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川沿いの道
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雪が学校から帰ってくるなり、妹の真理(まり)が玄関までかけてきた。
「ねえねえ、お姉ちゃん! 『何かを探す男の子』って知ってる?」
「何それ? 何かの小説?」
洗面所に向かう姉を追いかけながら、真理が続ける。
「川沿いの道、あるでしょ? あそこの青い橋の近くに、幽霊が出るんだって!」
「青い橋って、あのノーム人形が置いてある家の?」
「そうそう。そこを夜に通るとね、小学生くらいの男の子が、路面に座り込んでるんだって!」
「それで?」
雪は蛇口をひねって手を洗い始める。
「その子はね、何かを探している仕草をしているの。こうやって、路面をなでるようにして」
言いながら、真理は平泳ぎをするように手の平を動かしてみせた。なんだか雪にはその動作がひどく不気味に見えた。
「『何をやってるの?』って聞いても何も答えないんだって」
「それって、ただ近所の子が何か探してるだけなんじゃないの? 落としたキーホルダーとかカードとか」
「違うんだって。そのうちすうっと消えちゃうんだから」
「幽霊って。あなたもう中一でしょ? 何しに学校に行ってるのよ」
雪は手洗いうがいをし終わって、台所に向かう。
「お姉ちゃんみたいに中三でもうすぐ受験ってわけじゃないからまだ余裕あるんです~」
信じてくれないのが気にいらなかったようで、真理は口をへの字に曲げた。
「懐かしいわね、その話」
今までの会話が聞こえていたらしく、台所でスマホをいじっていた母がいった。
「それ、私も聞いたことがあるわ。まだ続いていたのね、その噂」
「げ、お母さんも知ってるとか、何年物よこの話」
雪が大げさに驚いた声をあげた。
「失礼ね。そうそう、私の時は『アザの男の子』って呼ばれていたわ」
「アザの男の子?」
「そうそう、右の手の甲ギザギザの大きなアザがあるんだって」
「へえ」
「ねえねえ」
真理は袖をひっぱって雪を母から離れた所へ連れていった。
「今度さ、その幽霊、見に行ってみない?」
「ええ?」
「だって、おもしろそうじゃない」
(どうしようかな)
このまま自分が行かないといっても、真理のことた。一人でも幽霊を探しに行くだろう。最近この辺りも物騒になったし心配しないでもない。
それに、ちょっとその幽霊に興味も出てきたし。
「しかたない、ついて行ってあげる」
「あなた達、さっきから何こそこそしているの?」
母親が苦笑する。
「いつまでたっても子供なんだから。なるべく早く帰ってくるのよ」
姉妹のひそひそ話など、母親にはとっくにお見通しのようだった。
コツコツと二人分の靴音が響く。
「ほら、やっぱり懐中電灯を持ってきてよかったじゃん!」
真理が得意そうに言った。
実は家を出るとき、念のため懐中電灯を持って行った方がいいという真理と、今時街灯がない道なんてないって、という雪のあいだでちょっとしたいさかいがあったのだ。
結局、必要なければ使わなければいいだけだから、という真理の意見が通ったのだった。
川沿いの道は、街灯はついている物の、ぼんやりと弱い明かりが灯っているだけで、はっきりと辺りを照らすのに役に立っていない。街灯の間は一気に暗くなるし、左手に並ぶ家の庭や玄関先はほとんど闇に沈んでいる。右からは河の潮っぽい臭いがする。
視線を感じて雪が視線を向けると、庭に置かれたノームの人形と目があった。
「こんなんじゃ全然防犯にならないでしょ。税金払ってるんだからさ~、もっといいの建てろっての」
真理の言葉に
「使いこんじゃってお金ないんでしょ? じゃなきゃ人通りの多い所」
雪が興味なさそうに応えた。
「しかし、いざ来てみるとさすがに怖いね」
どこからか、テレビの音と食器の触れ合う音が聞えてくる。近くに人がいる証拠で安心する、というよりは、自分達が安全な家の中にいないのを思い知らされるような感じだった。
河の傍だからか、強めの風が吹いてくる。遠くで、車のエンジン音がした。
隣を歩いていた真理が急に足をとめた。
「ねえ、どうし……」
静かにしろ、と言いたかったのか、注意を引きたかったのか、真理が雪の腕を引っ張った。そして黙って前方を指さす。
「え?」
真理が指さす。その先には街灯が作るぼやけた光の輪と、濡れたように光るアスファルト意外何もない。
「もうふざけ……」
ないで、と続けようとして、雪は息をのんだ。
真理は小さく震えているようだった。顔も、長い間冷たいプールに使っていたように真っ蒼だった。
異様なその様子につられ、雪の鼓動も大きくなっていく。
「見えない? そこに青いシャツと、黒い半ズボンの男の子がいるの」
かすれた声で真理が囁く。
だが、やはり雪の目には何も見えない。
雪は懐中電灯を真理が指した方にむけた。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!」
幽霊を刺激するのを恐れてか、腕を下ろさせようとする。
懐中電灯のオレンジ色の光の中、何か透明のモヤのような塊(かたまり)が路面近くに丸くなっている。なおも目を凝(こ)らしてみると、それはちょうど子供がしゃがみ込んでいるようにも見えた。
雪がそれがなにか見定める前に、姉妹は眩しい光に照らし出された。車のヘッドライトが正面から近づいてくる。
「お姉ちゃん!」
真理が手を引いて雪を避難させた。
少年がいるはずの所を、車は何事もなく通り過ぎていった。
二人は雪の部屋で今見たことについて話し合っていた。
「ね、ね、言った通りだったでしょ? お姉ちゃんも見たでしょ!」
「……どうかな」
たしかに、あの時雪も人影のような物を見たと思った。でも、冷静になった今では見間違いだったように思える。
「何それ! 信じられない!」
「まあまあ、怒るなって。で、あんたが見たのってどういう子供だったの? 私、あんまりはっきり見えなかったんだよね」
「どういうって、聞いた通りだったよ。男の子で、手の甲にアザがあって」
「そこまではっきり分かっているんだったらさ、その子が誰なのか調べてみる?」
雪の提案に、真理はきょとんとした。
「だからさ。そこに幽霊が出るんだから、何か事件なり事故なりが起きたんでしょう? 調べてみれば分かるんじゃない?」
場所を手がかりにネットで調べてみたが、それらしい事件は何もなく、二人は休みの日に図書館へ行くことにした。
案内を見ると、昔の新聞はすべてデータとして画面で見られるようになっているらしい。
パソコンが置いてある机に真理がつき、雪が画面をのぞき込む。
画面には、日付とどの新聞を閲覧するかを入力するボックスが表示されていた。
「ていうかさ、これ、日付でしか検索できないの?」
言いながら、真理は家でとっている新聞を選択する。
「なんかそうみたいだね。これ、いらなかったかな」
雪は、バッグからスマホを取り出し、雪の手元に置いた。そこには幽霊を見た辺りの写真が映し出され、右上の枠内に住所が書かれている。調べるのに必要かと、地図アプリを表示させてあったのだ。
「つーかさー、いつのを調べればいいの? 母さんたちが知ってるってことは、かなり昔からある噂だと思うけど」
「お嬢さんたち!」
二人は少し怒りを含んだ声で呼びかけられた。
品のいいおばあさんが、ちょっと怖い顔でこっちを見ている。手には大きな手芸の本を一冊抱えている。
「図書館だから、おしゃべりしてないで静かにしなさいね。一体、何を調べているの?」
机の上に置かれたスマホに目をやると、おばあさんは「あら」と声をあげた。
「なつかしいわね、昔、この辺りに住んでいたのよ」
「ああ、そうなんですか」
自分もしゃべる気満々じゃないか、と思いながら、雪はそうあいづちを売った。
「今、ちょっとこのあたりの歴史を調べているんです。学校の宿題で」
さすがに幽霊の正体を突き止めようとしています、とは言えなかったらしく、真理がそんなことを言った。
「あら、そうなの。そういえば、このあたりで通り魔事件があったのよね」
「「え!」」
姉妹の声が仲良く重なった。
「私が子供の時だから、そうねえ、ザッと七十年くらい前かしら」
(そんなに昔! それじゃあネットで調べても出てこないわけだ)
そもそも、このパソコンで調べるにしても、そんな昔のデータが残っているだろうか、と雪は思った。
「それがねえ、女の人が通り魔に殺されてしまったのよ」
「うわあ、今も昔もそういうのってあるんですね」
真理が不愉快そうに顔をしかめて言う。
「その女の人は、まだ小さい子供がいたそうよ、かわいそうにね。ほんとう、こういったことは無くならないわね」
そういうと、おばあさんは貸出カウンターの有る方へと歩いていった。
「でもさあ、おかしくない?」
図書室を出ると、真理はいきなりそう言った。
「あのお婆ちゃんの言ったことが本当ならさ、通り魔に殺されたのって女の人でしょ? だったら女の人が化けて出てくる物じゃないの? それが少年って」
「うん」
うなずきながら、雪は入口にならぶ花壇の縁に腰かけた。
「でも、新聞見るにしても、その通り魔事件が起きた日付けがないと分からないし、もうこれ以上は調べられないかな」
ひょっとしたら少年が化けて出てくるようになったきっかけは、その通り魔事件となんの関係もない別の事件かも知れない。
だとしても、ネットにあるのなら住所で検索をかけたときに出てくるはずだ。それに新聞のデータを調べるにしても、せめて何年にあったことなのか分からなければ、年単位の調査になってしまう。
(事実上、調べたくても調べられない状態におちいってしまった、ということよね)
「それじゃ、もう一度あの川べりに行こうか」
真理が明るい口調で言った。
「え? なんでよ? 意味が分からない。話聞いてた?」
雪の言葉に、真理は少しムッとすると「話は聞いてたよ」と宣言した。
「でもさ、こうやって私達が興味を持ったのも、なんかの縁でしょ。線香ぐらいあげてもいいんじゃない?」
まさかそんなことを言われるとは思わなくて、雪は目を丸くした。
「真理。我が妹ながらあんたいい人ね」
というわけで、近くのホームセンターで線香を買って幽霊を見た道へと戻っていった。
昼間に来ると、夜の不気味さは嘘のようににぎやかだった。買い物に行くらしい自転車に乗った女性、ふざけながら歩く子供達。
川にそって作られた柵に寄り掛かるようにして、おじいさんがタバコを吸っていた。散歩のついでに疲れて休んでいるのだろうか。
二人はその前を通って少年がいた道の端に線香を備えた。
「なあ」
タバコを吸っていたおじいさんが声をかけてきた。
「そこで、知り合いでも亡くなったのかい?」
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど」
雪がどうやって説明しようか考えをまとめようとしていると、隣で真理が息をのむ気配がした。何か伝えたいことがあるらしく、袖を引っ張ってくる。
「何?」
真理が耳打ちしてくる。
「あのおじいちゃんの右手!」
言われて、タバコを持つ手に目をやる。甲に、ギザギザのアザがあった。
「あの男の子の手にあったのと同じ!」
「ええ?」
ひそひそと話し合っている二人に、老人は不審そうな表情をしている。
(このままじゃ私たち不審人物だ)
慌てて雪は老人に向き直った。
「あ、すみません。別に知っている誰が、というわけではなくて、ここに幽霊が出るって聞いたものですから」
その瞬間、おじいさんは目を見開いて息を飲んだ。タバコの灰がぽろりと落ちる。
「その幽霊って、若い、女性の?」
「いえ、小学生ぐらいの少年です」
「そうか……」
ほっとしたような、がっかりしたような溜息をおじいさんは吐いた。
「実は、ここで私の母親が亡くなっていてね」
「……!」
「通り魔に遭ってしまったんだよ。私がまだ六歳のころだった」
どうやら図書館でおばあさんが言っていたのと同じ事件のようだ。まさか、関係者とここで会うなんて。
「それは、ご愁傷様です」
「母親は倒れて、私も気を失った。目が覚めた時には病院でね。母親は死んだと告げられた。私は無傷だったから、すぐここへ来たけれど、そこに母親がいなかったから、すごく不思議な気分がしたんだ。たぶん、運ばれた所を見ていなかったからだろうね」
実際に見たわけではないが、雪にはその様子が目に浮かぶようだった。
小さな男の子が座り込み、地面をなでるようにしてもうそこにはないあたたかな母親の体を探している。日が沈み、少しずつ辺りが暗くなってもなお。
「それからしばらくして、ここから引っ越したんだけどね。孫がこのあたりに住んでいて、久しぶりに近くに来たから来てみたんだ」
「そうだったんですか」
失礼にならない程度に挨拶をして、二人はその場所を後にした。
「ねえ、どういう意味だと思う?」
川から離れると、真理が聞いてきた。
「どうもこうも、そういうことでしょ」
考えながら、雪は続けた。
「少年は、あの老人の生霊だったんだよ」
母さんにもう一度会いたい、どこに行っちゃったのかな。寂しい。
そんな強い想いが、道に刻みつけられて地縛霊のようになったのだろう。
「じゃあさ、あの少年はずっといもしない母親を探し続けていたの? 何十年も? それで、また探し続けるの? 永遠に?」
「多分、いや、あのおじいさんが死んだら消えるのかな、分からない」
「だとしたら、線香も意味なかったかもね」
真理がぽつりと呟いた。
「だって、そういう想いって、線香の何本かで消えるものじゃないものね」
母親に怒られでもしたのか、どこからか男の子の泣き声が聞こえてきた。わめくような声がすすり泣きに変わっても、その声は続いていた。二人が遠ざかり、聞こえなくなるまで、ずっと、ずっと。
「ねえねえ、お姉ちゃん! 『何かを探す男の子』って知ってる?」
「何それ? 何かの小説?」
洗面所に向かう姉を追いかけながら、真理が続ける。
「川沿いの道、あるでしょ? あそこの青い橋の近くに、幽霊が出るんだって!」
「青い橋って、あのノーム人形が置いてある家の?」
「そうそう。そこを夜に通るとね、小学生くらいの男の子が、路面に座り込んでるんだって!」
「それで?」
雪は蛇口をひねって手を洗い始める。
「その子はね、何かを探している仕草をしているの。こうやって、路面をなでるようにして」
言いながら、真理は平泳ぎをするように手の平を動かしてみせた。なんだか雪にはその動作がひどく不気味に見えた。
「『何をやってるの?』って聞いても何も答えないんだって」
「それって、ただ近所の子が何か探してるだけなんじゃないの? 落としたキーホルダーとかカードとか」
「違うんだって。そのうちすうっと消えちゃうんだから」
「幽霊って。あなたもう中一でしょ? 何しに学校に行ってるのよ」
雪は手洗いうがいをし終わって、台所に向かう。
「お姉ちゃんみたいに中三でもうすぐ受験ってわけじゃないからまだ余裕あるんです~」
信じてくれないのが気にいらなかったようで、真理は口をへの字に曲げた。
「懐かしいわね、その話」
今までの会話が聞こえていたらしく、台所でスマホをいじっていた母がいった。
「それ、私も聞いたことがあるわ。まだ続いていたのね、その噂」
「げ、お母さんも知ってるとか、何年物よこの話」
雪が大げさに驚いた声をあげた。
「失礼ね。そうそう、私の時は『アザの男の子』って呼ばれていたわ」
「アザの男の子?」
「そうそう、右の手の甲ギザギザの大きなアザがあるんだって」
「へえ」
「ねえねえ」
真理は袖をひっぱって雪を母から離れた所へ連れていった。
「今度さ、その幽霊、見に行ってみない?」
「ええ?」
「だって、おもしろそうじゃない」
(どうしようかな)
このまま自分が行かないといっても、真理のことた。一人でも幽霊を探しに行くだろう。最近この辺りも物騒になったし心配しないでもない。
それに、ちょっとその幽霊に興味も出てきたし。
「しかたない、ついて行ってあげる」
「あなた達、さっきから何こそこそしているの?」
母親が苦笑する。
「いつまでたっても子供なんだから。なるべく早く帰ってくるのよ」
姉妹のひそひそ話など、母親にはとっくにお見通しのようだった。
コツコツと二人分の靴音が響く。
「ほら、やっぱり懐中電灯を持ってきてよかったじゃん!」
真理が得意そうに言った。
実は家を出るとき、念のため懐中電灯を持って行った方がいいという真理と、今時街灯がない道なんてないって、という雪のあいだでちょっとしたいさかいがあったのだ。
結局、必要なければ使わなければいいだけだから、という真理の意見が通ったのだった。
川沿いの道は、街灯はついている物の、ぼんやりと弱い明かりが灯っているだけで、はっきりと辺りを照らすのに役に立っていない。街灯の間は一気に暗くなるし、左手に並ぶ家の庭や玄関先はほとんど闇に沈んでいる。右からは河の潮っぽい臭いがする。
視線を感じて雪が視線を向けると、庭に置かれたノームの人形と目があった。
「こんなんじゃ全然防犯にならないでしょ。税金払ってるんだからさ~、もっといいの建てろっての」
真理の言葉に
「使いこんじゃってお金ないんでしょ? じゃなきゃ人通りの多い所」
雪が興味なさそうに応えた。
「しかし、いざ来てみるとさすがに怖いね」
どこからか、テレビの音と食器の触れ合う音が聞えてくる。近くに人がいる証拠で安心する、というよりは、自分達が安全な家の中にいないのを思い知らされるような感じだった。
河の傍だからか、強めの風が吹いてくる。遠くで、車のエンジン音がした。
隣を歩いていた真理が急に足をとめた。
「ねえ、どうし……」
静かにしろ、と言いたかったのか、注意を引きたかったのか、真理が雪の腕を引っ張った。そして黙って前方を指さす。
「え?」
真理が指さす。その先には街灯が作るぼやけた光の輪と、濡れたように光るアスファルト意外何もない。
「もうふざけ……」
ないで、と続けようとして、雪は息をのんだ。
真理は小さく震えているようだった。顔も、長い間冷たいプールに使っていたように真っ蒼だった。
異様なその様子につられ、雪の鼓動も大きくなっていく。
「見えない? そこに青いシャツと、黒い半ズボンの男の子がいるの」
かすれた声で真理が囁く。
だが、やはり雪の目には何も見えない。
雪は懐中電灯を真理が指した方にむけた。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!」
幽霊を刺激するのを恐れてか、腕を下ろさせようとする。
懐中電灯のオレンジ色の光の中、何か透明のモヤのような塊(かたまり)が路面近くに丸くなっている。なおも目を凝(こ)らしてみると、それはちょうど子供がしゃがみ込んでいるようにも見えた。
雪がそれがなにか見定める前に、姉妹は眩しい光に照らし出された。車のヘッドライトが正面から近づいてくる。
「お姉ちゃん!」
真理が手を引いて雪を避難させた。
少年がいるはずの所を、車は何事もなく通り過ぎていった。
二人は雪の部屋で今見たことについて話し合っていた。
「ね、ね、言った通りだったでしょ? お姉ちゃんも見たでしょ!」
「……どうかな」
たしかに、あの時雪も人影のような物を見たと思った。でも、冷静になった今では見間違いだったように思える。
「何それ! 信じられない!」
「まあまあ、怒るなって。で、あんたが見たのってどういう子供だったの? 私、あんまりはっきり見えなかったんだよね」
「どういうって、聞いた通りだったよ。男の子で、手の甲にアザがあって」
「そこまではっきり分かっているんだったらさ、その子が誰なのか調べてみる?」
雪の提案に、真理はきょとんとした。
「だからさ。そこに幽霊が出るんだから、何か事件なり事故なりが起きたんでしょう? 調べてみれば分かるんじゃない?」
場所を手がかりにネットで調べてみたが、それらしい事件は何もなく、二人は休みの日に図書館へ行くことにした。
案内を見ると、昔の新聞はすべてデータとして画面で見られるようになっているらしい。
パソコンが置いてある机に真理がつき、雪が画面をのぞき込む。
画面には、日付とどの新聞を閲覧するかを入力するボックスが表示されていた。
「ていうかさ、これ、日付でしか検索できないの?」
言いながら、真理は家でとっている新聞を選択する。
「なんかそうみたいだね。これ、いらなかったかな」
雪は、バッグからスマホを取り出し、雪の手元に置いた。そこには幽霊を見た辺りの写真が映し出され、右上の枠内に住所が書かれている。調べるのに必要かと、地図アプリを表示させてあったのだ。
「つーかさー、いつのを調べればいいの? 母さんたちが知ってるってことは、かなり昔からある噂だと思うけど」
「お嬢さんたち!」
二人は少し怒りを含んだ声で呼びかけられた。
品のいいおばあさんが、ちょっと怖い顔でこっちを見ている。手には大きな手芸の本を一冊抱えている。
「図書館だから、おしゃべりしてないで静かにしなさいね。一体、何を調べているの?」
机の上に置かれたスマホに目をやると、おばあさんは「あら」と声をあげた。
「なつかしいわね、昔、この辺りに住んでいたのよ」
「ああ、そうなんですか」
自分もしゃべる気満々じゃないか、と思いながら、雪はそうあいづちを売った。
「今、ちょっとこのあたりの歴史を調べているんです。学校の宿題で」
さすがに幽霊の正体を突き止めようとしています、とは言えなかったらしく、真理がそんなことを言った。
「あら、そうなの。そういえば、このあたりで通り魔事件があったのよね」
「「え!」」
姉妹の声が仲良く重なった。
「私が子供の時だから、そうねえ、ザッと七十年くらい前かしら」
(そんなに昔! それじゃあネットで調べても出てこないわけだ)
そもそも、このパソコンで調べるにしても、そんな昔のデータが残っているだろうか、と雪は思った。
「それがねえ、女の人が通り魔に殺されてしまったのよ」
「うわあ、今も昔もそういうのってあるんですね」
真理が不愉快そうに顔をしかめて言う。
「その女の人は、まだ小さい子供がいたそうよ、かわいそうにね。ほんとう、こういったことは無くならないわね」
そういうと、おばあさんは貸出カウンターの有る方へと歩いていった。
「でもさあ、おかしくない?」
図書室を出ると、真理はいきなりそう言った。
「あのお婆ちゃんの言ったことが本当ならさ、通り魔に殺されたのって女の人でしょ? だったら女の人が化けて出てくる物じゃないの? それが少年って」
「うん」
うなずきながら、雪は入口にならぶ花壇の縁に腰かけた。
「でも、新聞見るにしても、その通り魔事件が起きた日付けがないと分からないし、もうこれ以上は調べられないかな」
ひょっとしたら少年が化けて出てくるようになったきっかけは、その通り魔事件となんの関係もない別の事件かも知れない。
だとしても、ネットにあるのなら住所で検索をかけたときに出てくるはずだ。それに新聞のデータを調べるにしても、せめて何年にあったことなのか分からなければ、年単位の調査になってしまう。
(事実上、調べたくても調べられない状態におちいってしまった、ということよね)
「それじゃ、もう一度あの川べりに行こうか」
真理が明るい口調で言った。
「え? なんでよ? 意味が分からない。話聞いてた?」
雪の言葉に、真理は少しムッとすると「話は聞いてたよ」と宣言した。
「でもさ、こうやって私達が興味を持ったのも、なんかの縁でしょ。線香ぐらいあげてもいいんじゃない?」
まさかそんなことを言われるとは思わなくて、雪は目を丸くした。
「真理。我が妹ながらあんたいい人ね」
というわけで、近くのホームセンターで線香を買って幽霊を見た道へと戻っていった。
昼間に来ると、夜の不気味さは嘘のようににぎやかだった。買い物に行くらしい自転車に乗った女性、ふざけながら歩く子供達。
川にそって作られた柵に寄り掛かるようにして、おじいさんがタバコを吸っていた。散歩のついでに疲れて休んでいるのだろうか。
二人はその前を通って少年がいた道の端に線香を備えた。
「なあ」
タバコを吸っていたおじいさんが声をかけてきた。
「そこで、知り合いでも亡くなったのかい?」
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど」
雪がどうやって説明しようか考えをまとめようとしていると、隣で真理が息をのむ気配がした。何か伝えたいことがあるらしく、袖を引っ張ってくる。
「何?」
真理が耳打ちしてくる。
「あのおじいちゃんの右手!」
言われて、タバコを持つ手に目をやる。甲に、ギザギザのアザがあった。
「あの男の子の手にあったのと同じ!」
「ええ?」
ひそひそと話し合っている二人に、老人は不審そうな表情をしている。
(このままじゃ私たち不審人物だ)
慌てて雪は老人に向き直った。
「あ、すみません。別に知っている誰が、というわけではなくて、ここに幽霊が出るって聞いたものですから」
その瞬間、おじいさんは目を見開いて息を飲んだ。タバコの灰がぽろりと落ちる。
「その幽霊って、若い、女性の?」
「いえ、小学生ぐらいの少年です」
「そうか……」
ほっとしたような、がっかりしたような溜息をおじいさんは吐いた。
「実は、ここで私の母親が亡くなっていてね」
「……!」
「通り魔に遭ってしまったんだよ。私がまだ六歳のころだった」
どうやら図書館でおばあさんが言っていたのと同じ事件のようだ。まさか、関係者とここで会うなんて。
「それは、ご愁傷様です」
「母親は倒れて、私も気を失った。目が覚めた時には病院でね。母親は死んだと告げられた。私は無傷だったから、すぐここへ来たけれど、そこに母親がいなかったから、すごく不思議な気分がしたんだ。たぶん、運ばれた所を見ていなかったからだろうね」
実際に見たわけではないが、雪にはその様子が目に浮かぶようだった。
小さな男の子が座り込み、地面をなでるようにしてもうそこにはないあたたかな母親の体を探している。日が沈み、少しずつ辺りが暗くなってもなお。
「それからしばらくして、ここから引っ越したんだけどね。孫がこのあたりに住んでいて、久しぶりに近くに来たから来てみたんだ」
「そうだったんですか」
失礼にならない程度に挨拶をして、二人はその場所を後にした。
「ねえ、どういう意味だと思う?」
川から離れると、真理が聞いてきた。
「どうもこうも、そういうことでしょ」
考えながら、雪は続けた。
「少年は、あの老人の生霊だったんだよ」
母さんにもう一度会いたい、どこに行っちゃったのかな。寂しい。
そんな強い想いが、道に刻みつけられて地縛霊のようになったのだろう。
「じゃあさ、あの少年はずっといもしない母親を探し続けていたの? 何十年も? それで、また探し続けるの? 永遠に?」
「多分、いや、あのおじいさんが死んだら消えるのかな、分からない」
「だとしたら、線香も意味なかったかもね」
真理がぽつりと呟いた。
「だって、そういう想いって、線香の何本かで消えるものじゃないものね」
母親に怒られでもしたのか、どこからか男の子の泣き声が聞こえてきた。わめくような声がすすり泣きに変わっても、その声は続いていた。二人が遠ざかり、聞こえなくなるまで、ずっと、ずっと。
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