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第11話 不穏
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木々の間から時々のぞく夜の湖水は、インクのように黒く沈んで見えた。深い茂みには、甘い香りの花も咲いている。
「ああ、胸糞悪い」
アレヴェルは思わず呟いた。
確かに、遠くに見える湖は美しかった。
だが、この湖は歴史を見ればもともと王の物ではなく、民みんなで使っていたという。だがいつからか、王の冠を頂くものが独り占めするようになった。そして今、この湖はディサクスが民を支配し、虚栄心を満たし享楽にふけるために利用されている。
その現在を思えば、素直にこの景色を楽しむことができなかった。
「まあ、これだけ隠れ場所が多いのは助かるっちゃ助かるが」
近寄ってきた蚊を叩き潰して、アレヴェルは呟いた。この辺りはきれいな代わりに虫が多い。
湖に背を向ければ、タイルで飾られた神殿が見えた。
神殿の敷地には一応警備の者がいるが、すべて完全に見張るにはなにせ広すぎる。警備の薄い明るいうちに入り込み、暗くなるまで待つのはそうむずかしいことではなかった。
ただ、忍び込んで暗躍するのに荷物が多いのが気にいらない。動き回るときは出来るかぎり荷物を持たないのが信条なのに、腰のベルトには革の袋が下げられ、ズボンの隠袋 (ポケット)にも小さな石が入っている。どうにも動き辛い気がするが、どれも必要なのだから仕方がない。
腰に下げた袋から紙を取り出す。
イルラナの幼なじみの字は、自分の物とは比べ物にならないほどうまかった。
ふん、とアレヴェルは鼻を鳴らす。
「こいつの世話になるのは悔しいが、この方法しかないからな」
紙をしまうと、代わりに小さなツボを取り出す。封を取ると、灰色に濁った液体が入っていた。
隠袋から泥で包んである白い石を取出し、中へ落とす。これで、そのうち泥が溶け、石が薬に触れれば反応が起きるはずだ。
アレヴェルはそのツボを地面に置き、そっと走りだした。
うろうろしている兵の多さに、イルラナはうわっと声を上げそうになった。どうやら昼にイルラナとアレヴェルが暴れたせい、で警戒が強まってしまったらしい。
小高い場所に伏せ、イルラナは下の柵を見下ろしていた。奴隷達のねぐらは静まり返っていた。
「まあ、どのみちこれから騒がしくなるんだろうけど」
イルラナはアレヴェルと同じようにツボの仕掛けをして走り出した。
爆発音に振り返ると、姿のない化物のように煙が吹き上がった。
爆発音がして、奴隷達は目を覚ました。
「なんだ?」
暗闇の中でいくつもの人影が起き上がる。
「おい、煙が出てるぞ!」
戸口の傍にいた奴隷が叫んだ。扉の間から、風に乗って黒い煙が入り込んでくる。かすかに、焦げ臭い匂いがした。
「火事か?」
「どうなってる!」
何人かが扉を叩いた。普通、そんなことをすれば外の番兵が「やめろ!」と怒鳴ってくるはずなのに、今聞こえてくるのは鎖の鳴る無機質な音だけだ。そのことが余計に異常事態を感じさせる。 外に人がいないわけではないのは、忙しく足音がしているのでわかった。
「何が起こってるんだ! 火事か? 蒸し焼きにされるぞ!」
「冗談じゃねえぞ!」
猫背の奴隷が叫んだ。
「こっちの安全は確保してくれるっていう条件だったはずだ!」
「おい、一体なんの話だよ!」
飛んできた問いに、イドラムは叫んだ。
「密偵の話だよ!」
焦げ臭い匂いはますます強くなっていく。
「お前達に怪しい動きがあったら知らせろって、青の役人達に持ち掛けられたんだよ! そうすりゃ家にいる家族達に十分な金を渡すし、俺の身の安全も保証してくれるってな!」
「なんだそりゃ!」
怒りの声があちこちから上がった。
「だけど、もう限界だ! ヤバそうなのに放っておかれるなんて、話が違う!」
男は一端自分の毛布が置かれていた場所に戻った。毛布を取り除けると、そこにノミがあった。
「お前達と違って、俺のボディチェックは甘かったからな」
男はまた戸口に戻ると、力任せに鉄の扉を押した。
金属の触れ合う重い音。戸の隙間から、何重にも扉と壁を縛る鎖が見える。鎖は南京錠で止められ、輪のようになっていた。イドラムはノミをひっかけて鎖を回し、南京錠を扉の隙間近くまで手繰り寄せる。
扉の隙間からノミを南京錠に当て、金づち代わりの石で叩く。鎖が固定されていないので力がうまく伝わらず、手ごたえは浅い。しかし、諦めることはできなかった。イドラムは何度も石を振り下ろした。
ディサクス王は、イスに腰掛け、外を眺めていた。眼下の木は大きな葉を風に揺らしている。まるで髪を振り乱して踊る女のようだ。この宮殿には高価なガラスがはめられているので、砂を含んだ不快が風に患わされずにすんだ。
こうして夜と星と静寂と共に過ごす時間がディサクスは好きだった。昼間にバカ騒ぎがあった時は特に。まさか二匹のネズミが放ったネコに、兵達が手玉に取られるとは。
ほんのわずかながら、ヒマつぶしができたかも知れない。
「ディサクス様!」
静かな部屋に流れる時間が一気に乱れた。息を切らせて赤の役人と召使が駆け込んで来る。
二人はディサクスの前にひざまづくと、口々に言った。
「神殿で爆発と煙が!」
「奴隷小屋でも!」
(またアレヴェルか?)
今まで暇つぶしのように生かしておいたが、そろそろ首を刎(は)ねた方がいいかも知れない。あと、あの女、イルラナも。
「奴隷小屋は、必要なら兵を出せ。私は神殿に向かう」
ディサクスは身をひるがえし、部屋の戸口へむかった。
あの神殿は特別な場所だ。他人に任せることはできない。
神殿へディサクスが向かうにつれ、一人、また一人と護衛が合流していく。外へ出るころには人数は二十にもなっていた。
「ああ、胸糞悪い」
アレヴェルは思わず呟いた。
確かに、遠くに見える湖は美しかった。
だが、この湖は歴史を見ればもともと王の物ではなく、民みんなで使っていたという。だがいつからか、王の冠を頂くものが独り占めするようになった。そして今、この湖はディサクスが民を支配し、虚栄心を満たし享楽にふけるために利用されている。
その現在を思えば、素直にこの景色を楽しむことができなかった。
「まあ、これだけ隠れ場所が多いのは助かるっちゃ助かるが」
近寄ってきた蚊を叩き潰して、アレヴェルは呟いた。この辺りはきれいな代わりに虫が多い。
湖に背を向ければ、タイルで飾られた神殿が見えた。
神殿の敷地には一応警備の者がいるが、すべて完全に見張るにはなにせ広すぎる。警備の薄い明るいうちに入り込み、暗くなるまで待つのはそうむずかしいことではなかった。
ただ、忍び込んで暗躍するのに荷物が多いのが気にいらない。動き回るときは出来るかぎり荷物を持たないのが信条なのに、腰のベルトには革の袋が下げられ、ズボンの隠袋 (ポケット)にも小さな石が入っている。どうにも動き辛い気がするが、どれも必要なのだから仕方がない。
腰に下げた袋から紙を取り出す。
イルラナの幼なじみの字は、自分の物とは比べ物にならないほどうまかった。
ふん、とアレヴェルは鼻を鳴らす。
「こいつの世話になるのは悔しいが、この方法しかないからな」
紙をしまうと、代わりに小さなツボを取り出す。封を取ると、灰色に濁った液体が入っていた。
隠袋から泥で包んである白い石を取出し、中へ落とす。これで、そのうち泥が溶け、石が薬に触れれば反応が起きるはずだ。
アレヴェルはそのツボを地面に置き、そっと走りだした。
うろうろしている兵の多さに、イルラナはうわっと声を上げそうになった。どうやら昼にイルラナとアレヴェルが暴れたせい、で警戒が強まってしまったらしい。
小高い場所に伏せ、イルラナは下の柵を見下ろしていた。奴隷達のねぐらは静まり返っていた。
「まあ、どのみちこれから騒がしくなるんだろうけど」
イルラナはアレヴェルと同じようにツボの仕掛けをして走り出した。
爆発音に振り返ると、姿のない化物のように煙が吹き上がった。
爆発音がして、奴隷達は目を覚ました。
「なんだ?」
暗闇の中でいくつもの人影が起き上がる。
「おい、煙が出てるぞ!」
戸口の傍にいた奴隷が叫んだ。扉の間から、風に乗って黒い煙が入り込んでくる。かすかに、焦げ臭い匂いがした。
「火事か?」
「どうなってる!」
何人かが扉を叩いた。普通、そんなことをすれば外の番兵が「やめろ!」と怒鳴ってくるはずなのに、今聞こえてくるのは鎖の鳴る無機質な音だけだ。そのことが余計に異常事態を感じさせる。 外に人がいないわけではないのは、忙しく足音がしているのでわかった。
「何が起こってるんだ! 火事か? 蒸し焼きにされるぞ!」
「冗談じゃねえぞ!」
猫背の奴隷が叫んだ。
「こっちの安全は確保してくれるっていう条件だったはずだ!」
「おい、一体なんの話だよ!」
飛んできた問いに、イドラムは叫んだ。
「密偵の話だよ!」
焦げ臭い匂いはますます強くなっていく。
「お前達に怪しい動きがあったら知らせろって、青の役人達に持ち掛けられたんだよ! そうすりゃ家にいる家族達に十分な金を渡すし、俺の身の安全も保証してくれるってな!」
「なんだそりゃ!」
怒りの声があちこちから上がった。
「だけど、もう限界だ! ヤバそうなのに放っておかれるなんて、話が違う!」
男は一端自分の毛布が置かれていた場所に戻った。毛布を取り除けると、そこにノミがあった。
「お前達と違って、俺のボディチェックは甘かったからな」
男はまた戸口に戻ると、力任せに鉄の扉を押した。
金属の触れ合う重い音。戸の隙間から、何重にも扉と壁を縛る鎖が見える。鎖は南京錠で止められ、輪のようになっていた。イドラムはノミをひっかけて鎖を回し、南京錠を扉の隙間近くまで手繰り寄せる。
扉の隙間からノミを南京錠に当て、金づち代わりの石で叩く。鎖が固定されていないので力がうまく伝わらず、手ごたえは浅い。しかし、諦めることはできなかった。イドラムは何度も石を振り下ろした。
ディサクス王は、イスに腰掛け、外を眺めていた。眼下の木は大きな葉を風に揺らしている。まるで髪を振り乱して踊る女のようだ。この宮殿には高価なガラスがはめられているので、砂を含んだ不快が風に患わされずにすんだ。
こうして夜と星と静寂と共に過ごす時間がディサクスは好きだった。昼間にバカ騒ぎがあった時は特に。まさか二匹のネズミが放ったネコに、兵達が手玉に取られるとは。
ほんのわずかながら、ヒマつぶしができたかも知れない。
「ディサクス様!」
静かな部屋に流れる時間が一気に乱れた。息を切らせて赤の役人と召使が駆け込んで来る。
二人はディサクスの前にひざまづくと、口々に言った。
「神殿で爆発と煙が!」
「奴隷小屋でも!」
(またアレヴェルか?)
今まで暇つぶしのように生かしておいたが、そろそろ首を刎(は)ねた方がいいかも知れない。あと、あの女、イルラナも。
「奴隷小屋は、必要なら兵を出せ。私は神殿に向かう」
ディサクスは身をひるがえし、部屋の戸口へむかった。
あの神殿は特別な場所だ。他人に任せることはできない。
神殿へディサクスが向かうにつれ、一人、また一人と護衛が合流していく。外へ出るころには人数は二十にもなっていた。
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