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【9】不在
しおりを挟む騎士団が帰還したという知らせを、ルナは聞いた。新聞を見るまでもなく、王都全体が沸き立ったからである。最近では、雪の量が、例年と同じくらいに戻っていた。ルナは街角に立ちながら、王宮がある方角の道を見ていた。
――ギルベルトが帰ってきたのだ。
……会いに来てくれるだろうか?
そんな不安が浮かんでくる。
「きっと、会いに来てくれるよね……きっと……」
ルナは信じて待っていた。その日は結局ギルは姿を現さなかったが、忙しいのだろうと必死に内心で考えた。そして翌日、凱旋パレードが開かれると聞いた。ルナは、それを見に行く事にした。人ごみに紛れて、ルナは行進している騎士達を見る。
「あ」
その中に、ギルの姿を見つけた。真剣な表情で、しっかりと前を向いて進んでいく。視線が合う事は無かったが、一目見られただけでも胸が温かくなった。帰ってきたのだ。ギルが帰ってきた。それが何よりも嬉しい。
ギルの姿を確認し、その背が遠ざかるの見守ってから、ルナは街角に戻った。本日はパレードを見に出た人々が多いから、通行量も多い。ロウソクが飛ぶように売れていく。寒さで白くなる息を吐きながら、ルナは陽が落ちるのを待っていた。
「今日は、パレードだったから……」
この日もギルは来なかった。しかし、王宮では祝勝の晩餐会も開かれるらしいと聞いていたから、仕方が無いと首を振る。素直に家に帰り、明日こそは会えるかもしれないと考えながら眠りに就いた。
――翌日。
夜が待ち遠しい。ルナは何度もギルベルトがいつも来ていた方角を見ながら、ロウソクを売った。そうして陽が落ちた。通りに、人影が見えた。ルナは目を凝らす。だがその影が近づいて来るに連れて、怖くなって俯いた。ギルでは無いかも知れない。ギルはもう自分の事など忘れてしまったかもしれない。ギルは、来ないのかもしれない。そんな不安に押し殺されそうになっていた時、ルナの前で誰かが止まった。
「マッチを売ってくれないか?」
「え……」
驚いて顔を上げたルナは、それからすぐに落胆した。そこにいたのは、ギルでは無かったからだ。しかし騎士装束を纏っている。
「あ、その……どうぞ」
ルナがマッチを渡すと、手袋を外して受け取った騎士が不意に笑った。長い銀髪を束ねている。
「代金と――これを。私はバルナ=エリウスと言います。これは同僚の……今回の功績で、王国騎士団の副団長に昇進した人物から預かった手紙です」
ルナの手に、青年が銅貨と、上質な封筒に入った手紙を乗せた。受け取ったルナは首を傾げる。青年はそれを見ると、すぐに踵を返した。だが、数歩歩いて立ち止まった。
「――王国騎士団は、すぐに続いて、屍竜の討伐に向かう事に決まっています。指揮官は、副団長ですよ。明日には発つ事になっているんです」
「……? そうなんですか」
団長はハルベルトだと知っていたが、ルナは副団長については知らなかった。
――ずっと空席だった副団長に、ギルベルトが就いた事も、まだ知らない。
そのまま青年騎士は歩き去った。受け取った手紙をまじまじと見ながら、ルナは首を捻った。
それからギルベルトが来るのをルナは待っていた。しかしこの日もギルの姿は無い。副団長となり、次の遠征準備で多忙のギルは、抜け出す事すら出来なかったのである。
手紙を書こうにも、貧民街には戸籍や住所といったものがない。渡すためには、直接会うしかない――という事で、先日までの同僚であり、現在は部下となった友人に、ギルは手紙を託したのである。
ルナは、ギルベルトのそんな事情を知らない為、この日は月が真上に昇ってから帰った。そして、手紙を開けてみる事にした。
「ええと……」
しかしそこに記されている文字は、難しい。何度も考えながら読んでみる。しかしほとんど読めなかった。けれど一番最後に、『ギルベルト=クライン』と書いてあるのを見た。新聞で覚えた文字だ。
「これは、ギルからのお手紙なのかな……? きっと、そうだよね。ギルは、私の事を覚えていてくれたんだ」
それだけで、ルナは嬉しくなった。翌日、その手紙を持って孤児院へと向かった。するとルーカスが顔を出して、手紙を読んでくれた。
「簡単に言うとね、副団長になって遠くに行くから、暫く来られないという内容だよ」
「そうなの……どこに、どのくらい行くの?」
「バーレイア侯爵領地だから、ここからずっと東にいった所だね。そこに砦が建設されているみたいだ。屍竜の討伐は、うーん。僕が過去に新聞で見た時は、一年半かかったと見たよ。魔術で結界を構築して、剣で倒すんじゃなかったかなぁ」
「一年半……一年半待ったら、会えるかな?」
「危険がつきものだから、絶対とは言えないだろうけどね」
「ギルは……危険なお仕事をしてるんだよね……大丈夫かな?」
「神に祈ろう。僕は祈るのは得意だよ。これでも聖職者だからね」
ルーカスはそう言うと、ルナの頭を叩くように撫でた。ルナは小さく頷いた。
そして孤児院を出ながら、口元を押さえる。最近、吐き気がするのである。
「また風邪かなぁ?」
――体を壊したら、ギルが心配する。
ルーカスにいつか言われた事を思い出し、ルナは気をつける事にした。
冬は次第に深まっていく。
ロウソクは、新年が近づくにつれて、飛ぶように売れた。灯り取りとしてだけではなく、この国では、新年に際して、ロウソクに火を灯す風習があるからだ。神聖な一年の開始の日に、魔を払うためなのだという。新年が明けてからもロウソクを灯す人が多いため、一年の最初の月――ギルと出会って三ヶ月目となるその月も、ルナは多忙となった。
気がついたらあっという間に、二番目の月が訪れていた。この頃になると、吐き気が収まってきた。一時期は本当に酷かったのだ。そのせいなのか、妙にお腹が減るようになっていた。だからといって、ロウソク売りの収入で少し潤ったとはいえ、ギルが来ていた頃ほどは満足に食事は出来無い。その結果なのか、ルナは腹部に手を添え困惑していた。お腹だけが少し出てきた気がするのだ。これではギルに裸を見せられないと考えて、一人で照れた。
「……」
しかし、そんな日が戻ってくるのかは、実を言えば自信が無かった。新聞は相変わらず買うようにしているが、雪竜の時とは異なり、屍竜討伐に関しては、あまり新聞に載らないのだ。騎士団の通常任務の一つであるかららしい。
ロウソクを売りながら、それでもルナは、いつも道を見ていた。ギルベルトがいないと分かっていても、ギルの姿を探してしまう。
その内に春が来た。ルナは、異変を感じていた。お腹がいよいよ出てきて、時に――動く気がするのだ。病気だろうかと不安になっていた。そんなルナの異変に、四番目の月になって顔を出したルーカスも気がついた。
「ルナ、君は最後に月のものが来たのはいつだい?」
「え?」
元々ルナは栄養が満足に足りてはおらず、生理など不順きわまり無かった。長期間来ない事など珍しくなかった為、思い出せない。だから首を捻っていると、ルーカスが硬い表情になった。そのままルーカスは、ルナを孤児院に連れて行き、シスター・アンヌに見せた。四十代半ばのアンヌは、ルナを見ると、すぐに言った。
「妊娠しているのね」
「!」
ルナは驚いた。気づくと冷や汗をびっしりとかいていた。心当たりは、ある。そして相手は一人しかいない。その事は、ルーカスがエルンストにも伝えた。身重の体で街に長時間立たせておくわけにはならないという判断がなされて、一時的にルナは仕事を休む事に決まった。王都は、妊婦には生活費を少しだけ援助してくれる。その僅かな銀貨で暮らしながら、ルナはシスター・アンヌに体を見てもらうようになった。
――子供が生まれたのは、夏の事だった。ルナそっくりの暗い金髪をしていた。瞳の色は、ギルによく似た碧をしている。
「可愛い……」
出産し、ごっそりと体力を持って行かれたルナは、赤子を抱きながら必死で息をしていた。それから一ヶ月ほどは、孤児院の療養室に、子供と一緒にお世話になっていた。
「名前……どうしよう」
体力が少し戻ってきてから、ルナは赤子を抱いて悩んでいた。洗練を受けると決まったのだが、まだ名前が決まらないのだ。本当は、ギルベルトに相談したかったが、文字の書けない彼女は、自分から手紙を送るという発想が無かった。
自分とは違い、明確に誕生日がある我が子を、愛おしいと思いながら、必死に考える。そして名前を決めた。アルベルトと名付ける事にしたのである。洗礼は、ルーカスが行ってくれた。十六歳で母になったルナは、家族が出来た事が嬉しかった。これからは、一人では無い。ギルベルトがいてくれたらもっと良かったとも思ったが、今は、子供と二人で生きていこうと決意していた。ギルベルトの帰りを待ちながら。
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