上 下
7 / 80

【7】中学進学

しおりを挟む

 こうして中学校へと私は進学した。
 小学校から同じなのは、舞莉ちゃんと秋葉ちゃん、夏生くんと大ちゃんである。
 大ちゃんは、二個目の保育所から一緒だ。

 何部に入ろうかなぁと考えていたら、ある日とある先生に話しかけられた。

「もしかして、雛辻先生の娘さん?」
「あ、はい!」

 その先生は、母が専門としている部活の、この学校での顧問の先生だった。
 練習試合で頻繁に顔を合わせていたので、母のことを知っていたのである。
 なのでそのスポーツの話になり、流れで、私個人の経験を聞かれた。

「体力作りで、小五からやってました!」
「――小五? それ、本当? クラブ通ってたの?」
「いえ、母が教えてくれて」
「――雛辻先生が、直接? 練習場所は?」
「家です」
「物理的に、場所、ある? は? そんなに広いの?」
「え? ああ、いや、広くないですけど、お母さ――母が、たまに生徒さんを練習に呼ぶから作ったみたいです」
「……ああ、そうか。君のお父さん、そうか、雛辻先生の旦那さんって、あの家か」
「まぁ田舎だから、土地だけは広いといえば広いですかね!」
「俺の部においで」
「――へ?」
「部員、みんな良い子だから」

 文化系の部活に入ろうと思っていた私は、笑みを引きつらせた。
 断り文句を必死で探した。だが、この先生――榛名先生は、非常に押しが強かった。
 結局、私はその部に入ってしまった。幸いだったのは、秋葉ちゃんも一緒だったことだ。

 舞莉ちゃんは、スポ少でもやっていた集団競技の部に迷わず入った。
 夏生くんと大ちゃんも運動部だ。ゲーム好きの二人だが、彼らは運動もできる。
 今思えば、小学校って、運動ができる人が人気者になるのかもしれない。

 ちなみに、クラスでは、最低最悪なことに、私は学級委員長になってしまった。

 こちらは単純に、私が押しに弱かっただけである。
 誰もやりたい人がいなかったので、押し付けられたのだ。
 押し付けられた理由もある。

 小学校の頃、児童会というものが存在したのだ。生徒会みたいなものだ。

 理由は知らないが、先生が小六のある日、私に次の児童会長をやらないかと言ってきたのである。断ろうとしていたら、隣にいた雄太くんが、「俺もやりたいです!」と言い出し、結果、彼が児童会長、私が副会長になってしまったのだ。あの時は、雄太くんがいてくれたおかげで、会長職を免れられたと喜んだ。スポ少に入ってなかったから暇だと思われていたのだろうと、当時は思っていた。

 さて、それがきっかけなのだろうが、私は中学校の入学式で答辞を読まされたのである。ものすごくやりたくなかったが、例文があるからと説得されて、やった。その練習の合間に、グアムとサイパンに行った。だからわざわざ練習のために帰ってきた感が嫌だったというのもある。

 私は小学生の頃、ハワイに行ってから、暑い土地が比較的好きになり、大人になってから沖縄に遊びに行った時も楽しかった。しかし致命的なのは、マリンスポーツが全くできず、バナナボートすら苦手な点である。

 話を戻すと、「児童会の副会長をやってたんだから、まとめるの慣れてるだろ」と言われ、学級委員長になってしまったのである。最悪だった。唯一私の希望が叶ったのは、図書委員会に入ることができた点である。この頃、私は小説を書く事にハマり始めた。

 きっかけは、小学時代に、母が頻繁にワープロを買い換えていて、それを一台もらって書き始めたことで、パソコンが出回り始めてすぐに、一台自分用に買ってもらったのだ。そこでインターネットをはじめてやり、小説サイトの存在を知った。なるほど、自分で書いてみるのもいいかもしれない、そう思い、書き始めたのである。

 この時、同じクラスの副委員長だったのが、七村広大くんである。彼は、私と違い、誇らしそうだった。雑用係になってしまったと嘆いていた私の前で、「やっぱ俺、天才だ」なんて言っていた。

 こうして始まった中学生活において、私の癒しは二つだけだった。
 一つは図書委員会の日。もう一つは、部活ご帰宅してやる、インターネット。
 HTMLは、すごく簡単だったので、中1の時に、最初の小説サイトを作った。

 他に何もせずに過ごしていたら、中間テストの時期になった。
 この頃からは親が、私に勉強するように言い聞かせ始めた。
 小学校の頃は何も言われなかったので、きっと難しいのだろうと思った。

 そこで、人生で初めての本格的な一夜漬けを経験した。小学時代は一度もこんな風にしっかりとは勉強しなかったのだが、我ながら頑張った。

 小学校の時の勉強の記憶は、二つしかない。長期休暇最後の日に宿題を全部やった思い出がひとつだ。自由研究すら一日でやったのに、その研究まで表彰された時は、さすがに私は、この県っておかしいと気付いた。

 読書感想文に関しては、一度だけ狙って書いてみたのだが、ダメだった。なので適当に書くようにしたら、やはり表彰された。絵も同様だ。狙うとダメなのだ。なぜなのだろうか。

 だから中学の中間テストも、こんな風に狙って一夜漬けしたら、ダメな気がした。

 しかし、そうでもなかった。

 ものすごく簡単だったのである。念のため、授業でやっていない所も参考書を見ておいたのだが、授業でやったことしか出なかった。大嫌いな英語ですら、習い事で小1の時に覚えた程度のことしか出てこなかったし、数学は一番簡単だった。

 先ほど記した小学時代の勉強の印象だが、実は私は、本を読む気分ではないが暇な時、小さな頃から数学ドリルをやるのが大好きだったのだ。算数のつもりじゃなく、ゲーム感覚である。当たると楽しいのだ。だから学校のドリルにも、いつもわくわくしながら取り組んでいたので、中学校の数学はきっともっと楽しいと確信していたのである。

 だが、簡単だったのだ。あんまり面白くなかったのである。
 国語に関しては、読書感想文の経緯から、私は教科自体をこの当時信用していなかった。
 唯一面白かったのは、理科である。科学という名前だったかもしれない。
 社会に関しては、一夜漬けしたので、出来て当然である。
 とりあえず眠かったので、テスト期間終了後は、いつも帰ってすぐに寝た。

 その内に、答案の返却が始まり、最終的に順位表が配られた。
 この中学校は、個人に学年順位を配布する所だったのである。
 ――一位だった。

 それを見て、小学校一年生の時のことを思い出した。
 成績が良かったことは言わないほうがいいのだ。
 私にとっては喜びの報告でも、周囲にはそうは映らないのだ!

 その時間は見方の解説に使われたので、机の上に出しておいたのだが、休み時間になってすぐ、私はそれを隠そうとした。すると鞄に入れる直前に声をかけられた。

「何位だった?」

 顔を上げると、一度も話したことのないクラスメイトが立っていた。
 名前は知っていた。真中真司くんである。

 いつも授業中に手を挙げて、正解を述べていたから知っていたのだ。私は勝手に彼を素晴らしいと思っていた。彼が手を挙げないと、なぜなのか私ばっかり先生にさされるからだ。私は、授業中にさされるのが嫌いだったのだ。

「……え、あ、まぁ、そこそこ?」
「一位だろ。俺二位だから。合計何点だった?」

 嘘をつくのも変だし、まぁ簡単なテストだったから点数を言っても良いかな?

 ちょっと悩んでから、素直に答えると、真中くんの表情がすごく怖くなった。はっきり言って睨まれた。なんだかまずい空気を感じたので、なにか喋ろうと必死になった。

「真中くんは、何点だったの?」
「452」
「え」

 ちなみに私は、498点だったのだ。漢字を一問だけ間違ったのである。
 もしかして彼は、勉強しなかったのだろうか?
 首をかしげそうになった時、真中くんが言った。

「次は負けないから」

 呆然としてしまった。私は、勉強に勝敗があると、考えたことがなかったのだ。そのため、なにを言えばいいのか分からないでいたら、斜め前の席だった広大くんが、こっちに振り返って笑顔になった。

「負けるもなにも、真中も十分すげぇだろ。つぅかお前らすごすぎ! 三位の俺の立場無いから! 俺、422!」

 そこから、その場の空気が変わった。

「待って待って待って、400代キープしてんのに、それは嫌味か!? 私なんか、384点で5位だ馬鹿野郎!」

 舞莉ちゃんがそういうと、大ちゃんが言った。

「俺、350で30位なんだけど。学年人数的に、多分平均200くらいでしょ、これ」

 すると、他のクラスメイト達が会話に沢山入ってきた。
 みんな200台だったそうで、順位を話したりし、安心していた。
 そのまま奇妙な気配は消えたし、特に無視されることもなかったので、とても安心した。





しおりを挟む

処理中です...