そして、散り菊

天野蒼空

文字の大きさ
上 下
1 / 1

そして、散り菊

しおりを挟む
 どどん、どどどん。遠くで祭り太鼓の音が聞こえる。毎年行っていた神社のお祭りだったけれど、今年は行かない。いや、行けない。だって、約束があるから。それに、一人でなんて行く気にもならない。

「最後に残ったのは、線香花火か」

 一時間前は袋にたくさん詰まっていた手持ち花火も、残るところは線香花火だけ。流石にこの量の花火を一人でするのは初めてだったので思ったより時間がかかってしまったが、これでようやく終わる。

 そして、これが終わればきっと約束を果たしたと言ってもいいだろう。

 使い終わった花火を入れている、水を張ったバケツの中に天の川が逆さに映る。少し焦げ臭い火薬の匂いと、玄関先に置いている蚊取り線香の匂いが混ざって、そこにはあの日と同じ香りが漂っていた。

 懐かしくて、すこし切なくなる。

 線香花火を、もうすっかり短くなってしまった蝋燭の炎の上にかざす。すると、その先端に、ぽっと小さな蕾がついた。ぷうっと段々膨らんでいく赤みを帯びた橙色のそれは、まるであの日に一緒に行ったお祭りで、あちらこちらに吊り下げられていたちょうちんのようだ。

「今年も一緒にやりたかったな」

 ぽろりと言葉が口からこぼれ落ちてしまう。拾う人もいないので、その言葉は夏の蒸し暑い空気と混ざって消えていく、はずだった。

「ねえ、潤。一緒にしないの?」

 少女の声がした。ずっとずっと聞きたいと思っていた少女の声がした。聞こえるはずのない少女の声がした。

「茉莉、なのか?」

 幻でも何でも良かった。声を聞けただけで、もうこんなにも飛び上がりそうな気分になっているのだから。その気持ちに答えるかのように、線香花火は華やかな牡丹の花を咲かせる。

「落とさないで」

 その声に引っ張られるように、僕はもう一度線香花火に目線を戻して、その場にしゃがみ込む。

 そしてゆっくりと深呼吸をした。

「本当に、茉莉なのか?」

「ずっと一緒だったのに、忘れちゃったの?」

「そんなわけないじゃん。ただ、びっくりして」

 言葉が続かない。言いたいことはたくさんあった。伝えたいことだってあった。それなのに、口を開いても言葉は出てこない。

「きゅうりの馬にのって来たのよ。でも、線香花火を消さないようにしてね。その灯りがないと潤が私のこと、見えなくなっちゃうから」

 慌てて袋に入っていた線香花火の二本目を取り出す。

 そんなことをしているうちに、パチッ、パチパチッと線香花火は音を立てて激しく燃える。

「消さないで」

「わかってる」

 左手で二本目の線香花火に火を付ける。

 そして僕はやっと茉莉の顔を見ることができた。線香花火の明かりに照らされている茉莉は、記憶の中の茉莉よりも少しだけ頬が赤かった。まるで生きているかのようだった。さくらんぼみたいなつやつやした唇、マシュマロのようなふんわりとした頬、眉の位置で切りそろえられた前髪と、胸のあたりまで伸びた真っ直ぐで黒い髪。白地に紅い金魚模様の浴衣に、黄色い帯を締めていて、毎年お祭りに行くときの姿と変わらなかった。

 ああ、綺麗だ。

 綺麗だけれど、やっぱり手が届かない。

 小さいときからずっと一緒にいた。幼馴染というやつだ。だけどずっと僕らの関係は、それ以上になることも、それ以下になることもなかった。


「約束、守ってくれたんだね」

「当たり前じゃないか。茉莉との約束だぞ」

 僕の気持ちは届かない。届いたところで、もう、どうすることもできない。きっと今日の夜がふける頃には、茄子の牛で帰ってしまうから。

「嬉しい」

 それが本心からなのかは僕にはわからない。だって、茉莉は誰に対しても優しくて、誰に対しても平等に付き合っていたからだ。誰かを贔屓することも、誰かを憎むこともない、そんな茉莉はいつもクラスの人気者だった。

「茉莉がいなくなってから、大変だったんだよ」

 こんな話さなくていいこと、口から出てこなくていいのに、話題を見つけるのが下手すぎて嫌になる。

「そっか、ごめん」

 そんな悲しそうな顔をさせたいわけではなかったのに。

 また線香花火が大きく火花を散らし始める。残りの線香花火はあと二本。僕は迷わずそのうちの一本に火をつけた。

「今日は、お祭りだったんだ」

「神社のお祭、懐かしいね」

 なんてことない思い出話に、君はぱっと花が咲くように笑う。ああ、その顔が見たかったんだ。これでいいんだ。



 きっとあと少しだけだから。君と笑っていたいから。



 言いたいこと、伝えたいことが魚の骨のように喉に突っかかっている。そうだ、最後の一本になったら言おう。

 いや、最後の一本が牡丹の花を咲かせたらにしよう。

 まだだ、この花のような美しい時に悲しませるなんてだめだ。松葉の葉を散らしたらにしよう。

 

 そして、最後の線香花火が散り菊になる。

 弱々しい火花を散らしながら、やっとの思いで細い紐にしがみついている。もう、これが最後なのだ。考えている場合ではない。きっと言わなければまた後悔することになる。

「あのさ」

 しかし、僕が続きを言う前に茉莉が寂しそうに微笑んで口を開いた。

「さよなら」

 辺りは真っ暗になった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

夫は私を愛してくれない

はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」 「…ああ。ご苦労様」 彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。 二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。

手放したくない理由

ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。 しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。 話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、 「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」 と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。 同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。 大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」

ねむたん
恋愛
侯爵家の令嬢リリエット・クラウゼヴィッツは、伯爵家の嫡男クラウディオ・ヴェステンベルクと婚約する。しかし、クラウディオは婚約に反発し、彼女に冷淡な態度を取り続ける。 学園に入学しても、彼は周囲とはそつなく交流しながら、リリエットにだけは冷たいままだった。そんな折、クラウディオの妹セシルの誘いで茶会に参加し、そこで新たな交流を楽しむ。そして、ある子爵子息が立ち上げた商会の服をまとい、いつもとは違う姿で社交界に出席することになる。 その夜会でクラウディオは彼女を別人と勘違いし、初めて優しく接する。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

処理中です...