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そして、散り菊
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どどん、どどどん。遠くで祭り太鼓の音が聞こえる。毎年行っていた神社のお祭りだったけれど、今年は行かない。いや、行けない。だって、約束があるから。それに、一人でなんて行く気にもならない。
「最後に残ったのは、線香花火か」
一時間前は袋にたくさん詰まっていた手持ち花火も、残るところは線香花火だけ。流石にこの量の花火を一人でするのは初めてだったので思ったより時間がかかってしまったが、これでようやく終わる。
そして、これが終わればきっと約束を果たしたと言ってもいいだろう。
使い終わった花火を入れている、水を張ったバケツの中に天の川が逆さに映る。少し焦げ臭い火薬の匂いと、玄関先に置いている蚊取り線香の匂いが混ざって、そこにはあの日と同じ香りが漂っていた。
懐かしくて、すこし切なくなる。
線香花火を、もうすっかり短くなってしまった蝋燭の炎の上にかざす。すると、その先端に、ぽっと小さな蕾がついた。ぷうっと段々膨らんでいく赤みを帯びた橙色のそれは、まるであの日に一緒に行ったお祭りで、あちらこちらに吊り下げられていたちょうちんのようだ。
「今年も一緒にやりたかったな」
ぽろりと言葉が口からこぼれ落ちてしまう。拾う人もいないので、その言葉は夏の蒸し暑い空気と混ざって消えていく、はずだった。
「ねえ、潤。一緒にしないの?」
少女の声がした。ずっとずっと聞きたいと思っていた少女の声がした。聞こえるはずのない少女の声がした。
「茉莉、なのか?」
幻でも何でも良かった。声を聞けただけで、もうこんなにも飛び上がりそうな気分になっているのだから。その気持ちに答えるかのように、線香花火は華やかな牡丹の花を咲かせる。
「落とさないで」
その声に引っ張られるように、僕はもう一度線香花火に目線を戻して、その場にしゃがみ込む。
そしてゆっくりと深呼吸をした。
「本当に、茉莉なのか?」
「ずっと一緒だったのに、忘れちゃったの?」
「そんなわけないじゃん。ただ、びっくりして」
言葉が続かない。言いたいことはたくさんあった。伝えたいことだってあった。それなのに、口を開いても言葉は出てこない。
「きゅうりの馬にのって来たのよ。でも、線香花火を消さないようにしてね。その灯りがないと潤が私のこと、見えなくなっちゃうから」
慌てて袋に入っていた線香花火の二本目を取り出す。
そんなことをしているうちに、パチッ、パチパチッと線香花火は音を立てて激しく燃える。
「消さないで」
「わかってる」
左手で二本目の線香花火に火を付ける。
そして僕はやっと茉莉の顔を見ることができた。線香花火の明かりに照らされている茉莉は、記憶の中の茉莉よりも少しだけ頬が赤かった。まるで生きているかのようだった。さくらんぼみたいなつやつやした唇、マシュマロのようなふんわりとした頬、眉の位置で切りそろえられた前髪と、胸のあたりまで伸びた真っ直ぐで黒い髪。白地に紅い金魚模様の浴衣に、黄色い帯を締めていて、毎年お祭りに行くときの姿と変わらなかった。
ああ、綺麗だ。
綺麗だけれど、やっぱり手が届かない。
小さいときからずっと一緒にいた。幼馴染というやつだ。だけどずっと僕らの関係は、それ以上になることも、それ以下になることもなかった。
「約束、守ってくれたんだね」
「当たり前じゃないか。茉莉との約束だぞ」
僕の気持ちは届かない。届いたところで、もう、どうすることもできない。きっと今日の夜がふける頃には、茄子の牛で帰ってしまうから。
「嬉しい」
それが本心からなのかは僕にはわからない。だって、茉莉は誰に対しても優しくて、誰に対しても平等に付き合っていたからだ。誰かを贔屓することも、誰かを憎むこともない、そんな茉莉はいつもクラスの人気者だった。
「茉莉がいなくなってから、大変だったんだよ」
こんな話さなくていいこと、口から出てこなくていいのに、話題を見つけるのが下手すぎて嫌になる。
「そっか、ごめん」
そんな悲しそうな顔をさせたいわけではなかったのに。
また線香花火が大きく火花を散らし始める。残りの線香花火はあと二本。僕は迷わずそのうちの一本に火をつけた。
「今日は、お祭りだったんだ」
「神社のお祭、懐かしいね」
なんてことない思い出話に、君はぱっと花が咲くように笑う。ああ、その顔が見たかったんだ。これでいいんだ。
きっとあと少しだけだから。君と笑っていたいから。
言いたいこと、伝えたいことが魚の骨のように喉に突っかかっている。そうだ、最後の一本になったら言おう。
いや、最後の一本が牡丹の花を咲かせたらにしよう。
まだだ、この花のような美しい時に悲しませるなんてだめだ。松葉の葉を散らしたらにしよう。
そして、最後の線香花火が散り菊になる。
弱々しい火花を散らしながら、やっとの思いで細い紐にしがみついている。もう、これが最後なのだ。考えている場合ではない。きっと言わなければまた後悔することになる。
「あのさ」
しかし、僕が続きを言う前に茉莉が寂しそうに微笑んで口を開いた。
「さよなら」
辺りは真っ暗になった。
「最後に残ったのは、線香花火か」
一時間前は袋にたくさん詰まっていた手持ち花火も、残るところは線香花火だけ。流石にこの量の花火を一人でするのは初めてだったので思ったより時間がかかってしまったが、これでようやく終わる。
そして、これが終わればきっと約束を果たしたと言ってもいいだろう。
使い終わった花火を入れている、水を張ったバケツの中に天の川が逆さに映る。少し焦げ臭い火薬の匂いと、玄関先に置いている蚊取り線香の匂いが混ざって、そこにはあの日と同じ香りが漂っていた。
懐かしくて、すこし切なくなる。
線香花火を、もうすっかり短くなってしまった蝋燭の炎の上にかざす。すると、その先端に、ぽっと小さな蕾がついた。ぷうっと段々膨らんでいく赤みを帯びた橙色のそれは、まるであの日に一緒に行ったお祭りで、あちらこちらに吊り下げられていたちょうちんのようだ。
「今年も一緒にやりたかったな」
ぽろりと言葉が口からこぼれ落ちてしまう。拾う人もいないので、その言葉は夏の蒸し暑い空気と混ざって消えていく、はずだった。
「ねえ、潤。一緒にしないの?」
少女の声がした。ずっとずっと聞きたいと思っていた少女の声がした。聞こえるはずのない少女の声がした。
「茉莉、なのか?」
幻でも何でも良かった。声を聞けただけで、もうこんなにも飛び上がりそうな気分になっているのだから。その気持ちに答えるかのように、線香花火は華やかな牡丹の花を咲かせる。
「落とさないで」
その声に引っ張られるように、僕はもう一度線香花火に目線を戻して、その場にしゃがみ込む。
そしてゆっくりと深呼吸をした。
「本当に、茉莉なのか?」
「ずっと一緒だったのに、忘れちゃったの?」
「そんなわけないじゃん。ただ、びっくりして」
言葉が続かない。言いたいことはたくさんあった。伝えたいことだってあった。それなのに、口を開いても言葉は出てこない。
「きゅうりの馬にのって来たのよ。でも、線香花火を消さないようにしてね。その灯りがないと潤が私のこと、見えなくなっちゃうから」
慌てて袋に入っていた線香花火の二本目を取り出す。
そんなことをしているうちに、パチッ、パチパチッと線香花火は音を立てて激しく燃える。
「消さないで」
「わかってる」
左手で二本目の線香花火に火を付ける。
そして僕はやっと茉莉の顔を見ることができた。線香花火の明かりに照らされている茉莉は、記憶の中の茉莉よりも少しだけ頬が赤かった。まるで生きているかのようだった。さくらんぼみたいなつやつやした唇、マシュマロのようなふんわりとした頬、眉の位置で切りそろえられた前髪と、胸のあたりまで伸びた真っ直ぐで黒い髪。白地に紅い金魚模様の浴衣に、黄色い帯を締めていて、毎年お祭りに行くときの姿と変わらなかった。
ああ、綺麗だ。
綺麗だけれど、やっぱり手が届かない。
小さいときからずっと一緒にいた。幼馴染というやつだ。だけどずっと僕らの関係は、それ以上になることも、それ以下になることもなかった。
「約束、守ってくれたんだね」
「当たり前じゃないか。茉莉との約束だぞ」
僕の気持ちは届かない。届いたところで、もう、どうすることもできない。きっと今日の夜がふける頃には、茄子の牛で帰ってしまうから。
「嬉しい」
それが本心からなのかは僕にはわからない。だって、茉莉は誰に対しても優しくて、誰に対しても平等に付き合っていたからだ。誰かを贔屓することも、誰かを憎むこともない、そんな茉莉はいつもクラスの人気者だった。
「茉莉がいなくなってから、大変だったんだよ」
こんな話さなくていいこと、口から出てこなくていいのに、話題を見つけるのが下手すぎて嫌になる。
「そっか、ごめん」
そんな悲しそうな顔をさせたいわけではなかったのに。
また線香花火が大きく火花を散らし始める。残りの線香花火はあと二本。僕は迷わずそのうちの一本に火をつけた。
「今日は、お祭りだったんだ」
「神社のお祭、懐かしいね」
なんてことない思い出話に、君はぱっと花が咲くように笑う。ああ、その顔が見たかったんだ。これでいいんだ。
きっとあと少しだけだから。君と笑っていたいから。
言いたいこと、伝えたいことが魚の骨のように喉に突っかかっている。そうだ、最後の一本になったら言おう。
いや、最後の一本が牡丹の花を咲かせたらにしよう。
まだだ、この花のような美しい時に悲しませるなんてだめだ。松葉の葉を散らしたらにしよう。
そして、最後の線香花火が散り菊になる。
弱々しい火花を散らしながら、やっとの思いで細い紐にしがみついている。もう、これが最後なのだ。考えている場合ではない。きっと言わなければまた後悔することになる。
「あのさ」
しかし、僕が続きを言う前に茉莉が寂しそうに微笑んで口を開いた。
「さよなら」
辺りは真っ暗になった。
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