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バスジャック!2
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カーテンが引かれ、薄暗いバスの中は、不自然に静まり返っていた。中年の夫婦、友人同士のグループ、恋人同士の男女。誰もが口を硬く結び、不安げに目をだけをギョロつかせている。
ちょっとしたハイキングツアーを楽しむはずなのに、命の危機にさらされることになったのだから、当然の反応だろう。
外部と連絡が取れないよう、客たちのスマホは前に集められ、小さな山を作っている。
赤茶色い髪を顎(あご)までたらした、背の高い男が座席の間を歩き回っていた。血走った目をすきなく動かしている。手に持った山刀が、時折ギラリと光を反射する。
二人組の犯人のうち、一人は差し入れを取りに行っている。だが、見張りが一人になったからといって、相手があんな凶器を持っていては、人質達はそれが自分に振り降ろされないよう祈るしかない。
黄色いウィンドブレーカーを着た女性が、こらえ切れなかったようで小さく咳をした。
赤毛に睨まれ、ヒッと息を呑む。
「大丈夫?」
隣に座っていた女性が、小声で話しかけた。
ラフなトレーナーにタイトなズボン、パンプスという、露出どころかろくな飾りもない服装のはずなのに、どこか妖艶な雰囲気があった。一つに結ばれた、腰まである黒い髪は艶やかで美しい。
この状況にも関わらず、まるで退屈でもしているように人差し指にはめた指輪をもてあそんでいる。
ウィンドブレーカーの女性は小さくうなずいた。
「あ、ありがとう。天音(あまね)さん」
黒髪の女性、天音は微笑みを浮かべてうなずいた。
余裕のあるその様子に、ウィンドブレーカーの女性は少し驚いたようだった。
「あなた、ずいぶん落ち着いているのね」
天音はくすりと笑った。唇のはしから、真珠の光沢を持つ八重歯の先がかすかにのぞいている。
「そんなことないわ、私だって怖い……」
「うるさいぞ、そこ!」
赤毛の怒鳴り声に、二人は身をすくめた。
見せつけるように山刀を裏表にひらめかせながら、犯人が近寄ってきた。ブーツの底が硬い床を鳴らす。
パーカーの女性が、顔を両手で覆う。
周りの乗客の誰かが、大きく息を呑んだ。
突然バスのドアがノックされ、犯人は女達から顔をあげる。
差し入れを受取りに行った犯人の一人が戻って来たのだろう。
赤毛はドアへと向かう。
とりあえず命の危機から遠ざかり、ウィンドブレーカーの女性が、大きく溜息をついた。
「開けろ!」
犯人が命じた。
こめかみに冷汗を垂らした運転手が無言でうなずく。ブシュッと排気の音が響いて扉が開く。
二つの袋を両手に持ち、犯人の一人が戻ってきた。
「ほら、差し入れ受け取ってきたぜ」
床にどさっとビニール袋が置かれる。
「よかったなあ、喉乾いただろう」
さっきまで人質を監視していた男が、小馬鹿にしたように座席を見渡した。
そんな事を言われても、人質は微笑み返す余裕なんてない。時折顔を見合わせ、怯えるように犯人達の様子をうかがうだけだ。
タンクトップの男が袋の中のペットボトルを取ろうと手を伸ばした時。
突然、まったく、なんの前振りもなく、青年が中空に現れ、袋の上に着地した。顔にはガスマスク。ピンクのパーカーに、だぶだぶのズボン。
スニーカーに踏みつけられたペットボトルが、ぺきっと音を立てた。歪んたフタの隙間から、茶が床に広がった。
「な、な、なんだお前は! どこからわいてきた!」
赤毛の犯人が悲鳴めいた叫びをあげる。
しゃがみこんだ恰好のまま、ケイは顔をあげた。黙ったまま、催涙弾のピンを引き抜く。黒い球が犯人の足元に転がる。
小型の噴水のように白い煙が吹きあがった。煙は瞬く間に広がって、視界を白く塗りつぶさんばかりになる。
人質達が悲鳴をあげた。
犯人二人が胸を病んだ者のように苦し気な咳を始める。人質の中にも数人、巻き添えをくった者もいるようだ。
晴れてきた霧の中、ケイは視線を感じた。
白に浮かび上がる、黒い髪の女性。かかとの高いパンプスは、ほとんど白い煙に覆われている。
(おや……?)
こんな状況だ。普通、その目に表れる感情は、恐怖か驚きであるはずだ。だが、茶色い瞳には柔らかに問いかけるような色が浮かんでいた。手持ぶさたというように、指輪をいじっている。
表情のほかにも、何かが変だ。
違和感を覚えたが、今のケイにその原因を突き止めている余裕はない。
霧は床近くまで沈み、だいぶ視界は晴れたものの、まだ犯人と人質の咳は鳴り響いている。
「運転手さん、ドア開けて!」
ケイは、何が起きたのか分からずポカンとしている運転手に指示を飛ばす。マスクのせいで声はくぐもっていたが、きちんと聞こえたらしい。
開いたドアから身を乗りだし、ケイは手で外に合図をした。そして入って来る警官のジャマにならないよう、隅へ身をよせる。
警官隊が乗り込む靴音がドカドカと響いた。さすが、訓練された無駄のない動きだ。
犯人は二人とも、催涙弾で体を折るようにしてせき込んでいる。きつく閉じた目には涙がにじんでいる。
それでも自分を捕えようと近づいてくる集団の気配は感じられるのだろう、タンクトップの男は手で何かを振り払うようなしぐさをしている。赤毛の男は、無我夢中で走りだして、座席の上に倒れ込んだ。
警官隊の中の数人が駆け寄り、あっという間に二人を確保した。
手錠をかけられ、連れていかれる犯人達は苦しそうなうめき声を上げる。
「犯人確保!」
誇らしげな報告が響く。
「人質の皆さん、外へ!」
警官隊の一人が誘導を始める。
「ああ、助かった」
「今の煙は何?」
思い思い、溜息や心のうちを口から漏らしながら、人質達は皆よろよろと立ち上がり、外へと向かう。
人質のおじさんが一人立ち止まり、警官の一人に訴えた。
「い、今、今、いきなり人が現れて……ピンクの服を着た……」
ついさっきケイが立っていた場所を指さす。だが、そこに目当ての人物はいなかった。
外に向かって進む行列が滞って、後ろのおばさんが不満そうな声を上げる。
「ほら、早く!」
警官隊にせっつかれ、おじさんも首を傾げながら外へと出て行った。
バスの外に出た警官隊と人質たちに、まぶしいほどのフラッシュが浴びせられた。
「あ、今、人質が解放されたようです!」
遠くで、リポーターが叫ぶ声がした。
バンの後部座席が、ぼすっと音を立てた。空気中から現れたケイが、シートの上に腰を下ろして笑っていた。
「はい。ただいま帰りましたよ」
ケイはガスマスクを取ると、手首まであるパーカーの袖で顔をぬぐった。自分の服についた催涙ガスの残りが少し鼻にツンとする。
「はいよ、ご苦労様でした」
黒川が、マスクを回収する。
「いや~疲れた疲れた。んじゃ、僕は帰りますよ~」
ケイは「う~ん」と伸びをする。
「おう、ご苦労だったな。帰りは近くまで送らせるよ。大事な協力者だからな」
「おお、ありがと~」
「それにしても、人質になった人は災難だったなあ。せっかくのハイキングツアーだったのに、バスジャックに巻き込まれるなんて」
黒川の言葉で、ふいにさっき見た人質の一人がケイの頭に浮かんだ。
茶色い瞳が印象的な、黒い髪の女性。別に惹かれたとか、そういうことではない。なんだか、違和感があったのだ。あの人があの場にいるのはおかしい、といったような。
でも、なんでだろう?
「おい、ケイ」
違和感の正体をつかむ前に、黒川に話しかけられた。
「ケガしてるのか? イスに血がついてるぞ」
「え?」
言われてみれば、座面に親指の先ほどの血のシミがついている。
「ああ、別に犯人と戦ってケガしたわけじゃないさ」
そういって、ケイは手を広げて見せた。
ケイの親指は、先がタコのように硬くなっていた。そこに浅い傷があり、固まりかけた血がついている。何かの拍子にそれがついたのだろう。
「なんだ、また親指噛んだのか。いい加減やめろよ、子供じゃないんだから」
傷が痛そうと思ったのか、子供じみたケイの振る舞いからか、黒川は顔をしかめた。
「治そうと思ってはいるんだけど、癖でね~」
洋画をマネて、ケイは大げさに肩をすくめて見せた。
「まあいいや、とにかく送るよ。このバンはまだ事後処理で使うから、他の車に移ってくれ」
「はいはい」
そう言って、ケイはバンを出ていった。
ちょっとしたハイキングツアーを楽しむはずなのに、命の危機にさらされることになったのだから、当然の反応だろう。
外部と連絡が取れないよう、客たちのスマホは前に集められ、小さな山を作っている。
赤茶色い髪を顎(あご)までたらした、背の高い男が座席の間を歩き回っていた。血走った目をすきなく動かしている。手に持った山刀が、時折ギラリと光を反射する。
二人組の犯人のうち、一人は差し入れを取りに行っている。だが、見張りが一人になったからといって、相手があんな凶器を持っていては、人質達はそれが自分に振り降ろされないよう祈るしかない。
黄色いウィンドブレーカーを着た女性が、こらえ切れなかったようで小さく咳をした。
赤毛に睨まれ、ヒッと息を呑む。
「大丈夫?」
隣に座っていた女性が、小声で話しかけた。
ラフなトレーナーにタイトなズボン、パンプスという、露出どころかろくな飾りもない服装のはずなのに、どこか妖艶な雰囲気があった。一つに結ばれた、腰まである黒い髪は艶やかで美しい。
この状況にも関わらず、まるで退屈でもしているように人差し指にはめた指輪をもてあそんでいる。
ウィンドブレーカーの女性は小さくうなずいた。
「あ、ありがとう。天音(あまね)さん」
黒髪の女性、天音は微笑みを浮かべてうなずいた。
余裕のあるその様子に、ウィンドブレーカーの女性は少し驚いたようだった。
「あなた、ずいぶん落ち着いているのね」
天音はくすりと笑った。唇のはしから、真珠の光沢を持つ八重歯の先がかすかにのぞいている。
「そんなことないわ、私だって怖い……」
「うるさいぞ、そこ!」
赤毛の怒鳴り声に、二人は身をすくめた。
見せつけるように山刀を裏表にひらめかせながら、犯人が近寄ってきた。ブーツの底が硬い床を鳴らす。
パーカーの女性が、顔を両手で覆う。
周りの乗客の誰かが、大きく息を呑んだ。
突然バスのドアがノックされ、犯人は女達から顔をあげる。
差し入れを受取りに行った犯人の一人が戻って来たのだろう。
赤毛はドアへと向かう。
とりあえず命の危機から遠ざかり、ウィンドブレーカーの女性が、大きく溜息をついた。
「開けろ!」
犯人が命じた。
こめかみに冷汗を垂らした運転手が無言でうなずく。ブシュッと排気の音が響いて扉が開く。
二つの袋を両手に持ち、犯人の一人が戻ってきた。
「ほら、差し入れ受け取ってきたぜ」
床にどさっとビニール袋が置かれる。
「よかったなあ、喉乾いただろう」
さっきまで人質を監視していた男が、小馬鹿にしたように座席を見渡した。
そんな事を言われても、人質は微笑み返す余裕なんてない。時折顔を見合わせ、怯えるように犯人達の様子をうかがうだけだ。
タンクトップの男が袋の中のペットボトルを取ろうと手を伸ばした時。
突然、まったく、なんの前振りもなく、青年が中空に現れ、袋の上に着地した。顔にはガスマスク。ピンクのパーカーに、だぶだぶのズボン。
スニーカーに踏みつけられたペットボトルが、ぺきっと音を立てた。歪んたフタの隙間から、茶が床に広がった。
「な、な、なんだお前は! どこからわいてきた!」
赤毛の犯人が悲鳴めいた叫びをあげる。
しゃがみこんだ恰好のまま、ケイは顔をあげた。黙ったまま、催涙弾のピンを引き抜く。黒い球が犯人の足元に転がる。
小型の噴水のように白い煙が吹きあがった。煙は瞬く間に広がって、視界を白く塗りつぶさんばかりになる。
人質達が悲鳴をあげた。
犯人二人が胸を病んだ者のように苦し気な咳を始める。人質の中にも数人、巻き添えをくった者もいるようだ。
晴れてきた霧の中、ケイは視線を感じた。
白に浮かび上がる、黒い髪の女性。かかとの高いパンプスは、ほとんど白い煙に覆われている。
(おや……?)
こんな状況だ。普通、その目に表れる感情は、恐怖か驚きであるはずだ。だが、茶色い瞳には柔らかに問いかけるような色が浮かんでいた。手持ぶさたというように、指輪をいじっている。
表情のほかにも、何かが変だ。
違和感を覚えたが、今のケイにその原因を突き止めている余裕はない。
霧は床近くまで沈み、だいぶ視界は晴れたものの、まだ犯人と人質の咳は鳴り響いている。
「運転手さん、ドア開けて!」
ケイは、何が起きたのか分からずポカンとしている運転手に指示を飛ばす。マスクのせいで声はくぐもっていたが、きちんと聞こえたらしい。
開いたドアから身を乗りだし、ケイは手で外に合図をした。そして入って来る警官のジャマにならないよう、隅へ身をよせる。
警官隊が乗り込む靴音がドカドカと響いた。さすが、訓練された無駄のない動きだ。
犯人は二人とも、催涙弾で体を折るようにしてせき込んでいる。きつく閉じた目には涙がにじんでいる。
それでも自分を捕えようと近づいてくる集団の気配は感じられるのだろう、タンクトップの男は手で何かを振り払うようなしぐさをしている。赤毛の男は、無我夢中で走りだして、座席の上に倒れ込んだ。
警官隊の中の数人が駆け寄り、あっという間に二人を確保した。
手錠をかけられ、連れていかれる犯人達は苦しそうなうめき声を上げる。
「犯人確保!」
誇らしげな報告が響く。
「人質の皆さん、外へ!」
警官隊の一人が誘導を始める。
「ああ、助かった」
「今の煙は何?」
思い思い、溜息や心のうちを口から漏らしながら、人質達は皆よろよろと立ち上がり、外へと向かう。
人質のおじさんが一人立ち止まり、警官の一人に訴えた。
「い、今、今、いきなり人が現れて……ピンクの服を着た……」
ついさっきケイが立っていた場所を指さす。だが、そこに目当ての人物はいなかった。
外に向かって進む行列が滞って、後ろのおばさんが不満そうな声を上げる。
「ほら、早く!」
警官隊にせっつかれ、おじさんも首を傾げながら外へと出て行った。
バスの外に出た警官隊と人質たちに、まぶしいほどのフラッシュが浴びせられた。
「あ、今、人質が解放されたようです!」
遠くで、リポーターが叫ぶ声がした。
バンの後部座席が、ぼすっと音を立てた。空気中から現れたケイが、シートの上に腰を下ろして笑っていた。
「はい。ただいま帰りましたよ」
ケイはガスマスクを取ると、手首まであるパーカーの袖で顔をぬぐった。自分の服についた催涙ガスの残りが少し鼻にツンとする。
「はいよ、ご苦労様でした」
黒川が、マスクを回収する。
「いや~疲れた疲れた。んじゃ、僕は帰りますよ~」
ケイは「う~ん」と伸びをする。
「おう、ご苦労だったな。帰りは近くまで送らせるよ。大事な協力者だからな」
「おお、ありがと~」
「それにしても、人質になった人は災難だったなあ。せっかくのハイキングツアーだったのに、バスジャックに巻き込まれるなんて」
黒川の言葉で、ふいにさっき見た人質の一人がケイの頭に浮かんだ。
茶色い瞳が印象的な、黒い髪の女性。別に惹かれたとか、そういうことではない。なんだか、違和感があったのだ。あの人があの場にいるのはおかしい、といったような。
でも、なんでだろう?
「おい、ケイ」
違和感の正体をつかむ前に、黒川に話しかけられた。
「ケガしてるのか? イスに血がついてるぞ」
「え?」
言われてみれば、座面に親指の先ほどの血のシミがついている。
「ああ、別に犯人と戦ってケガしたわけじゃないさ」
そういって、ケイは手を広げて見せた。
ケイの親指は、先がタコのように硬くなっていた。そこに浅い傷があり、固まりかけた血がついている。何かの拍子にそれがついたのだろう。
「なんだ、また親指噛んだのか。いい加減やめろよ、子供じゃないんだから」
傷が痛そうと思ったのか、子供じみたケイの振る舞いからか、黒川は顔をしかめた。
「治そうと思ってはいるんだけど、癖でね~」
洋画をマネて、ケイは大げさに肩をすくめて見せた。
「まあいいや、とにかく送るよ。このバンはまだ事後処理で使うから、他の車に移ってくれ」
「はいはい」
そう言って、ケイはバンを出ていった。
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