8 / 12
【8】初めて綺麗だと言われた夜
しおりを挟む音楽会の会場は、鷹彬侯爵家の大広間だった。花澄院より家格が上の、お姉様の現在のお家は、調度品の細部までが格式があり、凝られている。そこに大きなピアノが有り、他の人々はヴァイオリンを弾くようだった。本日は、令嬢だけ――即ち、女性だけの音楽会として招かれている。
私は昨日までの気分を忘れ去ってしまおうと、選ばれていた明るい曲を軽快な気分で奏でた。激しく指先を動かしていくから、次第に汗が浮かんでくる。
演奏が終了した時には全身が熱かったが、開放感があった、
――拍手が響いてきたのは、その時の事だった。
視線を向けると、いつの間にやってきたのか、お義兄様と……もう一人、男性がいた。上品な装いであるが、手を熱心に叩いている。誰だろう?
その後は、立食式の会食となって、様々な料理が運ばれてきた。私はお姉様に歩み寄る。他のご令嬢達の中には、華族女学院の生徒はほとんどいなくて、皆華族女学園の学生のようだったから、顔見知りがほとんどいなかったのである。心細い。
お姉様はそんな私に優しく微笑みかけると、私の腕にそっと触れながら歩き始めた。ついていくと、目的地は予想通り、お義兄様の所だった。
「あなたったら、今日は淑女の音楽会だとお話したでしょう?」
怒っている様子はなく、クスクスと笑いながら、お姉様が言った。お義兄様も笑って返している。それからお義兄様は、隣に立っている青年を見た。
「ああ、紹介するよ。東園寺侯爵家の長男で、俺の一番の悪友の、智隆と言うんだ」
その言葉に、私は驚いた。東園寺侯爵家といえば、身分が非常に高い。中でも跡取りの長男であるならば、智隆様は花澄院から見ても、雲の上のお人だ。公家華族の筆頭と言える。華族女学院でのみ筆頭の私とは比べ物にならない権威をお持ちだ。
「お初にお目にかかります、ええと」
「妹の咲子ですわ。ご機嫌麗しいようで何よりですわ、智隆様。私達の結婚式以来ですわね」
「ああ、そうだね。あの時は来客者が大勢いたから、紹介して頂くタイミングが無かったけれど――そうか、咲子さんと言うんだね」
智隆様は私を見ると、柔和な笑みを浮かべた。お義兄様は悪友と言ったが、とても優しい方に見えるし、いたずらをするような方には思えない。
「智隆はね、昨年留学から帰ってきた所で、今は俺と一緒で外交の仕事をしているんだ。もっとも貴族院ができたら、俺達侯爵は、そちらの議員になる道に進むことになるんだけれどね」
お義兄様の言葉を聞くと、ゆっくりと大きく智隆様が頷いた。
「それまでには僕も結婚して素敵な家庭を築きたいものだよ」
そう言うと智隆様は、私を見て、笑みを深めた。正直、胸がドキドキした。年が近い男性と話す機会など、華族の子女には、繰り返すがほとんどないのだ。鹿鳴館でお話した総一朗様は幼馴染だから、私の中では別枠だ。男の人としては数える気はない。
長身で、少したれ目の甘い顔立ちをした智隆様は、それから私のピアノの腕前をひとしきり褒めてくれた。頬から火が出そうになった。私は緊張してしまって、頷くばかりで何も言葉を発せられなかったものである。
それから数日後。
今日もお父様に、賑やかし要因として、私は鹿鳴館へと行くように促された。
本日の午前中は、またレッスンがあったが、今回は女性の先生に動き方を教わった。
どうやら私は、体を動かすのが好きらしい。ドレスはやはり少し苦しいが、足に関しては、慣れてきた。音楽会では気分が晴れたし、今日は存分に楽しもうと思う。
そう考えながら、夜会の開始を待っていた。すると、隣にスっと立つ人物がいた。不思議に思って顔を上げると――そこには東園寺智隆様が立っていた。驚いて目を見開く。
「お会いできて嬉しいよ、咲子嬢」
「智隆様……」
「貴女の一曲目のお相手を、是非させて頂きたいと思ってね」
「わ、私でよろしいのですか?」
「咲子さんが良いんだよ」
そう口にすると、智隆様は音楽会の時よりも、僅かに目を細めてじっと私を見た。
「海外留学中に、ダンスも一通り学んだから、失礼な事はしない。誓うよ」
「わ、私……その、頑張ります」
「――楽しんでくれたら、それで良いよ。それにしても、綺麗だね」
私はドレスと装飾具を褒められたのだと思って、俯いて服を確認した。すると智隆様が吹き出した。
「こんな事を言ったら、信昭――鷹彬侯爵である君のお義兄様やお姉様に怒られてしまうかもしれないけれど、僕が言いたいのはドレスではないよ。君が魅力的だという意味だ」
「え?」
綺麗だなんて言われたのは初めての事だったから、私はきょとんとした。
「渡欧してきて実感したんだけれどね、皆、すらりと背が高くて、咲子様のようにスタイルが良く、健康的なんだ。だから――この会場でも、咲子様が、一番ドレスが似合っている。日本人女性の中だけじゃない。招かれている海外の貴婦人にも劣らない。ずっと隣に飾っておきたいほど、咲子様は魅力的だよ」
最初は、何を言われているのかわからなかった。頭の中で、何度も彼の言葉を反芻する。そしてようやく理解した瞬間に、私は真っ赤になって俯いてしまった。
「外見は健康美で溌剌として見えるのに、その照れ具合――淑女らしさというギャップが愛らしいなぁ」
「か、からかわないで下さいませ」
「本音だよ」
それからすぐに一曲目が始まった。手袋をはめた私の手を取り、智隆様は堂々と中央へと進んでいく。私は緊張で、足がもつれてしまいそうで怖かった。だが――踊りだすと楽しくなって、さながらピアノを弾いていた時のように我を忘れて、クルクルと回った。腰に腕を回された時には、全身を逸らす。周囲の事は視界に入らなくなるほどで、私は、二人きりで踊っているような心地でいた。
気が付くと曲が終わっていて、すると智隆様が私の頬にそっと触れた。
「咲子様は完璧な淑女だ。もし僕が、外交官として異国に赴任する時は、ぜひ付いてきてほしいほどにね」
私が答えられないでいる内に二曲目が始まったので、私達はそこで別れて、別々の相手とダンスを続ける事になったのだった。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
戦国史上、最もブラックな職場
「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか)
天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる