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悪魔の鏡は私の瞳
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「悪魔の鏡を知っているかい?」
また新しい街についたのだろう、と、私は何度も聞いた馴染みおアルソのセリフを耳にして思った。遠くで太鼓や笛の音がする。きっと前にいた街よりも大きな街に違いない。
「ああ。知っているとも。醜いものがより醜くなり、美しいものはより美しく見えるという悪魔の鏡だろう」
いつもはこの鏡の説明から入るのだが、この話をしないなんて珍しい。きっと情報通ってやつか、位の高い人なのだろう。
「その悪魔の鏡の力をこの瞳に宿したのが、この少女ってわけよ。どう? 一人買っていかない?」
真っ暗だった箱の中に一筋の光が入る。その眩しさに思わず目を細める。
私のことを上から覗き込む、二つの顔。一つはいつも私にパンと水を投げてくるあの男の顔。しゃがれた低い声と薄汚れた深い緑色のトンガリ帽子。細いつり上がった二つの目が光っている。あたり一面に漂うのは黒くて歪んだ禍々しい空気。
対してもう一つの顔はよく整った男の顔だった。まるで陶器でできているかのような白い肌と、宝石のような青い瞳。ほんのりバラ色に染まった頬と、さくらんぼのように艶のある唇。どの部分をとっても美しい。その周りはまるで月明かりに照らされているかのようにぼんやりと輝いている。こんなに美しいひとは初めて見た。
「瞳を覗けば、映ったものが美しいか醜いかわかるってことかい?」
「ああ、そうだ。この娘を鏡として使うもよしだが、娘として使っても良いぞ。見ろよ、この長い髪を。透き通る小川の流れのような銀色の髪なんて、この街では珍しいんじゃないか?」
そう言って、私にパンと水を投げてくる男は私の髪を引っ張った。体の位置がずれて、私と箱をつなぐ黒くて重い鎖がガシャリ、と、重たい音を立てる。
「繋いでいるのかい?」
「これでも大切な商品なのでね」
私は足元に散らばった氷のパズルを急いでかき集める。「このパズルが完成したら、ここから開放してやる」なんて昔言われた。でも、このパズルはいつも解くことが出来ないまま、水になってしまう。二日に一度くらい与えられるこのパズルを、私はいつか解くことができるのだろうか。そんな事をするよりも前に、誰かに買われてしまうのではないだろうか。
ああ、でももし買われてしまうなら、この美しい男がいい。私の瞳にはその人の本当の部分が見える。醜いものはより醜く、美しいものはより美しく。だからきっとこの人は、本当に心まで美しいに違いない。
「どうですか、旦那。いまならちょいと安くしておきますよ」
「いくらだい?」
ああ、やっぱり買われてしまうんだ。でも構わない。きっとこの人は、本当に心まで美しいに違いないから。
「ちょうど、これくらいで」
その後に、しばらく沈黙が降りた。握りしめた氷のパズルがゆっくりと溶けていく。
一つのピースが完全に水になってしまってから、美しい男は言った。
「その女、買おう」
*****
それからはあっという間だった。川へ連れて行かれて、体のすべてを洗濯され、今まで着たことのないような色鮮やかなドレスを着せられた。鎖の代わりに巻かれたのは星のように輝く宝石。髪を結い上げられ、よくわからない白や薄紅の粉を顔に付けられた私は、まるで昨日までの私とは別人のようだった。
今まで住んでいた箱の、何百倍もの広さの部屋に連れて行かれるとそこに待っていたのは、あの美しい男だった。
「よく来てくれた。君は僕の大事な人として、僕の家に迎え入れることにしたんだ。どうか僕と、永遠に一緒にいてくれ。それから、もしも醜く、目も当てられないようなものを見つけたらm僕に教えてほしい。」
そうして私の手の甲にキスをして、左手の薬指に、大きくて太陽のように輝く宝石がついた指輪をはめてくれた。
幸せな時間の始まりだった。
広い部屋に、ふかふかのベッド。美しいドレスやアクセサリーと、毎食テーブルいっぱいに並ぶ皿。それから毎晩のように開かれる夜会。
その家のすべてが美しいわけではなかった。勿論、醜く、目も当てられないようなものだってあった。その家の中で働いている人、夜会に来る人、たまに料理が醜く歪んでいるときだってあった。その度に私は彼に報告した。すると、一度見た醜いものはどういうわけかふたたび見ることはなかった。
それでも、二日に一度の氷のパズルはこの家の中でも用意された。こんな美しいところから開放されたいなんて考えはなかったが、彼が用意してくれたものを無駄にしたくなかったので、私はそれを解こうとした。
でも、いつも解く前にその氷のパズルは溶けてしまうのだった。
ある日、いつものように夜会をしていたときだった。
見たこともないような美しい女の人を見つけた。ブロンドの髪を高く結い上げ、昼の空のような青いドレスを身にまとっていた。他の女の人と違い、身につけている宝石はほんの少しだったが、それがさらに彼女の美しさを際立たせていた。
「どうしたんだい? 醜いものを見つけたのかい?」
「いえ、美しい女の人だな、と」
「ああ、本当に彼女は美しいね」
いつも私の横で夜会を眺めているだけだった彼は、この日、初めて私の横から離れた。そして、その彼女に声をかけに行った。
なんだか、心の奥がザワザワと揺れている。まるで嵐が来る前の森のようだ。全く、変な気分だ。
*****
あの夜会から数日が立っていた。
「出来た!」
私は今日も氷のパズルを解いていた。そして、初めて完成することが出来た。急いで彼の元へ持っていく。溶かさないように、急ぎ足で。壊さないように、慎重に。
「パズルがやっと完成したの」
廊下で彼を見つけると、私はそう言って実物を見せた。
「ああ、本当だ。なるほど、『永遠』か。そういえば、このパズルが完成したら開放しなくちゃいけないんだよね」
その時、初めて彼の顔がグニャリと曲がった。
「この場所から開放してあげるよ。僕の婚約者って場所からね。だから君は、今度は地下牢で過ごすといい。今までと同じような生活ができるよ」
左手の薬指に嵌っていた指輪が抜き取られる。
「おい、そこの。彼女を地下牢へ。たまにこの目が必要になる時があるから、目を傷つけるな。それから、命も取るなよ。それ以外はどうでもいい」
ああ、そうだ。氷でつくった「永遠」なんて文字、意味がないんだ。形だけの永遠なんて、溶けてなくなってしまうから。
また新しい街についたのだろう、と、私は何度も聞いた馴染みおアルソのセリフを耳にして思った。遠くで太鼓や笛の音がする。きっと前にいた街よりも大きな街に違いない。
「ああ。知っているとも。醜いものがより醜くなり、美しいものはより美しく見えるという悪魔の鏡だろう」
いつもはこの鏡の説明から入るのだが、この話をしないなんて珍しい。きっと情報通ってやつか、位の高い人なのだろう。
「その悪魔の鏡の力をこの瞳に宿したのが、この少女ってわけよ。どう? 一人買っていかない?」
真っ暗だった箱の中に一筋の光が入る。その眩しさに思わず目を細める。
私のことを上から覗き込む、二つの顔。一つはいつも私にパンと水を投げてくるあの男の顔。しゃがれた低い声と薄汚れた深い緑色のトンガリ帽子。細いつり上がった二つの目が光っている。あたり一面に漂うのは黒くて歪んだ禍々しい空気。
対してもう一つの顔はよく整った男の顔だった。まるで陶器でできているかのような白い肌と、宝石のような青い瞳。ほんのりバラ色に染まった頬と、さくらんぼのように艶のある唇。どの部分をとっても美しい。その周りはまるで月明かりに照らされているかのようにぼんやりと輝いている。こんなに美しいひとは初めて見た。
「瞳を覗けば、映ったものが美しいか醜いかわかるってことかい?」
「ああ、そうだ。この娘を鏡として使うもよしだが、娘として使っても良いぞ。見ろよ、この長い髪を。透き通る小川の流れのような銀色の髪なんて、この街では珍しいんじゃないか?」
そう言って、私にパンと水を投げてくる男は私の髪を引っ張った。体の位置がずれて、私と箱をつなぐ黒くて重い鎖がガシャリ、と、重たい音を立てる。
「繋いでいるのかい?」
「これでも大切な商品なのでね」
私は足元に散らばった氷のパズルを急いでかき集める。「このパズルが完成したら、ここから開放してやる」なんて昔言われた。でも、このパズルはいつも解くことが出来ないまま、水になってしまう。二日に一度くらい与えられるこのパズルを、私はいつか解くことができるのだろうか。そんな事をするよりも前に、誰かに買われてしまうのではないだろうか。
ああ、でももし買われてしまうなら、この美しい男がいい。私の瞳にはその人の本当の部分が見える。醜いものはより醜く、美しいものはより美しく。だからきっとこの人は、本当に心まで美しいに違いない。
「どうですか、旦那。いまならちょいと安くしておきますよ」
「いくらだい?」
ああ、やっぱり買われてしまうんだ。でも構わない。きっとこの人は、本当に心まで美しいに違いないから。
「ちょうど、これくらいで」
その後に、しばらく沈黙が降りた。握りしめた氷のパズルがゆっくりと溶けていく。
一つのピースが完全に水になってしまってから、美しい男は言った。
「その女、買おう」
*****
それからはあっという間だった。川へ連れて行かれて、体のすべてを洗濯され、今まで着たことのないような色鮮やかなドレスを着せられた。鎖の代わりに巻かれたのは星のように輝く宝石。髪を結い上げられ、よくわからない白や薄紅の粉を顔に付けられた私は、まるで昨日までの私とは別人のようだった。
今まで住んでいた箱の、何百倍もの広さの部屋に連れて行かれるとそこに待っていたのは、あの美しい男だった。
「よく来てくれた。君は僕の大事な人として、僕の家に迎え入れることにしたんだ。どうか僕と、永遠に一緒にいてくれ。それから、もしも醜く、目も当てられないようなものを見つけたらm僕に教えてほしい。」
そうして私の手の甲にキスをして、左手の薬指に、大きくて太陽のように輝く宝石がついた指輪をはめてくれた。
幸せな時間の始まりだった。
広い部屋に、ふかふかのベッド。美しいドレスやアクセサリーと、毎食テーブルいっぱいに並ぶ皿。それから毎晩のように開かれる夜会。
その家のすべてが美しいわけではなかった。勿論、醜く、目も当てられないようなものだってあった。その家の中で働いている人、夜会に来る人、たまに料理が醜く歪んでいるときだってあった。その度に私は彼に報告した。すると、一度見た醜いものはどういうわけかふたたび見ることはなかった。
それでも、二日に一度の氷のパズルはこの家の中でも用意された。こんな美しいところから開放されたいなんて考えはなかったが、彼が用意してくれたものを無駄にしたくなかったので、私はそれを解こうとした。
でも、いつも解く前にその氷のパズルは溶けてしまうのだった。
ある日、いつものように夜会をしていたときだった。
見たこともないような美しい女の人を見つけた。ブロンドの髪を高く結い上げ、昼の空のような青いドレスを身にまとっていた。他の女の人と違い、身につけている宝石はほんの少しだったが、それがさらに彼女の美しさを際立たせていた。
「どうしたんだい? 醜いものを見つけたのかい?」
「いえ、美しい女の人だな、と」
「ああ、本当に彼女は美しいね」
いつも私の横で夜会を眺めているだけだった彼は、この日、初めて私の横から離れた。そして、その彼女に声をかけに行った。
なんだか、心の奥がザワザワと揺れている。まるで嵐が来る前の森のようだ。全く、変な気分だ。
*****
あの夜会から数日が立っていた。
「出来た!」
私は今日も氷のパズルを解いていた。そして、初めて完成することが出来た。急いで彼の元へ持っていく。溶かさないように、急ぎ足で。壊さないように、慎重に。
「パズルがやっと完成したの」
廊下で彼を見つけると、私はそう言って実物を見せた。
「ああ、本当だ。なるほど、『永遠』か。そういえば、このパズルが完成したら開放しなくちゃいけないんだよね」
その時、初めて彼の顔がグニャリと曲がった。
「この場所から開放してあげるよ。僕の婚約者って場所からね。だから君は、今度は地下牢で過ごすといい。今までと同じような生活ができるよ」
左手の薬指に嵌っていた指輪が抜き取られる。
「おい、そこの。彼女を地下牢へ。たまにこの目が必要になる時があるから、目を傷つけるな。それから、命も取るなよ。それ以外はどうでもいい」
ああ、そうだ。氷でつくった「永遠」なんて文字、意味がないんだ。形だけの永遠なんて、溶けてなくなってしまうから。
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こんにちは。あきたけと申します。天野さん『悪魔の鏡は私の瞳』を拝読しました。発想がとてもよく、美しい仕上がりだなと思いました。最後、謎が解けた感じがしてさすがだなぁと思いました。素敵な作品をありがとうございました!
ご覧いただきありがとうございます!
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