闇姫化伝

三塚 章

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いわれなき咎 一

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 この河が村の名前の由来になったのだろうか。清めの作法を行った後、そんな事を考えながら水面に体を漂わせた。お世辞にも漆黒とは言えない、自分の茶色がかった長い髪が肩の隣で揺れている。布地を通った水が、混乱した心をなだめるように肌をなでていく。
その感覚は心地よい物の、夏とはいえ水は冷たく、長い間つかっていられそうになかった。
 身を清めたおかげで、傷の痛みはかなりやわらいだ。ただ、毒の緑だけが頭の中にこびりついて離れない。
「なぜ?」
 誰にともなく鹿子は呟く。
 スッと逸らされた村長の視線。どこか後ろめたげな村人の態度。
 希月に毒を盛ったのは村の人間? だとしたら、なぜ? 
「なぜ?」
 柚木はなぜ姿を消したのだろう? 
(考えた所で、わからないか……)
 むくりと鹿子は体を起こした。岸にあがって、髪や袖を絞る。河原の丸い石に落ちた水滴はゆっくりと乾いていった。
「鹿子!」
 少し離れた所に座った殺嘉が手を振った。淘汰は隣でヒマそうにしている。
 ぼんやりしているうちに少し流されていたらしい。鹿子は二人の傍へ戻って預けていた刀を受け取った。
「貴男(あなた)達も清めた方がいいわよ。刀、あずかっててあげるから」
 鹿子は何気なく淘汰に手を差し出した。
 淘汰は目を伏せ、鹿子から数歩後ずさった。
「淘汰?」
 淘汰は一気に刀を抜き払う。鹿子に背をむけながら、銀色の刃を振るう。
 小枝が折れるような音がして、折れた矢尻が河原に散った。
「いきなり射るなんてずいぶんとひどいじゃない? 誰だか知らないけどさ」
 淘汰は背後に声をかけた。
 誰かが淘汰にむけて射った矢を、淘汰が払いのけたのだ。
「なるほど。ぼやっとしているようにみえても巫女の従者というわけか」
 河原と山の境から現われたのは、漁師のように日に焼けた男だった。顎(あご)ががっしりとしていて、目が鋭い。頭は白い物が交じっているが、顔にシワはなかった。背は高く、軽そうだが丈夫そうな鎧を身につけている。手に構え(たずさえ)られているのは、黒塗りの弓。装飾品のように美しい大弓には金で模様が描かれている。
 淘汰はほっと緊張を解き、刀を鞘に納めた。
「なんだ、禍刺様でしたか」
 この初老の将は官軍のなかで五指に入る実力の持ち主といわれ、前帝、玲帝の時代から内裏に努めている者だ。鹿子も都で何度か見かけたことがある。
「脅かさないでくださいよ。よかった。これから都に行こうと思ったんですよ。我らの主が怪我をしてしまって」
 知り合いのいたずらと知って、淘汰はほんの微かに微笑んだ。
 しかし鹿子は愛想笑いをする気にもならなかった。例え戯(たわむ)れだとしても、淘汰が矢をはじくだろうと信じていたとしても、いきなり人に矢を射かけるなんて。
 禍刺はニィ、と笑った。
「怪我か。そうか、それは大変だったな」
「それにしても、禍刺様はなんでここに?」
 殺嘉が言った。
 それは鹿子も聞きたい所だった。帝の将は、人間同士の戦や反乱を抑える専門だ。この村の近くで戦や反乱が起きているなど聞いた事がない。
 この村にきたのが他の巫女なら分からなくはない。都には朱がいる。祓いの者を束ねる年齢不詳の童女は、占によって派遣されている巫女達の動向をある程度なら知ることができた。怪我で鹿子の気が乱れていることに気がつき、迎えをよこしてくれても不思議ではないからだ。しかし、官軍とは。
 禍刺は右手で合図をした。茂みからぞろぞろと鎧に身を固めた者達が現われる。ざっと三十人はいるだろう。全員刀と弓矢を持っていた。
 鹿子は汗が首筋を伝うのを感じた。まがりなりにも巫女をしている自分が、これだけの人数が隠れているのに気がつかなかったとは。それに、ただむかえに来ただけにしては、この兵達は殺気だっている。
「従者よ。お前達と鹿子に用があって来たのだ」
 淘汰の目がきつくなった。
「呼ぶのならば鹿子様、と。いくら帝直属の兵でも、巫女にむかって呼び捨ては失礼でしょう」
 占いと神の扱いは国に強大な影響を与える。それを司る占司殿の長、朱は帝にも一目おかれる存在だ。当然、その巫女も将と対等のはず。
「元、巫女の鹿子に用事があるのだ」
「もと? どういう事だ」
 聞き捨てならない、というように殺嘉が口をはさんだ。
「お前が神を斬った事は操吟帝もご存じよ。和神(にぎがみ)を斬った罪は重い。帝の名において、鹿子を捕らえ、その場で切り捨てる」
 禍刺は歪んだ笑みを浮かべた。弓を兵に渡し、抜刀する。兵の半数も刀を引き抜いた。
 禍刺が、淘汰に切りかった。淘汰は刀を構え直す暇もなく、背後に跳んで銀光を避ける。そのまま距離を取りながら叫んだ。
「ひどい誤解だ! 違う、神を斬ったのは鹿子様じゃない。柚木だ!」
 「はん、十年前に死んだ巫女か。つくならもっとまともな嘘をつけ!」
 話にならないと思ったか、淘汰は柄に手をかけた。
「よせ、淘汰!」
 殺嘉の一喝(いっかつ)に淘汰は刀を抜きそびれる。
「馬鹿が! 上に刀抜こうとしてんじゃねえよ」
 殺嘉は、淘汰の襟首をつかんで禍刺から引き離した。
「だって、あいつら……」
「ちったぁ考えろ。帝の将に刀を抜いちまえば、理由はどうあれ咎めがくるぞ」
 冷静な殺嘉に感謝しながら、鹿子は従者の前に立った。背を伸ばし、出きる限り凛と威厳のある声で言った。
「まがりなりにも巫女に対し刀を向けるとは、失礼だろう! 私になにかあれば、占司殿の朱様が黙ってはいないぞ!」
 仮に帝が誤解をしていても、朱の了承がなければ巫女を処罰することはできないはずだ。言い分も聴かずに朱が鹿子の処刑を許すなどとは考えられない。そもそも、罪を犯した巫女の処分は占司殿の管轄で、禍刺が来ること自体おかしいのだ。
 朱の権力を借りるのは、鹿子としてはあまり好きではないのだが、刀も言葉も通じない相手にはこれしか術はないように思えた。
 禍刺は、睨む鹿子を嘲笑った。
「お前の処分は、その朱様から帝に託されたのだ。同じ巫女仲間にお前の処刑を命じるのは忍びないとな」
「……嘘」
 これ以上の問答は無用と、兵達が包囲を狭める。その気配に、呆然としていた鹿子は我に返る。
 こうなったら、情けないけれどとれる行動は一つしかない。
「殺嘉、淘汰! 逃げるわよ」
 鹿子は身を翻し走りだした。殺嘉も後に続く。
「覚えてろ禍刺!」
 殺嘉の捨て台詞に、思い出したように矢が飛んできた。
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