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ブライダルベールの花束をあなたに
しおりを挟む私は罪を背負っている。
重く両肩にのしかかってくるそれは、私の青春の記憶でもある。
意地っ張りで、素直になれなかった私の罪。
大好きだったあの子を悲しませてしまった罪。
追えないものを追いかけてしまった罪。
あの出来事が誰の責任かと言われたら、真っ先に私が手を挙げるだろう。
だから今日、私はすべてを話すと決めた。
*****
若葉の間を通り抜けてくる、爽やかな薫風。ずっと遠くまで広がっている、青い空。楽しそうに歌う、小鳥たち。
目の前に広がっている景色は、毎日が楽しかったあの頃から変わっていなかった。この後にこんな用事がなければ、この景色を美しいと楽しむこともできただろうし、あの頃を懐かしむ事もできただろう。
「美亜!久しぶり!」
高校の卒業式の日から聞いていなかった、ハキハキとしたよく通る声。その声を聞いただけで泣きそうになる。今振り返ったら、よく研いだ包丁を突きつけられるのではないかという、不安がよぎる。
顔に笑顔の仮面を貼り付けて、ゆっくりと振り返る。
何度も夢で見た、このままめった刺しにされるという状況はどうやら逃れられたようだ。
「久しぶり、沙月」
昔の私は彼女のことをこう呼んでいた。正直、こんなふうに馴れ馴れしく名前を呼ぶ権利なんてないのかもしれないけれど、昔のまま呼び方で私の名前を呼んでもらえたから、今日はこう呼ばせてもらう。
「元気だった?卒業式以来よね」
何もしなくても沙月はすらっとしていて、華奢で、女の子らしいのに、ウエストを太いベルトで締めているワンピースを着ているからきれいな体型がより引き立って見えた。高校のときは校則があったのもあるが、色つきリップクリームすら使っていなかったのに、今は薄く化粧をしていて、整った顔がよりきれいに見える。
「そうね。三年ぶり、かしら」
「わあっ。超久しぶりじゃん。ていうか、卒業してからもう三年だなんて信じられない」
にぱっ、と、音が出そうなほど笑う沙月。その笑顔はあの頃から変わっていなかった。
「そうだ。まず、これ」
私は左手に持っていた紙袋の中からミニブーケを取り出す。
「わあっ、綺麗~」
「お誕生日、おめでとう」
ブーケは一種類の花だけでできていた。白くて小さな花、ブライダルベールだ。
「本当は一抱え分くらいのを用意したかったんだけど、邪魔になっちゃうかなって」
すると沙月は一瞬目を大きくした。だが、すぐにもとの笑顔に戻った。きっと、私の言いたかった意味がわかったのだろう。昔から花や花言葉の類は沙月のほうが詳しかった。
「そうね。気持ちだけ受け取っておくよ」
その時、私は沙月の右手の薬指にキラリと光るものを見つけた。
「沙月、それって……」
「ああ、これ?ペアリングよ。まだマリッジとかそういうのじゃないから」
今も幸せなんだ。私が手に入れることのできなかったその場所で、幸せなんだ。
そのことに少しだけ救われる。
「いいじゃない。似合ってる」
本当に、よくお似合いだ。
「ありがと。彼が選んでくれたのよ」
「それでさ。話、長くなると思うから移動しない?」
「ケーキが美味しいところ紹介してくれるんだっけ?楽しみにしてたんだ!」
甘いものが大好きなところも変わってないようで安心した。約束をしたときに昔の話をすることと、ケーキを食べに行こうという話はしてある。
「こっちよ」
まだ仲が良かった頃のように、私達は並んであるき出した。
道中の会話は、本当に何もなかった仲の良い頃のようだった。
入学して初めて話と時の話。担任の先生の新婚旅行土産をもらった時の話。一緒に文芸部を立ち上げた時の話。ありえないくらい不味いコーラが体育館脇の自販機に置いてあった話。一緒に生徒会に入った時の話。体育祭で私が捻挫した時の話。文芸部で初めて部誌を作ったときの話。作ったばかりの部誌にお互いのサインを書いた時の話。文化祭のお化け屋敷で沙月がころんだ時の話。放課後に一緒に食べたクレープの話。メンバーみんなと夜遅くまで生徒会室で作業をしていた時の話。校外学習で飯盒炊爨をしたときに、沙月の前髪が燃えた話。部室の鍵をなくした時の話。一緒にコンクールの授賞式に言った時の話。生徒会室のプリンターが壊れた時の話。一緒にお弁当を一緒に食べていた時の話。
三年、私達はずっと一緒にいた。だから、思い出話は尽きなかった。
ずっとこの楽しい話が続けばいいのにと思った。
*****
「お店、ここだよ」
ついに処刑台に到着してしまった。
楽しい話はここまでだ。下唇を噛めば、ほんのり鉄の味がした。
席に付き、注文をする。
どれがいいかな、なんて沙月は楽しそうにメニュー表をキラキラとした瞳で見ているが、そんな余裕はない。本当は、今すぐここから逃げ出してしまいたい。
「ね、美亜はどれにする?」
「これにしようかな」
とりあえず「ケーキセット」と書かれた場所の一番上に書いてあったものを指差す。
「ベイクドチーズケーキか。それも美味しそうよね」
どうやら私が指差したものはベイクドチーズケーキだったらしい。
「どれも美味しいから、ゆっくり決めたらいいよ」
メニューを選んでいる間は話始めなくていいから、何時間でもかけて選んでほしい。
背中を冷たい汗がつうっと流れる。ゆっくり息をすることを意識していないと、呼吸が乱れてしまう。がやがやとした周囲の話し声が、やけに気になる。水の入ったガラスのコップについている水滴の一つ一つがいつもよりはっきり見える。厨房からかだよってくるコーヒーの香りが、私のことを急かしているようだ。
昨日の夜、何度も練習したからきっとうまく言えるはず。
そう自分に言い聞かせるが、うまく話せる気なんて微塵もない。
「決めたから定員さん呼んじゃうけど、いい?」
「大丈夫よ」
心の中は大丈夫なんかじゃない。口の中がパサパサするので、水を一口飲む。机の上にコップを戻そうとすると、視界がぐにゃりと歪む。
ダメダメ、今は倒れるわけにはいかないんだから。
なんとか気合いでまっすぐ座り直す。
「それで、話、聞いてもいいかな?」
どうやら私がそんなことをしている間に注文は取り終わっていたようで、沙月がまっすぐこちらを見ていた。揺れることのない真っ直ぐな視線が私を貫く。
逃げられない。わかっていた。
逃げないようにするために、今日、この場をセッティングした。
でも、逃げたい。
謝罪したくないわけじゃない。土下座しても、足りないくらいだと思っている。私が全てを話した後に、沙月がなんて言うのか。それが怖いのだ。
「うん。大丈夫よ」
ゆっくり息を吸って、その倍くらいの時間をかけて息を吐く。
「まず、沙月に謝らなくっちゃいけないの。あのときは、本当にごめんなさい。今ここで土下座しても」
「流石にそれはやめてね」
言葉の途中で遮られた。
「そうね。この場所でやるのはだめよね」
食事の前に地面に手をつくのは、流石に行儀が悪いとわかっている。止められるだろうとは思っていたけれど、それくらいしないと私の気持ちは伝わらないと思ったからだ。
「そうじゃなくって、そんなふうにしてもらうまでではないって私は思っているのだけれど」
「土下座しても足りないくらいだと思うのだけれど」
「ここでそれ議論しても話進まなそうだから、続き、聞かせて?」
以前は可愛らしく見えていた笑い方が、今は少し不気味に見える。
「うん。あまりうまく話せないかもしれないけれど」
そう前置きをして、私はあの頃のことを思い出しながら話した。
*****
私が彼のことを気になりだしたのは、沙月が彼のことを好きになるより前だったと思う。だって、以前沙月が教えてくれた付き合い始めた記念日よりも早かったからだ。ただ、私は「好き」という気持ちがあるからなにかしようとは思っていなかった。彼氏が欲しいとかそんなことは考えていなかったし、今の状態が好きだったから、関係性が変わってしまうのが怖かったのだ。
彼と、沙月と、私と。三人でくだらないことをするのも、勿論、他の部や生徒会のメンバーとつるむのも好きだった。
だから、たまに沙月と恋バナなんかをしても、好きな人はわざと違う人のことを話した。沙月にはまだ好きな人がいないみたいで、「そのうち甘い恋に落ちたい」なんて妄想をそれまでは話していた。
あれは、高校二年生のときの夏祭りだった。
その時は生徒会のメンバーで地元の夏祭りに行った。紺地に青い花柄の浴衣に、黄色い帯を締めていた沙月は、大人びていて、すれ違う人が振り向くほどだった。白地にピンクの浴衣を着ていた私は、なんだか子供っぽいような気がして隣に並ぶのを躊躇ってしまった。
沙月の後ろをついて歩いていた私は、その時、見てしまった。彼と沙月が手をつないでいるところを。
その時、私の心の中は薄荷の飴を食べたときみたいにすーっとした。真ん中に穴が空いてしまったみたいだ。
私には、教えてくれなかった。
こんなに近くにいるのに、教えてくれなかった。
いつから付き合っていたんだろう。
三人でくだらないことをしている時、本当は私だけ仲間はずれだったんだ。
悲しかった。
悔しかった。
裏切られたみたいだった。
とにかく、自分の中にまだあった彼に対する「好き」という気持ちを、ゴミ箱の中に押し込んでしまわないといけないことはわかった。沙月に対する親愛の気持ちも、きっと二人の前ではじゃまになってしまうから、これもゴミ箱行きにしなくてはいけないとも思った。
その決心をつけるまで、二ヶ月は掛かった。
最低な私は、最低な方法でしかこの気持をゴミ箱に持っていくことができなかった。
「もしも私があなたを好きって言ったら?」
彼と沙月、それぞれに聞いた。
沙月の答えは簡単なものだった。私の「好き」が「愛」であることを確認して、
「付き合いたいってこと?私は不器用だから二人同時に付き合えないよ。それにそんなこと思ったこともなかったし。これからも一番の友だちでいてほしいな」
よくある断り文句だ。この言葉が来るのは、わかっていた。この言葉がほしいだけのために、そんな事を言った私のことを次の朝も今までと変わらないように接してくれた沙月は、そこに本当に友情があると思ってくれていたのだろう。本当に、嬉しかった。
ただ、彼の反応は少し違った。
「少し考えさせて」
私はその言葉で調子に乗った。
彼は私に気があると思った。だからぐいっと押してみた。
運がいいことに、沙月は文系クラスだったが私と彼は理系クラスだった。教科書の貸し借りや、合同授業の時に目配せをしてみる、すれ違うときに笑いかけてみる。沙月よりも私の方に意識が向くように仕向けた。メーリのやり取りも増え、私の過去の話や家族の話も聞いてもらうようになった。
「返事、まだかな?」
一ヶ月じっくりと押したおあとに、私は聞いてみた。
「美亜は、俺と沙月を見てずっと悩んでいたんだよね……」
少しずつ、彼の気持ちがこちら側に傾いているのを見て、私は彼から距離をおいてみた。
彼からの返事はまだない。ただ、彼の性格を考えるともうそろそろ私の虜になってもいい頃のはずだ。
ただ、沙月から不審がられるようになった。
「なにをしているの?彼を悲しませているの?」
それは少し後ろめたかったけれど、当時の私からしてみれば、付き合っていたことを私に黙っていたからすでに裏切っているのに、何を言っているのだろうと思っていた。そう思うことで、自分の行動を正当化していただと思う。
それに、どんな時も彼に献身的で、可愛くて、少し天然で守ってあげたいと思わせるところを持ちながら、自分の気持ちに素直で、感情が表情に出やすい、絵に描いたようなヒロイン気質を持っているのに、あまりそれに自覚していない沙月は、まるで私の正反対を向いているようで、直視できなかった。沙月が笑うたびに私の何かが否定されているような気持ちになった。沙月が話すたびに、貶められているような気持ちになった。沙月が彼の近くに行くたびに、私の居場所はどこにもないと言われているようだった。
だから、私は作戦を続けた。
「二番目でもいいよ」
彼が私のことを完全に気にかけているころを見計らって、私は言った。
沙月を大事にすることと、私を傷つけないことをどうやって両立させようかということで悩み始めていた彼にとって、この言葉はまるで魔法のように効いた。催眠術に書けられているかのように、彼は私を頼るようになった。媚薬を飲まされたかのように、彼は私を愛するようになった。
ただ、沙月はそれをよく思っていなかったようだった。
それもそうだろう。自分の大切な彼氏が他の女にそそのかされているのだ。
しかし、どんな沙月の言葉も、魔法にかけられた彼には届かなかった。彼は「三人で一緒にいることも出来るはずだ」といい、私もまた「私は所詮二番目よ」と言った。
それが沙月を追い詰めていることはわかっていた。
でも、やめられなかった。
だって、この場所を失ったら、私はどこに行けばいいのかわからなかったからだ。一人ぼっちになるのが嫌だったのだ。それに、彼は私を必要としてくれていた。必要とされるのが嬉しかった。そんな手段でしか居場所は作れなかったが、そんな手段でもたしかに私の居場所だった。
しかし、時にそんな自分に嫌気を感じて、彼からも沙月からも何も言わずに距離をおいたりもした。そうして「戻ってきてよ」と誰かに言われるのを待っていた。ふたりとも優しかったから、いや、優しすぎたからこそ、こんな私をいつも気遣ってくれていた。
彼はともかく、沙月からしたら目障りな存在なはずなのに、沙月の私に対する態度は、一度も変わったことがなかった。どこまでいっても、ずっと「仲のいい友達」の距離感を保っていてくれた。顔色が悪いことを心配し、私の最寄り駅まで着いてきてくれたりした。気晴らしに行こうと、放課後、クレープを食べに連れて行ってくれた。何も言わないで頭をなでてくれた。吐き気が酷い日、何も言っていないのに「朝ごはん、食べられてないんじゃない?」と、コンビニでゼリーを買ってきてくれた。
優しくされればされるほど、全てをなかったことにしたくなった。なぜあんな発言をしたのだろうと後悔した。沙月にしてしまった意地悪な行動の数々を取り消したくなった。
でも、私は意地っ張りで、見栄を気にして、頑固で、素直じゃなかったから、謝ることができなかった。「ごめんなさい」の一言が、あの時言えたら、きっと今抱いている感情はもっと違うものだったはずなのに、どうしてもその言葉が言えなかった。
そうしているうちに時間は流れ、私達三人の関係は捻じれ、もう、戻ることができない状態になってしまっていた。
全てが嫌になった私は、また、その場所から逃げることしかできなかった。
地元から離れた大学、それもわざわざ六年制の薬学部を受験し、卒業後は大学の近くで寮生活をすることにした。
私のことを知っている人が誰もいない場所で、全てをやり直そうと思ったのだった。
*****
皿の上のケーキはなくなっていて、カップに半分くらい残っているコーヒーもすっかり冷めてしまっていた。
「だからね、ずっと謝らなくちゃいけないと思っていたの。ごめんなさい」
私はもう一度、深々と頭を下げた。
「頭上げてよ、もう。気持ちをちゃんと言えていなかったのは、お互い様でしょ?」
沙月はカップの中に視線を落したまま言った。そこにどんな顔が映っているのかは、見えない。
「お互い様なわけないじゃない。悪かったのは、私なの」
素直になれなかった、頑固で、意地っ張りで、見栄を気にしていた私が悪いのだ。
「じゃあ、そういうことにしておくよ」
納得してくれたのかはわからない。もしかしたら、この場を収める為だけの発言なのかもしれない。
ただ、これで沙月がもう過去を気に病まなくなってくれたらいいなとだけ願う。
*****
会計を済ませて、店の外に出ると緑色の風がスカートを揺らす。
「今日はありがとう!」
ああ、今でも眩しいな。
そんな沙月の笑顔から目をそらしたくなる。足元に視線を落とせば、黒い影が揺れる。
「私の方こそ、ありがとう」
声が震えないようにするのが精一杯だった。
「結婚式、呼ぶね」
「うん。忙しくなかったら行くよ」
「ああ、そっか。美亜の大学って六年制なのよね」
「うん、だから忙しい時期だったら……。でもね、行きたいよ?」
口先だけでもそう言っておく。だって、最後に最低な印象を残してしまったら、沙月は優しすぎるからまた気にしてしまう。
「それに、またお茶もしよ?」
あんなことを話した後なのに、まだ出会った最初の頃のように友だちでいようとしてくれる沙月は、やっぱり人がいいのだ。こんなに素敵な子に、私は最初からかなうはずなかったんだ。
「うん。しよしよ!」
作り笑いの笑顔も、もしかしたらバレているのかもしれない。でも、これを取るわけには行かなかった。だって、とったら泣き顔が出てきてしまう。それだけは絶対に避けなくてはならないのだ。
歯を食いしばろうと、一度俯く。
「あ、もしかして時間?この後何かあったの?」
私のそんな動作を腕時計を見たと思ったのだろうが、その流れに乗らせてもらう。
「実はちょっと用事があってさ」
もちろん嘘であるが、そろそろ仮面が本当に剥がれてしまいそうだった。
「そっか、大変だね。ってか、そんな日にわざわざありがとね」
「ううん、いいの。帰省しているときじゃなきゃできないことばかりだし。それに、今日じゃなきゃ会えなかっただろうし」
「それもそっか」
沙月もちらっと腕時計を見る。
「私も電車の時間が近いから、そろそろ行くよ」
「うん。またね」
精一杯の笑顔で、嘘を付く。
もう、あなたに会うことは二度とないでしょう。
結婚式も、お茶も、きっと約束は果たされないでしょう。
あなたはきっとそれを悲しむかもしれません。
どうか、幸せになってください。
私を忘れてもらうためなのです。
どうか、幸せになっていください。
私を忘れたその先を、あるき続けてください。
どうか、幸せになってください。
あなたが幸せになってくれなくては、私の罪は意味のないものになってしまうのです。
どうか、幸せになってください。
私の手に入れることができなかったその愛の元で、太陽のように笑い続けてください。
どうか、幸せになってください。
これは歪みきった私の愛です。
どうか、幸せになってください。
私はそれを願っています。
どうか、幸せになってください。
どうか、幸せになってください。
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