9 / 37
占司殿の朱二
しおりを挟む
十年前。祓い一の実力と美貌を持つという柚木が消えた年。そして、繰吟の兄、玲(れい)が崩御した年だった。同時に妹だった繰吟がその座を継いだ年だ。
「なるほど」
舞扇の声は何の感情も伝わらなかった。
「それだけではない。繰吟。恐ろしいことが起こったぞ。神の気配が、一つ消えた」
朱は自分の言葉に顔をゆがめる。今度は、役人たちはざわめきはしなかった。あまりの大事に、信じられるまで時間が掛かったのだ。
「なっ」
誰かが、息を呑んだ。それをきっかけに、波紋が動揺が広がる。矢継ぎ早の質問が飛んだ。
「神が死んだのはどこだ! まさか桜沙(おうさ)ではあるまいな。あそこには妹が……」
「常黄泉の地の規模は?」
「ええい、黙れい!」
子供独特の高く通る声が響いた。
「落ち着け。神が消えたのは葦穂(あしほ)の奥じゃ。都に影響はない」
一応の安堵が空気に流れた。
「だが神が消えるなど、あってよいことではない。おそらく八百万(やおよろず)の神々も、同胞の一人が消えたのを感じ取っているかも知れぬ。そうならばもっと恐ろしいことがおこるぞ」
自身の不安をやわらげようと朱は魁の背をなでる。
「都を守るために、結界を張ろうと思う。占司殿を中心に。人は通れるが、荒ぶる神は通れないようなものを」
しばらく黙っていた帝が口を開いた。
「消えた神の近くに、巫女は?」
「それが……」
帝の質問に、朱は口ごもった。
「ここにいる者は皆、口が堅い。それに、私が信頼している物ばかりだ。言うがいい」
「鹿子がいる。気配が消えたと言ったが…… 自然に消えたのではない、消されたのだ。神が、斬られた」
さわさわと、庭に植えられた木の葉ずれが聞こえた。生まれた静寂を破ったのは、操吟だった。
「わかった。なんとかしなければなるまいな」
その言葉を聴きながら、朱は開いたままの戸口から外を見やった。空の青さに眩しいほどの鮮やかな緑の山。その山はまるまる一つ、前の帝、玲帝の墓だった。たしか異変が起こったのはこちらの方向だったはず。朱の視線に誘われるように、冷たい風が吹き込んできた。
ざわり、とその風に朱は鳥肌を立てた。ふと、耳の辺りに誰かの手が見えた。目隠しをする途中のように伸ばされた手。その腕がまとっている袖は、優美な紫色だ。帝でしか身につけることができぬ色。
朱が瞬きをした。刹那、紫色の袖は消える。後を振り向いても、誰もいない。この部屋で唯一その色を身につけられる繰吟は御簾の中にいる。
朱は首を軽く振る。疲れているときと占いをした後、妙な影を見ることはよくあることだ。陰風も、もう止んでいた。
突然魁が鳴いた。敵を威嚇するように低くうなる声をあげる。さすがにこれはまずいと朱は慌てた。
「こ、これ、どうしたのじゃ魁。普段頼んでも鳴いてくれないというに。ええい、黙れ! 帝の御前じゃぞ」
見た目は童女の朱がおろおろと魁の口をふさごうとする姿に、役人達は思わず暖かい笑みを浮かべた。
御簾の中で舞扇が帝に頭を下げる。
「もうしわけありません、繰吟帝」
別に魁が鳴いたからといって舞扇が謝らなければならない理由はないのだが、生真面目な彼は犬の無礼も自分の物と受け取っているようだった。
「舞扇、お前だけに訊くが」
「はい」
「さっき、すぐ背後から人の声が聞こえなかったか?」
舞扇は思わず振り返る。しかしそこには木の壁しかない。
「音が反響したんでしょうか?」
「まさか。それならば私がそうと気づく。いや、なんでもない。気のせいだろう」
そう、それは帝がいるこの部屋で聞こえるはずのない、聞こえてはいけない言葉だった。
『祟ル』
この繰吟を、治める国を呪う恨みの言葉など。
「なるほど」
舞扇の声は何の感情も伝わらなかった。
「それだけではない。繰吟。恐ろしいことが起こったぞ。神の気配が、一つ消えた」
朱は自分の言葉に顔をゆがめる。今度は、役人たちはざわめきはしなかった。あまりの大事に、信じられるまで時間が掛かったのだ。
「なっ」
誰かが、息を呑んだ。それをきっかけに、波紋が動揺が広がる。矢継ぎ早の質問が飛んだ。
「神が死んだのはどこだ! まさか桜沙(おうさ)ではあるまいな。あそこには妹が……」
「常黄泉の地の規模は?」
「ええい、黙れい!」
子供独特の高く通る声が響いた。
「落ち着け。神が消えたのは葦穂(あしほ)の奥じゃ。都に影響はない」
一応の安堵が空気に流れた。
「だが神が消えるなど、あってよいことではない。おそらく八百万(やおよろず)の神々も、同胞の一人が消えたのを感じ取っているかも知れぬ。そうならばもっと恐ろしいことがおこるぞ」
自身の不安をやわらげようと朱は魁の背をなでる。
「都を守るために、結界を張ろうと思う。占司殿を中心に。人は通れるが、荒ぶる神は通れないようなものを」
しばらく黙っていた帝が口を開いた。
「消えた神の近くに、巫女は?」
「それが……」
帝の質問に、朱は口ごもった。
「ここにいる者は皆、口が堅い。それに、私が信頼している物ばかりだ。言うがいい」
「鹿子がいる。気配が消えたと言ったが…… 自然に消えたのではない、消されたのだ。神が、斬られた」
さわさわと、庭に植えられた木の葉ずれが聞こえた。生まれた静寂を破ったのは、操吟だった。
「わかった。なんとかしなければなるまいな」
その言葉を聴きながら、朱は開いたままの戸口から外を見やった。空の青さに眩しいほどの鮮やかな緑の山。その山はまるまる一つ、前の帝、玲帝の墓だった。たしか異変が起こったのはこちらの方向だったはず。朱の視線に誘われるように、冷たい風が吹き込んできた。
ざわり、とその風に朱は鳥肌を立てた。ふと、耳の辺りに誰かの手が見えた。目隠しをする途中のように伸ばされた手。その腕がまとっている袖は、優美な紫色だ。帝でしか身につけることができぬ色。
朱が瞬きをした。刹那、紫色の袖は消える。後を振り向いても、誰もいない。この部屋で唯一その色を身につけられる繰吟は御簾の中にいる。
朱は首を軽く振る。疲れているときと占いをした後、妙な影を見ることはよくあることだ。陰風も、もう止んでいた。
突然魁が鳴いた。敵を威嚇するように低くうなる声をあげる。さすがにこれはまずいと朱は慌てた。
「こ、これ、どうしたのじゃ魁。普段頼んでも鳴いてくれないというに。ええい、黙れ! 帝の御前じゃぞ」
見た目は童女の朱がおろおろと魁の口をふさごうとする姿に、役人達は思わず暖かい笑みを浮かべた。
御簾の中で舞扇が帝に頭を下げる。
「もうしわけありません、繰吟帝」
別に魁が鳴いたからといって舞扇が謝らなければならない理由はないのだが、生真面目な彼は犬の無礼も自分の物と受け取っているようだった。
「舞扇、お前だけに訊くが」
「はい」
「さっき、すぐ背後から人の声が聞こえなかったか?」
舞扇は思わず振り返る。しかしそこには木の壁しかない。
「音が反響したんでしょうか?」
「まさか。それならば私がそうと気づく。いや、なんでもない。気のせいだろう」
そう、それは帝がいるこの部屋で聞こえるはずのない、聞こえてはいけない言葉だった。
『祟ル』
この繰吟を、治める国を呪う恨みの言葉など。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
『神山のつくば』〜古代日本を舞台にした歴史ロマンスファンタジー〜
うろこ道
恋愛
【完結まで毎日更新】
時は古墳時代。
北の大国・日高見国の王である那束は、迫る大和連合国東征の前線基地にすべく、吾妻の地の五国を順調に征服していった。
那束は自国を守る為とはいえ他国を侵略することを割り切れず、また人の命を奪うことに嫌悪感を抱いていた。だが、王として国を守りたい気持ちもあり、葛藤に苛まれていた。
吾妻五国のひとつ、播埀国の王の首をとった那束であったが、そこで残された后に魅せられてしまう。
后を救わんとした那束だったが、后はそれを許さなかった。
后は自らの命と引き換えに呪いをかけ、那束は太刀を取れなくなってしまう。
覡の卜占により、次に攻め入る紀国の山神が呪いを解くだろうとの託宣が出る。
那束は従者と共に和議の名目で紀国へ向かう。山にて遭難するが、そこで助けてくれたのが津久葉という洞窟で獣のように暮らしている娘だった。
古代日本を舞台にした歴史ロマンスファンタジー。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる