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【9】最高の夜

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 私の続いてのお相手は、なんと軍人の方だった。私はほとんどお目にかかったことがない。だから緊張していると、長身の青年は長い腕で私の腰を抱いた。その感触が、今まで踊った中で一番力強かったものだから、私はドキリとしてしまった。距離もすごく近い。抱きしめられているかのような錯覚に陥りながら、私は軍人さんを見た。

 ……非常に整った顔の造形をしている。私が人生で見た中で、五本の指に入るほど……お顔が格好良かったのである。思わず見惚れていると、顔が近づいてきた。あ、私が背中を反らす番だ。と、こうして私は必死に踊った。

 踊り終えて深く息を吐くと、軍人さんがそっと私の腕に触れた。

「お付き合い頂き感謝を。飲み物を持ってくる」

 そう言うと、さらりと軍人さんは、ジュースの入ったシャンパングラスを取りに行ってくれた。見た目は整っているものの、どこか怖い印象も与える外見なのに、気遣いが温かい。

「ありがとうございます」

 受け取ったジュースを飲みながら、私は改めて軍人さんを見た。
 すると目が合った。

「俺は薩摩閥から取り立てて頂いた陸軍の士官なんだ。貴女は?」
「私は、花澄院伯爵家の次女で咲子と申します」
「伯爵家というと凄いんだろうな。ただ士族あがりの俺には、すごいという事しか分からない。けれど、咲子様に気品が溢れていたのは、今のダンスでよく理解できた」

 それを聞いたら、照れてしまって、私は頬が熱くなった。冷静になろうとオレンジジュースを必死で飲み込む。

「軍人のお方というと、西南の役などにご参加なさったのですか?」
「俺はそんなに老けているか? まだ当時は子供だったんだぞ」

 私の言葉に軍人さんが吹き出した。そこで私は、勇気を出して、名前を聞く事にした。

「お名前はなんと仰るの?」
「南山雄輔と言う。雄輔と呼んでくれ。しかし驚いたな。華族の中にも、郷里で評判の娘のように愛らしい女性がいるとわ。華族は骨のような女ばかりだと思っていた」

 それを聞いて、私は最初、イヤミかと考えた。先ほどの、気品という言葉はウソだったのだろうかと。しかし軽快に笑っている雄輔様を見ていると、本音だと分かる。実際、華族の美しさは、幽霊のような骨じみた華奢さだ……。

「雄輔様は正直なのですね」
「美人には美人と伝える事を信条としているぞ」

 私は頬が熱くなった。今夜は良い日だ。二度も容姿を褒められた。人生では、もう二度とないかもしれない。それと――花澄院の名前を聞いても、私を特別視しない雄輔様は、私にとって気が楽になる。

 そのままダンスの輪を外れて、私達は暫しの間お話をした。精悍な顔つきの雄輔様は、私がこれまで見た誰よりも、男らしかった。軍人さんだからだろうか。

 その後、雄輔様が上官だという政府の方に声をかけられたので、談笑はそこで終了した。彼の荒々しくも力強いダンスを思い出すと、今もまだ胸が高鳴っている。

 今日は本当に良い日だから、思い出を消したくなくて、私はそのままダンスの輪からはずれる事にした。ただ、壁の花になるのかという総一朗様の言葉を何故なのか思い出したら、確かに感じが悪いかもしれないと考えて、前に連れ出してもらったテラスに出る事にした。

「あら」

 するとそこには、ドレス姿の時子様がいた。彼女は大名華族なのだが、隣には白百合会にも所属している菜子様がいた。こちらは和装だ。派閥を超えた二人が、ほかには人気のない場所で、何やら話し込んでいたらしい。

 白百合会の現在の会長としては、私は菜子様を怒らなければならないのだろう。大名華族のような由緒正しいとは、とても公家華族から見ると言えない家柄のご令嬢とお話をしてはならないと、きちんと伝えなければならない。

 ただ……今はそういう気分じゃないほどに、心が高揚していたのと、本日の会場には、このお二人しか私の知る女学院の生徒は来ていないから、波風を立てる事もない……と、内心言い訳しつつも、私はイヤミを唱える準備をした。

「まったく、嫌になるほどお似合いね」

 すると時子様が言った。私は最初、何の話かわからなかった。きっとイヤミの一種なのだろうとは判断した。

「何がですの?」
「ドレスよ」
「え?」

 しかし時子様からは、驚くべき言葉が帰ってきた。

「その胸元も、腰周りも……西洋のご婦人のように、ドレスにぴったりあっているのね。和装お洋装がいくら違うとは言え、悔しくないといえば嘘になってしまいます」

 時子様が……私を褒めた。その時、菜子様が大きく頷いた。

「私達公家華族をおまとめになる筆頭、その咲子様なのですから当然ではありませんか」
「サロンでまとまっていらして、女々しいと私なんかは思いますけどね」
「時子様! 咲子様は華麗に白百合会の代表を務めて下さっているのよ? こんなに麗しくて優しいお方は滅多にいないのですからね」
「私にはイヤミばっかりじゃない」

 菜子様は、普段はどちらかといえば内気だ。なのに私を庇うようにして、時子様と論争を始めた。本来ならば、それは私の役目である事が多いから、驚いて、私はオレンジジュースのグラスを持ったまま、それを見守っていた。暫く言い合っていた二人は、その後――どちらともなく吹き出した。どうやら、仲は悪くない様子だ。そこは、私と時子様とは違う。そう感じていたら、時子様が私を見た。

「菜子様は、私が言い過ぎだとご心配なさっていたのよ。それでテラスに出てきたのです」
「え?」
「だ、だって、時子様はいつもお言葉がきついです。だからこの前、咲子様が真っ青になっておられた日、私は胸が張り裂けそうでした」

 私は、心配されていたらしい。二人で、ここで、私について話ていたらしい。驚いていると、時子様が顎を持ち上げて私を見た。

「――正直、私も焦ったほどだったのよ。咲子様のあんなにもお辛そうな顔を見たのは、初めてでした。いつもの威勢の良いイヤミも返ってこないのですもの。寂しいことです。最近元気がなかった様子だったけれど、今日は元気で安心いたしました」

 言葉が見つからなくて沈黙していると、時子様がハッとしたような顔をした。それからいつもの通りの意地悪そうな顔に戻って、唇の両端を持ち上げた。

「あとは女々しいサロンのお二人で話でもなさって。私は殿方と踊ってまいりますから」

 私の胸がドクンと啼いた。その後は菜子様とお話をしながら、かけられる優しい声音と、先ほどの時子様の声を思い出して、涙腺が緩みそうになっていた。私は、心配していてもらえたらしい。それは、もしかしたら、友情という名前をしているかもしれないと感じた。今夜は、私にとって最高の夜だ。私は、自分にも友達がいたらしいと、初めて気づく事が出来たのだから。
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