錬金術師はかく語りき

三塚 章

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第6話 番兵の長い夜

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 街より荒野に近い場所に、高い柵で囲われた場所があった。街と同じ砂岩でできた大きな建物がいくつも立ち並んでいる。奴隷や衆人の収容所は、夜の静けさの中にあった。月は明るく、荒野に散らばる石も岩も、それが落とす影もはっきり見えた。
 柵にはいくつか門が作られていて、ムサラはそこを守る番兵だった。
 建物と柵はある程度離れているので、奴隷達の寝言や泣き声は聞こえてこない。ただ、時折風の音がするだけだ。
 ムサラは一つあくびをした。
 もともと、奴隷達と同じ街の平民だったムラサは、昔ちょっとしたツテができたおかげで運よくこの役職に入り込むことができた。城の役人達が連れてきた奴らを受け取り、収容所から逃げ出さないようにするのが仕事だ。
 ここに連れて来られた囚人達は、残してきた者達を思って泣き叫び、自分をつかむ腕を振り払おうと抵抗をする。そんな様子を見て、無実の罪を着せられ囚われた者達に同情していた時もあった。だが、それももいつしか消えうせた。
 この街では良心を、心を売って強者に媚び、要領よく生きることが寿命まで生き延びるコツだ。現に、それを志すようにしてからムラサはまとまった金を得られるようになった。
つかまった奴らも、真っ当に生きていないでそうすればよかったのに。
 目の端に何かが動いた気がして、ムサラは半分眠っていた意識を現実に引き戻した。またなにかか動物でも近付いて来たのだろうか。見張りの間、レオードや鳥などの姿が見えるのは珍しいことではない。この辺りの荒野は王家の湖ぐらいしか水がないのに、なぜ野生動物生きられるのかムサラにはいつも不思議だった。
 だが、岩から岩へと走る小さな影は二足歩行で、どう見ても動物ではなく人間だ。こんな時間にこんな場所をうろついているとはただ事ではない。
 幸い、その人間がいる場所はここからさほど遠くない。すぐに捕まえられるだろう。
 ムサラは胸に下げていた木製の笛を吹き鳴らした。
 柵に付けられた木の扉が開き、中から同僚達が飛び出してくる。
「あそこに人が!」
 ムラサが人影を指差す。
「捕まえろ!」
 異変に気づいたらしく、人影は逃げ出した。幸い、足を痛めているか何かしているらしく、速度は遅い。
 不審者はあっという間に番兵達に取り囲まれた。肩をつかんで地面に転がしてみれば、正体は小柄な青年だった。恐怖からか、青年は体を震わせ、忙(せわ)しなく息をしてこちらを見つめている。ローブはあちこち土と砂で汚れていた。こちらを見上げた頬には奴隷の刺青。
 それを見てムラサはぞっとした。このマークがあるということは、収容所から逃げ出して来たのだろう。自分が仕事を怠ったせいだとされたらどんな罰を受けるかわかったものではない。ムサラは必死に主張した。
「逃亡奴隷か! しっかり見張れよムサラ!」
「いや、確かに俺の持場に怪しい動きはなかったよ。他の場所から抜け出してここに来たんだろ」
「とにかく、だ」
 同僚の一人がもううんざりだという口調で言った。
「まだ夜だからな。こいつの報告は後でしよう。こうして……」
 彼は槍で軽く腕をかすめた。
 青年は小さくうめいて傷を押さえた。
「こうして印をつけておけば後で見つけるのも簡単だろ。塀の中にぶちこんでおけ」
 ムサラ達は門を開け、青年を塀の中へ蹴り入れた。
 建ち並ぶ収容所の扉は、どれもこの辺りには珍しく鉄でできていた。扉の真横の壁には、鉄の輪がついた杭が打ち込まれ、扉にも輪が作り付けられている。その二つの輪は何重にもかけられた鉄の鎖でくくられ、南京錠で留められていた。
 ムラサは適当に建物を一つ選ぶと、鍵で扉を開ける。奴隷なんてどこの棟に入れても同じだ。
 番兵達は青年を中に放りこみ、また持場へと戻っていく。
 ムサラもまたいつもの場所で見張りを再開した。まあ、丁度いい暇つぶしにはなったよな、と思いながら。

 床にイルラナを転がしたまま、番兵達は去っていった。完全に彼らがいなくなったのを見計らって、ゆっくりと体を起こした。
「くっ」
 その拍子に腕の傷が痛んでイルラナは小さくうめいた。
 なにせ、男装して刺青と同じマークを頬に描き、奴隷のマネをしようというのだ。ある程度の危険は覚悟していたが、まさか抵抗もしていないのにいきなり傷つけられるなんて思わなかった。もちろん向こうも働き手の腕をつぶしたりはしないから傷は浅いが、痛いものは痛い。
 建物の中は、かすかに汗と排泄物の臭いがした。壁の高い場所に付けられた、穴を空けただけの窓は小さく、建物の内の方が暗いぐらいだった。
 それぞれ毛布一枚だけにくるまって、何人もの人間が雑魚寝している。
 皆、気にしていないふりをしているが、ちらちらと視線を感じる。こちらをうかがう気配に取り囲まれ、イルラナは獣の群れの真ん中に放りこまれたような気がした。だが話かけてくる者はいない。この騒ぎにも目を覚まさない者がいるのか、遠くいびきが聞こえた。
「あんた、まさか抜け出そうとしたのかい? 別の棟にいた奴みたいだが」
 一人の奴隷が布を持ってきて、傷を縛ってくれた。
「あ、ああ」
 うっかり女の言葉遣いをしないように気をつけながら、イルラナは話出した。
「実は、知り合いを探しているんだ。エリオンっていう。灰色の目で、白い肌で、黒い長髪の男なんだけど」
「さあ。見たことないな。というかまさか、そいつを探すために逃げ出すふりをしたのか? 別の棟にいるか探すために?」
 彼はまさか外から収容所に入り込んだとは思わなかったようだ。
「いや、というか、本当は外から。知り合いを探しに」
「本当か?」
 その言葉を聞いて、周りがざわついた。口々に「そんな馬鹿なことを」とか「そんなにそいつが大切なのか」などと声が飛んだ。
 その会話を聞いていたらしい、他の一人が身を乗り出してきた。
「長髪か。そんな奴がいたら目立つから、ちょっと話題になるはずだが。ひょっとしたら『赤い役人』に連れて行かれたかも知れないな」
「『赤い役人』?」
 その言葉が出た瞬間、その場の空気が一瞬緊張した。
「王直属の兵さ。ほら、おまえを連れて来た役人、胸に青いマークを付けていただろ。あれは俺達の管理をする役人。王直属の役人はその模様が赤になっている」
「あいつらに連れていかれたら、まず帰って来ねえよ」
「そんな……」
 ごそごそと体を起こす音がした。
「おい、そいつのこと、見たかもしれん」
「え、どこ、どこで!」
 イルラナはその人の前に走り寄った。
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