左手から小さな幸せを

天野蒼空

文字の大きさ
上 下
1 / 1

左手に小さな幸せを

しおりを挟む
 カーテンの隙間から光が漏れて、白い壁をぼんやりと照らしていた。昨日の夜は背中に感じていたあたたかさはもう布団の中にはなく、ベッドの左側をどれだけ探しても何も見つからなかった。

 ぐっと両手を大きく広げて、寝ている間に固まってしまった身体中の筋肉を伸ばす。それから、体の上にかかっていた布団を蹴り飛ばすように跳ね除けて、上体を起こした。

 時計の短い針は七、長い針は九を指している。

「やばい、寝坊じゃん!」

 なんでアラームが鳴っていないのかと、昨日の自分を責めながらスマホを充電器から引っこ抜く。ディスプレイに表示されている通知は二十件。それから日付は、

「なんだ、今日土曜日か」

 ほっと息をついた。
 それと同時に、一つ気になることが。

「いつもの寝坊助はどこに行ったんだ?」

 ぐしゃぐしゃの髪の毛を適当に一つ結びにしながら、私は寝室のドアを開けた。

 2LDKの小さな家はもうすっかり朝の支度を済ませていたみたいで、その眩しさに目を細める。

 それから、いつもの朝ならしない香りがすることに気がついた。パンの焼ける甘くて柔らかい香り、コーヒーのスッキリとした香り、それに、ベーコンの香りまでする。

 くう、と小さくお腹が喋る。

「おはよう。もう少しゆっくりしていてもよかったんだよ」
 
 寝坊助──彼が台所に立っていた。茶色みがかった男性にしては少し長い髪が、窓から入る朝の風に揺れる。白い歯をにっと出して笑うその顔は、私が世界で一番好きな顔だ。

「いつも隣にいるゆたんぽがなかったんだもん。今日はどうしたの?」

「こういう日があってもいいでしょ」

「うん。好き」

 私は彼の背後に回ると、そのままぎゅっと腰に手を回す。顔を背中に押し当てると、世界で一番安心出来る香りがした。

「ご飯にするから顔、洗っておいで」

「はーい」

 子供みたいな返事をして、私は洗面所に向かう。一通り朝の支度を済ませて、最後に左手の薬指に指輪をはめる。

 ピンクゴールドの細いリングの中央には、ホワイトトパーズ。小さいながらもその華やかさで存在感をアピールしている。その両脇には小さなジルコニアが三つずつ、従者のようにそっと並んでいた。
 
 やっぱり綺麗。

「何ニヤニヤしてるの?」

「ちょ、いつの間に後ろにいたのよ」

「その可愛い顔早く見たくて、待ちきれなくなっちゃった」

 相変わらず口が達者なことで、というひねくれた言葉は口に出さないでおいた。その代わり、可愛いって言ってくれたその顔で、思いっきり可愛さをアピールしておいた。

 そんな私のことを、彼は仔犬を撫でるみたいに優しく撫でた。その仕草がたまらなく好きで、私は彼の唇に自分の唇をそっと重ねる。柔らかさと温かさがこの幸せを証明してくれる。

「おはようのキス?」

「そういうことにしておく」

 付き合って五年が経つというのに、上手く素直になれない時ばかりなのは彼がかっこよすぎるせいだ。キスをしたはいいけれど、なんだか体温が急に高くなってきて、もっと変な顔になっている気がして、私は彼の方を向けなかった。

 まあ、彼は私がどんな顔をしようと全部「可愛い」で済ますのだろうけど。

「ご飯食べよ?」

 こくり、と頷くと、彼がいつもみたいに私の左手を引いて歩く。

「今日はどこか出かけようか」

「ケーキバイキング」

「太っても知らないよ?」

「幸せ太りはノーカウント」

 テーブルの上には、トーストとベーコンつきの目玉焼き。それからお互いのイニシャルが入っているマグカップに注がれた、コーヒー。

「ごはん、ありがと」

「今週は色々任せっきりになっちゃってたからね」

 手を合わせて、私は世界で一番美味しい朝ごはんを食べる。

 こうして今日も私は、幸せな一日を始めるのだった。
しおりを挟む
感想 3

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(3件)

Lance
2024.06.09 Lance

 いつもの寝坊助さんが、こうも食卓を整えてくれていて嬉しかったでしょうね^^ 指輪から温もりに繋がる愛の物語、良いですね^^

解除
柚木ゆず
2022.01.30 柚木ゆず

本日、拝読しました。

この空間にある、あたたかく、柔らかな雰囲気を感じることができて。
本当に。こちらまで、ほっこりとした気持ちになりました。

天野蒼空
2022.01.30 天野蒼空

感想ありがとうございます。
小説を書いている時とっても幸せな気持ちで書いていたので、その気持ちがおすそ分け出来たら幸いです

解除

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

届かない手紙

白藤結
恋愛
子爵令嬢のレイチェルはある日、ユリウスという少年と出会う。彼は伯爵令息で、その後二人は婚約をして親しくなるものの――。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

【完結】君の世界に僕はいない…

春野オカリナ
恋愛
 アウトゥーラは、「永遠の楽園」と呼ばれる修道院で、ある薬を飲んだ。  それを飲むと心の苦しみから解き放たれると言われる秘薬──。  薬の名は……。  『忘却の滴』  一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。  それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。  父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。  彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。