マッチ売りと騎士

ぬい

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【3】マッチ以外の商品の検討と売り込み。

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「きちんと食べているかい?」

 翌日。
 今でも心配して見に来てくれる孤児院所属の聖職者――ルーカスが、ルナの家へと訪れた。ルーカスは金髪を揺らすと、黒い牧師服の首元に触れながら、室内を見渡した。早朝に出迎えたルナは、昨日ギルベルトに貰った粉の珈琲を淹れる。

「この家で珈琲が出てくるとはね」

 驚いた様子で椅子に座ったルーカスを見て、ルナは笑顔を浮かべた。本日は仕事には遅く出かける事に決める。二十八歳のルーカスは、彼が十八歳の頃からルナを担当している。初めて会った時は五歳だった(という事に決めた)ルナが、十五歳になって、その担当は一応外れた。それでもこうして、時折様子を見に来てくれるのである。マッチ売りの商人を紹介してくれたのもルーカスだ。ルーカスは紫色の瞳を揺らしながら、カップを手にした。

 その正面に座ったルナは、自分にも淹れた珈琲を味わう。芳しい匂いが漂っている。

「所で、その椅子にかかっているのは、王国騎士団の外套じゃないのかい?」
「返すのを、また忘れちゃったの」
「返す? 誰にだい?」
「ギルベルトって言う人」
「――まさか、ギルベルト=クラインかい?」

 ギルの名前に、ルーカスが目を瞠った。まさか、と、彼は考えていた。きちんと新聞に目を通す彼は、現在王国で当代一の実力の持ち主と名高いギルの名前をしっかりと知っていたのだ。

「そう。そう言ってた」
「ルナ。一体どこで、知り合ったんだい?」
「お花を買ってくれたの」
「え」

 ルーカスは焦った。花売りが娼婦の事だと、彼は正確に知っていた。幼い頃から見守ってきたルナが体を売ったのかと考えたら、複雑な気持ちになった。同時に、僅かに赤面してしまった。ルナは相変わらず貧弱な体をしているが――最近は大人びてきたと感じる事もあるからだ。そんなルーカスの反応を見て、ルナは、はたと思い出した。

「あ、お花って、ここの魔法植物だよ? 娼婦じゃないからね!」
「そ、そう。驚いたよ」

 その言葉に安堵し、ダラダラと汗をかいていたルーカスは肩から力を抜いた。

「職に貴賎はないけれど、体は大切にするようにね」
「はい!」

 素直なルナが頷いた。珈琲を飲みながら、ルナはルーカスを見る。ルナにとってルーカスは、親代わりでもある。頼れる存在だ。

「ねぇ、ルーカス。あのね、マッチが全然売れないの」
「困ったねぇ」
「だから、もっと何か売れる物をと思って、魔法植物を売ろうとしたの」
「そう言う事か……」

 納得した様子のルーカスを見て、ルナはコクコクと頷く。それから珈琲を一口、大切に飲んでから、カップをテーブルに置いた。

「エルンストさんに、何か別の商品を尋ねてみたらどうかな? 彼は様々な商品を扱っている商人だからね」

 ルーカスは己の知人でもある、マッチ売りの商人の名前を上げた。それを聞いて、ルナは少し考えてみた。確かに良い案である。てっきりマッチしか扱っていないと思っていたのだが、勘違いだったらしい。

「今日、早速聞きに行ってみるね」
「うん。それが良いね。他には、変わりは無い?」
「変わり……背も伸びないし、何も変化は無いの……」
「少し窶れたみたいだけどなぁ」
「だけどね。昨日、ギルが美味しいお料理を作ってくれたから、もう暫くは平気!」
「ギルベルト=クラインが料理!? どうして?」
「分からないけど、私を喜ばせてくれるって言っていたの」

 それを聞いて、ルーカスは沈黙した。何故高名な騎士が、ルナに料理を振舞ったのだろうか。首を捻るしかなかった。だがルナは、ただ嬉しそうな顔をしている。

「そ、そう。それは良かったね」

 ルーカスはそれだけ言うと、珈琲を飲み干して立ち上がった。そして帰っていった。見送ったルナは、赤い外套を着込む。今日もギルに会えたら外套を返そうと考えて、騎士団の外套も手にとった。だが本日は、先に商人のもとへと向かう事にした。

 貧民街を抜けて、大通りに出る。そして角を二度曲がり、エルンストが経営しているワークワーク商会の建物の前に立った。今日はまだ雪が降っていないから、凍えてはいない。緊張しながら、ルナは扉を開けた。

「いらっしゃ――……なんだ、ルナか」

 すると会計卓の前にいた、エルンストの娘であるリズが顔を上げた。エルンストの姿は無い。リズはルナの一つ年上の十六歳で、赤い髪と目をしている。そばかすのある顔に、不機嫌そうな表情を浮かべて、ルナを見ると腕を組んだ。

「マッチ売りが何の用かしら?」
「エルンストさんに、マッチ以外の商品が無いか聞きに来たの」
「貴女に触らせる商品なんて無いわよ。汚らわしい孤児になんか、うちの商品は勿体無いのよ」

 裕福な商家の娘であるリズは、本日も煌びやかなドレスを纏っている。ツギハギだらけのボロボロの服を着ているルナは、俯いた。リズは、意地悪なのだ。いつもルナを馬鹿にする。しかしルナは言い返せない。言い返したら、仕事を取り上げられてしまうかもしれないからだ。エルンストは、リズに甘いのだ。

 そこへエルンストが丁度顔を出した。彼もまた赤い髪をしている。三十二歳のエルンストは、妻を亡くしてから、一人で育ててきた娘を溺愛している為、まずはリズを見た。そして満面の笑みになる。リズも父の姿に笑顔を浮かべた。

「ルナは遊びに来たのかね?」

 エルンストが扉を見て声をかける。エルンストは、リズの性格が良好であると信じきっているので、リズはルナを可愛がっているのだと思っていた。リズは父の前では良い子になるのである。そもそもリズがきつく当たるのは、ルナに対してだけだ。他の友人達にもそれほど冷たくは無い。リズはルナが羨ましいのである。ルナは華奢で、体重を気にしているリズからすれば嫉妬してしまうのだ。ルナにはそばかすも無い。艶やかな髪も、手入れをしている己よりも細く綺麗に見えたし、大きな緑色の瞳や長い睫毛も可憐だ。ルナは、単純にリズが意地悪なのだと思っていたが、ただの嫉妬である。

「あ、あの! マッチ以外の商品を売りたいと思って来たんです……!」
「マッチ以外? マッチもまた大切な商品なのだがね。不服なのかね?」
「不服というか……全然売れないんです」
「きちんと呼び止めて売っているのかね? ただ立っているのでは、売れるものも売れないと思うがね」

 目を細めたエルンストの言葉に、ルナは押し黙った。確かに率先して声をかける事はしていなかった。ルナは、これまでに誰にも、売り方を教わっていないのである。

「マッチが上手く売れるようになったら、他の商品も検討するとしよう」

 エルンストはそう言うとリズの隣に立ち、リズの髪を撫でた。リズは嬉しそうな顔をしている。親のぬくもりを知らないルナにとっては、それが羨ましかった。ルナもまた、リズを羨ましく思っているのである。

 結局新商品を任せられる事はなく、ルナは商会を後にした。
 そして雪が舞い始めた街角に立つ。今日も寒かった為、ギルの外套を羽織ってしまった。すると少しして、目の前を人が通りかかった。

「あ、あの!」

 売り込みをする決意をし、ルナは声をかける。すると通行人の青年が足を止めた。黄土色の髪と目をした青年だった。

「何か?」
「マッチはいかがですか?」
「マッチ? ああ……マッチ売りか」
「は、はい! マッチの火は小さいけど、とても綺麗です!」

 いつも竈にはマッチで火を入れているから、その光景を思い出して、ルナは断言した。すると二十代前半くらいの青年が腕を組んだ。

「君、名前は?」
「ルナです」
「へぇ。僕はベリルと言うんだけどね、近くで美容室を開いているんだよ。もし君が、カットモデルをしてくれると言うんなら、一つくらい買っても良いよ」
「カットモデル?」
「君は長い髪をただ結んでいるだけだから、もう少しお洒落をしたら、光ると思うんだよね。外見は営業にとって、とても重要だよ。お代はマッチで良いから、ついてきな」

 そう言ってベリルは微笑した。ルナは困惑しながら自身の髪に触れる。
 ――マッチが売れたら、他の商品も任せてもらえる。
 それを思い出し、ルナは頷いた。

 こうしてルナはベリルについていった。そしてこれまではルーカスに切ってもらうか、成長してからは自分で切っていた髪を、初めて他の人に切ってもらう事になった。ドキドキしながら鏡の前に座る。鋏とクシを手に、ベリルは微笑していた。こうして散髪が始まり、ルナは目を閉じた。

「はい、完成だよ」

 ベリルの言葉に鏡を見ると、肩より少し長いくらいの長さに変わっていた。毛先が緩やかに巻いているのは、ルナの髪のクセだ。僅かに天然のパーマがかかっているのである。

「有難うございます」
「誰かに聞かれたら、僕の店で切ったと宣伝してね。聞かれなくても宣伝をよろしく。それとこれは、マッチの代金」

 こうしてベリルはマッチを買ってくれた。
 嬉しい気分で、ルナは外に出た。そしていつも立つ街角へと戻り、髪の毛先を指で巻いてみる。その後はマッチが売れる事は無かったが、この日はとても幸せな気分だった。

「ルナ」

 ギルベルトに声をかけられたのは、日が落ちてからの事だった。

「あ、外套――」
「着ていろ……っ」

 ルナのいつもと違う雰囲気に、ギルが息を呑む。普段は結んでいた髪を下ろしているルナは、少しだけ大人びて見える。似合っていて可愛い――ギルはそう言いたかったが、上手く口からは出てこない。手にしていた紙袋を抱き直しながら、ギルは視線を背けた。

「……今日も花を買いに来たんだ。家に連れて行け」
「うん、分かった!」

 ギルの赤い頬には気づかず、ルナは笑顔で頷いたのだった。


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