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海豹

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「おい、誰だ勝手に抜け出してる奴は!」
自分達の笑い声が聞こえていたのだろうか、ガベラの信者と思われる低い男の声と足音が扉越しに耳へと入ってくる。
三人の笑みは瞬く間に消え去り、肝が冷えるような、憂懼な感情に襲われる。
三人とも引き攣った表情で息を殺し目を泳がせる。
「どうした?」
「誰かいるのか?」
どうやら、信者らしき男は二人いるらしく遠くの方から掠れた低い声が聞こえる。
藤森はあからさまに驚いた表情を作り、両手で口を塞ぐ。ただ、柊さんは何一つ行動することなく一点を見つめて唇をモゴモゴと動かしている。
考え直せば、自分達は思っている以上に窮地に立たされているらしく、冷や汗が止まらない。
だからといってこんな血みどろな姿で、のこのこと出ていけばそれこそ終焉である。なんとかして、この状況を潜り抜けられないかと脳をフルパワーで動かして思考する。
外の状況が判断出来ない限り、腹痛を装ってこの場に留まる以外に策はないと考えるが、もし、信者達が既に柊さんと藤森の声を聞いていたなら疑われ終わるだけだ。
ただ、この状況下を無言で乗り切るよりは可能が高く、一か八かやる価値はある。
ついに、意を決して声を出す。
「今、ちょっと、」「ふくつうで!」
「え!!」
驚きと共に思わず声を上げてしまい、必死で堪える。
どうやら、柊さんも同じことを考えていたらしく、自分と同じタイミングで声を上げたのだ。しかし、ここは男子便所であり、柊さんの女性らしい高い声が聞こえるのは明らかに怪しまれる。
そこまで考えて発言したのか真意は分からないが、焦って咄嗟に発言したならそれは取り返しのつかない一手である。
驚嘆した様子で柊さんを見ると、彼女も顔をこわばらせて自分を眺めていた。
それを一部始終見ていた藤森は滝のような汗をかき血の気が引いた顔をして首を横に振る。
すると、信者の男が個室の近くまで歩み寄り扉を強く叩いてきた。
「おい!何してるんだ!」
「今すぐ出てこい!」
柊さんの声が聞こえていたかどうかは分からないが、怪しまれていることには間違いなく、緊張が走る。
すると、柊さんが自分の耳元に口を近づけ小声で話しだした。
「佐海くん、なんで声出したんですか?」
どうやら、真剣なトーンで頬を膨らませ怒りを向けてくる柊さん。
自分も負けじと小声で言い返す。
「いやいや、ここ男子便所ですよ?」
「女性の声がするのはおかしいじゃないですか。」
すると、目を泳がせ少し考えた様子を見せる柊さん。それから、嫌々納得したらしく拗ねた態度で背を向けた。
本気で気づいていなかったのかと思うと、これから先彼女の行動は自分達の足を引っ張るのではないかと危惧する。
「ドンドン」
「おい、出てこい!」
個室の扉を強く叩きつけるような音に続いて低い怒号が鼓膜に響く。
そして、下垂れ落ちる汗を拭い、焦りながら小声で話し出す藤森。
「まずい、まずい、まずい。」
「このままじゃまずいぞ。」
「おそらくまだ気づかれてない。お前ら二人は黙っとけ。」
「俺がなんとか弁解する。言っとくが絶対に声出すなよ。」
「いいな?」
「ええ、」
正直、正気を失った藤森に託すのは気が引けたが、彼には自信があるらしく任せることにした。
すると、彼は一息大きな深呼吸をついて低い声で話し始める。
「すいません。最近、腹痛に悩まされてまして。まだ、長引きそうなんです。」
彼のぎこちない敬語に笑いを噛み殺す柊さん。こっちまで伝染しそうになり咄嗟に視線を変える。
「勝手に出てきたことはお詫びします。どうか、あと数分待ってもらえませんか?」
それを聞いた信者の男は怒りの混じった口調で投げかける。
「あと、数分だけだぞ、体調管理くらいしっかりしろ。馬鹿たれが。」
しかし、男の足音は遠ざかることなく扉の前に待機しており、怒りが扉越しに伝わってくる。
すると、柊さんが小声で藤森の耳に近づき囁く。
「数分待ってもらえませんか?って要らなかった。長引きそうですでよかった。」
すると藤森も険しい顔をして小声で柊さんに言い返す。
「言ってしまったんだからしょうがないだろ、過ぎたことをどうしろって言うんだ。」
ただ、そんな言い合いをしたところで信者の男が退出する様子はなく、鏡の前と扉の前を行ったり来たりしている。
しかし、無言を貫くよりはましだったらしく、もう一人の声の掠れた男は挨拶を交わし去って行った。
「おい、これから何て言えばいいんだ?」
小声でそう自分に呟いてくる藤森。
「いや、自分に聞かれても、、」
「頼むよ、変わってくれ」
頼むなら初めから自分に任せとけばよかったんだと内心は苛立ちを感じたがそれどころではなく、思考することに精一杯であった。
「私が言いましょうか?」
「だめだめ、柊さんは何があっても口を出さないで下さい。」
「取り返しつかなくなりますから。」
すると、またしても扉の向こうから怒号が聞こえる。
「おい!!どんだけ待たせるんだ!」
「いい加減出てこんと扉ぶち抜いて引きずり出すぞ。」
まずい、危機的状況どころではない。信者の男の怒りは増す一方である。どうやってこの状況を打破すればよいのか。
「もう、やるしかないのか、、」
「おお!遂にやりますか!!」
「やべ、」
「ちょ、柊さん!」
自分は藤森の責任を取るしかないのかという溜息を漏らしたつもりが、柊さんには信者の男をやる(殺す)の意味に聞こえたらしく、また格闘が見れるのかと心躍らせ声を上げてしまったらしい。
「おい!今、女の声がしたぞ。」
「さっきからおかしいと思ってたんだ。」
「くそが、今すぐ出てきやがれ!」
そう言って扉を蹴りまくり、暴れる信者の男。個室の扉はボコボコに凹み隙間から信者の男の狂った顔が鮮明に見える。
「ピー。こちら、86階層。南休息ルーム前トイレ。違反者発見、今すぐ応援を頼む。」
「これでお前達は袋のねずみだ。残念だったな。」
そう言って嘲笑い、隙間から睨みつけてくる信者の男。
「ほら、もうやるしかないですよ佐海くん。」
そう言ってニヤニヤ笑いながら腕を掴んでくる柊さん。
「いやいや、まだ何か手段があるはず。」
「そんなこと言ってたら手遅れになりますよ。」
「いや、あなたのせいでこういう状況に陥ってるんでしょうが!」
「だから、あれほどにも声出すなって言ったのに。」
「仕方ないじゃないですか。佐海くんが意味深な発言するんですもん。」
「でも、佐海くん私の血飲んだんだからいつでも発動できるじゃないですか。」
自分は悪くないといった様子で腕組みをしそっぽを向く柊さん。
まあ、ここまできたら少し怪我させてその隙に逃げるしか。
いや、そのやり方ではいずれ仲間に報告され皆殺しにされる帰結だ。どうする佐海功治。そう心の中で何度も自分に問いかける。
「おお、そうか、まだ出てこないのか。」
「いい度胸だ。仕方ない強硬手段だ。」
そう言って洗面台に向かって歩いていく信者の男。
すると、藤森が震えた声で話し始めた。
「おい、君達どするつもりだ?」
その問いかけに嬉しそうに即答する柊さん。
「倒すんですよ!」
「ね!佐海くん!」
「倒す?どうやって、、」
それから、数秒して藤森は大きく口を開けて驚いた。
「まさか、君、素手であの壁を貫いたのか?」
どうやら、自分が壁を貫通させていた記憶思い出したらしく喫驚し壁にもたれかかる。
「あんなまねできるのは確実にホープの持ち主だな?」
「ええ、まあ」
「よし!やったぞ佐海くん!」
そう言って大きな笑みを見せ喜ぶ藤森。
「何笑っとんじゃ!!」
「お前ら今からぶち殺されるんやぞ!」
「舐めた真似しよって、これでも食いやがれ!」
「ドーーーン」
そんな怒声と共に猟銃の物凄い発泡音が鳴り響く。
「うぉおああ!」
「こいつ、銃持ってるぞ!」
ニヤつき顔だった藤森が一瞬にして怯えた顔へと変わる。
すると、冷静な様子で柊さんが藤森に質問する。
「あの、藤森さん。」
「なんだ、なんだ!」
「あなた持ってた猟銃どこやったんですか?」
「いや、あれはもう必要ないかと、"例の女"の部屋に置いてきた、、」
「え、ほんと使えないですねあなた。」
そう、冷めた顔で藤森を睨みつける柊さん。
「いや、今それどころじゃないだろ!」
「まずい、助けてくれ。頼む佐海くん。頼むよ。」
自分に泣きべそをかきながらまとわりつく藤森。
「ドーーーン」
またしても信者の男が発泡する。
そして、その弾は扉を貫通して柊さんの顔すれすれを通る。
柊さんの後ろにあったセメントの壁は粉を舞って砕け散り、粉々になったブロックが床に落ちる。
流石に恐れを感じた自分は焦った様子で柊さんの方を見る。
「大丈夫ですか!」
「おお!いい威力ですね。」
しかし、柊さんは平然とした様子で弾痕を眺めている。
弾が掠ったのか彼女の頬からは薄らと流血していた。
「ほら、佐海くん、これがやるかやられるかの世界です。」
「生き残りたいなら情けなど捨てて下さい。」
少しの揺らぎもない信念を貫く彼女の眼に気付かされる。
宮木さんや巫さん、教祖の女と出会った時も実感したが、この世界には自分なんか比にならないくらい精神的に能力的に優っているものがごろごろといて、そういう異次元で風変わりな奴がこの優勝劣敗の世界を切り開き生き残っていくのだと。そういう奴らは負けを知らず、確固たる自信を源に駆動している。だから、終わりがなく、どこまでも進み続ける。
そういう者が自分のような突出した能力を授かるべきだったのかもしれない。
そういう奴らにこの能力が渡っていればもっと有効的に使っていたのかもしれない。
しかし、そんなこと言ったからといってこの現状が覆るわけもなく、一生付き合っていかなくてはいけないことに変わりはない。
それなら、いっそのこと柊さんが言うように思考そのものを変えるべきなのだと思う。
「やるしかないか。」
「ええ!やりましょう!!」
「よし、自分行きます。」
「ああ、頑張ってくれ佐海くん。君しかいないんだ。」
「はい。」
柊さんも藤森も真剣な眼差しで自分の肩を押す。
自分は意を決して前身の筋肉にエネルギーを行き渡らせる。凄まじい速さで細胞分裂が行われ強靭な肉体へと仕上がっていく。
人間離れした握力と腕力で、個室の扉を引き剥がし、男の前に進み出た。
「ドーーーン」
「ドシュッッ」
信者の男は迷わず自分に向けて発泡し、手首から下が血飛沫と共に吹き飛ぶ。
しかし、それも束の間即座に再生し、猟銃を粘土の如くへし曲げ小さくする。
柊さんと藤森の歓声を浴びながらゾーンへと入っていく自分に囚われは無かった。














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