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【10】観察対象

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 一応、高校受験なので、一夜漬けではダメだろうと、冬休みはずっと勉強していた。人生初体験である。瞬発力もそうだが、私は集中力にも自信がある。それにしか自信がないとも言えるが。なので冬休みの二週間くらい、六時間眠るほかは、食事中すら参考書を開きっぱなしで、ひたすら勉強した。

 寝ずに勉強したかったのだが、親に止められた。親は胃炎を覚えていたのだ。今思えば、食事は比較的優しいものだったようにも思う。しかし既に私は忘れていた。

 この期間、外出したのは一度きりである。私にとっては中学最後になった模試だ。

 その時の模試では、予想外の、これまでで一番の、ちょっと一般的に考えてすごすぎるレベルの高得点をたたき出した。なんと、一問しか間違わなかったのである。結果が来た時、両親と先生に、唐突に某中高一貫制の全国的に有名な超難関校も受けてみないかと言われた。

 だが、一月には滑り止めの試験あるし、もう推薦も決まってるし――「模試は勉強したんだから当然だけど毎日勉強はしません」と言ったら、まぁそうだなぁ、と、みんな納得してくれた。

 こうして無事に、まず滑り止めに受かった。私は英語を非常に心配していたのだが、出題されたのは、児童書の一巻のUK版! 日本語で読んでるし、英語自体も簡単だし、これ試験じゃないじゃんと笑いをこらえながら解答した記憶がある。私は英語が大嫌いで、この高校は英語で有名だったのだが、この時期はそれなりに英語が出来たのかもしれない。

 こうして推薦の日が近づいた。

 さて、舞莉ちゃんと同じ部活の子に、弘子ちゃんという子がいた。
 集団競技の運動部の部長だった子で、私との接点は部長会しかなかった。
 あんまり話したことのない彼女に、唐突に言われたのである。

「いいよねぇ、親が小さい頃から教えてくれたんだから。そりゃ優勝して当然だよね。この地区、あれ、弱いし。スポ少も入らずコソコソやってたとか性格悪っ。しかも何その目立ちたがり屋。副会長とかまでやってさ。最低に気色悪い」

 まぁ、こんな感じだった。雑談から入るでもなく、いきなり言われた。

 しかし私は、舞莉ちゃんと秋葉ちゃん以外は、私を嫌いだと思っていたので、言われて当然だと思っていた。だからこれは仕方がない。自分にそのつもりがなくても、みんなにはそう見える。

 それはもう、小さい頃から分かっていたことだ。ようするに、今でいう空気を読む能力がないのだと、確信していた。

「普通、うちの部の部長が、中体連功労賞の賞状もらうの! だから私がもらうはずだったの。なのに、なに? は? ちょっと優勝したくらいで、何それ。こっちがどれだけ練習したと思ってんの? うちの部のみんな、どれだけ頑張ったと思ってんの? その成果に貰うのが普通なんだよ。あんたみたいにずるいやつじゃなくて!」

 私は、まず、笑顔を消した。これ以上怒らせるべきではない。

 そして、中体連功労賞の賞状って、なんだっけと、必死で思い出そうとした。そういえば何か賞状を貰ったが、なぜ貰ったのかよくわからないのがあった気がした。もしかすると、あれが、そうだったのだろうか? 確かに、聞いたことがない名前の賞だった!

 続いて、普通は団体競技の部活が貰うのかなと判断した。だとすると、私が貰ったのは、きっとお母さんの影響力だ。この当時は、教頭先生だった。だから、試合に行くと、母親の知り合いが沢山いた。つまり私が貰うべきではなかった。

 私は、弘子ちゃんに謝り、その後、舞莉ちゃんも所属しているあの部のみんなに謝ったらいいのかな? そう考えて、口を開こうとした時だった。

「実力ある人間が貰うの当然だろ」

 冷淡な声が響いたのである。思わず視線を向けると、真中くんが立っていた。
 いつからいたのかはわからないが、彼はこちらに歩み寄ってきた。

「お前らの部、お前らの代で、一切成果残してないしな」
「な」

 弘子ちゃんが声を上げかけた。

「目立ちたがり? お前には目立つ能力すら無いだけだろ」
「っ、どういう意味?」
「残念だよなぁ、生徒会選挙落ちて」
「……」
「副会長、相当やりたかったんだ?」

 そういえば、弘子ちゃんも私と同じ副会長に立候補していたのだった。やっと私は、それを思い出した。当時はあれほど、彼女の当選を願っていたというのに、すっかり忘れていた。副会長に立候補したのは、私と彼女だけだったのだ。彼女は、やりたがっていた。私は、特にやりたくなかった。だから私は、彼女がやるべきだと思っていたのだ。

 しかし、言っては悪いのだが、つい先ほど真中くんが口にした通り、この代の彼女達の部は、不調だったのだ。かなり久しぶりに不調だったようだ。そして逆に、今まで全く注目されてこなかった私の部が、目立ちまくっていた。そのため、みんな運動部というと私の所を挙げていたのである。だから、弘子ちゃんは知名度が低かったのだ。私は逆である。

 ただ、やりたくないと思いながらやっていた私と、私にこんな風に言うほど真剣に部活に取り組んでいた弘子ちゃんを比べるなら、私は彼女のほうが相応しいと思いながら、聞いていた。だがそれを今、伝えるべきではない気がした。

「推薦も貰えなかったしな。あの時お前、散々雛辻が贔屓されてるって言ってたけどな、どう考えても、たとえ贔屓があったとしても、お前の成績じゃ、あの高校の推薦を貰うの不可能だから。推薦後に落ちる以前の問題だ。それにすら気づけないほど頭が悪いくせに、絡んでんじゃねぇよ」
「で、でも、この前の期末――」
「体調不良で成績落ちた相手に、たった一回だけ勝って自慢してまわってるお前の頭が信じられない。ゲスすぎだろ。お前、雛辻の病気喜んでただろ、ぶっちゃけ。そのまま高校落ちろって思ってただろ。最低」
「……」
「大体、クラス一緒になった時の授業と、普通のテストでわかるだろ。雛辻はお前と頭の出来が根本的に違うんだよ。少なくと、人としては、圧倒的に雛辻が勝ってる」

 なんと、信じられないことに、真中くんは私をフォローしてくれたのである。とても過激な口調で! 弘子ちゃんは、ついに泣き出し、走っていなくなってしまった。追いかけた方が良いのだろうか。彼女がいなくなった方を見ていると、真中くんに言われた。

「なんで言い返さなかった?」
「え? 何を?」
「何って……だから、今の、あいつに」
「だって、お母さんの贔屓で貰った賞だし、運動もそうだし、推薦もそうだし」
「……」
「前に真中くん、言ってたじゃん? 生徒会とか、部長とか。あれもさ、先生方が推薦のために、きっと私にやらせてくれたんじゃないかな。成績良かったのも、多分それでだよ」

 私は笑いながら伝えた。だから弘子ちゃんは悪くないのだと言おうと思ったのだ。
 だが、真中くんは、目を細めて舌打ちした。

「やっぱ――気にしてた?」
「ん?」
「俺が言ったこと」
「え、あ、ごめん、違う、そんなことないよ! いや、違わないんだけど、真中くんが言った通りだし!」
「ストレス性の胃炎、あれ、俺のせいじゃないの?」
「だから、あれは、受験のストレ――」
「俺のせいだろ」
「違うって!」
「ずっと聞きたかったんだよ。それに言おうと思ってたけど、あれは、単純に自分の点数上がんなくてイラついてただけで、八つ当たりしたんだよ」
「八つ当たり……?」
「そうだよ。それで、悪かったと思ってた! 胃炎の話聞いたとき、死ぬほど謝りたかったんだけどな、機会が全く無かったんだよ! お前、常に誰かが周りにいるしな!」
「でも……お母さんが、学校の先生だから……」

 私が思わず呟くと、真中くんがすごく大きなため息をついた。

「それが理由なら、俺が推薦で決まりだったはずだ。お前と違って、うちは両親祖父母全員教師だ。校長だらけ。県の教育長まで、近い親戚だ。どころかお前の行く予定の高校にも、親戚がいる」
「え」
「しかもあの学校は、生徒会だの運動部だのは、実際には全く評価しない勉強重視の学校だろうが。現にほかと違って、勉強の推薦しかないだろ。名言は避けてるが、間違いない。実際、うちの中学で生徒会長やろうが、部活で優勝しようが、成績ダメな奴らはみんな落ちてるだろ、過去に。親戚もそう言ってた」
「じゃあ、私も落ちるのかな?」
「あの模試の成績で落ちたら奇跡だな」
「本当?」
「ああ。って、待って、そういうことじゃなくて! 謝らせろって話!」
「え、えっと、別にだからその、真中くんのせいじゃないよ!」
「じゃあなんであの日から成績急落して、授業中ぼーっとしてたんだよ?」
「へ?」

 成績はともかく、授業中のことが話題に出たのが少し意外だった。
 みんな、胃炎がその頃から始まっていたと判断していて、だからぼーっとしてたんだねと私に言っていたからだ。

「その、胃炎でぼーっと……」
「違う」
「違わないよ!」
「わかるんだよ」
「え? 何が? なんで?」
「見てたから」
「そんなにずっと気にして謝ろうとしててくれたの!?」
「……それもあるけど」
「それじゃあ真中くんが胃炎になっちゃうよ!」
「……ずっと見てた」
「?」

 その時チャイムが鳴ったので、会話は打ち切りとなった。
 多分、昼休みだったのだろう。あんまりよく覚えていない。
 覚えているのは、私は観察対象として面白いのだろうかと考えたことである。




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