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神狩りの巫女 三
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長老の家族と囲む鹿鍋はなかなかおいしかった。戸をすべて開け、夜風を入れても夏に火を囲むのだから当然熱かったが、皆で味わえばその暑さも乙なものがある。
鹿子をもてなすために、特別なときでしか飲まれない貴重な酒が出されている。長老宅は木依を含め五人の孫と一人の息子、その嫁の八人家族で、鹿子達が加わるとにぎやかな食卓になった。
「しかし、驚きました。最初はただ、猪か何かが畑を荒らしている物と思っていましたから」
長老の息子、火次(ほつぎ)が言った。
「まだ安心はできませんよ。さっき説明した通り、木依君を襲っていたのは転じてしまった神様の家来にすぎません。狂ってしまった大元の神様をもとに戻さないと」
噛んでいた肉を飲み込んで鹿子は言う。
「明日、私達がなんとかするんで待っていてください。何が起こるかわからないから、本当は今すぐ祓いにいったほうがいいんですけど、夜は不利なんで」
長老はもう一度お礼を繰り返した。それを耳の端に捕えながら、鹿子は木依のほうをうかがった。
木依はさっきから黙り込んでいる。もう物心は完全についていて、どんな出来事でも忘れてしまえるほど幼くない年令だ。必死で泣くまいとしているのがいじらしい。
皆がこうしているときはいいが、辛いのは夜になって静かになったときだろう。
ふと顔を上げた木依に、鹿子はにっこりと笑ってみせた。
「そうだ、木依君、今日一緒に寝ようか」
木依はびっくりして目を見開いた。
「俺とは?」
ちゃちゃを入れてきた殺嘉を見事に黙殺して、鹿子は木依にもう一度「どう?」と訊いた。木依はこくんとうなずく。
「あんちゃんふられたー」
下から二番目の子供、澄(すみ)が殺嘉をちゃかす。
「ひっでえ、傷心のあんちゃんをいじめないで~」
殺嘉は澄の首筋をくすぐった。澄はきゃははと笑いながら、あぐらをかいている殺嘉の膝をぺしぺしと叩く。
「殺嘉、澄ちゃん、食事中騒がない」
長老の手前、どこまでも根が明るい従者が少し恥ずかしくて、たしなめる鹿子の頬が赤かった。
「殺嘉、僕たちは夜のうちに帝に提出する報告書を書いちゃおう。今夜は月がでるから明るいし」
「へいへい。随分溜まってたからね」
鹿子達祓いは、全員が都にある占司殿(せんしでん)に使える巫女と従者だ。八百万の神の長たる陽神を祭る大社(おおやしろ)では、祓い達に占(うら)で行くべき方向と期間を決められ、祓いの旅にでる。
旅の間にあった祓いや異変は、帝と大社の巫女長(みこおさ)朱(あけ)に書に記し提出する決まりになっている。
「またなんのかんのいって逃げないでよ。こないだは結局僕が全部まとめて……」
言い掛けて、淘汰は口をつぐんだ。鹿子も思わず箸を止める。
どこか遠くで遠吠えが聞こえた。狼にも、犬にも似ているが、微妙に違う。きっと荒ぶる神の物だろう。その声はどこかひどく不吉な響きがあった。
「どうかしましたか?」
「いいえ、なんでもないです」
心配かけまいと、火次の言葉に淘汰が慌てて手を振る。
どうやら気づいたのは祓いの三人だけのようだ。
「心配症なんだよ、淘汰は」
殺嘉が言外に含ませた意味は、二人にもわかった。
昼間、手下がやられて、荒ぶる神の頭も警戒をしている。いくら近くで遠吠えが聞こえても、そうすぐには村へ降りてくる事は無い、と言いたいのだろう。
もちろん、鹿子にもそんな事はわかっている。
鹿子が感じたのは、もっと漠然とした不安だった。この祓いは、いつもと違う。何か嫌な予感がする。
けれど、ここまで来てしまっては、祓いをやめる事も、そんな根拠のないことを口に出す事もできなかった。
個人の部屋などという贅沢な物はなく、板の間に布を垂らし、鹿子の寝室が造られた。
布の向こうでは長老達の家族がざこ寝している。
様々な寝息を聞きながら、鹿子は木依と一緒に一枚の布団にくるまっていた。
食事の間中、木依はずっと黙り込んでいた。もう物心は完全についていて、どんな出来事でも忘れてしまえるほど幼くない年令だ。それで目の前で友達を亡くしてしまった傷が深いのだろう。
皆で賑やかにしているときはいいが、夜の闇と静けさは大人でも耐え難い時がある。だから鹿子は木依と一緒に寝ることにしたのだ。
木依が落ち着かなげに何度も寝返りを打っている。
「眠れないの?」
鹿子が小さな声で聞いた。木依がうなずく気配がした。
「……。ごめんね。友達、助けにいくの間にあわなくて」
木依が首をふる。
「ねえ」
木依の声はかすかだった。
「お姉さんはどうして祓いをしてるの?」
荒ぶる神の鳴き声を思い出し、木依は身を震わせた。
後から追ってくる足音。振るわれた爪を、運よく避けたとき背中に感じた風。立ち向かおうなどと考えることもできなかった。
「怖くないの?」
「んー、戦っているときは怖いなんて思わないな。狂った神様を探しているときは怖いけど」
一度神に襲いかかられれば、恐怖する余裕は無くなる。死にたくないなら首筋に迫る爪を、腕を噛み切ろうとする牙を、叩きつぶそうとそうとする尾を全力で避けなければならない。戦いを終わらせたければ刀を振るしかない。体を動かすだけで精一杯なのだ。
それよりは戦いにおもむくときの方が恐ろしい。神を探して山に分け入るとき、生きて里に戻れるか、などつい考えてしまう。同行してくれる殺嘉や淘汰はどうかわからないけれど。
「怖いのに、なんでやめないの?」
子供らしい、率直な質問だ。
鹿子をもてなすために、特別なときでしか飲まれない貴重な酒が出されている。長老宅は木依を含め五人の孫と一人の息子、その嫁の八人家族で、鹿子達が加わるとにぎやかな食卓になった。
「しかし、驚きました。最初はただ、猪か何かが畑を荒らしている物と思っていましたから」
長老の息子、火次(ほつぎ)が言った。
「まだ安心はできませんよ。さっき説明した通り、木依君を襲っていたのは転じてしまった神様の家来にすぎません。狂ってしまった大元の神様をもとに戻さないと」
噛んでいた肉を飲み込んで鹿子は言う。
「明日、私達がなんとかするんで待っていてください。何が起こるかわからないから、本当は今すぐ祓いにいったほうがいいんですけど、夜は不利なんで」
長老はもう一度お礼を繰り返した。それを耳の端に捕えながら、鹿子は木依のほうをうかがった。
木依はさっきから黙り込んでいる。もう物心は完全についていて、どんな出来事でも忘れてしまえるほど幼くない年令だ。必死で泣くまいとしているのがいじらしい。
皆がこうしているときはいいが、辛いのは夜になって静かになったときだろう。
ふと顔を上げた木依に、鹿子はにっこりと笑ってみせた。
「そうだ、木依君、今日一緒に寝ようか」
木依はびっくりして目を見開いた。
「俺とは?」
ちゃちゃを入れてきた殺嘉を見事に黙殺して、鹿子は木依にもう一度「どう?」と訊いた。木依はこくんとうなずく。
「あんちゃんふられたー」
下から二番目の子供、澄(すみ)が殺嘉をちゃかす。
「ひっでえ、傷心のあんちゃんをいじめないで~」
殺嘉は澄の首筋をくすぐった。澄はきゃははと笑いながら、あぐらをかいている殺嘉の膝をぺしぺしと叩く。
「殺嘉、澄ちゃん、食事中騒がない」
長老の手前、どこまでも根が明るい従者が少し恥ずかしくて、たしなめる鹿子の頬が赤かった。
「殺嘉、僕たちは夜のうちに帝に提出する報告書を書いちゃおう。今夜は月がでるから明るいし」
「へいへい。随分溜まってたからね」
鹿子達祓いは、全員が都にある占司殿(せんしでん)に使える巫女と従者だ。八百万の神の長たる陽神を祭る大社(おおやしろ)では、祓い達に占(うら)で行くべき方向と期間を決められ、祓いの旅にでる。
旅の間にあった祓いや異変は、帝と大社の巫女長(みこおさ)朱(あけ)に書に記し提出する決まりになっている。
「またなんのかんのいって逃げないでよ。こないだは結局僕が全部まとめて……」
言い掛けて、淘汰は口をつぐんだ。鹿子も思わず箸を止める。
どこか遠くで遠吠えが聞こえた。狼にも、犬にも似ているが、微妙に違う。きっと荒ぶる神の物だろう。その声はどこかひどく不吉な響きがあった。
「どうかしましたか?」
「いいえ、なんでもないです」
心配かけまいと、火次の言葉に淘汰が慌てて手を振る。
どうやら気づいたのは祓いの三人だけのようだ。
「心配症なんだよ、淘汰は」
殺嘉が言外に含ませた意味は、二人にもわかった。
昼間、手下がやられて、荒ぶる神の頭も警戒をしている。いくら近くで遠吠えが聞こえても、そうすぐには村へ降りてくる事は無い、と言いたいのだろう。
もちろん、鹿子にもそんな事はわかっている。
鹿子が感じたのは、もっと漠然とした不安だった。この祓いは、いつもと違う。何か嫌な予感がする。
けれど、ここまで来てしまっては、祓いをやめる事も、そんな根拠のないことを口に出す事もできなかった。
個人の部屋などという贅沢な物はなく、板の間に布を垂らし、鹿子の寝室が造られた。
布の向こうでは長老達の家族がざこ寝している。
様々な寝息を聞きながら、鹿子は木依と一緒に一枚の布団にくるまっていた。
食事の間中、木依はずっと黙り込んでいた。もう物心は完全についていて、どんな出来事でも忘れてしまえるほど幼くない年令だ。それで目の前で友達を亡くしてしまった傷が深いのだろう。
皆で賑やかにしているときはいいが、夜の闇と静けさは大人でも耐え難い時がある。だから鹿子は木依と一緒に寝ることにしたのだ。
木依が落ち着かなげに何度も寝返りを打っている。
「眠れないの?」
鹿子が小さな声で聞いた。木依がうなずく気配がした。
「……。ごめんね。友達、助けにいくの間にあわなくて」
木依が首をふる。
「ねえ」
木依の声はかすかだった。
「お姉さんはどうして祓いをしてるの?」
荒ぶる神の鳴き声を思い出し、木依は身を震わせた。
後から追ってくる足音。振るわれた爪を、運よく避けたとき背中に感じた風。立ち向かおうなどと考えることもできなかった。
「怖くないの?」
「んー、戦っているときは怖いなんて思わないな。狂った神様を探しているときは怖いけど」
一度神に襲いかかられれば、恐怖する余裕は無くなる。死にたくないなら首筋に迫る爪を、腕を噛み切ろうとする牙を、叩きつぶそうとそうとする尾を全力で避けなければならない。戦いを終わらせたければ刀を振るしかない。体を動かすだけで精一杯なのだ。
それよりは戦いにおもむくときの方が恐ろしい。神を探して山に分け入るとき、生きて里に戻れるか、などつい考えてしまう。同行してくれる殺嘉や淘汰はどうかわからないけれど。
「怖いのに、なんでやめないの?」
子供らしい、率直な質問だ。
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