透明な夢【短編集】

三塚 章

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バンシー

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 枯れ枝に切り刻まれる冬の風の悲鳴のような泣き声が遠く、近く聞こえてくる。バンシーが家の周りをさ迷っているのだろう。彼がこの声を聞いたのは二度目だった。
 一度目は、父が死んだ時だ。
 病でやせた父の横たわるベッドの足元で、彼と母は寄り添って立っていた。
 今はまだ息をしているが、それも長く続かないのは誰が見ても明らかだった。
 ついさっき、別室で会った大人達は、永遠に無くなる父の笑顔や体温より、父の持っている金の方が大切なようだった。『遺産は……』『跡取りの嫁には……』囁かれていたのはそんな言葉。彼にはそれが悔しかった。
「泣くのではありませんよ」
 母の声は厳しかった。
「あなたは××家の長男なんですから」
 非情な大人たちに怒りわめくことも、泣くこともできず、立ちすくんでいた。
 その時だった、窓の外でこちらの胸まで引き裂かれんばかりの悲し気な慟哭(どうこく)が聞こえたのは。
 ××家の当主が亡くなるとバンシーが現れる。
 もっと幼い時に祖母から聞いた伝説が本当であることを、彼はその時はっきり知った。
 父が完全に息耐えるまで、バンシーは嘆き悲しんだ。まるで泣くことさえゆるされない彼の代わりのように。

 それから六十年の時がすぎ、今、彼は死の時にあった。子供時代の館は、長い年月の間人手にわたり、看取る者もなく横たわっているのは天井に雨漏りのシミがあるアパートの一室だ。
 窓の外のバンシーの鳴き声に気づき、彼は自分の命がもう数刻なのを知った。
 どうやら彼女はどこに住んでいても彼を当主と認めてくれているらしい。彼は干からびた唇を歪める。
 身をちぎられるような泣き声。 
 死を嘆くためだけに現れる人ならぬもの。それはおそらく澄んだ水よりも純粋な嘆き。
「ああ、そんなに悲しんでくれるのか。ありがとう」
 彼はゆっくりと目を閉じた。
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