月下の麗人・黒衣の魔術師

三塚 章

文字の大きさ
上 下
6 / 14
 *影の檻

影の檻 5

しおりを挟む
 ムササビをハディスと一緒に追いかけていたレノムスは、ふいに頭を小突かれたような、髪を一筋引っ張られたような、奇妙な感覚を覚えて立ち止まった。
 その時は、まだ自分に魔力を感じ取る能力がある事がわからず、その感覚に戸惑ったことに覚えている。
「どうしたの? レノムス?」
「う、うん、ちょっと」
 周りに、何か変わった物はないかレノムスはあたりを見回した。
 分厚くつもった落ち葉、立ち並ぶ木々、遠くに見える教会と街をへだてる壁。何も自分達に危害を与えてくる物はない。なのに、なぜか落ち着かない。
「いや、なんでもないよ」
 きっと、気のせいだろう。そうごまかして、レノムスはハディスと遊びに戻ろうとした。しかし、焦りにも似た不吉な予感は、ますます強くなっていく。
 この不安の原因を突き止めないと、落ち着いて遊んでなんかいられない。どこを目指しているのか、自分でもわからないまま、レノムスは早足で歩きだした。
「ちょと待ってよ!」
 後からハディスの声がした。
 急がないと、取り返しのつかないことになる。そんな言葉が頭に浮かんだ。取り返しの付かないことって、何? わからない。
 早足は、いつの間にか駆け足になっていた。白い息が夜空に溶ける。
 気づいたら、いつのまにか治療院の近くに来ていた。心臓が痛むくらい鼓動が速い。
 院の裏側から悲鳴が聞こえた。冷たい風に乗り、錆びた鉄のような匂いが漂ってくる。
 治療院の角を曲がる。そこでレノムスは足を止めた。
 地面に、血が広がっていた。それは薄闇の中で黒ずんで見え、墨のようだった。その真ん中に、人がうつぶせに横たわっている。
 いつもきれいにまとめられていた銀髪は、肩に、背中に広がっていた。華奢な体は、ほとんどが血で染まっている。顔を見なくても、それが姉のリティリアだとわかった。
「は……」
 姉さん、と言ったはずの言葉は、無意味な音になった。高い熱が出たときのように、まわりを取り囲む現実が遠退き、歪んでいく。
 姉のものではない、うめき声。姉のそばに動く影がある。
 それは、確かに人のようだった。しかし、どこか歪(いびつ)に見えた。獣が泉の水を飲むように、その影は半ば四つんばいになり、赤く染まった口を姉の体に寄せている。
 その口から立ち上るのか、姉のまだ暖かな血からか、白い湯気が空気に溶けていった。静かな闇の中でやわらかい物を咀嚼(そしゃく)する音が静かに続いていた。
 顔は見えないが、その体つきと服装からそれが誰かを認めて、レノムスは囁くように問いかけた。
「どうして……」
 どうして、フィアドが姉を殺しているのだろう。どうして、姉が愛する人に殺されているのだろう。一番あってはいけないことなのに。
 小さなレノムスの声に気づいたのか、リティリアの指がかすかに動いた。その時まだ、姉はその時、まだ生きていたのだった。
 うつむいていたフィアドが顔をあげた。
 その目を見た瞬間、レノムスにはわかった。義兄が、どんな言葉も想いも届かない、ただの魔物に成り果てたことを。
 自分でも気づかぬまま、魔族の血を引いている者は確かにいる。そして極度の負の感情や、強い魔力で魔族化する。
 殺される。
 急に恐怖が全身に襲いかかってきた。ここにいたら僕は殺される。けれど足が震え、息ができず、動くことすらできなかった。
 ふいに物を倒すような音がした。どこか遠くで、女が悲鳴混じりに叫ぶ声が響く。
「化物! 今、今、そこに化物が!」
 その音と声で、我に返る。今まで悪夢の中にいたようだったのが、その物音と声でこれは現実だと思い知らされたようだった。まだ震える足を無理やり動かす。いくらも行かないうちに転んだ。起き上がり、また走りだす。
 レノムスは、姉に背をむけて夢中で逃げ出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~

ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。 そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。 そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【ショートショート】おやすみ

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
◆こちらは声劇用台本になりますが普通に読んで頂いても癒される作品になっています。 声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

処理中です...