錬金術師はかく語りき

三塚 章

文字の大きさ
上 下
2 / 16

第2話 エリオンとイルラナ

しおりを挟む
『親愛なる幼なじみ、腐れ縁のイルラナへ』
 十八歳になったばかりのイルラナは、また手紙をまた読み返していた。もう文面はすっかり覚えていたけれど。無地の紙には、キレイな字が並んでいる。
『僕は今、ルウンケストという小さな国の、バクトという街にいます。岩だらけの、緑の少ない所ですが、珍しい鉱物や動物がいて、錬金術に使える道具が色々手に入りそうです。(といっても君は興味ないでしょうが)。今はフェレアというお婆さんの所にお世話になっています。ちょっと無愛想ですが、その代わり僕が実験していてもそっとしておいてくれるから、ある意味助かってはいるかな。二十日ごろには帰る予定です。お土産をお楽しみに! 
 さすらいのひよっこ錬金術師エリオンより』
「二十日ごろって、もう六か月も過ぎてるじゃないの!」
 イルラナは、手紙をくしゃくしゃにまるめて放り捨てた。
 錬金術師は、いつもあちこちを旅している。
 エリオン曰(いわ)く、「万物の謎を解き明かそうとするのが錬金術師の仕事」なんだそうだ。
 例えば地面に落ちている石にどんな性質があるのか、それにどんな薬品をかけるとどんな反応をするのか。人間の血が暖かいのは、心臓が動き続けるのはどうしてか。
 実験を積み重ね、そういった疑問の答えを見付け、この世界を知り、その知識を人々のために活かすのが錬金術師の使命だと。
 そのためには、様々な物に触れる必要がある。その国にしかない植物、鉱石、変わった体質を持つ者……
 というわけで、彼はあちこち旅をしているのだが、今回は出発前に教えてくれた予定よりかなり帰りが遅れていた。
 もちろん船を使えば風の関係で足止めを食うこともあるし、馬車や徒歩でも大雨で道が崩れれば大回りしないといけない事もあるだろう。手紙だって、途中で何かがあればなくなってしまって届かないことがある。
 それはイルラナも分かっていたし、現に、前エリオンが旅に出た時も、予定より帰りが遅くなったこともあった。けれど、今回はどういうわけか妙に嫌な予感がする。もう二度と自分の下に帰ってこないような――
 そんな思いを振り切るように、イルラナは自分の家を飛び出した。昨夜の雨が嘘のように、今朝の空は晴れ渡っていた。草についた雨の名残に、ズボンの裾を濡らしながら、イルラナは丘の上へ駆けていく。放し飼いにされた鶏が、驚いてココッと鳴いた。
 野良仕事で足腰が丈夫な者が多い村の中でも、イルラナの足は速い。同年代の男達にも負けないほどだ。小柄な体は、跳ねるように村を見下ろせる頂上に駆け上がった。
 イルラナは茶色の目を細めた。少し冷たい風が、肩で切りそろえたワラ色の髪を揺らす。ここからだと、村の家々が箱のように見えた。近所のデクルさんが犬に餌をやっているのが見える。煙突から朝食を作る煙が立ち上り、空気に溶けていく。村の後には、視界の限り森や畑の緑が続いている。
(あの遠い山まで歩いていって、そこから見下ろしたら、どんな景色が見えるんだろう?
 それは子供の時からずっと考えていたことだった。
(もっと遠くにいるエリオンは今どんな景色を見てるんだろう?)
 いつか封筒に入れて送ってくれた、真っ赤な草でできた草原? それとも燃える石でできた川原?
「やあ、イルラナ!」
 村の方から、人のよさそうな老人が歩いてきた。頭は薄くなっているが、骨格からして若いころは恰好よかっただろうと想像させるような人だ。
 声をかけてきたか誰か分かると、イルラナはぷいっとそっぽをむいた。
「どうした? 今日はご機嫌斜めかな? まだエリオンの事が心配なのか?」
 イルラナはようやく声の主に視線を向け、口を尖らせる。
「ハルストさんは心配じゃないんですか? エリオンは自分の弟子なのに」
「ははは、あの子は私よりしっかりしているからな」
 聞いた話によると、ハルストももとは旅の錬金術師だったらしい。イルラナとエリオンが産まれる前のこと、立ち寄ったこのトナークの村が気に入って、ここで暮らすことに決めたそうだ。
 エリオンに錬金術への興味を持たせたのも、このハルストだ。
 文字も読めない者が大半のこの村で、イルラナとエリオンはハルストに読み書きを教えてもらった。勉強するヒマがあったら縫い物の仕方、畑の耕し方を覚えろという大人が多い中で珍しいことではあった。
 エリオンは文字を習いにハルストの家に通ううち、そこにある鉱物や動物の標本に惹かれていった。そして自然とハルストに錬金術を教わるようになっていった。
 男が二人して自分のわからない実験や勉強をするようになったのが、イルラナには気にいらなかった。今まで一緒に泥だらけになって遊んでいた相手が、遠くに行ってしまったようで。
 そして現に、今エリオンは遠くに行ってイルラナの傍にはいない。
「それにね、イルラナ」
 穏やかだけど強い力を秘めた口調でハルストは言った。
「錬金術は、もともと価値の無いものから金(きん)を作り出そうという欲から始まった学問だ。けれどその過程で自分達の身の回りにある物について、ちょっとばかり他の人は知らない事がわかるようになってきた。だから私達が得た知識を広めて化学の発展に貢献する義務があるんだよ」
「よく分からないわ」
 イルラナは大げさに肩にすくめて、空を見上げた。
 この空の下のどこかにエリオンはいるのだろう。イルラナは見たこともない物を見て、難しい技術を使って人を助けて。
(それに比べて私は……?)
 イルラナも、エリオンと一緒に錬金術をさわりだけ教わってみたことがある。だが、実験や観察はおもしろかったが、生き物を解剖したり、机にむかって記録をまとめたりするのがどうしても好きになれなかった。それがどうしても必要なことだと分かってはいたけれど。
「そういえば、いつドルルドと結婚するんだい?」
「はい?」
 いきなりとんでもないことを聞かれて、イルラナは失礼なくらいの勢いで聞き返してしまった。
 ドルルドは隣の村の青年だ。一度会った事はあるけれど、周りの友人を召使のように扱って、どこか乱暴な所があった。その乱暴さが、一部の大人には頼りがいがあると映るらしいけれど、イルラナは苦手だった。なんでそんな、結婚したら殴ってきそうな男と結婚しなければならないのか。
「おや、これは余計なことを言ってしまったかな」
 不愉快そうなイルラナの顔に、ハルストはきまり悪そうに額を押さえる。
「いや、たまたま君のご両親が話しているのを耳にしてね。君ももう十八だし、決まったとばかり」
「聞いてないです!」
 イルラナは自分の家に駆けだした。
(父さんと母さんに文句を言ってやる!)
 そこでイルラナは急に足を止めた。
(ここでドルルドと結婚しなくても、そのうち誰かと結婚することになるんだろう。そして子供を産んで、死ぬまでこの村で暮らして?)
 たぶん、それは幸せで、正しいことなのだろう。でも。
(エリオンが見ているような、海や草原を見ることもないまま……?)
 ぶるっと体を震わせる。
(そうだ、夜になったらこっそり村を出よう!)
 まるで雷のように、そんな考えが降ってきた。
 そしてゆっくりと歩きだす。
(何も家出するわけじゃないわ。ちょっと村の外へ出てみるだけ!)
 行く先は、エリオンのいるルウンケストの国にしよう。そうすれば、エリオンがどうして帰ってこないのかも分かる。
 なんだか、わくわくしてきて、頬が熱くなる感じがした。
(すぐエリオンと一緒に帰ってくれば問題ない。すぐ帰ってくれば……)
 少しずつ歩く速度が速くなっていく。
(何を持っていけばいい? 持ってる限りのお金と、パンと、そうだ、ナイフも持っていこう!)
 今まで感じていた嫌な予感も忘れ、イルラナは胸をはずませ駆けていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ダークナイトはやめました

天宮暁
ファンタジー
七剣の都セブンスソード。魔剣士たちの集うその街で、最強にして最凶と恐れられるダークナイトがいた。 その名を、ナイン。畏怖とともにその名を呼ばれる青年は、しかし、ダークナイトをやめようとしていた。 「本当に……いいんですね?」 そう慰留するダークナイト拝剣殿の代表リィンに、ナインは固い決意とともにうなずきを返す。 「守るものができたからな」 闇の魔剣は守るには不向きだ。 自らが討った聖竜ハルディヤ。彼女から託された彼女の「仔」。竜の仔として育てられた少女ルディアを守るため、ナインは闇の魔剣を手放した。 新たに握るのは、誰かを守るのに適した光の魔剣。 ナインは、ホーリーナイトに転職しようとしていた。 「でも、ナインさんはダークナイトの適正がSSSです。その分ホーリーナイトの適正は低いんじゃ?」 そう尋ねるリィンに、ナインは平然と答えた。 「Cだな」 「し、C!? そんな、もったいなさすぎます!」 「だよな。適正SSSを捨ててCなんてどうかしてる」 だが、ナインの決意は変わらない。 ――最強と謳われたダークナイトは、いかにして「守る強さ」を手に入れるのか? 強さのみを求めてきた青年と、竜の仔として育てられた娘の、奇妙な共同生活が始まった。 (※ この作品はスマホでの表示に最適化しています。文中で改行が生じるかたは、ピンチインで表示を若干小さくしていただくと型崩れしないと思います。)

老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜

二階堂吉乃
ファンタジー
 瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。  白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。  後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。  人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話7話。

少年神官系勇者―異世界から帰還する―

mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる? 別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨ この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行) この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。 この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。 この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。 この作品は「pixiv」にも掲載しています。

S級冒険者の子どもが進む道

干支猫
ファンタジー
【12/26完結】 とある小さな村、元冒険者の両親の下に生まれた子、ヨハン。 父親譲りの剣の才能に母親譲りの魔法の才能は両親の想定の遥か上をいく。 そうして王都の冒険者学校に入学を決め、出会った仲間と様々な学生生活を送っていった。 その中で魔族の存在にエルフの歴史を知る。そして魔王の復活を聞いた。 魔王とはいったい? ※感想に盛大なネタバレがあるので閲覧の際はご注意ください。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

【完結】魔王様、溺愛しすぎです!

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
「パパと結婚する!」  8万年近い長きにわたり、最強の名を冠する魔王。勇者を退け続ける彼の居城である『魔王城』の城門に、人族と思われる赤子が捨てられた。その子を拾った魔王は自ら育てると言い出し!? しかも溺愛しすぎて、周囲が大混乱!  拾われた子は幼女となり、やがて育て親を喜ばせる最強の一言を放った。魔王は素直にその言葉を受け止め、嫁にすると宣言する。  シリアスなようでコメディな軽いドタバタ喜劇(?)です。 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう 【表紙イラスト】しょうが様(https://www.pixiv.net/users/291264) 挿絵★あり 【完結】2021/12/02 ※2022/08/16 第3回HJ小説大賞前期「小説家になろう」部門 一次審査通過 ※2021/12/16 第1回 一二三書房WEB小説大賞、一次審査通過 ※2021/12/03 「小説家になろう」ハイファンタジー日間94位 ※2021/08/16、「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過作品 ※2020年8月「エブリスタ」ファンタジーカテゴリー1位(8/20〜24) ※2019年11月「ツギクル」第4回ツギクル大賞、最終選考作品 ※2019年10月「ノベルアップ+」第1回小説大賞、一次選考通過作品 ※2019年9月「マグネット」ヤンデレ特集掲載作品

処理中です...