夢幻怪浪

三塚 章

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幸福な娯楽

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 病院の駐車場を、息子の乗った車イスを押しながら歩いている女性がいた。その女性自身も体調がよくないのか、青白く、疲れ切った顔をしている。髪は染める余裕もないらしく白髪が多い。
「あの」
 ある男がそっと声をかけてきた。平凡なスーツ姿だが、どこか上品な雰囲気のある男だった。
 返事もせずに、女性は濁った目をむけた。
「よかったら、これをどうぞ」
 差し出されたのは、大きなダイヤモンドのついた指輪だった。
 驚いた女性は目を見開く。
 上品そうな男は、礼などいい、と言いたげに手を振ると、どこかへ去って行った。

 高校に向かい、だらだらと家にむかいながら、少年はため息をついた。
 大学へいって、化学の勉強をしたい。先生も、『お前はきちんとした所で勉強をすれば芽がでるだろう』と太鼓判を押してくれた。けれど、それだけのお金がない。進学をあきらめて働くしかないだろう。
「あの、哲也さんですよね?」
 特に高価そうでもない、普通のスーツを聞いている割には品のある男が声をかけてきた。
「これを」
 渡されたのは、ダイヤのはまった腕輪だった。
 小さな工場に並ぶ機械には、ブルーシートがかけられていた。その工場の真ん中あたり、天井を支える鉄骨からロープが一本伸びている。その先端には輪が作られていた。作業着姿の男が、途方に暮れた顔でその輪の前に立っていた。もちろん、蹴倒しやすい台の上で。
 男はそのロープの輪をのろのろと首にはめようとした。
「待ってください」
 いつの間に工場に入り込んだのか、声をかけたのは品のいいスーツ姿の男だった。
「どうぞ、これを」
 男は、小さめのトランクを床に置いてフタを開けた。そこにはマンガに出てくるような、ダイヤを連ねた首飾りが納まっていた。

 知ってる? 幸福の王子の話。いや、その童話の話じゃなくて。最近、不幸な人、困ってる人に、ダイヤモンドを配って歩いてるんだって。いや、まあ童話からの命名だろうから、そりゃまったく関係ないとは言えないかも知れないけど。
 その正体は色々噂があるけれど、結局どこの誰なのか誰も知らないの。

 画面にはただ暗闇が映し出されていた。荒い息遣いしか聞こえない。ふいに画面が明るくなり、揺れ、隅に車椅子が一瞬映る。そのあと、口を開け、目を落ちつかなげに動かす女性の顔が広がった。あの、車椅子を押していた女だった。
 彼女は、もらったダイヤモンドの指輪を見つめているのだった。その指輪に超小型のカメラが隠されているのにも気づかず。
 女性は、ダイヤモンドをまた胸ポケットに戻したようだ。視界はまたしても真っ暗になる。
『おい』
 暗闇に、呼び掛ける男の声が響いた。ガラの悪そうな、若い男の声だった。
『え、はい、なんでしょう』
 答える女の声は怯え切っている。
『その宝石を渡しな』
『そ、それは……なんのことだか……』
 異常な雰囲気を感じ取ったらしく、車イスの子供が泣き始めた。
『うるせえ! さっきお前が宝石もらってた所を見てたんだよ! ババアのてめえが身につけたところで意味ねえだろうが!』
 もみ合う音と、荒い息遣い。
『これは私がもらったものよ! ああ!』
 ぐしゃっという音とともに、ポケットからカメラが転がり出る。ぐうう、という女のうめき声がした。

 ドッと会場に笑い声が響いた。
「なんだ、『幸福の王子』の奴、施しをするのを見られたのか。仕方ないなあ」
 でっぷりと太った中年の男が、隣の席に座る男に声をかける。
「いやいや、人がいるのに気づいていながら、わざと見せたのでしょう。アクシデントが起きた方が面白いですからな。それにしても、もらってすぐに奪われるとは運がない!」
「それにしても、あれしきの指輪で殺人とは……」
 小さな私設の映画館では、十数人の富裕層達がスクリーンを見つめていた。
 画面に流れる映像は、無駄な時間をカットしたり、聞きにくい音声を補正したりはしてあるものの、必要最低限の手は加えられていない。もちろんやらせなどではない。それがウリなのだ。
 画面では、まだ殺人事件の様子が映し出されていた。
 血にまみれて横たわる女の背中が大写しになっている。その後ろに、派手な服装の、チンピラ風の男がナイフを持って立っている。
 派手な恰好の男は、手を伸ばした。ダイヤモンドはつかみ取られ、画面はまた闇に包まれた。

 その次に映し出されたのは、口を両手で押えて驚きの表情を浮かべる女性だった。
 背景に移っている部屋は、調度品からいかがわしいホテルだと分かる。
『ほら、これを君にあげるよ』
 そう猫なで声で言ったのは、自殺しようとしていた工場長だった。
『いいの? これがあれば工場の立て直すのに助かるんじゃないの? 従業員や奥さんや娘さんだって……』
 鼻を鳴らす音がした。
『あんな工場、いまさら立て直したところで……それよりも二人で知らない場所へ逃げてやり直そう』

 それから、画面は少年によって質屋に持ち込まれる腕輪の視点になった。
『あー、残念ですが偽物ですね』
 「嘘ばっかり」と観客の誰かがヤジを飛ばした。
 急に金目の物を手に入れた貧乏人が、右往左往する様を見るのがこの集まりの楽しみなのだ。大金に人生を狂わされるのを観るのがやめられない。なのに偽物のアクセサリーなど使うはずがない。
 それに、真っ当な質屋だったら、未成年があまりに高価なアクセサリーを持ってきた時点で怪しみ、その子の家や警察に連絡をするだろう。それをしなかったということは、この腕輪が持ち込まれた時点で安く買い叩いてやろうと思っていたのが見え見えだ。客、それもただの学生のに本物が見分けられるはずがないとタカをくくっているのだろう。
 女性の声でナレーションが入る。
『哲也君は騙されたモノの、いくらかのお金をもらいました。学生には結構な金額です。それから……』
 隠しカメラが取り付けられた腕輪は、質屋の金庫の中に閉じ込められてしまったからだろう。それからの話は隠し撮りされた数点の写真と一緒に語られた。
『せっかく手に入れた金だ、ということで、哲也君は少し自分の欲しい物を買いました。けれど、それがよくなかったのです』
 今までのマジメそうな恰好とは違い、どこかのホストのような恰好になった哲也君の姿を撮った写真が映し出される。
『羽振りのいい哲也君に、よからぬ友人が声をかけてきました。そういった仲間と付き合ったのが悪かったのでしょう。それから哲也君は勉強も忘れ、受験も失敗し、最近、違法薬物でつかまったそうです』
 金庫の扉は開かれた。ただし、中を覗き込んだのは質屋の店主ではない。顔を覆面で隠した男達だ。
『まさか本当にこんなお宝があるなんてな』
 強盗の背後で、店主の妻が血だまりに横たわっているのが見えた。
『コンビニの前タムロってるガキ達の話だから、どこまでホントかと思ってたけどな。ここの質屋に「幸福の王子」がくれた腕輪を売ったってな』
『あ、ああ……』
 妻の横で、店主は縛られたまま床に転がされ動くことができないようだ。
『そうだ、まだコイツが残っていたな。暗証番号を聞いたんだから、もう用はない』
 銃声が鳴り、ため息とも、客席から悲鳴ともいえない声があがった。
 今回の見世物は以上のようで、客席が少しずつ明るくなっていく。
「いやあ、貧乏人がはした金に群がる様は実におもしろい。今度は、飢餓の国にテーブルいっぱいの御馳走でも並べてみせますか。殺し合いでも見られるかも知れない」
「人間の汚い部分もきれいな部分も余すことなくみられる。これ以上哲学的で高尚な趣味はないでしょう……」
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