怪奇街案内

三塚 章

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雰囲気のいい喫茶店

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 安売りのチラシに誘われて、少し遠くのスーパーに行ったことを、澄香(すみか)は後悔していた。なにも、こんな炎天下に、たった数十円のために、何キロも自転車で走らなくったってよかったのだ。得した金額と、かけた苦労では絶対に苦労の方が大きい。これって、事実上の損。
 まるで鉄板のような道路の上を、重い買い物袋を乗せた自転車をこぐ。汗がだらだらたれて、熱中症で倒れそうだった。いや、実際一瞬目の前が真っ暗になったくらいだった。
 これは、どこかで休んだ方がいいかも知れない。けれど、辺りは店もなさそうな住宅街だ。
 そのとき、前に小さな店があるのに気がついた。軒先に『レトロカフェ思い出』と木製の看板が掛かっている。太陽に白い壁が反射して、その店自体が光を放っているようだった。
 澄香は思わず「あー」と声を出した。
 砂漠でオアシスを、遭難しかけた雪山で避難小屋をみつけたような気分だった。
 せっかく節約したのに、それ以上の金額を喫茶店で使うのか? とも思ったけれど、熱中症で倒れて病院代を払うよりも安上がりになるだろう。そう自分に言い訳して、澄香は自転車を停めた。
 カランカランと昔ながらのドアベルが鳴る。ひんやりとした空気とコーヒーのいい匂いが体を包む。
 白とブラウンを基調にした店内は、明るい陽射しが差し込み、明るくて清潔な感じがした。
 お客はあまりおらず、おばあさんが一人、隅のソファに座り、背を丸めて毛糸を編んでいた。ぱっと見九十歳ぐらいだろうに、よく網目が見えるな、と澄香はちょっと感心した。
 カウンターには古い型のレジスターと募金箱、それに『落とし物』と書かれた四角い紙箱。
「いらっしゃいませ」
 穏やかな声で、店員のおばさんがむかえてくれた。
 イスに腰かけた澄香の前にお水とおしぼりを置くと、奥へと引っ込んでいく。
 澄香は、床に買い物袋を置くと、日焼け防止にはめていた腕まで覆う長い手袋を取り、テーブルに放り出した。腕全体を冷たいおしぼりで吹くと、ひんやりとして気持ちがよかった。
 再びドアベルの音がして澄香は顔を上げた。ちょうどガラス戸が閉まった所だったが、誰も店内に入ってきた様子はなく、ガラスの向こうにも人影はない。まるでドアベルだけがなったようで、澄香は少し首を傾げた。
 気づくと、さっきまでいたおばあさんの姿がいなくなっている。では、さっき出ていったのはおばあさんだったのか?
(でも、ドアベルが鳴ってからすぐ顔を向けたんだから、ガラス戸越しに背中が見えると思うのだけど……それにお会計をしている様子もなかったし……)
 そのおばあさんが座っていたソファに、なにか四角く平たいものが光っているのに気がついた。
 イスに座ったまま、体を伸ばすようにして覗き込む。
 大きさから、どうやら裏返しになっている写真のようだ。
(落とし物かしら)
 ソファに近づいてみると、やはり写真のようで、白い裏面に五十年前の西暦と、『タエ、花園公園の櫻』と書かれている。
 手に取って表を見てみると、相当古いものらしく、全体的にセピア色をしていた。
 桜の木の下に、老婆が立っている。
 その老婆の顔を見たとき、澄香の心臓は恐怖で跳ねあがった。
 写真に写っていたのは、ついさっきここのソファで毛糸を編んでいたおばあさんだったから。
(ありえない!)
 五十年前にこの歳の人間が、現在まで生きているはずはない。じゃあ、さっき出ていったおばあさんはこの世の者ではなかった?
(そうだ、なにも同一人物とは限らないじゃない)
 一つの可能性に気付いて、澄香は少し落ち着いた。
(きっと、あのおばあさんのお母さんの写真とかよ。肉親だから似てたのよ、きっと)
 そう思うと、さっき一瞬でも怖いと思ったのがバカらしくなった。
(とりあえず、この写真をどうしよう?)
 そういえば、カウンターに忘れ物箱があったっけ。その中にいれておけばいいだろう。
 そう考えて、カウンターに向かう。
 この喫茶店の客は、よっぽど忘れん坊が多いのだろう。基はお菓子が入っていたらしい紙箱には、細々(こまごま)としたものが入れられている。
 パスケース、イヤリングの片方、ハンカチ、そして…… 
 小さなブローチがあるのを見つけ、澄香は小さく悲鳴をあげた。
 丸い木に、模様とイニシャルが彫ってある、手作りのブローチ。それは、小学校のときに友達だった道華(みちか)にプレゼントした物だった。
 そう、澄香と道華は、とっても仲がよかった。
 けれど、あの日、小さなことからひどいケンカをして、怒った澄香は道華のブローチをむしり取った。手作りだったから、貼りついていた安全ピンはすぐに取れてしまったのだ。
 そして大通りの反対側にむかって放り投げた。
 道華はそれを取りに行こうと車道に飛び出して、そのまま車に……
 怖ろしくて、ケンカの事は親にも言えなかった。道華は、ただ不注意で道に飛び出したことにされた。そして、澄香は拾ったブローチをそっと近所の公園のゴミ箱に捨てたのだ。
(なんで、なんでこれがここにあるの? ここは、死者のための喫茶店なの?)
 めまいがして、手からはらりと写真が落ちる。吐き気がするくらい、心臓の鼓動が大きくなった。
 忘れ物。ついうっかり忘れてしまった物。だとしたら、道華がこの店に取りに来るかも知れない。今すぐにでも。
 澄香は駆け足でイスの近くに置きっぱなしだった買い物袋を拾いあげる。
 恐怖で荒い息をしながら、喫茶店の外へと飛び出していった。

「あら、注文もしないで行っちゃったのかしら」
 なかなか注文をしない客の様子を見に、バックヤードから顔を出した。
 やっぱりあの主婦は帰ってしまったらしく、彼女が座っていたイスには誰もいない。
「あら、また忘れ物」
 テーブルの上に置きっぱなしの黒い塊。日焼け防止の長い手袋。
 店員は憂鬱そうな溜息をつくと、それを忘れ物箱の中に放り込んだ。
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