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おぼろ豆腐料理店 19
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気が付いたら廃墟にいたこと、久命屋の薬は効果がないこと、樹一達が何かを探していること……
「その探している物というのがこれだろうな」
いつきは軽く本をかかげて見せた。
「本物の薬が売り出されたら、久命屋の偽薬(にせぐすり)は売れなくなる」
「偽薬だなんて!」
小宮は思わず拳で畳を殴り付けた。
「だとしたら、今まで薬を手に入れようとした人の苦労は? ようやく薬を手に入れたのに、治らずに死んだ人の無念は!」
長屋で見た、可奈の凛とした横顔。
『可奈ちゃん、身売りするんでしょ?』
おたえさんの言葉が頭に鳴り響く。
じゃあ、可奈の決心もすべて無駄だというのか。
「小宮?」
いつきの言葉に、小宮は初めて他の人達が驚いて自分に注目しているのに気付いた。
「あ、ああ、ごめん。ちょっと、思う所があって」
「ふうん」
いつきはあいまいな返事をした。
ただそれだけで、詳しく聞こうとしないいつきが小宮にはありがたかった。軽々しく話せるほど自分の中で消化しきれていないのだから。
「あ、そうそう。それと、秋津様がどうのって言ってました」
良吉の言葉に、いつきは顔をしかめた。
「秋津? 秋津っていえば薬師司(やくしのつかさ)のアイツか」
「薬師司?」
良吉はかわいらしく首を傾げた。
「奉行の中の、治療院だの薬の値段だの、衛生を司(つかさど)る係だよ。なんでここでそんな名前が出てくる?」
「さ、さあ。そこまではよく……」
「で、結局、木瀬見の居所は分からなかったのかい」
月下はもどかしそうに言う。
「相手は幼く見える良吉をさらうような人でなしだよ。見つかったら殺されちまうよ」
「ああ。それは俺も心配してる」
いつきは形のいい眉をしかめた。
「いつき、これが手がかりになるんじゃないかな」
小宮は本の一番後ろの頁を開いた。そこには『小諸(こもろ)村 木瀬見 新一』と著者の署名が書かれていた。
「木瀬見は小諸村の生まれだったのか。歩いていけない距離じゃないな」
「ひょっとしたらそこにいったん身を隠すんじゃないかと思うんだ。もちろん予想にすぎないけど、ほかにあてもないだろうし」
「でも、推測だろ? 完全にそこに行くって言い切れないじゃないか」
「いやまあ、そうなんだけど」
小宮はまたぱらぱらと本をめくった。
そしてある薬草の絵を指差す。
「それ、この辺りで採れる草なんだけど、染料にも使えて、小諸村の辺りじゃ小さな畑で作ってるって聞いたことがある。餓鬼病の薬を作るつもりなら、どの道木瀬見さんは村に向かうと思う」
その辺に雑草として生えている物をこつこつ集めるのと、よい染料にするためちゃんと水と肥料を与えられ、大量に作られている物を買い取るのと、どちらが薬を作るのに楽でふさわしいかは考えるまでもない。
いつきは小箪笥(こだんす)の中から地図を取り出した。
「小諸村に行く道は二つある。どっちの道を通ったか分からないぞ」
いつきが地図を指でさす。
たどりつく先は一緒だとはいえ、村に先回りして待っている余裕はない。そもそも追い付けるかどうか分からないし、その間、反対側の道で殺されていましたということになりかねない。
「いや、見当はつくかも」
小宮は、地図の一ヶ所を指した。
「こっちの道にはお寺があるんだ。木瀬見さん、奥さんの結さんと最期の別れが出来なかったから……」
結の遺体は番屋から返りしだい長屋の人たちが手厚く葬ってくれるだろう。
けれど、その葬式に出ることは木瀬見を取り巻く状況が許してくれない。
「だからせめて、こっちのお寺にお参りしたいと思うんじゃないかな。例え結さんが葬られているお寺でないとしても」
それを聞くと、いつきは気合いを入れるように膝を叩いた。
「よし、どうせあてもないし、そっちへ行って見るか」
「良吉、お前さんはここで待っておいで。大変な目にあったんだろう。お腹も空いてるだろうし」
月下が両手を良吉の肩に乗せると、良吉は素直にこくりとうなずいた。
「向かうは浄晶寺(じょうしょうじ)……行くか」
いつきはスッと立ち上がると部屋を出ていった。
町から離れると、一気に家は少なくなり、周りは田んぼになる。寺にも詣でるには遅い時間で、夕方間近の寺は人気がない。
木瀬見は、小さな本堂を前に手を合わせていた。殴られた頭がまだ痛む。
斬られた瞬間の結の顔が浮かぶ。ほんのわずかだが、倒れていく結と目があった。
自分の命が終わることへの驚き、無念。そして最期に自分と視線をかわすことができたことへの、かすかな喜びがあったのは自分のうぬぼれではないはずだ。
「結……」
合わせた指先が震える。
自分の妻を守れなかった。だが、まだできることはある。
「その探している物というのがこれだろうな」
いつきは軽く本をかかげて見せた。
「本物の薬が売り出されたら、久命屋の偽薬(にせぐすり)は売れなくなる」
「偽薬だなんて!」
小宮は思わず拳で畳を殴り付けた。
「だとしたら、今まで薬を手に入れようとした人の苦労は? ようやく薬を手に入れたのに、治らずに死んだ人の無念は!」
長屋で見た、可奈の凛とした横顔。
『可奈ちゃん、身売りするんでしょ?』
おたえさんの言葉が頭に鳴り響く。
じゃあ、可奈の決心もすべて無駄だというのか。
「小宮?」
いつきの言葉に、小宮は初めて他の人達が驚いて自分に注目しているのに気付いた。
「あ、ああ、ごめん。ちょっと、思う所があって」
「ふうん」
いつきはあいまいな返事をした。
ただそれだけで、詳しく聞こうとしないいつきが小宮にはありがたかった。軽々しく話せるほど自分の中で消化しきれていないのだから。
「あ、そうそう。それと、秋津様がどうのって言ってました」
良吉の言葉に、いつきは顔をしかめた。
「秋津? 秋津っていえば薬師司(やくしのつかさ)のアイツか」
「薬師司?」
良吉はかわいらしく首を傾げた。
「奉行の中の、治療院だの薬の値段だの、衛生を司(つかさど)る係だよ。なんでここでそんな名前が出てくる?」
「さ、さあ。そこまではよく……」
「で、結局、木瀬見の居所は分からなかったのかい」
月下はもどかしそうに言う。
「相手は幼く見える良吉をさらうような人でなしだよ。見つかったら殺されちまうよ」
「ああ。それは俺も心配してる」
いつきは形のいい眉をしかめた。
「いつき、これが手がかりになるんじゃないかな」
小宮は本の一番後ろの頁を開いた。そこには『小諸(こもろ)村 木瀬見 新一』と著者の署名が書かれていた。
「木瀬見は小諸村の生まれだったのか。歩いていけない距離じゃないな」
「ひょっとしたらそこにいったん身を隠すんじゃないかと思うんだ。もちろん予想にすぎないけど、ほかにあてもないだろうし」
「でも、推測だろ? 完全にそこに行くって言い切れないじゃないか」
「いやまあ、そうなんだけど」
小宮はまたぱらぱらと本をめくった。
そしてある薬草の絵を指差す。
「それ、この辺りで採れる草なんだけど、染料にも使えて、小諸村の辺りじゃ小さな畑で作ってるって聞いたことがある。餓鬼病の薬を作るつもりなら、どの道木瀬見さんは村に向かうと思う」
その辺に雑草として生えている物をこつこつ集めるのと、よい染料にするためちゃんと水と肥料を与えられ、大量に作られている物を買い取るのと、どちらが薬を作るのに楽でふさわしいかは考えるまでもない。
いつきは小箪笥(こだんす)の中から地図を取り出した。
「小諸村に行く道は二つある。どっちの道を通ったか分からないぞ」
いつきが地図を指でさす。
たどりつく先は一緒だとはいえ、村に先回りして待っている余裕はない。そもそも追い付けるかどうか分からないし、その間、反対側の道で殺されていましたということになりかねない。
「いや、見当はつくかも」
小宮は、地図の一ヶ所を指した。
「こっちの道にはお寺があるんだ。木瀬見さん、奥さんの結さんと最期の別れが出来なかったから……」
結の遺体は番屋から返りしだい長屋の人たちが手厚く葬ってくれるだろう。
けれど、その葬式に出ることは木瀬見を取り巻く状況が許してくれない。
「だからせめて、こっちのお寺にお参りしたいと思うんじゃないかな。例え結さんが葬られているお寺でないとしても」
それを聞くと、いつきは気合いを入れるように膝を叩いた。
「よし、どうせあてもないし、そっちへ行って見るか」
「良吉、お前さんはここで待っておいで。大変な目にあったんだろう。お腹も空いてるだろうし」
月下が両手を良吉の肩に乗せると、良吉は素直にこくりとうなずいた。
「向かうは浄晶寺(じょうしょうじ)……行くか」
いつきはスッと立ち上がると部屋を出ていった。
町から離れると、一気に家は少なくなり、周りは田んぼになる。寺にも詣でるには遅い時間で、夕方間近の寺は人気がない。
木瀬見は、小さな本堂を前に手を合わせていた。殴られた頭がまだ痛む。
斬られた瞬間の結の顔が浮かぶ。ほんのわずかだが、倒れていく結と目があった。
自分の命が終わることへの驚き、無念。そして最期に自分と視線をかわすことができたことへの、かすかな喜びがあったのは自分のうぬぼれではないはずだ。
「結……」
合わせた指先が震える。
自分の妻を守れなかった。だが、まだできることはある。
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