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【13】面倒
しおりを挟む予習をしないと怒鳴られる高校だったので、授業が本格化してからは、帰宅後はほぼずっと予習することになってしまった。この勉強大嫌いな私がである。そのうえ部活は新人戦間近で練習に熱が入っていた。そこで優勝なんかしちゃったから、さらに期待されて練習時間が延びた。
他の人々よりも遅く帰宅し、ひたすら予習。ご飯も自分で作り、洗濯もお掃除も自分でして、お風呂に入って寝る。しかもこの高校は、自習の時間があって、朝六時半から登校し、一時間目直前まで、自習という名の小テストみたいなものまであったのだ。
結果として、午前三時に寝て、午前五時に起きて、それでようやく全部こなせる感じになった。それ以外の方策が見つからなかった。また、きっとみんな、こんな感じなのだと思っていた。毎日眠かったが、それでも学校に行った。今振り返っても、結構頑張っていたと思う。
その内に、クラクラするようになった。完全に過労だ! と、思っていた。
しかしこの高校、勉強のストレスで体を壊すような人間には、人権はないのだ。
バレたら、怒られるどころか、スルーされるようになる。
私はそう信じていたので、黙っていた。そして、夏休み直前に、学校で倒れた。
保健室で目を覚ましたら、保健の先生が今から病院に行こうと言った。一人暮らしの生徒の場合は、保険証のコピーを高校が保管していた。しかし、私は人権が無くなるのが嫌だった。ストレス性の胃炎とか言われるのだと思っていたのである。
だから「大丈夫です」と言ったのだが、結局病院に連れて行かれた。総合病院である。
結果として、私は先生に感謝することになった。良性か悪性かは不明だがとある疾患が見つかったのだ。検査することになった。ストレス性じゃないから人権は無くならないようだが、悪性だった場合、命が失くなるそうだった。
とりあえず、高校に通いつつ、検査結果を待ったり、通院治療をしたりする感じになった。検査結果が出るのは、少し先だと言われた。
部活はお休みになった。朝の自習も出なくて良いことになった。
授業中でも、ちょっとでも具合が悪くなったら保健室に来るように言われた。
授業には、最初の方にさえ出れば、単位は何とかするからと言われた。
家ではじっくり休むように言われ、多分それもあって、予習しなくても怒られなくなった――というか、さされなくなった。しかし人権は損なわれず、先生方は優しかった。友達もみんな心配してくれた。嬉しかった。とても嬉しかった。
だけど、家で安静にできなかった。なぜならば、午前三時に寝て午前五時に起きる生活を、最初は仕方がなくやっていると思っていたのだが、どうやらもう染み付いてしまっている感じだったのだのだ。
そう思っていたのだが……病院に診察に行った時に、顔色から眠れているか聞かれて、その日は一人で行ったので、ありのままを話したら、睡眠薬を出された。
このことは誰にも言わないでくれと私はお願いした。その科の先生は、苦笑しつつ頷いた。黙っていてもらえれば、人権はあるのだ。
その日、私は早速飲んでみた。
だが、全く眠くならなかった。
飲む量を間違えたのかと思って確認してみたが、あっている。
ただただ体が怠くなるだけで、何の効果もなかったのだ。
だから私は、三日目で飲むのを止めた。
通院するたびに処方されていたので、どんどん溜まっていった。
――その内に、なんだか面倒くさくなってしまったのである。
学校も家事も、悪いが人に心配されること自体も、通院も、検査結果を待つのも、眠れないのも、全部、面倒くさくなったのである。
勉強が嫌いなのに何故学校に行かなきゃいけないのか分からない。
家事だって好きじゃない。
病院に行ったって特に体調に変化はない。検査結果だって別にどちらでも良い。それに、大丈夫か大丈夫かと心配されるたびに、笑顔で「平気です」と繰り返す生活。面倒くさい!
もう面倒くさいことは嫌なので、止めようと思った。
そこで、溜まっていた睡眠薬とその他常備薬、病気のために飲んでいた薬、そういうものを、二百三十錠飲んだ。数えていたのだ、そこまでは。多分もっと飲んだ。普通は、百錠も飲まない内に吐くらしいのだが、全く吐き気はなかった。二・三錠ずつ、ぽいぽいぽいぽい飲み続け、その後の記憶がないので、多分意識を失ったのだろう。
目を覚ますと、病院にいた。私は、薬をあれだけ飲んだら死ねると思っていたので、失敗を悟り、困った。薬の副作用で、天井には赤い点々の幻覚が見えた。これが治まるのかさえ分からないし、ようするに自殺未遂という形で判断されるのだろうから、人権が失われたと確信したのだ。
本音で言うが、決して死にたかったのではない。
全部、面倒くさくなっただけである。
病気に悩んでいたわけでもない。多分、ただの高2病だ。
看護師さんが気づいて入ってきて、色々と点滴の調整やら何やらしてくれて、その後お医者さんがやってきて体調について聞かれた。それが、奥田先生である。後の副医院長先生だ。この総合病院は、別棟に精神科がある、ある種の精神科単科病院に近い形態なのである。そのため、病院の中で、精神科はおそらく一番くらい影響力を持っているみたいだ。
私は、奥田先生に、赤い点々が見えると伝えた。
それから、何があったか説明してもらった。
なんでも、私の無断欠席など初めてだったので、先生が家に訪ねてきてくれたらしいのだ。しかし鍵が掛かっている。携帯には出ない。
もしかしたら、倒れているのかもしれない。大家さんは遠くに住んでいたので、とりあえず救急車を呼び、警察同伴で来るのを待った。隣人の部屋に警察の人がお願いし、ベランダから私の部屋へと入り――倒れている私を発見して救急車に乗せた。
その際に、大量の薬のからを見つけたので、総合病院の救急で胃洗浄。だが薬は人によって致死量が違うらしく、脈などが低下し、私はもうちょっとで死ぬ所だったそうだ。数時間前まで両親祖父母弟が集まっていたのだという。だが三日たっても意識が戻らないので、丁度諦めて帰ったところだと聞いた。
そう、三日も経っていたのだ。
だが私にとっての問題は二つだった。先生にバレてしまったことがひとつ。
あとは何より――また面倒くさい日々が続くということが悲しかった。きっと今後はより面倒くさくなる。自殺未遂なんて思われただろうから、腫れ物に触れる扱いだ。心配ばっかりされるはずだ。人に心配されるのはありがたいことだ。それはわかる。でももう私は面倒くさいから嫌なのだ。
だからポロポロ泣いてしまった。
奥田先生は何も言わずに、ただそんな私を見ていた。多分、一時間くらい、私は声も特に出さず静かにポロポロ泣き、奥田先生は無言で私を見ていた。
その状態が変化したのは、私の意識が戻ったと聞いた保健の先生と担任の先生と部活の先生が駆けつけてくれた時である。ああ、人権が無くなったと思って、私はさらに悲しくなった。なんて怒鳴られるのだろうかと考えていた。
振り返ってみれば、授業時間帯に、保健の先生はともかく他二人まで駆けつけてくれたのだから、本当にありがたい事である。
後の同窓会で会った時に先生が苦笑したのは、普段はいつも笑っている私が泣いている所なんて初めて見た、という点だった。私は自分がそんなに笑っていたつもりはなかったので、驚いたものである。
「検査結果は、良性だったから、大丈夫だから!」
最初にそういったのは、保健の先生だった。そういえば、すっかり忘れていたが、検査結果がそろそろ出る頃だったのだ。私の意識がない間に、出ていたらしい。担任の先生は、冬休みや春休みの補講で高校はなんとかなるし、休学だって留年だって大丈夫だと力説してくれた。やめたくなければ、高校をやめる必要はないと言っていた。この二人がとても真面目に語った後、部活の先生がちょっと笑顔で言った。いつもは一番厳しくて笑わない先生なんだけれども。
「そろそろうちの部も大きくなってきたし、マネージャーとかいた方がいいと思うんだ。お前、やれば? 経験豊富だし。向いてる!」
個人競技で、絶対にマネージャーなんかいてもやる事は何一つないとわかる。だからこそ、あの部にはマネージャーが今までいなかったのだ。なのにこんなことを言われるのは、明らかに気遣いだ。
先生達はみんな、私が病気を苦に自殺しようとしたと考えたらしかった。
特にそういうつもりじゃなかったが、言わないでおいた。
涙が止まらないのもあったが、先生達の言葉に頷くことに必死だったのだ。
そのうちに、面会時間が終了して、先生達は帰っていった。
ずっと、奥田先生はそこにいた。当時は若くて、時間があったのかもしれないが、今思えば、かなり長い間いた気がする。
「君にはちゃんと居場所があるんだよ」
不意にポツリと言われた。だから私はそちらを見た。もう赤い点々は見えなくなっていた。いつの間にか見えなくなっていたのだ。薬の副作用が消えたらしい。
その事実に気づきつつ、同時に――その「居場所」が面倒くさいのだと言いたくなった。
そして面倒くさいなどと、人の善意に対して思う自分は、いないほうがいいと思うのだという意見を述べたかったが、冷静に考えて、それを言ったら、絶対に退院できないような気がした。
「死なないって約束してくれる?」
続いてそう言われた。なお、後々私は大学や専門で、これは自殺未遂患者にかける定型句であると学んだ。しかしこの時はそれを知らなかった。そして私は、高2病だった。
「どうしてですか?」
純粋に聞いたのだ。なぜ、この初めて会った――向こうは私が眠っている時から知っていただろうが――お医者さんと、そんな約束をしなきゃならないのか、全くわからなかった。
「――君が死んだら悲しいから」
「え? なんでですか?」
「患者さんの死ほど悲しいものを俺は知らないよ」
「だけど生き物はみんな死にます」
本当に、高2病としか言えない。奥田先生は、この時初めて笑った。
ここで笑う先生も、ちょっと変わっていると思う。
「みんな死ぬんだから、病気で死のうが自殺だろうが、どっちでも良かったわけだよね。君の病気、苦しんで死ぬようなものじゃないって説明受けてるはずだし。服薬は確かに楽な手法の一つだけど、どうして自殺を選んだの?」
「それは、その……」
「しかも、ちょこっと多めに睡眠薬飲むレベルじゃないし、誰にも言ってないよね。本気だったって事だ。常備薬まで根こそぎ飲んでるんだから、服薬自殺について、調べたと俺は思ってる」
「……いえ、あの、病気を苦に……ほ、ほら! 若くして病気になるなんて、高校にもういけなくなるかもと思ったら、悲しくて!」
「それを、誰かに相談した? してないみたいだけど」
「……」
「先生がたの話に嘘偽りがないのであれば、君は勉強もできて運動もできて友達もたくさんいて、非常に活発で明るい生徒だって話だったよ。病気以外に、自殺理由の見当がつかないそうだ。イジメもないって断言してた」
「相談しなくても、みんな断言できちゃうレベルで、病気のことが理由です!」
「後で良性だったっていう結果の詳細は、あっちの科の先生に来てもらって話してもらうけど――じゃあもう、死なないんだよね? 自殺、二度としないって事でいいかな?」
「もちろんです!」
「じゃあ俺と、死なないって約束できるね?」
「は、はい!」
気づくと、そう約束してしまっていた。
翌日には、両親が来たり、他の親戚が来たり、学校の先生が来たり色々した。
数日はそんな日々が続いたし、検査結果も聞いた。
そして各種検査もしたが、なんの問題もなく、うつ病でも何でもないとのことだった。単純に、病気を苦にした心因反応ということになったのだ。
もしかすると、それ以外の診断を迂闊に付けて、私の将来に影響が及ばないようにと、奥田先生が配慮してくれたのかもしれない――と、その後考えたこともある。
結果的に、自殺未遂としてはおそらくかなり早く、一ヶ月で退院した。高校の単位についても、考慮してもらったのかもしれない。
一つ自慢は、知能検査の時に言われたことだ。
「頭いいんだね」
なんだかとっても嬉しかった。きっとこの頃は、知能がそこそこあったのだろう。
なぜ今は無くなってしまったのだろうか?
さて先生方は、自殺未遂の件は誰にも言わず、私は検査で入院しているとみんなに伝えてくれていたようだった。感謝である。私は良性だったことを報告した。
なお、地元では、私の胃潰瘍疑惑が出たらしい。
それを知ったのは、広大くんに呼び止められたからだ。最初はそんな雑談をした。
「なぁ」
「ん?」
「お前本当は、何でどこに入院してたんだ?」
「え?」
「俺達、友達だよな?」
「……総合病院で検査だよ」
もうこの頃には、私は、友達と言い合わなくても、仲が良い相手は友達だと思って良いと知っていた。そして広大くんとはとても仲が良いので、間違いなく友達だ。だが、必要以上のことを伝える気にはならなかった。だから、嘘はつかなかったが、それ以外言わなかった。
「お前が自殺する心当たり、あるかって聞かれたんだけどなぁ」
「え、誰に?」
「お前の弟」
「なんて言ってたの? てか、なんで連絡とってるの?」
「俺のカノジョ、お前の弟の同級生」
「え! カノジョいたの!? いつの間に!? ロリコン!?」
「うるせぇよ。夏休みに帰った時に付き合うことになりました! ロリコンで結構です! で、まぁ、カノジョ経由で、お前の弟から、それとなーく、かなりそれとなーく、お前が薬を沢山飲むような兆候があったかって聞かれたんだよ」
「いやいやいやいや、ありえないの分かってるでしょ! 考えすぎ!」
私は笑い飛ばしてみせた。そして、後で弟に釘を刺さなければならないと考えた。広大くんにも確信がないのだから、まだ広まってはいないだろうが、地元にも知られたくない。誰にも知られたくない。
「そっか、だよな! 胃腸炎を風邪って言うのとは、レベル違うもんな!」
広大くんは、笑っていた。きっと、信じてくれたのだろう。私はそう判断した。
その後、二回ほど奥田先生の所に通った。
三回目に、これで終了となることになった。その際、ふと聞かれた。
「ねぇ、雛辻さん」
「はい?」
「学校の先生にも言わないし、カルテにも書かないからひとつ教えて」
「え? 何をですか?」
「――本当は、なんで薬飲んだの?」
少し迷ったが、思わず私は笑って本音を言った。
「ああ、面倒くさくて。それだけです」
それを最後に、奥田先生と会う機会は無くなった。
私が従兄の実家の雛辻病院方面に引っ越したことも理由の一つだ。そちらの精神科を受診することになったわけではないが、異変があったら即座に診てもらえるという理由はあったと考えられる。
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