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赤
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普段はLINEかメールで連絡をやり合っているシュウジから、珍しく着信が入ったのは、休日の朝もまだ早い時間だった。
「どうした、シュウジ」
呼びかけたが、返事がない。わざわざ電話ということは、なにか重要な用があるのだろうに。
「おーい?」
もう一度呼び掛けてみると、少しの間(ま)。それから、かすれた声が聞こえてきた。
「あ……がと」
よく聞き取れなかったが、多分『ありがとう』と言ったのだろう。そして電話が切れた。
そのプツッという音が妙に心をざわつかせ、不安な予感を掻き立てた。それにせかされるようにして、俺はシュウジのアパートにむかった。
ノックも忘れ、俺はシュウジの部屋のドアノブに手をかける。カギはかかっておらず、ドアはあっさりと開いた。
「おい、シュウジ?」
彼が居間代わりにしていた部屋に飛び込む。目の前に、爪先が浮かんでいた。きれいとは言えないガサガサの足。見上げると、シュウジが宙に浮いている。いや、浮いているのではない。ロフトから伸びる黒いヒモで首を吊っているのだ。
「うわああ!」
呆然としていたのは一瞬だったと思う。すぐにハシゴを駆け登る。ロフトについた途端、掃除機に足を取られて転びそうになる。
近づいてみて分かったが、黒いヒモだと思ったものは、電気コードだった。どこからどうやって引っこ抜いたのか、シュウジはコードをロフトの手すりにひっかけ、その両端をむすび、その輪に首を突っ込んだ形でぶら下がっていた。
とっさに俺はコードの結び目をほどこうとした。けれど硬く複雑な結び方をしていてなかなかほどくことができない。指が痛くなり、爪がはがれるんじゃないかと思ったところでようやくコードがほどけた。
ゴトリという音をたてて、シュウジは放り出された人形のように床に落ちた。
「しまった!」
ヒモがほどければそうなるに決まっている。はやく助けなければという一心でそんな簡単なことを忘れていた。
慌ててハシゴを降りる。落ちた衝撃で骨折とかしていなければいいが。けれど俺の心配はまったく無意味な物だった。
倒れているシュウジの肩に手をかけ、揺さぶってもなんの反応はなかった。口元に手をやっても、息をしている様子はない。多分もう手遅れた。だとしたら、骨折してももう痛みを感じないだろう。
取りあえず警察に連絡しないと。俺は震える手でスマートフォンを手に取った。
警察の調べによると、シュウジは遺書を遺していたらしい。おかげで第一発見者でしかも遺体を動かしたにもかかわらず俺は疑われずにすんだ。
電気コードは俺がつまずいたあの掃除機の物だった。なんでわざわざそんな物で、と思ったが、警察はヒモが切れて失敗するのを恐れ、頑丈なコードを選んだのだろうと言っていた。
「でも、なんで自殺なんて……」
シュウジの恋人のカホは、ひどく泣きじゃくっていた。 喫茶店で長い話をするためにお義理で頼んだコーヒーがその目の前で冷めていく。
カホと俺は、シュウジを通して知り合った。だから二人が仲がよかったのを俺も知っている。だから、辛いけれどシュウジが自殺したことを伝えるのは俺の仕事だった。本当はもう一人、共通の友人であるヤスヒロも来るはずだが、遅れてくることになっている。
「なんで自殺なんか」というカホの疑問も無理はない。シュウジの遺書は『なんだか生きることが嫌になった』というなんとも漠然とした物だった。俺は、ぼんやりとまるでどこかの文豪のようだと思った。
「きっと、本人にしか分からない理由があったんだよ。そうでなければカホを置いて逝くわけはない」
我ながら適当なことを言っていると思う。
「でも、悩みがあるなら一言ぐらい私に何かあっても……」
カホはテーブルの上に突っ伏した。泣いているのだろう、肩が震えている。
かける言葉も見つからず、俺はしばらく黙っていた。
「ごめんね、少し気分が悪いの。悪いけど、一人になりたい。帰らせてもらうね」
ようやく上げられたカホの顔色は、確かに真っ蒼になっていた。
カホは席に置かれたバッグを手に取った。
「ああ、気をつけてな。送っていくべきなんだろうけど、まだヤスヒロが来るから」
カホが店を出ていったあとしばらくして、ヤスヒロがやってきた。
「ごめん、遅れて。あれ? カホは?」
「もう帰った。気持ちが悪いって」
そう語る俺の様子から、ただならないものを感じたのだろう。ヤスヒロが改まった顔をした。
「で、なんだよ話って?」
俺がシュウジの自殺を告げると、ヤスヒロは絶句した。
「マジかよ……」
それからはカホと話した会話の繰り返しだった。シュウジがなんで死んでしまったのかなげき、そんなに追い詰められていたならなんで自分達に相談をしてくれなかったのか、とシュウジの水臭さを嘆く。そして、しばらく二人とも押し黙った。
ふいにヤスヒロが俺の袖を指さした。
「おい、それ、ひょっとして血か?」
言われた所をみると、たしかに小さく赤い物がついている。
「あ、ああ、血じゃない、ただのゴミだよ」
俺はそのゴミを指でつまみ取った。
それは赤いテープだった。きっと、掃除機のコードを引き出すとかならず最後に巻いてあるアレだろう。コードをほどこうと必死になったとき、知らないうちにはがれて服に引っ付いたのだ。シュウジを殺した道具の一欠けら。だいぶ長い間使われていたらしく、全体的に赤色がかすれている。
(え……)
俺はビクッと体をこわばらせた。
そのテープは、よく見ると赤いのでも、色がかすれているのでもなかった。
白地に、針で書いたような細かな赤い文字がビッシリと並んでいる。かすれているように見えたのは、文字と文字とのかすかな隙間だ。そして、書かれている文字は明らかになんらかの呪文のようで、俺には読むことができなかった。
(まさか……)
シュウジから何か悩み事があるとは本人からも他人からも聞いたことはなかった。
死んだ理由が悩みでないのなら、彼はこの呪いにからめとられて自殺してしまったのでは。
俺がそんなことを考えているのに気づくはずもなく、ヤスヒロは言う。
「でも、ホント心配だよ、カホのことが。シュウジの奴、なにもカホからもらった掃除機のコードで首を吊らなくてもいいのになあ」
「……え?」
「何だよ、そのキョトンとした顔は。知らなかったのか? あの掃除機は、カホからのプレゼントだよ。シュウジが『掃除機が壊れて困っている』ってきいて、カホが新しいのを買ってやったんだってさ」
なんだか、軽いめまいがして、足元の床がふわふわと頼りない物に変わった気がした。
(じゃ、じゃあこの呪文を書いたのはカホ?)
ついさっき見た、肩を震わせ突っ伏して泣いている彼女の姿、
ひょっとして、泣いているのではなく笑って肩が震えているのだとしたら?
カホは、針の先端にインクをつけ、ブツブツと呪いの言葉を吐きながら呪文を書いていたのだろうか。背を丸めるようにして、一文字一文字。そしてそれを、本来の赤いテープと張り替えておいた?
何か、理由があったのだとは思う。カホに好きな男ができたとか、まさかとは思うが実はシュウジに暴力を振るわれていたとか。
だが、俺はその理由を知りたいとは思わなかった。どうせ、吐き気がするくらい醜悪なものに違いないから。
俺は、そのテープを引きちぎり、丸めると、紙ナプキンのゴミと一緒にまとめて捨てた。
「どうした、シュウジ」
呼びかけたが、返事がない。わざわざ電話ということは、なにか重要な用があるのだろうに。
「おーい?」
もう一度呼び掛けてみると、少しの間(ま)。それから、かすれた声が聞こえてきた。
「あ……がと」
よく聞き取れなかったが、多分『ありがとう』と言ったのだろう。そして電話が切れた。
そのプツッという音が妙に心をざわつかせ、不安な予感を掻き立てた。それにせかされるようにして、俺はシュウジのアパートにむかった。
ノックも忘れ、俺はシュウジの部屋のドアノブに手をかける。カギはかかっておらず、ドアはあっさりと開いた。
「おい、シュウジ?」
彼が居間代わりにしていた部屋に飛び込む。目の前に、爪先が浮かんでいた。きれいとは言えないガサガサの足。見上げると、シュウジが宙に浮いている。いや、浮いているのではない。ロフトから伸びる黒いヒモで首を吊っているのだ。
「うわああ!」
呆然としていたのは一瞬だったと思う。すぐにハシゴを駆け登る。ロフトについた途端、掃除機に足を取られて転びそうになる。
近づいてみて分かったが、黒いヒモだと思ったものは、電気コードだった。どこからどうやって引っこ抜いたのか、シュウジはコードをロフトの手すりにひっかけ、その両端をむすび、その輪に首を突っ込んだ形でぶら下がっていた。
とっさに俺はコードの結び目をほどこうとした。けれど硬く複雑な結び方をしていてなかなかほどくことができない。指が痛くなり、爪がはがれるんじゃないかと思ったところでようやくコードがほどけた。
ゴトリという音をたてて、シュウジは放り出された人形のように床に落ちた。
「しまった!」
ヒモがほどければそうなるに決まっている。はやく助けなければという一心でそんな簡単なことを忘れていた。
慌ててハシゴを降りる。落ちた衝撃で骨折とかしていなければいいが。けれど俺の心配はまったく無意味な物だった。
倒れているシュウジの肩に手をかけ、揺さぶってもなんの反応はなかった。口元に手をやっても、息をしている様子はない。多分もう手遅れた。だとしたら、骨折してももう痛みを感じないだろう。
取りあえず警察に連絡しないと。俺は震える手でスマートフォンを手に取った。
警察の調べによると、シュウジは遺書を遺していたらしい。おかげで第一発見者でしかも遺体を動かしたにもかかわらず俺は疑われずにすんだ。
電気コードは俺がつまずいたあの掃除機の物だった。なんでわざわざそんな物で、と思ったが、警察はヒモが切れて失敗するのを恐れ、頑丈なコードを選んだのだろうと言っていた。
「でも、なんで自殺なんて……」
シュウジの恋人のカホは、ひどく泣きじゃくっていた。 喫茶店で長い話をするためにお義理で頼んだコーヒーがその目の前で冷めていく。
カホと俺は、シュウジを通して知り合った。だから二人が仲がよかったのを俺も知っている。だから、辛いけれどシュウジが自殺したことを伝えるのは俺の仕事だった。本当はもう一人、共通の友人であるヤスヒロも来るはずだが、遅れてくることになっている。
「なんで自殺なんか」というカホの疑問も無理はない。シュウジの遺書は『なんだか生きることが嫌になった』というなんとも漠然とした物だった。俺は、ぼんやりとまるでどこかの文豪のようだと思った。
「きっと、本人にしか分からない理由があったんだよ。そうでなければカホを置いて逝くわけはない」
我ながら適当なことを言っていると思う。
「でも、悩みがあるなら一言ぐらい私に何かあっても……」
カホはテーブルの上に突っ伏した。泣いているのだろう、肩が震えている。
かける言葉も見つからず、俺はしばらく黙っていた。
「ごめんね、少し気分が悪いの。悪いけど、一人になりたい。帰らせてもらうね」
ようやく上げられたカホの顔色は、確かに真っ蒼になっていた。
カホは席に置かれたバッグを手に取った。
「ああ、気をつけてな。送っていくべきなんだろうけど、まだヤスヒロが来るから」
カホが店を出ていったあとしばらくして、ヤスヒロがやってきた。
「ごめん、遅れて。あれ? カホは?」
「もう帰った。気持ちが悪いって」
そう語る俺の様子から、ただならないものを感じたのだろう。ヤスヒロが改まった顔をした。
「で、なんだよ話って?」
俺がシュウジの自殺を告げると、ヤスヒロは絶句した。
「マジかよ……」
それからはカホと話した会話の繰り返しだった。シュウジがなんで死んでしまったのかなげき、そんなに追い詰められていたならなんで自分達に相談をしてくれなかったのか、とシュウジの水臭さを嘆く。そして、しばらく二人とも押し黙った。
ふいにヤスヒロが俺の袖を指さした。
「おい、それ、ひょっとして血か?」
言われた所をみると、たしかに小さく赤い物がついている。
「あ、ああ、血じゃない、ただのゴミだよ」
俺はそのゴミを指でつまみ取った。
それは赤いテープだった。きっと、掃除機のコードを引き出すとかならず最後に巻いてあるアレだろう。コードをほどこうと必死になったとき、知らないうちにはがれて服に引っ付いたのだ。シュウジを殺した道具の一欠けら。だいぶ長い間使われていたらしく、全体的に赤色がかすれている。
(え……)
俺はビクッと体をこわばらせた。
そのテープは、よく見ると赤いのでも、色がかすれているのでもなかった。
白地に、針で書いたような細かな赤い文字がビッシリと並んでいる。かすれているように見えたのは、文字と文字とのかすかな隙間だ。そして、書かれている文字は明らかになんらかの呪文のようで、俺には読むことができなかった。
(まさか……)
シュウジから何か悩み事があるとは本人からも他人からも聞いたことはなかった。
死んだ理由が悩みでないのなら、彼はこの呪いにからめとられて自殺してしまったのでは。
俺がそんなことを考えているのに気づくはずもなく、ヤスヒロは言う。
「でも、ホント心配だよ、カホのことが。シュウジの奴、なにもカホからもらった掃除機のコードで首を吊らなくてもいいのになあ」
「……え?」
「何だよ、そのキョトンとした顔は。知らなかったのか? あの掃除機は、カホからのプレゼントだよ。シュウジが『掃除機が壊れて困っている』ってきいて、カホが新しいのを買ってやったんだってさ」
なんだか、軽いめまいがして、足元の床がふわふわと頼りない物に変わった気がした。
(じゃ、じゃあこの呪文を書いたのはカホ?)
ついさっき見た、肩を震わせ突っ伏して泣いている彼女の姿、
ひょっとして、泣いているのではなく笑って肩が震えているのだとしたら?
カホは、針の先端にインクをつけ、ブツブツと呪いの言葉を吐きながら呪文を書いていたのだろうか。背を丸めるようにして、一文字一文字。そしてそれを、本来の赤いテープと張り替えておいた?
何か、理由があったのだとは思う。カホに好きな男ができたとか、まさかとは思うが実はシュウジに暴力を振るわれていたとか。
だが、俺はその理由を知りたいとは思わなかった。どうせ、吐き気がするくらい醜悪なものに違いないから。
俺は、そのテープを引きちぎり、丸めると、紙ナプキンのゴミと一緒にまとめて捨てた。
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