井、換気口に日記を隠すことにした。
 それからすぐに包み紙を小さく破り、トイレに流して証拠を隠滅することを思いつく。

「は、腹が痛くてな」
「……」

 おそるおそるドアを開ければ、仁王像の如く可憐がドアの前で待ち構えていた。

「なにを隠したのよ?」
「…………腹が痛くてな」
「………………そう」

 眼光炯々として気が強く、小さなことによく気がつきそうな目付きを向けてくる。
 その迫力に思わず喉を鳴らしてしまう。

「り、りんご」
「は……?」

 なんとかこの場に流れる気まずい空気を打破すべく、僕は昨日スーパーで購入した林檎を食べたいと口にした。

「あたしに剥けってこと?」
「お願いできるかな? おっ、お腹に優しいものが欲しくてさ」

 緊張から声が裏返ってしまう。

「……」

 無言で踵を返す可憐。
 その後ろ姿に、僕は安堵の溜め息を漏らした。

 それから重々しい雰囲気を放つ可憐とリビングに移動し、席に着いて一度大きく深呼吸。
 ちらっと可憐の方へ視線を流すと、

 ハッ!?

 彼女は包丁を睨みつけて、

 ストンッ!

 林檎を力任せに真っ二つにしていた。
 さらに、なぜか威圧的な態度でこちらを睨んでいる。

「はい、出来たわよっ!」

 お皿が割れてしまうのではないかと心配してしまうほど、力強くテーブルに叩きつけられた食器に目が泳いでしまう。
 心なしか、可憐が怒っているようにも見えた。

「あ、ありがとう……」

 凄まじい気迫に意気消沈してしまう僕に、

「ちょっとお手洗い借りるわよ」

 可憐がリビングを後にする。


「は、はい。どうぞ」

 一時の安息が訪れる。
 あの可憐の迫力は一体なんだったのだろう?

 あのような可憐は見たことがない。
 林檎を頬張りながら可憐が戻って来るのを待っているが……遅い。

 壁に掛けられた時計を横目で確認する。
 可憐が席を立ってからすでに十分以上が経過しているのだが、彼女が戻ってくる気配が一向になかった。

「まさかっ!?」

 一抹の不安が脳裏を過ぎり、僕は慌ててリビングを飛び出した。
 向かった先はトイレだ。

「嘘だろ!」

 便所内から激しい物音が響いていた。

「可憐、可憐! 一体トイレでなにをやっているんだ! 物凄い物音だぞ!」

 先ほどの可憐同様、僕は扉を叩いて問いかけた。
 けれど反応はない。
 やむを得ず、僕は最低な行動に出ることにする。

 トイレの鍵穴に爪を押し込み、無理矢理回して抉じ開けようとしたのだ。

「痛っ!?」

 トイレの扉を抉じ開けようと屈んだ瞬間、勢いよくドアが開いた。
 その拍子に僕は思いっきりドアに頭を打ち付けてしまう。
 頭を抱えて後ろに転んだ僕に、可憐が咎めるような視線を向けてくる。

「女の子のお手洗いを急かすなんて、あんた最低よ!」
「そ、それはすまない。でもだっ! 凄まじい物音が聞こえて声をかけたのに返事もないから、なにかあったのかと思ってだな」
「…………用を足していただけよ」
「………そうか。それなら別にいいんだけどさ。悪かったよ」
「ちぃっ」

 短い舌打ちを打った可憐がリビングに向かって歩き出す。

「……」

 その身体を観察するが、どうやら日記は所持していないようだ。

 一安心したのも束の間、可憐が出てきたトイレを確認すると、

「―――!?」

 まるでトイレ強盗にでも遭ったかの如く、ひどい光景が広がっていた。
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