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「すごいね。空も海もすごく広い」
「私のお気に入りの場所だからさ。律樹に来て欲しかったの」
「菜穂がお気に入りっていうの、わかるな」
私の隣で律樹が言う。
ここは灯台と海と空が見える、展望台。
春の初めの空は優しい灰色。でもそのせいもあって、今日の海はくすんで見えた。
吹き付ける風はまだ冬の色を残している。大きく息を吸うと磯の香りと、嗅ぎなれた鉄の匂いがした。
今日も私たちの距離は1歩分。その1歩は近づかない。近づいたら全てが変わってしまう気がするから。
「観光名所で有名なのはあっちの灯台なんだけどね」
「ああ、あの灯台は知ってる」
あの映画の撮影に使っていたよね、と、律樹は40年ほど前に公開された映画の名前を挙げた。今では暇さえあれば見ている映画のひとつだ。
「律樹って、よくそんなに昔の映画を知ってるよね」
今ならなんとなく、あの映画の面白さもわかる。律樹が言いたかったことも。
「せっかくだから、あの灯台の近くにも行ってみたいな」
「そうだね、行こうか」
「あの灯台の上って、登れたりするのかな」
「確か登れるはずだけど、どうしたの?」
「さっき話していた映画あるでしょ。あの作中でカップルが2人で登ってさ……」
「知らないよ、そんなシーン」
知っている。婚約指輪を渡すシーンだ。もしも律樹が居たならあんなふうに。
いや、考えても無駄だ。そんな「もしも」の為に私はこれをしている訳では無い。
「お昼、何がいい?」
「海だし、そうだな。せっかくだから海鮮とか?」
一度そう言ったが、律樹は首を振った。
「いや、でもここは菜穂に任せるよ。オススメのお店とかある?」
「海鮮丼がおいしい居酒屋があってね」
そうは言ったが、その居酒屋も今はない。去年、ついに潰れてしまった。跡地は更地になっていて、何も建っていないのがまだ救いだが。
テラスがあった場所に立って、カバンからコンビニのビニール袋を取り出す。ここに来る前に買っておいた海鮮丼、2つ。それから、麦茶と紙コップ。
何も無い砂の地面にそのまま腰を下ろす。
紙コップを二つ出して、麦茶を入れる。コップの半分くらいまで飲んだら、海鮮丼を開けた。
いただきます、と手を合わせる。
律樹も同じように手を合わせるが、手をつけることは無かった。
「美味しい?」
「まあまあ、かなぁ」
「菜穂は来たことあったの?」
「随分前にね。小学生の頃だったかな。まだここの先代の大将が元気な時にね」
コンビニの海鮮丼は、半分くらいのネタがネギトロで、申し訳程度のマグロとサーモン、その隙間を埋めるように錦糸卵が敷かれていた。米はパラパラで、おいしいとは言い難い。
おいしくない海鮮丼をここで食べる、だからある意味あっているのかもしれない。そう思うと、思わず口の端から笑みがこぼれそうになる。
「ごめん、美味しいって言って連れてきたのに」
「気にしないで。っていうか、上の刺身はすごく美味しいよ」
何も変わっていないかのように、私たちは会話を繰り返す。なぞるように、何度も、何度も。
「伝票、どこだっけ」
「今日は私が払うよ」
「デートなん、だから奢ら……せてよ」
危ない。ついにダメになってしまったのかと思った。もし、今日が最後になってしまったとしても、せめて最後までと願ってしまうのはワガママだろうか。いや、こんなことを続けている時点で、すでに私はとてつもなくワガママだ。
「ううん。今日は私が行きたいところに付き合ってもらっているからさ。そのお礼」
壊れないように、何度も。何度も。
ぼろぼろの財布を一度かばんの中から取り出して、開ける。ピンクの長財布。もう十年も使っている財布。大切な、とても大切な財布。それから何もせずに閉じ、またかばんの中にしまった。
灯台へ続く道は、よく知らないアイドルの顔が印刷されたグッズを大量に身に着けた人たちばかりが歩いている。
缶バッジを装備のように鞄に張り付けている人もいるくらいだから、きっと有名なアイドルなのだろう。
その人の流れに乗りながら、私たちは灯台へ向かう。
灯台の入り口には、「ご自由にお入りください」の看板とともに、沢山の写真が貼られたコルクボードが飾られていた。日焼けして元の色がよくわからなくなってしまった写真の横には、印刷してすぐであろうはっきりとした色で映っている、女性二人組。アイドルである彼女らのユニット名は、40年前の映画の撮影風景よりも大きく印刷され、彼女らのものであろうサインもついていた。
横に書かれているのは「MV撮影地になりました!」というゴシック体。
そんなこと、知らない。どうでもいい。
「本当……だ、え、い画のと。おりだ」
「そんなに?」
「ほら、ここなんてそのまんまだよ」
律樹の声は、急に止まったかと思えば、とても早く再生される。流れ出る音にノイズが多く混じっている。データの一部が欠損しているのだろうか。それだけならデータのバックアップから引っ張ってくればいいだけなのだけれど。
「せっか、くだから上が、ろ、うか」
律樹の言葉にうなずいて、中にある螺旋階段を上っていく。終わってしまうのが怖くって、つい早足になってしまうが、律樹は同じ速度でゆっくりと歩いていた。
やっとの思いで一番上まで来ると、少し屈みながら低めのドアをくぐって外に出る。
「高いね綺麗だねkれなんだろう僕らmおしようか愛で」
「りつき?」
再生される音は次々と形が崩れていく。
「しょそれからさまた一緒にこここうこうぼくもここここここここきみたいなんださっきの展望dあいももんこの灯台もすこし懐かしい気持ちになrrrrrなん」
ものすごい勢いで流れたかと思うと、そのままピタリとやんだ。
ガガ、ガガガガ。
耳障りな機械が動く音が続く。
「私のお気に入りの場所だからさ。律樹に来て欲しかったの」
「菜穂がお気に入りっていうの、わかるな」
私の隣で律樹が言う。
ここは灯台と海と空が見える、展望台。
春の初めの空は優しい灰色。でもそのせいもあって、今日の海はくすんで見えた。
吹き付ける風はまだ冬の色を残している。大きく息を吸うと磯の香りと、嗅ぎなれた鉄の匂いがした。
今日も私たちの距離は1歩分。その1歩は近づかない。近づいたら全てが変わってしまう気がするから。
「観光名所で有名なのはあっちの灯台なんだけどね」
「ああ、あの灯台は知ってる」
あの映画の撮影に使っていたよね、と、律樹は40年ほど前に公開された映画の名前を挙げた。今では暇さえあれば見ている映画のひとつだ。
「律樹って、よくそんなに昔の映画を知ってるよね」
今ならなんとなく、あの映画の面白さもわかる。律樹が言いたかったことも。
「せっかくだから、あの灯台の近くにも行ってみたいな」
「そうだね、行こうか」
「あの灯台の上って、登れたりするのかな」
「確か登れるはずだけど、どうしたの?」
「さっき話していた映画あるでしょ。あの作中でカップルが2人で登ってさ……」
「知らないよ、そんなシーン」
知っている。婚約指輪を渡すシーンだ。もしも律樹が居たならあんなふうに。
いや、考えても無駄だ。そんな「もしも」の為に私はこれをしている訳では無い。
「お昼、何がいい?」
「海だし、そうだな。せっかくだから海鮮とか?」
一度そう言ったが、律樹は首を振った。
「いや、でもここは菜穂に任せるよ。オススメのお店とかある?」
「海鮮丼がおいしい居酒屋があってね」
そうは言ったが、その居酒屋も今はない。去年、ついに潰れてしまった。跡地は更地になっていて、何も建っていないのがまだ救いだが。
テラスがあった場所に立って、カバンからコンビニのビニール袋を取り出す。ここに来る前に買っておいた海鮮丼、2つ。それから、麦茶と紙コップ。
何も無い砂の地面にそのまま腰を下ろす。
紙コップを二つ出して、麦茶を入れる。コップの半分くらいまで飲んだら、海鮮丼を開けた。
いただきます、と手を合わせる。
律樹も同じように手を合わせるが、手をつけることは無かった。
「美味しい?」
「まあまあ、かなぁ」
「菜穂は来たことあったの?」
「随分前にね。小学生の頃だったかな。まだここの先代の大将が元気な時にね」
コンビニの海鮮丼は、半分くらいのネタがネギトロで、申し訳程度のマグロとサーモン、その隙間を埋めるように錦糸卵が敷かれていた。米はパラパラで、おいしいとは言い難い。
おいしくない海鮮丼をここで食べる、だからある意味あっているのかもしれない。そう思うと、思わず口の端から笑みがこぼれそうになる。
「ごめん、美味しいって言って連れてきたのに」
「気にしないで。っていうか、上の刺身はすごく美味しいよ」
何も変わっていないかのように、私たちは会話を繰り返す。なぞるように、何度も、何度も。
「伝票、どこだっけ」
「今日は私が払うよ」
「デートなん、だから奢ら……せてよ」
危ない。ついにダメになってしまったのかと思った。もし、今日が最後になってしまったとしても、せめて最後までと願ってしまうのはワガママだろうか。いや、こんなことを続けている時点で、すでに私はとてつもなくワガママだ。
「ううん。今日は私が行きたいところに付き合ってもらっているからさ。そのお礼」
壊れないように、何度も。何度も。
ぼろぼろの財布を一度かばんの中から取り出して、開ける。ピンクの長財布。もう十年も使っている財布。大切な、とても大切な財布。それから何もせずに閉じ、またかばんの中にしまった。
灯台へ続く道は、よく知らないアイドルの顔が印刷されたグッズを大量に身に着けた人たちばかりが歩いている。
缶バッジを装備のように鞄に張り付けている人もいるくらいだから、きっと有名なアイドルなのだろう。
その人の流れに乗りながら、私たちは灯台へ向かう。
灯台の入り口には、「ご自由にお入りください」の看板とともに、沢山の写真が貼られたコルクボードが飾られていた。日焼けして元の色がよくわからなくなってしまった写真の横には、印刷してすぐであろうはっきりとした色で映っている、女性二人組。アイドルである彼女らのユニット名は、40年前の映画の撮影風景よりも大きく印刷され、彼女らのものであろうサインもついていた。
横に書かれているのは「MV撮影地になりました!」というゴシック体。
そんなこと、知らない。どうでもいい。
「本当……だ、え、い画のと。おりだ」
「そんなに?」
「ほら、ここなんてそのまんまだよ」
律樹の声は、急に止まったかと思えば、とても早く再生される。流れ出る音にノイズが多く混じっている。データの一部が欠損しているのだろうか。それだけならデータのバックアップから引っ張ってくればいいだけなのだけれど。
「せっか、くだから上が、ろ、うか」
律樹の言葉にうなずいて、中にある螺旋階段を上っていく。終わってしまうのが怖くって、つい早足になってしまうが、律樹は同じ速度でゆっくりと歩いていた。
やっとの思いで一番上まで来ると、少し屈みながら低めのドアをくぐって外に出る。
「高いね綺麗だねkれなんだろう僕らmおしようか愛で」
「りつき?」
再生される音は次々と形が崩れていく。
「しょそれからさまた一緒にこここうこうぼくもここここここここきみたいなんださっきの展望dあいももんこの灯台もすこし懐かしい気持ちになrrrrrなん」
ものすごい勢いで流れたかと思うと、そのままピタリとやんだ。
ガガ、ガガガガ。
耳障りな機械が動く音が続く。
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