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8話 From菜月
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「つまり、『本当の幸い』っていうこの文章は同じ文でも書き手によってイメージしていることは違うと思うし、それを受け取る読者にもそれぞれのイメージが出来ていると思うのよ」
黒板の右端に白いチョークで丁寧に書かれた「銀河鉄道の夜」という文字。それより左側は赤や黄色、青、白などの色んな色のチョークでなぐり書きのような文字が散らばっている。私はその散らばった文字の中に埋もれていた「本当の幸い」という文字を赤いチョークでぐるりと囲む。
放課後の化学講義室はほんの少しだけ、どこかで嗅いだことのあるような薬品の匂いがする。化学の担当の先生はいつも化学講義室を使わずに普通の教室で授業をするから、文芸部の活動以外でこの場所を使うことはあまりないのだけれど、やはり、染み付いているのだろうか。
「じゃあこれは、宮沢賢治にとっての『本当の幸い』ってことですか?」
「楓ちゃんはどう思う?」
質問に質問で返してみる。
文芸部の新入部員である田島楓は本当によく議論に参加するタイプだ。まるで運動部に入っている生徒のようなベリーショートの髪がよく似合う彼女だが、所属している部活は私と同じ文芸部と地学部の兼部だから、人は見かけによらないよな、と思う。
「答えって、どこかに書いてありますか?」
そう言いながら楓ちゃんはコピー用紙にプリントアウトされた「銀河鉄道の夜」に目を落とした。
「それは読み取るところじゃなくて、考えるところね」
そう言ったのはずっと黒板の隅に落書きをしていた明日香だ。
「明日香先輩は考えるんですか?」
「私が? 私の本当の幸せを?」
明日香はこめかみを右手の人差指でトントンと叩きながら「うーん」と唸りだした。難しいと思いながら考えているときの癖だ。
「じゃあ、楓ちゃんは考えたことある?」
「私も、あまりないかもしれないです。幸せって言うほどのものでもないかもしれないけれど、美味しいご飯を食べているときは幸せだなあって思います」
「それも確かに幸せの一つだよね」
私も美味しいものを食べるのは好きだ。美味しいものを食べたときって、もう他のことなんてどうでもいいやと思えるくらい幸せを感じる。
「私は、大切だと思える人たちと一緒にいることが出来たら、それが幸せかな。だって、人生いろんな事がお金で解決できるけれど、人の心はお金じゃ買えないもの。そんな変えられないもので欲しい物がそこにあったら、それって幸せと定義づけてもいいよなって思うのよ」
お金じゃ買えないもの、といってくるところが明日香らしい。明日香のお父さんは社長をしているからお金に困るようなことはない、と昔言っていた。そういうところも関係しているのだろうか。
「それってさ、絆とか愛とかってこと?」
「表現としては愛のほうが近いと思う。絆だと手綱とかから意味が来ているからどうしようもできないけれどそこに生まれてしまったものみたいじゃない。愛だと慕い合っている感じになるから、お互い大事にしているみたいに鳴るでしょ。やっぱり、大切な人とは気持ちが一方通行じゃ悲しいじゃない。それにね、同性同士でも、異性とでも愛はあるのよ」
黒板に黄色のチョークで絆という文字が足され、その横に赤いチョークで愛という文字が足された。
「それって、結婚とは違うの?」
「多分違うかも。だって、結婚はたった一人の人と永遠を誓わなくてはいけないでしょう。そういうのじゃないんだよ。なんか、うまくいえないんだけどね」
ゆったりとしたその声が西日の差し込む化学講義室に漂う。
「そっかー。でも、私はやっぱり結婚が幸せだと思うな」
「やっぱり女性の幸せって言ったらそうなりますよね」
楓ちゃんがすこししょんぼりとしたように見えたので、慌ててフォローを入れる。
「別に全員がそうである必要はないと思うよ。ほら、さっきも言ったでしょ。『本当の幸い』っていうのは人それぞれだって」
「でも、そういうところは菜月らしいかもね」
明日香は愛と書いた隣に少し隙間を開けてから、白いチョークで結婚と書いて四角で囲んだ。
「そうかな、よくわかんないけど。でもさ、心の底からいいなって思えた人と恋に落ちて、二人で永遠を誓い合うの。お互いがお互いの愛のために生きることができるって、幸せなことなんじゃないかなって。それが約束されたもの尚更、ね」
心の底からいいなって思えるような人に、私は本当に巡り会えるのだろうか。そんなことはまだわからない。だって、まだ結婚なんて先の話だ。恋人がいないどころか、恋に落ちてもいない。
でもなぜだろう。
いい人だとか、恋だとか、そんな事を考えるたびに頭の中に幸人の顔がちらつく。考えるだけで顔が赤くなってしまう。
ごまかすように私は窓辺から夕日を見つめた。
黒板の右端に白いチョークで丁寧に書かれた「銀河鉄道の夜」という文字。それより左側は赤や黄色、青、白などの色んな色のチョークでなぐり書きのような文字が散らばっている。私はその散らばった文字の中に埋もれていた「本当の幸い」という文字を赤いチョークでぐるりと囲む。
放課後の化学講義室はほんの少しだけ、どこかで嗅いだことのあるような薬品の匂いがする。化学の担当の先生はいつも化学講義室を使わずに普通の教室で授業をするから、文芸部の活動以外でこの場所を使うことはあまりないのだけれど、やはり、染み付いているのだろうか。
「じゃあこれは、宮沢賢治にとっての『本当の幸い』ってことですか?」
「楓ちゃんはどう思う?」
質問に質問で返してみる。
文芸部の新入部員である田島楓は本当によく議論に参加するタイプだ。まるで運動部に入っている生徒のようなベリーショートの髪がよく似合う彼女だが、所属している部活は私と同じ文芸部と地学部の兼部だから、人は見かけによらないよな、と思う。
「答えって、どこかに書いてありますか?」
そう言いながら楓ちゃんはコピー用紙にプリントアウトされた「銀河鉄道の夜」に目を落とした。
「それは読み取るところじゃなくて、考えるところね」
そう言ったのはずっと黒板の隅に落書きをしていた明日香だ。
「明日香先輩は考えるんですか?」
「私が? 私の本当の幸せを?」
明日香はこめかみを右手の人差指でトントンと叩きながら「うーん」と唸りだした。難しいと思いながら考えているときの癖だ。
「じゃあ、楓ちゃんは考えたことある?」
「私も、あまりないかもしれないです。幸せって言うほどのものでもないかもしれないけれど、美味しいご飯を食べているときは幸せだなあって思います」
「それも確かに幸せの一つだよね」
私も美味しいものを食べるのは好きだ。美味しいものを食べたときって、もう他のことなんてどうでもいいやと思えるくらい幸せを感じる。
「私は、大切だと思える人たちと一緒にいることが出来たら、それが幸せかな。だって、人生いろんな事がお金で解決できるけれど、人の心はお金じゃ買えないもの。そんな変えられないもので欲しい物がそこにあったら、それって幸せと定義づけてもいいよなって思うのよ」
お金じゃ買えないもの、といってくるところが明日香らしい。明日香のお父さんは社長をしているからお金に困るようなことはない、と昔言っていた。そういうところも関係しているのだろうか。
「それってさ、絆とか愛とかってこと?」
「表現としては愛のほうが近いと思う。絆だと手綱とかから意味が来ているからどうしようもできないけれどそこに生まれてしまったものみたいじゃない。愛だと慕い合っている感じになるから、お互い大事にしているみたいに鳴るでしょ。やっぱり、大切な人とは気持ちが一方通行じゃ悲しいじゃない。それにね、同性同士でも、異性とでも愛はあるのよ」
黒板に黄色のチョークで絆という文字が足され、その横に赤いチョークで愛という文字が足された。
「それって、結婚とは違うの?」
「多分違うかも。だって、結婚はたった一人の人と永遠を誓わなくてはいけないでしょう。そういうのじゃないんだよ。なんか、うまくいえないんだけどね」
ゆったりとしたその声が西日の差し込む化学講義室に漂う。
「そっかー。でも、私はやっぱり結婚が幸せだと思うな」
「やっぱり女性の幸せって言ったらそうなりますよね」
楓ちゃんがすこししょんぼりとしたように見えたので、慌ててフォローを入れる。
「別に全員がそうである必要はないと思うよ。ほら、さっきも言ったでしょ。『本当の幸い』っていうのは人それぞれだって」
「でも、そういうところは菜月らしいかもね」
明日香は愛と書いた隣に少し隙間を開けてから、白いチョークで結婚と書いて四角で囲んだ。
「そうかな、よくわかんないけど。でもさ、心の底からいいなって思えた人と恋に落ちて、二人で永遠を誓い合うの。お互いがお互いの愛のために生きることができるって、幸せなことなんじゃないかなって。それが約束されたもの尚更、ね」
心の底からいいなって思えるような人に、私は本当に巡り会えるのだろうか。そんなことはまだわからない。だって、まだ結婚なんて先の話だ。恋人がいないどころか、恋に落ちてもいない。
でもなぜだろう。
いい人だとか、恋だとか、そんな事を考えるたびに頭の中に幸人の顔がちらつく。考えるだけで顔が赤くなってしまう。
ごまかすように私は窓辺から夕日を見つめた。
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