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【41】知能指数

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 さて、ゼミではいまだに個人的には全然話さない鏡花院先生と、内定が決まった次の面談の時に話をした。私は嬉しくて、それを伝えた。

「先生! 内定が決まったんです! 決まったんです! 決まったー!」
「おめでとう! どこ? 何系?」
「ITです! でも、SEじゃないみたいです!」
「――プログラマってこと?」
「違うんです。マーケティングっぽいんです!」
「そういうシステムを作ってるところなの?」
「いえ、いやまぁそうともいえるんですけど。そういう会社のマーケティング部門っぽいところに配属みたいで!」
「シスコじゃないの?」
「シスコ? それはなんですか?」
「まぁいいや。部門があるってことは、そこそこ大きな会社なんだね。しっかし、早いなぁ。こんなにすぐに就職決まるって、結構奇跡だ」
「私も人生の幸運に感動しました!」
「本当に良かったね。じゃあ就職課に報告に行かないとだ」
「え? そうなんですか?」
「うん。受かった会社を書くんだ。たしかね。それで、パンフレットに、こんな企業に就職してますっていう例に載せたりするんだよ。俺の記憶によれば」
「でも、内定者親睦会に行ったら、誰も私の大学の人はいませんでした。きっと、載らないですね! 一例だけじゃ!」
「そこまでは俺も知らないなぁ。けど、結構新人取る会社なんだね」
「みたいですね!」
「大きいからなのは分かるけど。ちなみに、どこ?」
「ええと、某駅のそばです!」
「いや、そうじゃなくてさぁ、会社名!」

 先生が吹き出したので、私は、ああそっちかと思ってから答えた。
 そうしたら先生の顔が、複雑そうな顔になった。一応笑ってはいたが。

「社会人入試はやめることにしたの?」
「え?」
「そんなすごい所に入ったら、客観的に考えて、そこで勤め上げる人が多いように思うんだけど、どうかなぁ?」
「そうなんですか!?」
「うん、まぁ、うちの大学からじゃ、基本は受からないだろうねぇ。っていうか、四年次採用も、相当優秀じゃなきゃ一人も取らないでしょ、そこら辺の企業。なんでこの時期に、そんなところから内定でたの? 真面目に教えて。俺、知らない、こういう例」

 私は、とりあえず聞いたことのある会社の説明会に行ったら三年生しかいなかった話から、内定をもらうに至るまで、全て先生に伝えた。先生は終始、複雑そうな顔に笑顔をちょこっと浮かべて聞いていた。

「実は隠れてひっそりと最初から就活してなかった事は確信してるし、それやっても普通は無理な大企業だから、君の話を信じるよ。奇跡すぎるけど。君は非常に非常に非常に幸運だ。ぶっちゃけ、どこにも受からなくて、俺の知ってるクリニックでバイトすると思ってた」
「奇跡ですし幸運ですし、私もあそこに受かると思ってなかったけど、きっとどこかには受かってました! まさか一回でとは思わなかったのもあるけど」
「まぁ統計というか、それを聞いた人……うーん、まぁ偶然がかなり大きいけど、最終的にディスカッションとSPIでも集団面接に呼ばれていた可能性高いし、ま、実力だ。雛辻さんは、とっても頑張ったね」
「ありがとうございます、先生!」

 私は、ちょっとだけ嬉し泣きしてしまった。
 うるうるした目をしていたら、先生が珍しく面談室なのに、煙草に火をつけた。
 もしかすると、初めてかも知れない。

「頭が良いって得だなぁ」
「良くないですよ」
「人としてはあんまり良くないけど――そうだなぁ、言おうか迷ってたんだけどね」
「なんですか?」
「大学病院で検査した時に、うちの大学の必修実験でも、君が研究室でもやってない、検査やったでしょ、いくつか。研究室には、事前に君が経験してるものは問合わせておいたから、君が知らないのが確定してるものがいくつかあった」
「ありました! 五つくらいありました! 認知症専門のじゃないんですか?」
「――知能検査が入ってた」
「ああ、認知症になったら、知能に影響出る感ありますよね!」
「奥田先生のところでもやったことあるでしょ?」
「はい! 実験必修でやったやつの高校生年代バージョンと、あと知能検査をやりましたよ!」
「そっちの時は、何か言われた?」
「ちょっと頭が良いみたいだって褒めてもらいました!」
「必修実験の簡易検査も結果良かったみたいだね」
「一回子供バージョンやったことありましたからね!」
「今回の大学病院のは、やった事が無かった.。けど、こっちの結果も良かったんだよ」
「やっぱり私って、ちょっと頭良いんですね! なんだか、そんな気がしてました!」

 素敵な雑談だと思い、私は冗談で言った。
 すると煙を吐き出した後、先生が真面目な顔になった。

「ちょっとっていうか、IQの具体的数値、このくらいだった」

 先生が具体的な数字を出した。そしてその検査の知能段階を説明してくれて、私がどこに入っているか教えてくれた。

「君は、ちょっとじゃなくて、とっても頭が良いんだ」
「嘘ですよね? だって、そんなんだったら、専門教育機関で観察実験されてます!」
「――君のご家族が断ったんだよ」
「え」
「問い合わせたんだ」
「……」
「小学校の頃に断ったそうだよ」
「聞いたことないです」
「なんかねぇ、俺も聞いたことない感じなんだけど、君のご家族というか親族というか、結構、研究機関に来ないかって言われる人多くて、いつも普通に断ってるみたいだね。知能指数の遺伝性に関して、俺には何とも言えないけど、君の父方は少なくとも勉強ができるかは別としてIQが高い人間は多そうだ」
「変な人は多いです」
「IQが高い人間は、変な人、結構いる」
「でも私は普通です」
「うーん、そうなの?」
「はい! だから、検査が間違ってます!」
「普通、だったらねぇ……そうだなぁ、一般的には、自分の頭が良いと分かったら、喜ぶと俺は思う。確かに、検査の不備を疑うレベルの数値なのは事実だから、信じられないのは分かる。だけどその部分ではなくて、君はこの結果にそもそも喜んでないよね。そっちが普通じゃない。その上、自分の頭が悪いと確信してる。具体的に頭が良いって言ってるのに。検査結果として伝えているというのに」
「……」
「突発的に死にたくなることにも、頭の良さは関係しているのかもしれない」
「先生、大人になるとIQは下がるんですよね?」
「そういう説はあるね」
「私はあと三年くらいしたら、下がり始めますかね?」
「――もう本来は下がってる年齢だと思う。三年後っていうのは、理論上の一番上。それと、そういう内容の検査じゃないから、一生変わらない可能性の方が高い」
「どうすれば下がりますか?」
「病気かなぁ。後は怪我で脳に損傷を負うとか」
「そういうんじゃなくて、もっと普通に下げる方法を聞いてるんです!」
「IQを上げる方法を聞かれることは多いんだけど、下げる方法を聞かれたことは無いんだよなぁ、うーん。下げたいの?」
「普通のIQが一番良いと思います!」
「――俺の推測が正しければ、おそらくもうIQで高い数値は出ない」
「本当ですか!? やっぱり下がる!?」
「違うよ。君は知能検査について調べて、IQが下がる解答をするようになる。だから今後は、平均ど真ん中しか出なくなる。あるいはちょっと下とかね」
「……」
「この検査結果は、俺と担当した心理士しか知らない。採用企業側も絶対に知らない。俺は、今すぐにでもその会社になら、事前に伝えておくべきだと思う。明確な数値が出る統計はともかく、他の部分に関して、君の意見は周囲に奇っ怪に映る場面があるはずだ。実際、ここの必修実験のロールシャッハだって、あの先生じゃなくてその辺のヤブだったら、模範解答から外れすぎてるとして、君を落第させていたかもしれない」
「……」
「それと、適当にやると評価されると聞いたことがあるけど、それもこれが理由だ。君の『適当』が、周囲がようやく理解できる範囲で、その範囲の一番上だからだ。君が本気を出したら、基本的には、その内容がどれほど素晴らしくても、専門家か似たような能力がある人間以外、全く評価できないと考えられる。評価されないように見えるだろうけど、実際には、評価できないんだ。まぁ評価されることが嫌いみたいだから、その点は構わないかもしれないけど、仕事をするなら困ることは間違いない。君の場合、社会人として生きていくなら、結果が明確に出る数値をしっかり出せるような仕事が良い。その意味で、その会社は丁度いいし、部門に関しても君の天性の才能を活かせる可能性が高い。だからこそ、伝えておくべきだ」
「……ねぇ、先生」
「なに?」
「もっと、ずっと、全部全部全部適当に生きたら、私は普通に楽になりますか?」
「どうかな。それ以前に、君は関心がある事柄に熱中してしまう人だから、すべてを適当にすることが困難だと思うよ」
「……IQが本当に高いとしても、人間としてバカで頭が悪かったら、何の意味もないですよね」
「そんな悲しそうな顔しないでよ。そこまで落ち込まれるとは思わなかった」

 辛くて辛くて泣いてしまった。
 IQの高さなんて求めていないのだ。
 私は人間性の良さとか性格の良さとか、人としての頭の良さが欲しいのに。

「本音を言うなら、悲しまれるとは思っていなかった。驚かれるとは思っていたけど。君の評価されたがらない癖を甘く見ていたみたいだ。それと確かに君は非常に大嘘つきだけど、それは他の人を心配させたり傷つけないための嘘だ。だけど君は、自分の今後を考えて、自分のために嘘をついてると信じてる。それは偽悪心だ。ここも普通は逆だ。この点から考えて、君は決して人として馬鹿ではないよ。むしろ頭が良くて、優しいんだ。きっと自分は性格が悪いとか思ってるんだろうけど、別にそんなことはない」
「慰めてくれなくていいです」
「慰めって……そう言うってことは、自分の性格が悪いって思ってるのが正解ってことだね?」
「……」
「それと、人として頭が悪いとか馬鹿だとは、俺も言ったことがあるけど、正確には意味合いが違う。君は興味が無いことや、必要に迫られた事柄以外に、興味が全然無いから、世間の一般常識とか、そういうものの中で、とっくに周知されていて誰も教えてくれないような事柄を知らないだけなんだよ。教えてもらえれば、君はちゃんとできる。具体例は、英語のクラス分けの理由を知らなかったところとかだよ。そういうの、いっぱいあるでしょう? そうだなぁ、ああ、君は一人暮らしだったね。うーん。お風呂とか、どんな風に掃除してる?」
「お風呂……泡の洗剤を浴槽にふきつけて、シャワーで流してます」
「湯船とシャワーは別?」
「別です」
「シャワーの方の床にさ、赤い所とかある?」
「あります。高校生の時もありました。いつのまにか、赤くなっていくんです」
「それはなんだと思ってた?」
「お風呂は古くなると赤くなるんだと思ってました」
「違うよ。それは、カビ。濡れたまま放置せずに拭かないとできる」
「え」
「こういうこと。おそらく他にもいっぱいあるはずだ。まぁこれは、知らない人、案外いるだろうけど」

 カビ、というのが、とてもショックだった。
 お風呂は綺麗だと信じていたからだ。
 それに、すごく困って、私は声を上げた。

「先生、どこで誰に何を習ったらいいですか!?」
「会社でみんなに色々と教えてもらうのが一番だ。この状況だとね」
「……」
「それと、先に言っておくけど、会社は辞めたくなったらいつ辞めても良いんだよ。もし辞めたら、その時は、俺に連絡をもらえると嬉しい。きっと、何か出来ることがある」

 そして私は、先生の個人的な連絡先を教えてもらった。
 ぐすぐす泣きながら帰宅した。

 先生の言う通り、私は適当じゃないと、大好きな小説すら上手くいかないのだ。
 大好きだから一生懸命やると、やればやるほどダメなのだ。
 でもそれは、私の頭が良いからではないと思う。なんかきっとズレているのだ。

 確信した私は、直球ど真ん中になるような、世間から決して乖離しないような小説を書いてみることにした。高評価を得た。が、その後、小説を書く事ではなく投稿サイトの研究にはまった。きっかけは、熱中して書いた非テンプレが高評価を得て、普通のかなりテンプレが特に目立たなかったからだ。本気を出すとダメだという先生の言葉を何度も思い出した。どっちも本気だった。楽しく書いたか、狙って書いたかの違いしかない。

 つまり、狙うとダメなのだろうか? そういえば、昔から絵と作文は狙うとダメだったなぁとふと考えた。だけど狙っている時の方が、本気度は高いような気がする。毎日、そんなことを考えていた時期もあった。

 帰宅してすぐお風呂の赤いカビについて検索して、とりあえず私は洗剤を買った。
 そしてお風呂掃除をした。見事に白くなった。
 その後、久方ぶりに、実家に電話をした。父が出た。



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