上 下
26 / 33

第26話 帝国の花と碧眼

しおりを挟む
「ご、ごゆるりとお寛ぎください」

 明日のマルコス公開処刑の見届け人として屋敷に招待されていたヨハネスは、現在食堂にて侍女たちからもてなしを受けている。

 アビルたちはあれ以来、一度も姿を見せていない。

「う、美味いでござるよヨハネス殿ッ! 食べないなら、その肉拙者が貰うでござるよ?」

 勢いよく料理を口に運ぶフェンリルとは対照的に、ヨハネスは一切料理に手をつけていない。

 とても食事をする気分にはなれなかった。

「お、お口にお合いになりませんでしょうか?」

 恐る恐る声をかけてきたのは十代後半ほどの侍女。肌は不健康なほど青白く、存在感が希薄でどこか幽霊っぽい。風呂も入らず伸び放題の前髪で、目元が半分隠れていた。

(片目……?)

 少女の不自然な髪型は隻眼を気にしてのことだろう。よく見れば凄まじい美人である。さらに侍女にしては肌荒れ一つない綺麗な手をしていた。

「いえ、それよりこの屋敷の主は不在なのでしょうか?」
「あっ、いえ、その……あの」

 侍女は目に涙を溜め込みガタガタと震えるだけで、何も答えなかった。
 部屋の隅に待機していた侍女たちも同様だ。

 ヨハネスは侍女の顔をよく見ようと手を伸ばし、前髪を手で持ち上げた。

「ひぃっ!?」

 少女は殴られると思ったのだろう、瞼を瞑り、くちびるの端を神経質にピクピクさせていた。

「失礼ですが、貴方はロール子爵の娘では?」

 随分と雰囲気が変わっていたが、ヨハネスは過去に舞踏会で彼女を見かけたことがあった。

「私を……覚えておられるのですか?」
「もちろんです。お父上はとても明哲な御方だとお聞きしております」
「……」

 二人の皇子。
 その異なる対応に驚く少女は、皇子が父に敬意を払ってくれたことが嬉しくて、思わず手で口元を押さえて泣き崩れてしまった。
 そんな少女に優しく微笑んだヨハネスは、膝をついて手拭を差し出した。

「帝国男子たるもの常に紳士に、帝国淑女たるもの常に花のように、です」
「……このような醜き姿では、もう花にはなれません」

 手拭を受け取り顔を隠してしまった少女に、ヨハネスはそんなことはないと告げる。
 そして、そっと立ち上がる。
 それから部屋の隅に待機していた侍女たちに微笑みかけた。

「お、お許しをっ!?」

 サッと腰から剣を抜いたヨハネスに、侍女たちは短い悲鳴を上げながら腰を抜かしていく。

『この者たちに光の加護を――アーメン』

 ヨハネスの意思を汲んだユイシスが聖光魔法で少女たちの傷を癒していくと、体中の痣が、失った右目が元通り再生される。少女は驚愕に言葉を失っていた。

「そんな……」

 失ったはずの目が、少女の両目が捉えたものは、天使のように微笑む少年の姿だった。

「やはり、とても美しい花です」

 涙が止まらない少女のもとに、傷が癒えたことに歓喜する侍女たちが駆け寄ってくる。

「パンネロお嬢さま!」

 ヨハネスは彼女たちが泣き止むのを待ってから、なぜ子爵の娘がこのようなひどい仕打ちを受けているのかと尋ねた。

 侍女たちからパンネロと呼ばれた少女は、ゆっくりとではあったが、ここに至るまでの経緯を話し始めた。

 それは今から4ヶ月ほど前のことだという。

 突然町へやって来たアビルに屋敷を乗っ取られたパンネロの両親は、これはいくら何でも横暴だと抗議した。

 その翌日――二人の首は町の中央広場に晒されていたという。

 以来、町はアビルによって支配されてしまったのだと、パンネロは涙ながらに語ってくれた。

「悪魔みたいな人間でござるな」

 もう肉の付いていない骨をいつまでも名残惜しそうに咥えるフェンリルを一瞥したヨハネスは、

「神さまお行儀が悪いですよ!」

 ようやくいつもの調子が戻ってきたようだ。

「ヨハネス殿下! どうか今すぐお逃げください! あれは悪魔にございます!」

 パンネロは涙ながらに訴えた。

「私たちは聞いたのです!」
「何を聞いたんです?」
「明日の処刑の際に殿下を異端に仕立てあげ、あの悪魔は大勢が見ている前で大義名分を掲げて殿下を亡き者にするのだと。ですからどうかお逃げください! この腐った国をお救いできるのは殿下のような聡明なお方だけなのです! どうか生きてこの国を――」
「それ、本心ですか?」
「へっ………!?」

 調子外れな声と質問が言葉を遮れば、パンネロはびくりと肩を震わせる。

 ヨハネスはとても真剣な表情でパンネロへと向かい合う。
 そして、自分の気持ちを吐露する。

「僕も、母上と友人――ヴァイオレットを殺されたです。それも兄上と慕っていた人にです。昔からどれだけ冷たく突き放されても、僕は兄を嫌いになれなかったです。だって母は違えど兄弟なんです。簡単には嫌えません。ですが、今は違います。正直、僕はアビルが憎いです。心の中で生まれたこの黒い感情が、情けないことに、自分ではどうすることもできないくらい醜く膨れ上がっていくのが分かるんです。僕はきっと、貴方が思うような聡明な人ではありません。だって、こんなにも、僕は憎しみに囚われてしまっているんですから」

 年端もいかない男の子が、皇子という立場にある少年が、体裁を気にすることなく真実を口にする。とても醜い本音を。

 それなのに自分はこの期に及んでまだ、体裁を気にしている。
 誰かを怨むことなど淑女としてあってはならないと、そのようなことを軽はずみに口にする人間は恥じるべきなのだと。

 何より、更なる報復を恐れて立ち上がれずにいる。父を母を殺されても尚、自分可愛さに嘘をついてしまった。それが恥ずかしくて、弱い自分が情けなくて、パンネロは涙が止まらなかった。

「でもッ! それでもきっと、前を見る努力をしなくちゃいけないと思うんです。失ったものは数えきれなし、憎しみは消えないかもしれないけど、心までも奪われてしまってはダメなんです! 失ったものではなく、この手の中に残ったものを守ることこそが、今を生きるということなんだと、僕は思います」
「今を……生きる?」
「はい! そのために僕は戦うです! 大切な人がお腹いっぱい食べて笑える世界にするため、この不条理な世界と戦うと決めたんです! 心を失った者たちに、僕は反逆の狼煙を上げると誓ったんです!」

 一度は失い、消えたはずのパンネロの瞳が再び捉えたものは、蒼天のように穢れ一つない信念を灯した碧眼である。

「私も……殿下のように戦えるでしょうか? こんな私にもまだッ、できることがあるのでしょうか!」
「もちろんですよ! 貴方には優しい心があるじゃないですか」
「……ヨハネス殿下」

 これが後に、ヨハネス・ランペルージュが灯した反逆者の灯火、その最初の火であるとされる。小さな港町から上がった炎は、やがて帝国全土を巻き込み、世界を巻き込んだ波乱の時代の幕開けとなる。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ガチャで破滅した男は異世界でもガチャをやめられないようです

一色孝太郎
ファンタジー
 前世でとあるソシャゲのガチャに全ツッパして人生が終わった記憶を持つ 13 歳の少年ディーノは、今世でもハズレギフト『ガチャ』を授かる。ガチャなんかもう引くもんか! そう決意するも結局はガチャの誘惑には勝てず……。  これはガチャの妖精と共に運を天に任せて成り上がりを目指す男の物語である。 ※作中のガチャは実際のガチャ同様の確率テーブルを作り、一発勝負でランダムに抽選をさせています。そのため、ガチャの結果によって物語の未来は変化します ※本作品は他サイト様でも同時掲載しております ※2020/12/26 タイトルを変更しました(旧題:ガチャに人生全ツッパ) ※2020/12/26 あらすじをシンプルにしました

蒼穹のエターナルブレイク-side イクトス-

星井柚乃(旧名:星里有乃)
ファンタジー
 旧タイトル『美少女ハーレムRPGの勇者に異世界転生したけど俺、女アレルギーなんだよね。』『アースプラネットクロニクル』  高校生の結崎イクトは、人気スマホRPG『蒼穹のエターナルブレイク-side イクトス-』のハーレム勇者として異世界転生してしまう。だが、イクトは女アレルギーという呪われし体質だ。しかも、与えられたチートスキルは女にモテまくる『モテチート』だった。 * 挿絵も作者本人が描いております。 * 2019年12月15日、作品完結しました。ありがとうございました。2019年12月22日時点で完結後のシークレットストーリーも更新済みです。 * 2019年12月22日投稿の同シリーズ後日談短編『元ハーレム勇者のおっさんですがSSランクなのにギルドから追放されました〜運命はオレを美少女ハーレムから解放してくれないようです〜』が最終話後の話とも取れますが、双方独立作品になるようにしたいと思っています。興味のある方は、投稿済みのそちらの作品もご覧になってください。最終話の展開でこのシリーズはラストと捉えていただいてもいいですし、読者様の好みで判断していただだけるようにする予定です。  この作品は小説家になろうにも投稿しております。カクヨムには第一部のみ投稿済みです。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

世界最強の勇者は伯爵家の三男に転生し、落ちこぼれと疎まれるが、無自覚に無双する

平山和人
ファンタジー
世界最強の勇者と称えられる勇者アベルは、新たな人生を歩むべく今の人生を捨て、伯爵家の三男に転生する。 しかしアベルは忌み子と疎まれており、優秀な双子の兄たちと比べられ、学校や屋敷の人たちからは落ちこぼれと蔑まれる散々な日々を送っていた。 だが、彼らは知らなかったアベルが最強の勇者であり、自分たちとは遥かにレベルが違うから真の実力がわからないことに。 そんなことも知らずにアベルは自覚なく最強の力を振るい、世界中を驚かせるのであった。

神の宝物庫〜すごいスキルで楽しい人生を〜

月風レイ
ファンタジー
 グロービル伯爵家に転生したカインは、転生後憧れの魔法を使おうとするも、魔法を発動することができなかった。そして、自分が魔法が使えないのであれば、剣を磨こうとしたところ、驚くべきことを告げられる。  それは、この世界では誰でも6歳にならないと、魔法が使えないということだ。この世界には神から与えられる、恩恵いわばギフトというものがかって、それをもらうことで初めて魔法やスキルを行使できるようになる。  と、カインは自分が無能なのだと思ってたところから、6歳で行う洗礼の儀でその運命が変わった。  洗礼の儀にて、この世界の邪神を除く、12神たちと出会い、12神全員の祝福をもらい、さらには恩恵として神をも凌ぐ、とてつもない能力を入手した。  カインはそのとてつもない能力をもって、周りの人々に支えられながらも、異世界ファンタジーという夢溢れる、憧れの世界を自由気ままに創意工夫しながら、楽しく過ごしていく。

俺だけレベルアップできる件~ゴミスキル【上昇】のせいで実家を追放されたが、レベルアップできる俺は世界最強に。今更土下座したところでもう遅い〜

平山和人
ファンタジー
賢者の一族に産まれたカイトは幼いころから神童と呼ばれ、周囲の期待を一心に集めていたが、15歳の成人の儀で【上昇】というスキルを授けられた。 『物質を少しだけ浮かせる』だけのゴミスキルだと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。 途方にくれるカイトは偶然、【上昇】の真の力に気づく。それは産まれた時から決まり、不変であるレベルを上げることができるスキルであったのだ。 この世界で唯一、レベルアップできるようになったカイトは、モンスターを倒し、ステータスを上げていく。 その結果、カイトは世界中に名を轟かす世界最強の冒険者となった。 一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトを追放したことを後悔するのであった。

迷い人 ~異世界で成り上がる。大器晩成型とは知らずに無難な商人になっちゃった。~

飛燕 つばさ
ファンタジー
孤独な中年、坂本零。ある日、彼は目を覚ますと、まったく知らない異世界に立っていた。彼は現地の兵士たちに捕まり、不審人物とされて牢獄に投獄されてしまう。 彼は異世界から迷い込んだ『迷い人』と呼ばれる存在だと告げられる。その『迷い人』には、世界を救う勇者としての可能性も、世界を滅ぼす魔王としての可能性も秘められているそうだ。しかし、零は自分がそんな使命を担う存在だと受け入れることができなかった。 独房から零を救ったのは、昔この世界を救った勇者の末裔である老婆だった。老婆は零の力を探るが、彼は戦闘や魔法に関する特別な力を持っていなかった。零はそのことに絶望するが、自身の日本での知識を駆使し、『商人』として新たな一歩を踏み出す決意をする…。 この物語は、異世界に迷い込んだ日本のサラリーマンが主人公です。彼は潜在的に秘められた能力に気づかずに、無難な商人を選びます。次々に目覚める力でこの世界に起こる問題を解決していく姿を描いていきます。 ※当作品は、過去に私が創作した作品『異世界で商人になっちゃった。』を一から徹底的に文章校正し、新たな作品として再構築したものです。文章表現だけでなく、ストーリー展開の修正や、新ストーリーの追加、新キャラクターの登場など、変更点が多くございます。

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

処理中です...