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【2】誤解と餌付け。
しおりを挟む「しかし寒い部屋だな」
そう言うと彼は、指をパチンと鳴らした。すると急に室内が暖かくなった。魔術である。王国騎士団の騎士は、魔術も剣も使える者だけが選ばれる。
「あ、あの、あの! 違うんです。私は、お花を売っていたんです!」
「? だから、娼婦だろう? 花売りは、娼婦だという目印だ。この季節には珍しいが」
「違います! お花だけを売っていたの!」
「俺が嫌だという拒否か? 折角、震えていたお前を哀れに思って買ってやったのに」
「だから違うの! 離して!」
ルナは青年の胸を押し返そうとした。しかし厚い胸板はびくともしない。回されている力強い腕も、離れる気配が無い。だが、ルナが抵抗した為、驚いたように青年がルナの顔を覗き込んだ。
「魔法植物など、高級取りの娼婦が目印にする以外は、それこそ高位の魔術師が自作するくらいの品だ。お前からは魔力を感じない。一応聞くが、名前は?」
「ルナです」
「俺は、王国騎士団の第二部隊のギルベルト=クラインという。ルナ、か。家名は?」
「ありません! 離して!」
「家名が無い魔術師などいない。血脈魔術が使えない者は、魔術師とは言えないからな。やはり、娼婦なのだろう? 俺が嫌だからといって、言い訳をしているんじゃないのか?」
「違います!」
涙ぐんだルナは、青年を睨んだ。しかし弱々しく迫力が無い。長い睫毛の上にのる涙をみると、ギルベルトが困ったような顔に変わった。悩んでいる様子のギルベルトは、それから腕を解いた。ルナは慌ててその腕から抜け出すと、はだけた服を両手で押さえる。
「帰って!」
「……本当に娼婦じゃなかったんだな?」
「だから違うって言ってるじゃない!」
「ならば二度と紛らわしい真似をするな」
「……知らなかったんだもの」
「そうか。それは悪い事をしたな。一応謝ろう。では、興味はあまりないが、花を買う事にする。俺は客だ。お茶の一つも出してくれ」
「え?」
その言葉にルナは目を見開いた。確かに、お花を買ってもらえるのであれば、明日、新しいパンやチーズを買う事が出来る。服のボタンを締めながら、ルナは考えた末、小さく頷いた。そして慌てて薬缶に水を入れに向かう。ギルベルトは退屈そうにそれを見ていた。
お湯を沸かして、ルナはバルハナ茶を用意する。カップも二つ用意した。どちらもフチが欠けているが、他にカップは無い。簡素な椅子に勝手に座ったギルベルトの前に、ルナはお茶を置いた。
「どうぞ」
「頂く」
すると上品な仕草でギルベルトがカップを傾けた。正面に座り、ルナも両手でカップを持つ。一口飲んだギルベルトは、目を細めた。
「不味いな。というか、色付きのお湯にしか思えない」
「そんな事を言われても、この家にはお茶はこれだけなんです」
「お前、孤児か?」
「はい……」
「本来の仕事は何なんだ? 俺の記憶が正確ならば、いつもあの街角に立っていたと思うが? てっきり娼婦に鞍替えしたのだと考えていた」
その言葉に、ギルベルトは過去にも通りかかった事があるのかと驚きながら、ルナは答えた。
「マッチ売りです」
「売れている様子は無かったが――なるほど。いかにも人気のない商品だな」
それはそうだろう。魔道具も普及している上、ギルベルトのように魔術を使える者も存在するのだから。ルナはそう考えつつ唇を噛んだ。
「他に仕事が見つからなかったの……私を雇ってくれたのは、マッチの商人さんだけでした。だから……他にも売れる物をと思って、今日はお花を……」
「それで危うく体を売る所だったというわけか。全く……」
嘆息したギルベルトは、呆れたようにルナを見た。
「……では、体を売る気は無いんだな?」
「はい。ありません」
「そうか。残念だな。だが少し安心した」
「安心?」
「――ずっとお前が気になっていたんだ。寒そうに立っているものだからな」
「そんなに何度も私の前を通りかかったの?」
「貧民街の周辺は、第二部隊の見回りがあるんだ。お前こそ俺を見かけた事も無いのか?」
「記憶にないです。そう言う事なら、マッチを買ってくれたら良かったのに」
「騎士団ではマッチなど使わない。しかし……そうか。俺はお前の視界にも入っていなかったんだな」
「え?」
「何でもない」
するとギルベルトがどこか不貞腐れたような顔をした。それを見ると、今までよりも幼く見えて、ついルナは聞いた。
「ギルベルトさんは、何歳?」
「十八だ。ギルで良い。お前はいくつだ?」
「多分十五歳です」
「そうか。所でその……恋人はいるのか?」
「いません。ギルは?」
「片想いの相手がいるといえば、分かるか?」
「何がですか?」
「……はぁ。随分と鈍いらしいな」
ギルの言葉は難解だとルナは感じた。ギルとしては、何度も見ていた事を伝えたかった上、ルナに片想いをしていたのだと告白した気分だったのだが、ルナは一切気づいていない。ギルは、これでも焦っていたのだ。片想いの相手が娼婦になったと考えて。同時に、好機だとも感じていた。ルナが手に入るかもしれないと考えたからだ。しかし全ては誤解だったのである。それでもギルとしては、ルナと話が出来て嬉しいと感じていた。だがルナはただの雑談だと判断している。ルナは、本当にこの日、初めてギルベルトを認識したのである。ギルの表情が終始冷たいのも理由だ。これはギルが、ルナを前にして緊張しているからであるのだが、ルナがそれを知る由もない。
「お花には興味が無いと言っていたけど、片想いの相手に贈ったら喜んでくれるんじゃ?」
ルナが気を取り直して微笑すると、ギルが複雑そうな顔をした。
「ルナは、花を貰ったら嬉しいか?」
「貰った事が無いから分かりません。どちらかといえば、食べ物を貰ったら嬉しいかなぁ」
「そうか」
頷いたギルは、お茶を飲み干すと立ち上がった。そして室内を見渡すと、嘆息した。
「きちんと鍵をかけるんだぞ。この辺りは治安も悪いしな」
それだけ言うと、ギルは扉に向かい、出て行った。座ったまま見送ったルナは、それから気づいた。ギルの外套を羽織ったままだという事に。返すのを忘れて着込んだままだったのだ。一度脱がされかけたが再度身に纏ったのである。
「……暖かいなぁ」
そう呟きつつ、次に会ったら返そうと考えた。見回りをしているというし、また会う機会があると考えたのだ。
――翌日。
ルナはカゴの中に、床から拾ったマッチを入れた。花はもう入れない。それから腕に、ギルの外套をかけて街に出た。本日は雪が止んでいる。だが寒かった為……つい外套を羽織ってしまった。
騎士団の外套を羽織っているルナを、物珍しそうに通行人達は見ている。本日の視線には居心地が悪いと感じつつも、ルナはギルが通りかかるのを待っていた。するとこの日も、日が落ちてから、ギルが姿を現した。手には紙袋を持っていた。
「あ」
ルナが声を上げると、ギルが視線を向けた。目が合う。慌ててルナは外套を脱ごうとした。すると正面に立ったギルが首を振る。
「着ていろ。今日も花を買いに来た」
「え?」
「お前の家に連れて行け」
その言葉にルナは、おずおずと頷いた。夜道を二人で歩き、小屋へと向かう。まだ魔術がかかっていて、部屋の中は暖かい。中に入るとすぐに、簡素なテーブルの上に、ギルは紙袋を置いた。
「これは?」
中から覗いている柔らかそうなパンや、林檎、大きなベーコンを見て、ルナは思わず聞いた。唾液を飲み込む。視線が釘付けになった。目が離せない。空腹を実感する。
「食べ物を貰うと嬉しいんじゃなかったのか?」
「私はすごく嬉しいですけど」
「だったら食べろ」
淡々とした声でそう言うと、ギルがこの日も椅子に座った。驚きながら、ルナは紙袋の中身を確認する。そして頬を緩めた。
「有難うございます!」
「どうして俺が食べ物を持ってきたか分かるか?」
「私がガリガリだから?」
「違う。まぁそれもあるが……」
「お腹が減って可哀想に思ったとか?」
「それもなくはないが……だから、その、お前が喜ぶと聞いたからだ」
「私を喜ばせようとしてくれたの? どうして?」
「どうしてだと思う?」
「?」
全く訳が分からず、ルナは首を捻るばかりだ。まだまだ中身が子供のルナには、ギルの気持ちは伝わっていない。それを理解し、ギルは肩を落とした。
ギルがルナに恋をするようになったのは、夏の事だった。街の見回りを担当するようになってすぐ、寂しそうに立っているルナに気づいたのである。パン屋の前で、中を覗いている少女を見て、どうしてあんなに寂しそうなのだろうかと考えた。それから何度も同じ光景を見ている内に、気になるようになった。その少女が初冬から、カゴを下げて街角に立つようになった時も、すぐに気づいた。内気なのか、何かを売ろうとしているらしいのに、通行人を引き止められないでいる。そんな少女の事が、無性に気になる。
王国騎士団の騎士は、非常にモテる。高給取りでもあるし、実力も確かだからだ。最年少記録を塗り替えて騎士になったギルベルトは、クライン伯爵家の跡取りという事も手伝い、誘いが絶えない。娼婦など買わずとも、一夜限りの誘いも多い。顔立ちも整っている彼は、相応に貴族社会でも王宮でも人気者であるし、武功が王国新聞に載ってからは、街娘にも人気が出た。しかし新聞など買えないルナは、ギルが名乗っても、名前すら知らなかった。
「下心だ」
「へ?」
「お前を餌付けしようと思ってな」
幸い今は認識されているからと、ギルは卵を見た。そして立ち上がると、竈の上にあるフライパンを見る。それからルナに振り返った。
「簡単な料理ならば出来る。騎士団では野営をする事もあるからな。今日は座っていろ」
「作ってくれるの!?」
「ああ」
頷いたギルを見て、ルナは目を丸くした。お腹が鳴る。素直にルナは椅子に腰を下ろした。その前で、ギルが豆のスープを作り、ベーコンをカリカリに焼く。そこに卵を落とした。柔らかなパンに添えるチーズも用意し、フチが欠けている皿に、野菜と共に料理を盛り付けていく。そしてそれをルナの前に差し出し、フォークを置いた。
このようにキラキラした料理を見た事が無かったルナは、満面の笑みを浮かべた。
「いただきます!」
すぐに食べ始めたルナは、頬がとろけ落ちるかと思った。喜んでいるルナを見て、ギルベルトは内心でホッとしていた。ギルからすれば、簡単すぎる料理だったが、ルナの普段の食生活からすれば豪華すぎると言えた。
この日、ルナは満腹になり、非常に幸せな気分になったのだった。
ギルはそんなルナを見ると、溜息をついてから帰っていった。
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