戸棚の中の骨

三塚 章

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着信ランプ

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 着信のランプが光り、ナオは息を呑んだ。怯えた視線を机に置かれたままの携帯に向ける。とても手をのばす事はできなかった。
 そのうちに着信メロディが鳴り止むのを待って、留守番電話接続サービスに接続する。
『こんにちは。今日もお仕事ご苦労様。あの上司、むかつくよね』
 若い、というより少し幼い感じの男の声だ。
『確かに仕事失敗したのはナオが悪いけどさ、あんなに怒鳴る事ないよな』
 普通なら、はげましに聞こえる言葉だった。しかし、ナオにはこの声の持ち主に心当たりはない。当然、同僚の中にもこういった電話をかけてくる者もいない。着信拒否をしても、毎回違う番号でかけてくるので意味がない。こんな電話がもう数ヵ月間も続いていた。
『後さ、何度も言うけどあの男とは別れた方がいいよ。なんだよ、昨日のあの店。久しぶりのデートであの店はないわ~』
 強くナオの心臓が跳ね上がった。このストーカーは、こんな風にナオしか知らないはずの事を知っている。見ているのだ。どこかで、こちらの事を。
 この男は、直接顔を見せる事はないし、物を送りつける事もない。だがそれが逆に不気味だ。何を企んでいるのかと余計に不安になる。
『じゃあ、またね。今度は居留守使わないで、電話に出てよ。愛しているよ。いつでも君を見ているから』
 メッセージは以上です、とアナウンスが流れる。ナオは震える指で留守番電話サービスとの接続を切った。
 ゆっくりとため息をつきかけた時、再び着信メロディが鳴った。思わず携帯を取り落としそうになる。
画面に表示された発信者の名前は恋人のヒロトだった。気がゆるんでポロポロの涙がこぼれる。
「ヒロト! さっき、ストーカーから電話が!」
『本当か?』
 ヒロトの声には隠しきれない怒りがこもっていた
「どうしよう、私の事、全部見られてる」
『もう、警察に話した方がいいな。あと、いったん家から出ろ。気づかれないように、ホテルかなんかに泊まるんだ』
「うん、うん」
 うなずきながら、心の中の不安が軽くなっていくのを感じた。本当にヒロトがいてくれてよかった。なんとかなりそうな気がする。携帯を切ったあと、ナオは荷物をまとめ始めた。

『引越しご苦労様。逃げても無駄だよ』
 携帯から聞こえるストーカーの声は、おもしろがっているようだった。
 ホテルのカーテンの隅から外をのぞいても、不審な人間はいない。
『家から逃げたって、ボクは君の傍にいる。ちょっと殺風景だけど設備のしっかりしたホテルだね』
 ふうっと目の前が暗くなったような気がした。逃げ出した事に気付かれないよう、真夜中に家を出たのに。いつ見られていたのだろう?
『ずっと一緒だよ。君だってそれをのぞんでいるんだろ?』
「そんなわけないでしょう!」
 相手を喜ばすだけだから、ストーカー相手に感情的になってはならない。わかっていても、ついどなってしまった。
「なんで私があなたと一緒にいたがるのよ!」
 その問いには答えず、ストーカーは言った。
『それから、まだヒロトと別れないの? あんな奴君にふさわしくないよ。ボクが消してしてあげる』
 ナオは荒々しく携帯を切った。怒りと恐怖で呼吸が荒くなる。その息が落ち着いてきた頃、玄関のチャイムが鳴った。
「ヒロト!」
 抱きつくようにして駆け寄ると、ナオはヒロトにさっきあった電話の事を説明した。
「あのストーカー、あなたを消すと言っていた……心配だわ。気をつけてね」
「大丈夫、俺は殺されたりしないさ」
 安心させるように、ヒロトは笑った。
「その携帯、あずかっておこうか。そうすれば、ストーカーの声を聞かないですむから怖い思いもしなくてすむだろ」
「え、ええ」
 いい加減、着信音に怯えるのも限界だった。おとなしく、ナオは携帯を渡した。

 それから数日後、ヒロトは死体になって見つかった。犯人は捕まったが、ナオにその男の見覚えはなかった。
返ってきた時、ナオの携帯はヒロトの遺留品として小さなビニール袋に入れられていた。
「ヒロトさんは、この携帯から闇サイトにアクセスしていたのです」
 警官は、汚い物でも見るようにその携帯をみつめた。
「彼は、そのサイトで知り合った者に自分自身の殺害を依頼したのです。その記録も携帯に残っていました」
 確かにあずけていたのだから、ナオの携帯からアクセスがあっても不思議ではない。しかし、自分の殺害を依頼するなんて、自殺と同じではないか。ヒロトには自殺するような理由はない。絶対に。
「そんな事……ありえない」
「後で、詳しく話を聞く事になるかも知れません。もっとも、ホテルの監視カメラから、犯行時刻にあなたが外出していない証明されていますので、犯人として疑われているわけではありませんが」
 「それでは」と警察が出ていったのを見計らったかのように、着信メロディが鳴った。小さなランプが点滅を始める。
 ナオは恐る恐るビニール袋を開け、携帯を取り出した。
『約束通り、彼を消してしてあげたよ』
 カチカチとナオの歯が鳴った。
 いったい、誰なのだろう。ナオの行動をすべて知っている奴。ヒロトに知られず、ナオの携帯を使って、闇サイトにアクセスできる奴。そんな人間がいるとは、どうしても思えない。そう、そんな人間がいるとは……
『でもごめんね、ここ数日はそばにいられなかった。今日、ようやく帰って来られてよかったよ』
 ナオの手から、空っぽのビニール袋がすべり落ちた。今日、ようやく返って来た携帯が入っていたビニール袋。
『また、色々な所に連れて行ってね。この間のホテルも気分が変わって良かったけど、今度は大きな旅館にでも行きたいな』
 悲鳴をあげたいのに、声が出ない。
『愛しているよ。前に君がくれたシルバーのアクセサリー、本当に気にいってるんだ』
 着信中を示すランプは、点滅を続けている。まるで、なにか生き物の鼓動か呼吸を表しているように、規則正しく。
 その明かりに照らされ、ハート形のストラップがキラリと輝いた。銀色のストラップが。
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