上 下
34 / 80

【34】読めない

しおりを挟む
 こんな事を言うのはなんだが、予備校で習ったことは、大学で一回もやった記憶がないものばっかりだった。実はこれが理由で、本気の院志望者の大半は、予備校に通うのだという。大学でやらないことばっかり、院試に出るそうだ。だから、伯父夫妻が念の為に予備校へ行けと言ったのだと、やっと理解した。私はてっきり英語が理由だと思っていたのだが、違ったのである。

 さて私は、この春も帰省した。
 実家に顔を出したあと、広野さんの家に泊まりに出かけた。
 特に深いことは、何も考えていなかった。

 だから、雑談のつもりで話した。秋からは、大学院進学の為に忙しくなること、来年は帰ることができないかもしれないという話題だ。私の目下の悩みは、大学院で何を専門にするかだった。どっちにしろ、院では、検査系統は一通り学ぶから、臨床心理士にはなれる。そんな悩みをつらつらと私は語ったのである。

 広野さんは、一通り静かに聴いてくれた。
 その後、不意に呟いた。

「こっちの県の院に来る気はないんだね」
「え、あ」

 全く予想していなかった言葉に、私は狼狽えた。

「院に誘われるなんて、僕には随分と気に入られているように聞こえるけど」
「それは、その、たまたま――」
「そのお二人は、君に就職先を斡旋することはないの?」
「え、普通ないでしょ?」
「どうだろうね。博士行けと言われる可能性は?」
「私の頭じゃありえないよ! それに心理士系の博士は、だいたい働いて数年後に行くの! 一貫制の某大学以外は!」
「じゃあ、卒業したら、戻ってくる? 約束してくれる?」
「それは、だから、就職先があれば――」
「児童相談所と自衛隊が常に募集してるみたいだよ。人手不足だそうだ」
「……」
「大学生活、すごく楽しそうだけど。もしかして、東京自体が楽しくなっちゃった?」
「まぁ楽しいといえば楽しいけどさ」
「僕といるよりも?」
「それとこれとは全然別の話じゃん」
「僕にとっては同じだよ」

 このあたりで、私は非常に面倒くさい気分になった。なぜ広野さんは、こんなにしつこく戻って来いとばかり言うのだろうか。そこでふと思った。彼は、浮気をするタイプではないし、風俗関係は毛嫌いしている様子だ。つまり、欲求不満なのだろう。なるほど。私は自分の考えに、とても納得した。私には、それを解消してあげることはできない。

「実際東京は楽しいよ。こっちよりも、ずっとね! 院も向こうに行くし、就職先も、無効の選択し、本音を言えばアリだと思ってる。ぶっちゃけもう、こっちには戻ってこないかもしれない。院に落ちるかもしれないけど、そうしたら浪人するし。それももちろん向こうでだよ。とにかくすぐにこっちに戻る選択肢はないかもしれない。あるいは永久に戻らないかも!」
「ふぅん。現時点で、そう考えてるわけだ」
「現時点だけの保証はないよ。広野さん。別れよう」
「だから気軽にそういうことを――」
「分かってる。本気だよ」
「――本気?」
「うん。本気」
「向こうで好きな相手でもできたの?」
「それはないよ。広野さんが好きだよ」
「じゃあどうして別れる必要があるの?」
「ほとんど会えない今の状況で、今後は更に会えなくなるわけでさ、それって恋人じゃなくて友達だって、別にいいよね。たまには私だって帰省するし、その時食事くらいすればいいじゃん。友達だって全然今と変わらないよ」

 言いながら思った。晶くんの話によると、広野さんは非常に仕事ができるらしいのだ。本当に将来有望だったのだ。そして私は突発的に死にたくなる。恋人が自殺したなんてことになったら、精神科医の彼にとっては、ものすごく汚点だ。しかもこれまでの付き合いで、広野さんが本当に良い人だということを、私はもうよく知っている。本音でそう思う。一緒にいると、自分を振り返り、辛くなるレベルなのだから。

 第一、欲求不満が問題というより、そもそも、彼はもっと良い人と付き合うべきだ。だぁら、これは良い機会なのかもしれない。うん。別れよう。広野さんだって、そこまで私との恋愛関係を持続させたいと考えているようにも思えないし。

「確かに今後、君と別れることがあっても、友人でいたいとは思ってるよ」

 この言葉で、やはり彼も、別れることをそこまで気にしていないと私は判断した。案外、広野さんも乗り気なのかもしれない。そんな気がした。

 その後私達は、この地方都市の精神疾患やそのための施設について話し合ったり、遠距離恋愛とは何かを哲学的に話し合った。この時、私は完全に雑談というか、仕事の話や一般論を語っているのだと考えていた。三日間程そんな話をして、私達は別れて友人関係に戻ることに決めた。後に広野さんに聞いた限り、雑談ではなかったらしいわけではあるが、私の認識は違っていたわけである。

「じゃあ、またね!」
「こっちに来たら、必ず連絡してね」
「勿論!」

 こうして四年次になると、予備校と必修ゼミと、特別に入れてもらっている専門の統計と質問紙の講義に出る以外は、勉強詰めになった。特別にに入れてもらっている理由に関しては、精神分析のゼミでは習わないけど私が院志望のためだと、ロールシャッハの先生がうまく説明してくれて、そのうえ先生は、研究室に通っていたことも、黙っていてくれた。本当に感謝している。

 ゼミでは、卒論の内容についての話し合いばっかり、初期はしていた。

 多くの人が文献研究で、むしろ率直に言って、私以外全員文献研究だったような気がする。青田くんを始め、このゼミからの院希望者は、うちの大学院で鏡花院先生に習いたい人しかいなかったので、文献研究で良かったのだ。私はロールシャッハの先生とも約束していたのと、あとはまだどこに行くか決めていなかったので、とりあえず無難に質問紙をやることに決めた。

 予備校でも、さっさと決めろと急かされていた。みんなもう、志望動機書の作成に取り掛かっていたからだ。私だけ決まっていないような状態らしく、仕方がないので、院試当日に出題される場合が多い小論文対策を、その時間に個別にやらされた。また、小論文にしろ志望動機書にしろ、後者は添削してもらえるとはいえ、日本語の構成・文章の書き方・論文の書き方について、ひたすら教えられた。

 なんだかこれまでの人生で学んできた国語とはちょっと違う感じだったし、小説特化型になっていた私の文章は、大変評価が低かった。大学時代は褒められたが、大学院や試験では、これじゃダメだというのだ。

 先生方は優しいし、怒ったりしないのだが、笑顔で、いっつもやり直しを指示された。とても悲しかった。心理学方面の事柄は、確かに大学ではやらないものばかりだったが、はっきり言って、配られた参考書を丸暗記すれば大丈夫とのことだった。念のため、ほかの参考書を5冊使ってみたが、内容は全部一緒と言って良かった。

 なので三年次には暗記を終えたので、そちらは予備校でも問題ないと評価されて、せっかくだから、志望校を変えようと言われた。いち早く夏に試験がある大学の院を勧められたのだ。

 そこは、高校時代にも、何年生の時か忘れたが、第二希望にしてみたらと言われたことがある所だったので、ちょっと調べたことがあったが、その土地がどこにあるのかも知らなかったので、私は断った。

 予備校は、自由だったのだ! 人生で関わった学校の中で、一番平和だった! その結果、とりあえず基礎は大丈夫だし、日本語も一応OKが出たので、私は英語と小論文練習を主にして、基礎は回数を減らして毎回、色々な院の過去問をやる形になった。

 大学院には絶対受かる滑り止めはないらしいのだが、実は内々にはあったようで、二校ほど教えてもらい、そこも受けようと私は思った。その二箇所は、過去問をやってみたら、英語が中学校レベルだったので、私はたいそう気に入った。

 こうしておそらくだが、四年の六月かその手前くらいまで過ごした。
 最初の院試よりは前だったことを覚えている。七月だったか、うーん。
  時期はともかく、私の人生の中では、ものすごく衝撃的な出来事が発生したのだ。

 当時の私は、どの予定もない日は、中学時の冬休みレベルで、勉強をしていた。
 それも、英語のみだ。
 夜の三時まで勉強して、朝の九時からまた開始だ。全部英語である。
 寝ている時と、ご飯と、お風呂以外ほぼ全部英語だ。

 たまにご飯も忘れて英語だ。トイレに行ったり、飲み物を入れたりはしたが、あとはずっと英語をやっていた。大嫌いな英語をだ。自分を褒めながら、しかし不安でいっぱいのまま、頑張った。みんな大丈夫だと言ってくれたが、こればっかりは、私は自信がなかったのだ。他はなんとかなるような気がしていた。

 そうしたら、ある日――不思議なことが起こった。

「ん?」

 問題がわからなかったのだ。

「あれ?」

 何度読み返してもわからない。
 これは、解けないという意味ではない。
 アルファベットが書いてあることは理解できるのに、それ以外わからないのだ。

 一瞬悩んで、顎に手を添えた。

 それから別の問題を開いてみたが、やっぱりアルファベットが書いてあることしかわからない。長文だから悪いのかなと思って、単語帳を開いてみたが、同様だった。何が起こっているのかわからなかった。

 もしや、英語が嫌いすぎて、頭が拒否したのだろうかとぐるぐる考えた。そこで当時、まだ日本では未翻訳だった、某対象関係論関係の本を取り出し、開いてみた。な、なんとだ。そっちはちゃんと読めるのだ! なぜだ!

 もう一度、問題に向き合った。しかし、アルファベットが書いてあることしかわからない。大混乱して、思わず泣いた。しばらく泣いていた気がする。落ち着いてから、いくつもいくつも問題を解いたのだが、院関係のものだけさっぱり読めない。

 仕方がないので、私は風邪を患った設定で、予備校の英語の日に休んだ。

 そのまま数日家にひきこもり、なんどもなんども問題をやってみたのだが、解けないというか、読めない。アルファベットが書いてあることしかわからない。たまたま八雲の英語版を持っていたので、それを読んでみる。よく読める。じゃあなんで、院試の過去問は読めないのだ!?

 憂鬱な気分で、次に家から出たのは、質問紙と統計の日だった。

 統計が最初で、この日はΧ二乗検定という、非常に簡単な一年次くらいに習う統計をなぜなのか、いまさらやった気がする。こんなの統計ソフトなんか使わず、手で余裕でできるじゃんと思ってる奴だった。

 記憶が確かなら、紙と手でのテストもやった記憶すらあった。ソフトを使うのがむしろ面倒くさいから手でいいやと思って、先生に隠れて、紙に書きはじめ――私は固まった。解けないのだ。

 今まで生きてきて、数学が解けなかったことはあまりない。

 過程があっていなくても答えはあたっていることが多かったし、答えが間違っていても過程がほとんどあっていて、最後の足し算が間違っているとかが多かった。

 うっかりミス以外で数学で困った経験は、ほとんど無かったのである。仕方がないので、ソフトを使った。ソフトは使えた。そこで安堵していたら――その後また呆然とした。

 結果が読み取れないのである。解けないんじゃない、数字がなんか、わからない!

 そこで私は、動揺しながらも、まさか英語と同じ現象が起きているんじゃないのだろうかと不安になった。それとも英語漬けだったから、数学を忘れちゃったのだろうか? その時は、別に結果が読めなくても、印刷すればいいので、提出し、普通に授業を終えた。どうしていいのかわからなかったので、次の講義へと向かった。

 その日の質問紙では、いくつか候補にしていた項目とフェイクの質問を書き出してみる感じだった気がする。質問の数が決まっていて、フェイク数も決まっていたので、何を選ぶかが問題だった。しかし、しかしだ。それ以前の問題が、私には発生した。

 全部で何個選ぶかは、聞いていてわかった。だが冊子に載っている質問項目、日本語は読めるのに、数が数えられないのだ。だから、フェイクの内容を考えたりする以前に、質問紙自体が作成できない。これは、ありえない。

 だって、内容ごとに四角い枠の中に、全部書いてあるのだ。数えられないわけがないのである。丸写しすればいいだけなのだ。だから丸写しして、次にフェイクを選ぶことにしたのだが、丸写しした方の数がわからないから、フェイクを何個選べばいいのかわからない。丸写しの横には、(1)とか書いてあるにも関わらずである。

 全部で何個にするかもわかっているというのに。足し算と引き算ができないし、なんだかそれ以前の問題で、数が頭に入ってこない。

 何が起きたのかわからないで呆然としていると、どの項目で悩んでいるか、優しく海外帰りの先生に聞かれた。項目は特に悩んでいない。だって、日本語は読めるのだ。数が数えられないことを言うべきか迷った。だが、普通の数学や算数は別かも知れないので、読める日本語部分から適当に質問をでっち上げて、雑談して乗り切った。

 その後即、図書館に向かった。
 そして数学関連の本を開いた。ものすごく安堵した。ちゃんとわかる。
 じゃあ簡単なのがダメなのかな?

 そう思い、学内のお店に行って、数学パズルみたいな雑誌を買った。
 私は、簡単な足し算や引き算の方が、実はもともと苦手ではあったのだ。
 さて、その中の、クロスワードじゃない、なんか普通の足し算をやってみた。
 ――解けた! 嬉しくて、その場で涙ぐんだ。

 きっと疲れてるんだなぁ。

 そう思い、家に帰宅し、私はSPIの本を開いた。
 実は、英語と数学を教えてくれと頼まれて、頼んだ友人が置いていった本なのだ。
 それを試しに解いてみた。英語も数学もちゃんと解けた。

 なので、英語の問題に向き合った。
 ――やはり解けない。
 まさかと思って、家にある統計本を見た。
 ――数字が書いてあることしか理解できない。

 さすがにおかしいと、いくらなんでも私も気づいた。

 広野さんに連絡して相談しようかと思ったが、別れているし、忙しそうだし、悪いなと思って、その日は止めた。

 近々相談してみようと思いつつ、翌日、鏡花院先生との面談に臨んだ。
 そこで、あ、先生はお医者さんなのだから、先生に聞けばいいのだと発見した!

「先生! 質問があります!」
「なに? 珍しいね。院試?」
「っ、ま、まぁ、ちょっとそれに関係もあるんですが、あの……突然、英語が読めなくなったり、数学ができなくなるって、どういうことなんですかね?」
「大体は、認知症かな。アルツハイマーとか」
「え」
「院試ってそんな問題も出るんだっけ?」

 予想打にしていなかった認知症という言葉に衝撃を受けすぎて、私は表情を失ったと思う。何も言えなかった。

「雛辻さん?」
「……」
「――もしかして、君の話?」
「……」
「いつから?」
「……わかんないけど、一週間か二週間か……あ、一週間くらいです。講義日数的に」

 気づくと私は泣いていた。先生も非常に真剣な顔になった。

「まず英語だけど、具体的には、読めないっていうのは、どういうこと?」
「院試の過去問と心理単語が全部読めないんです。アルファベットが書いてあるのはわかるのに。それに、小説とかクラインの原書とか、そういうのは読めるのに院試のだけ読めないんです」
「――院試のだけ、ね。長文も単語も、ダメなんだ?」
「ダメです」
「ほかの英語の本は、内容を覚えてた?」
「覚えてました。けど、やったことないSPIの英語といてみたら、そっちも解けるのに、なのに、院試のだけ解けないんです」
「数字は?」
「まず統計の計算ができなくて、ソフトで答え出しても、数値がわからないんです。数字が書いてあるのはわかるのに。そのあと質問紙やったら、質問の数が数えられないんです」
「ほかの数学も試した?」
「はい。他は全部解けました。けど、統計だけは、家の本で見てもダメでした。院試落ちちゃう。っていうより、私、認知症なんですか? 若年性認知症ってやつですか? どうしよう」
「はっきり言って、疑いはある。すぐに大学病院の脳神経外科に予約とるから、今日の内に行こう。それとMRIとか検査もしよう。ただ安心して。中核症状はともかく、周辺症状は良い薬出てきてるから、進行はかなり抑えられる。仮にそういった病でも。だけど俺は違うと思ってる。検査しないと分からないけど」
「気休めは良いです」
「とりあえず連絡してくるからちょっと待ってて」

 先生が、その場で電話を始めた。

 そして私が、いつもお財布に保険証を入れっぱなしであることを確認してから、すぐに外に連れ出し、車に乗せてくれた。



しおりを挟む

処理中です...