闇姫化伝

三塚 章

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奥(おく)つ城(き)

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 燭台(しょくだい)が闇を照らしだす。炎が瞬くたび、積み上げられた岩でできた壁に影を踊らせていた。
 柚木は、ゆっくりと歩を進める。鼻をつくほどの死臭と香の匂いも、いつしか感覚が麻痺して気にならなくなった。玲帝の玄室の中は、湿っぽく、巫女装束がずっしりと重くなる。
 中央に、石の棺が安置されていた。そして、その傍らにうら若い青年の像が安置されていた。等身大のその像は、棺の頭から足までを包み込もうとしているように、ゆるく両手を広げていた。
 異様なのはその像の胸に、たくさんのくさびが撃ち込まれていることだ。そのくさびには、それぞれ呪の書かれた、紐のように細い布が無数に結びつけられていた。布のもう片端は、天井と四方の壁に打ち込まれたたくさんのくさびに結びつけられている。
 その像の真横で柚木は歩みを止めた。
「玲帝よ。繰吟はのうのうと生きている。お前を殺し、帝の座についてな」
 帝の像を白い手がなでる。まるで愛しい者にするように、柚木は硬く冷たい木の像に身をすりよせた。
 像の耳元で囁くように、柚木は何事かを唱え始めた。
 像からにじむように、黒い煙が沸き上がってきた。本来なら自然に消えてしまうほどかすかな玲帝の恨みが、術によって目に見えるほどに掻き立てられているのだ。床からも、黒い煙が細く立ち昇っていく。玲帝の恨みが呼び水となって、都に住む者の恨みも具現化し、一つとなって噴きあがっていく。
 そのおぞましさに、呼び出した柚木でさえ薄く背筋が寒くなる。玄室の温度さえ下がったようだった。
 黒い霧は布をたどり、壁のむこうへと送り出されていく。占司殿の敷地、都全体、国全体に。
 柚木はまぶたを閉じ、戯れるように指先で布をなでる。巫女である柚木には、恨みの波が、乾いた土を潤す慈雨(じう)のように地に広がっていくのを感じられた。
 しかし、その黒い霧はかなりの量が地中で削られている。
「占司殿のせいか。忌ま忌ましい朱め」
 闇の黒に血がにじむように、赤い甲冑が現れた。
「禍刺」
 柚木は視線を禍刺にむけ、体を像から離した。
「要は、占司殿を穢せばいいんだろう」
 禍刺は、うっすらといびつな笑みを浮かべた。
「柚木、おもしろい事を考え付いた。貴女の術の力を借りたい」
 禍刺は巫女に歩み寄ると、何事かを囁いた。
「本当にやるのか。おもしろくはあるが」
 ほんのわずか、柚木は顔をしかめる。
「玲帝のためなら何でもしよう」
 禍刺は険しい目つきで像を見上げた。
「このまま帝位纂奪者の好きにさせる気はない」
「しかし、そんな計画を思いつくほどお前が繰吟を憎んでいるとはな」
 禍刺の過去は、柚木も巫女だったとき噂として聞いた事がある。
 禍刺は、幼い息子を一人亡くしている。その子は玲帝と近い日の産まれだったという。禍刺が玲帝に忠実なのは、亡くなった実の子を重ね合わせているからだと。
 だとすれば禍刺にとって、玲帝を失ったのは再び我が子を失ったのと同じということか。
(哀れなものだ)
 この男は、湧きあがる玲帝の恨みが柚木により掻き立てたものだと知らない。それほど主の恨みが深いのだと疑いもしない。そしてその恨みが晴れなければ、玲帝の平穏はないと信じている。
「それでは、楽しみにしておくことだ、柚木」
 そう言い残し、禍刺はまた闇の中に消えていった。 
「もうすぐだ、玲帝」
 柚木のしなやかな手は布をつたい、くさびの上に乗る。
「さぞ無念だっただろう。実の妹に殺されたのだから。しかしその恨み、私がはらしてやる」
 杭から黒い霧があふれだし、柚木の指先を染めた。
「ほんの少し神を転じさせれば、残りも勝手に転じてくれる。楽な物だな」
 死臭に塗れた部屋の中で、巫女は目を閉じた。手首にかけられた瑠璃の腕輪が微かな音を立てた。
 これをくれた女性は、自分にはできない、無邪気な笑顔を浮かべていた。
『お持ちください。邪なものから身を守るお守りです』
「季月」 
 閉じた目の端から、涙が一筋流れ落ちた。

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