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 ふと思い出す。
薄暗い廃墟に飾られた一際美しい習字の作品を。
沼座江中学校二年三組27番 松坂里帆
〈遊猟〉
いや、そんなはずはない。
松坂里帆は十年前火事で死んだと巫さんは言っていた。
だが、一つ気になることがある。
さっきから巫さんの様子がおかしい。
一点を見つめながら爪を噛み、茫然自失の様子である。
 教祖の女は笑いながら帽子を投げ捨て、長い髪を広げた。
皆、息が荒くなっているのがわかる。
そして、またもや教祖の女は話し始める。
「これは惨殺ではない。」
「お前たちも食べ物を食べるだろ。」
「家畜動物がどのように殺され、どのように加工されているか全て知っているのか?」
「そんな者は極少ない。」
「ある一定のものを除いて、お前たちは自ら狩をすることがないだろ。」
「動物たちがいきなりパックに変化していると認識している。」
「真実はそうでないと分かっていても、その真実の光景を見たことはあるか?」
「動物たちが殺され、吊り下げられている光景をその目で見たことがあるか?」
「ないだろ。」
「お前たちは、生き物の死を日常的に見ていない。」
「だから、自らが食物連鎖の頂点にいると安心しきっている。」
「お前たちはいつも、自分が殺したわけでもないパックの肉を平然と選ぶ。」
「何も考えずに、ただの肉として捉えている。」
「そのパックの中身がつい最近まで動いていたにも関わらず。」
「いつから自分が選ぶ側だと錯覚していた?」
「今のお前たちは、選ぶ側ではない選ばれる側だ。」
「お前たちが日常的に、行っていたことが、次は自分自身の身に起こる。」
「狩猟時代から受け継がれ、今もお前たちの心に潜む正真正銘の狩猟本能、生存本能を蘇らせる。」
「お前たちには覚悟を決めて欲しい。」
「例えると、」
「お前たちはこれから、ガベラという巨大で不完全な戦闘機に乗ると考えろ。」
「その戦闘機にはただならぬ緊張と希望が入り乱れる。」
「だが、空は神に近い場」
「自分たちの命を捧げても行く価値がある。」
「しかし、そこに行けるのは一機のみ、低空を飛ぶ全ての戦闘機を撃ち落とさなければならない。」
「その戦闘機には、男だけでなく民間の子供や女も乗っている。」
「それでも、お前たちは神に近づくため、多くの罪なき人々を犠牲にできるか?」
「何の躊躇もなく引き金を引けるか?」
「もしも、少しの躊躇があれば、自らの戦闘機を潰され神に近づくどころか、自分たちの家族をも皆殺しにされる。」
「自分たちの家族や仲間を守るために、敵の家族や仲間を皆殺しにできるか。」
「それができぬ者は今ここで私のために血と肉へ化せ。」
「私は人の血や肉を栄養源として生きている。」
「すなわち、この光景はお前達にとって、悲惨な光景かも知れぬが、私にとっては食事の光景だ。」
「ただ、自らを自己変革し、世界を変えたいと願う者を私は絶対に手を出さない。」
「私に協力し、助け合い、私と共に生きる者達は皆、家族だ。」
「お前たちも、自分のペットを食べられるからと言って食べやしないだろう。」
「ペットは家族であり血や、肉ではない。」
「分かるな?」
皆、血の気が引いた表情をして下を向いている。
「我々ガベラは今この瞬間をもって旅立つ。」
「何も恐れることはない。」
「平和は力によってのみ守られるのだ。」
「今、この時を一言で表すと''departure"(出発)だ。」
「神に限りなく近くため、共に協力し、達成しようではないか!」
「では、これで集会を終わる。」
辺りを見回すと二百人程の死体は綺麗さっぱり無くなっていた。
構成員が、仕上げでモップをかけている。
すると、鬼頭が話し始めた。
「それでは、今からコミュニティルームにて親交を深めてもらいます。」
「各列の先頭にいる構成員に続いて移動してください。」
皆、明らかに元気が無くなっており、親交を深めるどころではなかった。
しかし、逆らえば何をされるかわからないという恐怖心を原動力に皆、足が動いている。
横を見ると、巫さんは立ち上がってあくびをしながら大きな伸びをしていた。
 「何だここは。」
皆、構成員に案内されるがまま講堂を出ていき、大きな通路を通る。
床には赤い絨毯が敷かれており、壁には様々な絵が飾られている。
ただ、その絵はどれも抽象的なもので暗い色がよく使われている。
天井は高く、等間隔で灯りが配置されている。
少し薄暗い橙色の光が自分たちの黒い影を作る。
まるで、古城の中を歩いているような気分になった。









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