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いわれなき咎 二
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「たく、なんだってんだよ。和神を斬ったのが鹿子だぁ? 冗談じゃねえぞ」
ろくに座る場所もない木々の間で、殺嘉は足を止め、指先で刀の柄を叩く。なんとか追っ手はまいたが、まだその辺りをうろついているだろう。
一瞬、立ちくらみのように目の前が暗くなり、木の幹に手をついた。火箸を押し付けられたような痛みを感じて横腹を押さえる。
傷はますます悪くなるようだった。どこかで傷が開いてしまったのか、ついさっき付けられた物のようにまた新しい血があふれ初めている。
「殺嘉、鹿子様が」
異変に気づいた淘汰が殺嘉を呼んだ。
「おいおい、大丈夫かよ?」
殺嘉は辺りを見回して、倒れた木の幹を見つけてくれた。幹全体が苔に覆われているから、岩よりは座りやすそうだ。
殺嘉の手を借りて、座らせてもらう。こんな非常時なのだから、巫女である自分がしっかりしないといけないのに情けない。生乾きの巫女装束が土に汚れているのも不愉快だ。
辺りはそろそろ日が落ち、薄暗くなり始めていた。空には早々と薄紙のような青白い月が出ていた。
「ここで休むしかないか」
殺嘉の提案に淘汰も頷く。
「火は焚けないね。見つかっちゃうから」
「仕方ねえな。近くの村には兵が張っているだろうし。村によらずにどこまで行けるか」 そもそも、どこに行くのか。永遠に逃げるなどできるはずがない。都へ行けば有無をいわさず処刑されることになるかもしれない。
「とにかく、色々なことは明日考えようよ」
淘汰は矢で掠ってしまった足を気にしている。だが、大した怪我ではないようだ。
鹿子は水筒から一口、水を飲んだ。
「向こうも夜のうちにはあまり動かないでしょう。一眠りしても大丈夫よね。二人とも休んで」
そう指示すると、鹿子は木に寄りかかるようにして目を閉じた。
「大丈夫、あれくらいの人数…… なんとか逃げ切れるはず……」
何か気配がして、淘汰は目を覚ました。あまり長く寝た気はしなかったが、月はいつの間にか西に傾いていた。髪を撫でる風に腐臭が混じっている。
まだ眠っている鹿子を起こさないように隣から離れ、木に寄り掛かって座ったまま眠っている殺嘉を揺り起こす。
「何匹いる?」
目が覚めると同時に状況を把握したのか、あくび混じりに言った。
「そうだね。たぶん一匹。下級神だ。そんなに強くないと思う。神気が小さいから」
荒ぶる神の気配がかすかな匂いのように漂ってくる。視界も狭くなる夜に、神を狩るなど避けるべきなのだが、距離が近すぎる。人の匂いを感じ取り、放っておけば何十分後に襲われるだろう。
淘汰は鹿子の様子をちらりと見た。普通なら神の気配を察して目を覚ましているところだ。それなのに眠り続けているということは相当疲れているのだろう。起こすのは少し忍びない。
「一人狩りに行って、もう一人ここに残る?」
そうだな、と殺嘉もその意見に賛成する。戦いの物音で追っ手に自分達の居場所を教えてしまうことになりかねないが、人に飢えた神を放っておくわけにはいかない。起きていれば鹿子だって同じ事を言うだろう。
「殺嘉、僕が鹿子様を守ってるから、君が行ってきてよ」
「ああ? なんでそうなるんだよ?」
今のところならまだ来ないだろう帝の兵や、来るかもしれない野犬などから鹿子を守るのと、無傷ではすまない下級神を狩るのとどちらが楽かは考えるまでもなく。
二人はしばらく無言でじっとりとにらみ合った。公平に葉っぱで籤引きをした結果、ハズレを引いたのは淘汰だった。
「淘汰ぁ、頑張れよー」
楽できる殺嘉は思い切り嬉しそうだった。
「ちぇっ、最近本当についてないよ。じゃ、そっちは頼んだからね」
淘汰は悪態をつきながら奥へ消える。
「さて、と。おとなしく待ってよ」
相棒に手を振ってから、殺嘉はまた木に寄りかかった。
虫の音色と鹿子の寝息が、聴くともなく耳に入ってくる。風が無いからか、鳴かない種類の神なのか、咆哮は聞こえない。これなら兵達にも気づかれることもないかもしれない。けれどその分、殺嘉にも淘汰の様子をうかがうことができなかった。
どれだけ時間が経ったのか。少しずつ空の紺が薄くなってきても、淘汰は帰ってこなかった。夜が明けかけている。だいぶてこずっているらしい。
鹿子がもぞもぞと動いた。傷が痛むのか、小さくうめいた。目を覚ましてしまったようだ。今いる場所を分かりかねているように、横たわったまま辺りを見渡す。
「あれ? 淘汰は?」
「ああ。荒ぶる神がいたようなんで、様子を見にいった」
「一人で? 駄目よ、あなたも行かないと」
「阿呆。一人でこんな森で寝てたら、お前、荒ぶる神においしくいただかれるぞ」
ぐったりと座ったまま、鹿子は殺嘉を見上げた。
「殺嘉。見てきてくれる? 心配だわ」
「ああ? お前ほったらかして助けに行った日にゃ、荒ぶる神のあとで俺が淘汰に狩られちまうわ」
だが、なおも鹿子は食い下がった。
「お願い、さっきいやな夢を見たの。それが気になるの。命令よ」
殺嘉は口を閉ざして考えた。夢のお告げ、という言葉もある。しかも鹿子は巫女なのだ。常人よりそういうことに敏感なはず。
それに鹿子が『命令』なんて言葉を使うのはかなり珍しい。
「うーん、そこまでいうなら仕方ねえ。ま、じっとしてりゃ兵達にも荒ぶる神にも見つからんだろうしな。絶対にここを動くなよ、待っていろ」
とうとう折れた殺嘉は、茂みの中へ消えていった。
遠慮がちに下草をわける音が遠ざかると、鹿子は腹を押さえ、そろそろと起き上がる。頭を持ち上げただけで、血がすべて抜き取られたようにめまいがした。苔の生えた木に手をつき、ふらふらと歩きだす。
「帝の兵はまだ村にいるかしら?」
蒼ざめた唇でつぶやく。夢など嘘だった。
巫女と従者は運命を同じにすることが多い。祓いに出て、荒ぶる神の狩りに失敗すれば仲良く死体になる場合が多いし、巫女が罪を犯せば従者も裁かれる。
殺嘉と淘汰に迷惑をかけるわけにはいかない。鹿子は、一人で禍刺のもとに行くつもりだった。昼間は気が動転していて、ろくに話す前に逃げ出してきてしまったが、もう一度きちんと説明をしたほうがいい。うまくいけば柚木様のことも信じてもらえるかもしれない。
それが駄目なら、淘汰と殺嘉は従者を解任したと言ってみよう。もう従者ではないのだから、巫女の罪を二人が償う必要はないと。我ながら無理のある言い訳だけれど、ひょっとしたらこちらの心情をくんでくれて、殺嘉と淘汰だけは不問にしてもらえるかも。
鹿子がいなくなったら、殺嘉は間違いなく淘汰に怒られるだろう。それが少しだけかわいそうだった。うろたえる二人を想像して、鹿子は少し苦笑する。
出血はそれほどひどくないはずだが、目がかすむ。歩くたびに腹が痛んだ。けれどいつ淘汰が戻ってくるかわからないから、立ち止まるわけにはいかなかった。
紺だった空が明るくなり、透明感のある水色になる。夜鳴く鳥は声をひそめ、入れ代わりにカラスや雀が鳴きだした。しかしまだ太陽は見えない。
そのとき、鳥の声に交じり、空気を切り裂く甲高い音が静寂を破った。見上げれば、銀の光が空を真二つに割っていく。遠くの隊に合図を送るための鏑矢だ。
「向こうに、帝の部隊がいる……」
鹿子はよろよろと矢の放たれた方向へむかった。奥へ行くにつれ下草の丈が高くなり、前が見えなくなる。衣が枝にひっかかり、派手な音をたてて袖が裂けた。酩酊した時のように考えが四散していく。茂みの中へと踏み込んだ鹿子は、急に足を下に引っ張られたような感覚を味わった。踏み止まろうと足に力を入れるが、つまさきを置く地面が無くなっている。踏み外した、と理解したときには、傷を負った巫女は崖から転がり落ちていた。
ろくに座る場所もない木々の間で、殺嘉は足を止め、指先で刀の柄を叩く。なんとか追っ手はまいたが、まだその辺りをうろついているだろう。
一瞬、立ちくらみのように目の前が暗くなり、木の幹に手をついた。火箸を押し付けられたような痛みを感じて横腹を押さえる。
傷はますます悪くなるようだった。どこかで傷が開いてしまったのか、ついさっき付けられた物のようにまた新しい血があふれ初めている。
「殺嘉、鹿子様が」
異変に気づいた淘汰が殺嘉を呼んだ。
「おいおい、大丈夫かよ?」
殺嘉は辺りを見回して、倒れた木の幹を見つけてくれた。幹全体が苔に覆われているから、岩よりは座りやすそうだ。
殺嘉の手を借りて、座らせてもらう。こんな非常時なのだから、巫女である自分がしっかりしないといけないのに情けない。生乾きの巫女装束が土に汚れているのも不愉快だ。
辺りはそろそろ日が落ち、薄暗くなり始めていた。空には早々と薄紙のような青白い月が出ていた。
「ここで休むしかないか」
殺嘉の提案に淘汰も頷く。
「火は焚けないね。見つかっちゃうから」
「仕方ねえな。近くの村には兵が張っているだろうし。村によらずにどこまで行けるか」 そもそも、どこに行くのか。永遠に逃げるなどできるはずがない。都へ行けば有無をいわさず処刑されることになるかもしれない。
「とにかく、色々なことは明日考えようよ」
淘汰は矢で掠ってしまった足を気にしている。だが、大した怪我ではないようだ。
鹿子は水筒から一口、水を飲んだ。
「向こうも夜のうちにはあまり動かないでしょう。一眠りしても大丈夫よね。二人とも休んで」
そう指示すると、鹿子は木に寄りかかるようにして目を閉じた。
「大丈夫、あれくらいの人数…… なんとか逃げ切れるはず……」
何か気配がして、淘汰は目を覚ました。あまり長く寝た気はしなかったが、月はいつの間にか西に傾いていた。髪を撫でる風に腐臭が混じっている。
まだ眠っている鹿子を起こさないように隣から離れ、木に寄り掛かって座ったまま眠っている殺嘉を揺り起こす。
「何匹いる?」
目が覚めると同時に状況を把握したのか、あくび混じりに言った。
「そうだね。たぶん一匹。下級神だ。そんなに強くないと思う。神気が小さいから」
荒ぶる神の気配がかすかな匂いのように漂ってくる。視界も狭くなる夜に、神を狩るなど避けるべきなのだが、距離が近すぎる。人の匂いを感じ取り、放っておけば何十分後に襲われるだろう。
淘汰は鹿子の様子をちらりと見た。普通なら神の気配を察して目を覚ましているところだ。それなのに眠り続けているということは相当疲れているのだろう。起こすのは少し忍びない。
「一人狩りに行って、もう一人ここに残る?」
そうだな、と殺嘉もその意見に賛成する。戦いの物音で追っ手に自分達の居場所を教えてしまうことになりかねないが、人に飢えた神を放っておくわけにはいかない。起きていれば鹿子だって同じ事を言うだろう。
「殺嘉、僕が鹿子様を守ってるから、君が行ってきてよ」
「ああ? なんでそうなるんだよ?」
今のところならまだ来ないだろう帝の兵や、来るかもしれない野犬などから鹿子を守るのと、無傷ではすまない下級神を狩るのとどちらが楽かは考えるまでもなく。
二人はしばらく無言でじっとりとにらみ合った。公平に葉っぱで籤引きをした結果、ハズレを引いたのは淘汰だった。
「淘汰ぁ、頑張れよー」
楽できる殺嘉は思い切り嬉しそうだった。
「ちぇっ、最近本当についてないよ。じゃ、そっちは頼んだからね」
淘汰は悪態をつきながら奥へ消える。
「さて、と。おとなしく待ってよ」
相棒に手を振ってから、殺嘉はまた木に寄りかかった。
虫の音色と鹿子の寝息が、聴くともなく耳に入ってくる。風が無いからか、鳴かない種類の神なのか、咆哮は聞こえない。これなら兵達にも気づかれることもないかもしれない。けれどその分、殺嘉にも淘汰の様子をうかがうことができなかった。
どれだけ時間が経ったのか。少しずつ空の紺が薄くなってきても、淘汰は帰ってこなかった。夜が明けかけている。だいぶてこずっているらしい。
鹿子がもぞもぞと動いた。傷が痛むのか、小さくうめいた。目を覚ましてしまったようだ。今いる場所を分かりかねているように、横たわったまま辺りを見渡す。
「あれ? 淘汰は?」
「ああ。荒ぶる神がいたようなんで、様子を見にいった」
「一人で? 駄目よ、あなたも行かないと」
「阿呆。一人でこんな森で寝てたら、お前、荒ぶる神においしくいただかれるぞ」
ぐったりと座ったまま、鹿子は殺嘉を見上げた。
「殺嘉。見てきてくれる? 心配だわ」
「ああ? お前ほったらかして助けに行った日にゃ、荒ぶる神のあとで俺が淘汰に狩られちまうわ」
だが、なおも鹿子は食い下がった。
「お願い、さっきいやな夢を見たの。それが気になるの。命令よ」
殺嘉は口を閉ざして考えた。夢のお告げ、という言葉もある。しかも鹿子は巫女なのだ。常人よりそういうことに敏感なはず。
それに鹿子が『命令』なんて言葉を使うのはかなり珍しい。
「うーん、そこまでいうなら仕方ねえ。ま、じっとしてりゃ兵達にも荒ぶる神にも見つからんだろうしな。絶対にここを動くなよ、待っていろ」
とうとう折れた殺嘉は、茂みの中へ消えていった。
遠慮がちに下草をわける音が遠ざかると、鹿子は腹を押さえ、そろそろと起き上がる。頭を持ち上げただけで、血がすべて抜き取られたようにめまいがした。苔の生えた木に手をつき、ふらふらと歩きだす。
「帝の兵はまだ村にいるかしら?」
蒼ざめた唇でつぶやく。夢など嘘だった。
巫女と従者は運命を同じにすることが多い。祓いに出て、荒ぶる神の狩りに失敗すれば仲良く死体になる場合が多いし、巫女が罪を犯せば従者も裁かれる。
殺嘉と淘汰に迷惑をかけるわけにはいかない。鹿子は、一人で禍刺のもとに行くつもりだった。昼間は気が動転していて、ろくに話す前に逃げ出してきてしまったが、もう一度きちんと説明をしたほうがいい。うまくいけば柚木様のことも信じてもらえるかもしれない。
それが駄目なら、淘汰と殺嘉は従者を解任したと言ってみよう。もう従者ではないのだから、巫女の罪を二人が償う必要はないと。我ながら無理のある言い訳だけれど、ひょっとしたらこちらの心情をくんでくれて、殺嘉と淘汰だけは不問にしてもらえるかも。
鹿子がいなくなったら、殺嘉は間違いなく淘汰に怒られるだろう。それが少しだけかわいそうだった。うろたえる二人を想像して、鹿子は少し苦笑する。
出血はそれほどひどくないはずだが、目がかすむ。歩くたびに腹が痛んだ。けれどいつ淘汰が戻ってくるかわからないから、立ち止まるわけにはいかなかった。
紺だった空が明るくなり、透明感のある水色になる。夜鳴く鳥は声をひそめ、入れ代わりにカラスや雀が鳴きだした。しかしまだ太陽は見えない。
そのとき、鳥の声に交じり、空気を切り裂く甲高い音が静寂を破った。見上げれば、銀の光が空を真二つに割っていく。遠くの隊に合図を送るための鏑矢だ。
「向こうに、帝の部隊がいる……」
鹿子はよろよろと矢の放たれた方向へむかった。奥へ行くにつれ下草の丈が高くなり、前が見えなくなる。衣が枝にひっかかり、派手な音をたてて袖が裂けた。酩酊した時のように考えが四散していく。茂みの中へと踏み込んだ鹿子は、急に足を下に引っ張られたような感覚を味わった。踏み止まろうと足に力を入れるが、つまさきを置く地面が無くなっている。踏み外した、と理解したときには、傷を負った巫女は崖から転がり落ちていた。
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