夢幻怪浪

三塚 章

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胎洞様(たいどうさま)

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 僕の犬、ココアが死にかけたのは冬のことだった。体の中に悪いできものができたとかで、手術をしたけれど食欲がなくなり、大好きな散歩もいける状態ではなかった。
 僕の家族は東京からこの山あいの町に引っ越してきたんだけど、ココアは東京にいたときからずっと一緒だった友達だ。それがもしかしたらこのまま死んでしまうかもしれない。そう思うと悲しくて、誰にも会いたくなくて、僕は山道に座り込んで一人でべそをかいていた。
 もう夕方で、空はだんだんと暗くなりかけている。もうすぐ周りの草や木も見えなくなるのだろう。
「何やってるの?」
 声がして、僕はそっちの方に顔を向けた。
 長い髪に、スッとした細い目。そして、ぼろぼろのセーターとスカートを着ている女の子が立っている。
「ああ、早苗ちゃん」
 早苗ちゃんには美穂ちゃんという双子の姉がいる。顔も体つきもそっくりで、顔だけ見たらクラスメイトも間違えるくらいだ。
 でも、二人を見分けるのは簡単だ。早苗ちゃんはいつも少し古い服を着ている。美穂ちゃんはかわいい、いい服を着ている。
 前そのことを早苗ちゃんに言うと、彼女は少し悲しそうな顔で「母さんは美穂ちゃんには新しい服を買ってくれるけど、私には美穂ちゃんのおさがりしかくれないの」と言っていた。
「どうかしたの? 元気ないけど」
 早苗ちゃんは心配そうに声をかけてくれた。
「ココアが死にそうなんだ」
「そうなの?」
 そう言うと、なぜか彼女はほかにそれを聞いている人がいないか確認するように周りをみまわした。
「だったら、胎洞(たいどう)様にお願いすればいいわ」
「たいどうさま?」
「ああ、あなたは引っ越してきたから知らないのね。ケガとか、病気をした人を治すおまじないよ。ええと、この山の真ん中あたりに胎洞のほら穴があって……」
「早苗!」
 急に真横から大きな声がした。
 ふもとのほうで、早苗ちゃんのお母さんがどなっている。
「このグズ! どこ遊び歩いてるの! 早く帰って掃除しなさい! 私のお姉ちゃんはレストランにいくんだから!」
「は、はい!」
 そういって、早苗ちゃんはお母さんの所へ行ってしまった。だから僕は、そのとき胎洞様のことを詳しくは聞けなかった。

 結局、それからも機会がなくて胎洞様のことは聞けなかったけれど、ココアは少しずつ元気になっていった。餌も食べられるようになったし、歩けるようにもなった。もう少しすれば走れるようになると獣医さんも約束してくれた。
 でも、そのためには少しずつ運動をして、弱った体をもとに戻さないといけないらしい。
 僕はキャリーの中にココアを入れて、山に向かった。車が通るコンクリートの道よりも、やわらかい土の上の方が体によさそうだと思ったからだ。
 少し開けている場所に出ると、僕はキャリーのフタを開けた。
「さ、遊んでいいよ」
 よたよたとココアは地面を歩きだした。
 僕がその様子を見守っていると、「ギャッ!」という悲鳴がした。遊んでいる時に誰かがふざけてあげるのとは違う、本当に怖いことが起こったときの叫び声だった。
 どうしようか少し迷って、僕は結局ココアを抱いて悲鳴のした方へ走った。
 山道を登っていくと、誰かが空を見るように地面に倒れていた。黒い髪に、切れ長の目。それに、真新しい服。早苗ちゃんとよくにているが、違う。
「美穂ちゃん!」
 彼女の頭は血で真っ赤だった。首にもざっくりと大きな傷がある。拳三つ分ぐらいの石が頭のすぐ隣で半分埋まっていた。
 太い枝が近くに落ちている。それを見て僕はそばの木を見上げた。
 上の方の枝に、帽子が引っかかっている。そしてその少し下にある枝が折れていた。
 きっと、風に飛ばされた帽子を取ろうとして木に登り、枝を折って落ちてしまったのだろう。首はそのときに切ったに違いない。そして地面に倒れたとき、そこにあった石に頭を打ち付けてしまったのだ。
「わ、わああ」
 僕はスマホを取り出すと、自分の家に電話をかけた。本当だったらすぐ救急車を呼べばよかったのだけれど、びっくりしてしまって、お母さんかお父さんに伝えなくちゃとしか考えられなかった。
 呼び出しの音がすごく長い間鳴り続けているように思えた。ようやく電話を取ったお母さんに、僕は必死に目の前の事を話そうとした。けれど、頭の中がごちゃごちゃになって、なかなかうまく言葉がでなかった。

 美穂ちゃんは診療所に運ばれた。もちろん、美穂ちゃんの家にも連絡がいった。美穂ちゃんの両親は、手当をしてもらった後で美穂ちゃんを家に連れて戻ったという。
「ねえ、美穂ちゃん、あんなに大ケガしてたのに、入院しないで大丈夫なの?」
「え、ええ……そうね。お医者様が大丈夫って言ったんでしょうし、平気なんじゃないかしら」
 僕が聞くと、お母さんはなぜか顔をそむけた。
 その言い方で、美穂ちゃんはやっぱりだいぶ危ないのだろうと分かった。
「ねえ、そうだ。胎洞様って?」
 ココアが死にそうになったときに早苗ちゃんが言ったことを僕は思い出した。
    
 そのお呪(まじな)いがケガや病気に効くものなら、美穂ちゃんを助けることができるんじゃないか?
 実は、僕は美穂ちゃんのことが好きなんだ。
「ああ、聞いたことがあるよ。このあたりの神様へのお祈りだって」
 母さんは、山のある方向を顎で指した。
「あの山の途中に洞穴(ほらあな)があって、その中に祠(ほこら)があるんだって。その前で、人の形に切った白い紙を切りながら、『誰それを元気にしてください』ってお祈りすると、病気やケガになった人がすぐ治るんだって。犬を助けたければ犬の形に、猫なら猫の形に紙を切れば、動物も治るんですってよ」
「え? じゃあ、美穂ちゃんが治るように祈りしようよ!」
 僕の言葉に、母さんは少し考えるとにっこりと笑った。
「そうね、明日休みだから一緒に行こっか!」
 
 けれど、僕は明日まで待つことはできなかった。だって、それまでに美穂ちゃんが死んでしまうかもしれないから。夜、自分の部屋でこっそりとベッドから抜け出す。なるべく音を立てないようにパジャマから服に着替えた。
 机の引き出しを開ける。そこにはお父さん、お母さんに内緒で用意した物が入っていた。寝る前に人の形に切った白い紙、ハサミ、懐中電灯。そんなのをポケットに突っ込んで、そろそろと玄関に向かう。
 目を覚ましたココアが、じっとこっちを見ているので、僕は「シーッ!」と合図をした。
 鍵を開けるとき、思ったより大きな音がしてびっくりしたけれど、誰も起きてきてはいないようだった。

 家が並ぶ場所を抜けて、僕は山の中へと入っていった。
 風が吹くたびにざわざわと木の葉が鳴って、名前の分からない虫の声が響いている。湿った土の臭いがした。真っ暗で、見えるのはほとんど懐中電灯が照らしている所だけだ。
 夜の山がこんなに怖いとは思わなかった。ただでさえドキドキしているのに、山道を急いで歩いているから服の下を汗が滑り落ちていく。
 そのうち、風の中になにか焦げたような臭いが混じってきた。木の間に、なにかぼうっと光っているものが見える。パチパチと音がしているから、多分中で火が焚かれているのだろう。
 聞いていた通り、地面に小さな洞穴があるのだ。光はそこから漏れてきているようだった。
 僕はなんだか見てはいけない物を見てしまったような気がして、懐中電灯の光を消し、木の影に隠れた。
「胎洞様、どうか……どうか……」
 美穂ちゃんと早苗ちゃんのお母さんの声だった。その声を聞いて、なんだか僕はほっとした。もう僕はお祈りをしなくていいと思ったからだ。
 家族ではない僕がするよりも、お母さんがお祈りした方が効果があるだろう。そう思った僕は、そのまま家に帰ることにした。

 数日後、家に電話がかかってきた。
「はい、はい……」
 電話に出たお母さんは、なんだか怖い顔をして返事をしていた。他にも何か言っていたっけれど、小声で聞き取れなかった。
 電話に出たお母さんは、まっすぐに僕の方をむいた。
「あのね、美穂ちゃんが亡くなったって」
「え?」
 驚いたけれど、(やっぱり)という気持ちもあった。だって、倒れていたとき、美穂ちゃんはいっぱい血を流していたから。
「でもよかったわ。美穂ちゃんは、最期にお家に帰れたんだから」
 その言葉で、美穂ちゃんがひどいケガなのに家に帰されたわけがわかった。
 先生が、どうせ助からないなら最期は家族と一緒にいさせたいという両親の願いを聞いてくれたのだろう。
「これから、早苗ちゃんと仲良くしてあげなくちゃだめよ。お姉ちゃんが亡くなって寂しいんだから」
「うん」
 うなずくと、ぽろぽろと涙が流れてきた。
 もう美穂ちゃんに会えないんだ。お話することもできない。それが悲しかった。

 それから年月が流れた。僕は都会へ出て大学生になり、地元にも頻繁に帰ることはなくなった。けれど、その年はお盆休みは家族に顔を見せに実家に帰ることにした。
    
 ちょうど祭りの日と重なったので、同じように帰省していた友人と久しぶりに行ってみることにした。
 友人は、今は工事現場で働いているそうだ。
「やっぱり重い資材運んだりするんだろ? 大変そうだな」
「大変だし、気を抜くと危ないな。前も同僚が頭ぶつけた」
「マジか、大丈夫だったのか?」
「ヘルメットしてるからな。そうそう、工事現場じゃないんだが、知り合いに寝ぼけて棚に頭を打ち付けた奴がいてな。何針か縫ったんだけど、今でもその部分だけ髪の毛の色が薄いんだってさ」
「なんだそりゃ」
 規則正しくつるされた提灯に照らされ、屋台が並んでいる。焼きそばの香ばしい匂いや、鈴カステラの甘い匂い。変化した自分達の近況を、昔とあまり変わらない光景の中で報告し合うのは、なんだか余計に時間の流れを感じさせた。
 頭の話が出たせいで、僕は美穂ちゃんの事を思いだした。
「そういえば、美穂ちゃんっていたじゃないか?」
「ああ、あの、木から落ちちゃった……」
「そう、その子。今まで、なんか言っちゃいけない気がして黙ってたんだけどさ」
 僕は見たことを話した。
 美穂ちゃんを助けようと洞穴に行ったこと、そこに彼女の母親がいたこと、怖くなって帰ってきたこと。
 今思い返すと、なんだか木の間にぼんやりとした光を見たことが夢のように思えた。
「きっと、美穂の母さんはそこでお呪いをやってたんだろうけど、効かなかったんだろうな。美穂ちゃんは亡くなってしまったんだから」
「お呪いって、あの紙で作った人形を切って、って奴か。共感呪術だな」
「共感呪術?」
 そういえば友人はガテン系に似合わずオカルト系が好きだったな、と思い出す。
「似たモノには見えない繋がりがあるって考え方の呪術だよ。人間のケガや病気を、人間の形に似せた紙を切ることで、身代わりにするんだ。もともとひな祭りだって、人形に汚れを移して川に流す儀式だったんだぜ」
「ふうん」
「お、噂をすれば、だ。といっても妹の方だけど」
 見ると、早苗ちゃんが友達二人と一緒に向こうから歩いて来るところだった。三人とも浴衣姿だった。
 僕たちは、軽く挨拶をしてすれ違った。
 その時どうして振り返ったのか、自分でもわからない。誰かに呼ばれたわけでもなければ、気になる音や匂いがしたわけではない。ただ、なんとなく振り返っただけだ。
 背中を向ける早苗ちゃんの襟から、うなじがのぞいている。
 その首に、傷跡があった。だいぶ古い傷跡らしく、皮膚の上にテカテカとした盛り上がりがヒビのように走っている。それに、後ろ髪の一筋が、他よりも淡い色をしている。
 ゾクゾクとした寒気が背筋を走った。
 石に頭を打ち付けた傷、木の枝で切った傷。どうしてそれが妹の早苗ちゃんについているんだ? 事故に遭ったのは、美穂ちゃんのはずなのに。
 共感呪術。似たモノ同士には見えない繋がりがある。早苗ちゃんと美穂ちゃんは、見分けがつかないほどそっくりな双子だった。
『胎洞様……どうか、どうか』
 あの時、双子の母はこう言っていたのではないだろうか。『美穂の命をお助けください。ケガは早苗に引き受けさせますから』と。
 そう祈る母の近くには、きっと早苗ちゃんがいたのだ。薬か、でなければ縛ってさるぐつわでもされていたか、声と動きを封じられて。
 そして母親は早苗ちゃんを殺した。美穂ちゃんを助けるために。
 死んだのは、美穂ちゃんではなく早苗ちゃんの方だった。あの時、美穂ちゃんは最期を過ごすために家に帰っていた。第三者の医師や看護師がいる病院と違い、自宅なら美穂ちゃんだと偽って棺に早苗ちゃんの死体を入れるのは簡単だ。
 そして美穂ちゃんは早苗ちゃんとして生きることになった。その方が「重症だった美穂ちゃんは奇跡的に助かって、早苗ちゃんはなぜか失踪した」というよりも「残念ながら美穂ちゃんは死んでしまった」だけの方がずっと自然だから。
 そういえば、どうしてかは分からないけれど美穂ちゃんの母さんは早苗ちゃんに辛く当たっていた。多分、早苗ちゃんより美穂ちゃんの方が好きだったのだろう。かわいそうな早苗ちゃん。
 でも、僕はよかったと思った。だって、僕も早苗ちゃんより美穂ちゃんの方が好きだったのだから。
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