意地悪お嬢様(月、満ちる前 ~ 勘違いされがちな華族令嬢と鹿鳴館 ~)

ぬい

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【7】卑しい身分の玄人妾の子

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 馬車で一人帰宅すると、本日は静子が出迎えてくれなかった。
 不思議に思って、ゆっくりと廊下を進んでいくと、お母様の冷たいながらも怒気を含んだ糾弾するような声が響いてきた。どうやら機嫌が悪いらしいけれど、何かあったのだろうか?

「わきまえなさい、静子」

 なんとお母様は、静子に対して怒っているようだった。私は息を飲んでから、なるべく気配を消して、うっすらと開いている扉の向こうを見る。幸い二人は、私の帰宅に気づいていないようだった。

「貴女は、所詮は『玄人女』から身請けされた身です。本来であれば、この格式ある花澄院の邸宅に足を踏み入れる事すら悍ましいのよ」

 私は知らなかった事実を聞いて、ポカンとした。
 ……確かに、静子は顔の造形が綺麗だと思う。お母様がお雛様に瓜二つの気品を持つとすると、静子は私のように目が大きいのだが、位置が美しく見せる気がするのだ。特に通った鼻筋は、鼻がお父様にそっくりだと言われる私は、度々見惚れる。それに、しなやかな体つきをしているのだ。そこは私とは異なるし、お母様よりも華奢だ。ただ、背の高さは私と同じくらい高い。玄人と聞いたら、なんだか納得出来た。しかし、身請け?

「遊郭あがりの貴女が旦那様を誑かしたせいで、私の人生は暗く悲惨な毎日なのよ。妾の分際で、このお屋敷では大きな顔をして」
「そのようなつもりはございませんでした。本当に申し訳ございません」
「貴女が咲子さえ産まなければ!」

 続いて響いた声に、私は驚愕した。

「咲子お嬢様の事は、本当に女中としてお仕えしているだけでございます」
「私も自分の子供として育てているわ。世間の妾の子と同じように」
「有難いお言葉です。奥様の愛が伝わり、恐縮でなりません」
「咲子はどんどん貴女に似ていくわね。そこが忌々しくてならないのだけれど」
「お、奥様……し、しかし、咲子お嬢様の気品は、奥様のご教授のもと……」
「当然よ。この花澄院の、仮にも旦那様のお血筋を継いでおられるのだから。ああ、もう。貴女が妾などになるから、旦那様は、他にも妾を二人も囲って――っ、男子が生まれたそうよ。後継ね。待望の後継よ。華族の制度でも、男系しか相続が出来ない風潮が生まれた中で、大層旦那様はお慶びで、私の子としてお届け出になったわ。はぁ」

 私は、二人のやり取り、上手く理解できなかった。というよりも、理解するのを頭が拒んでいた。私はこれまでの間、お母様の子供であると疑った事は一度もない。けれど、お姉様と私に対するお母様の態度の違いが、そこに由来するのだと、すぐにわかった。

 同じくらい衝撃的だったのは、私が『玄人』という、今では下賤と名指しされる事がある花柳界に関する遊郭出身の静子の娘だという事だった。私の血には、汚らわしい血が混じっているという事だ。いいや、私は静子が好きだし、女中といった中流階級の者が、汚らわしいとは、本当には思っていない。ただ、華族の間では、汚らわしいと扱われているのを、実感としてもよく学んできた。

 そのまま、私は自分の部屋に、どうやって戻ったのか、よく覚えていない。
 ただ、ガチャリと内鍵を閉めた瞬間、本日二度目となる涙が溢れてきた。
 だが、先程とは異なり、私は一人だから、感情そのままに嗚咽を漏らす。
 気づくと私は、号泣していた。私は、由緒正しい花澄院のお嬢様なんかじゃないらしい。

 考えてみると、私と静子は顔も似ている。背丈だってそうだ。つまり、静子が私のお母様だったんだ。それを知らず、私は使用人の一人だと確信し、これまで、静子・静子と、呼び捨てにして生きてきた。それも辛い。無性に胸が痛かった。

 お父様に妾がいるというのも、心が痛い。だから、お父様とお母様は、仲睦まじい姿を見せなかったのだろう。私も概念としては、妾という存在を知っていた。それは特に大名華族に多い文化で、昔は側室と言ったらしい。宮家にも存在した。これは、男子が途切れないように、お世継ぎが途切れないようにするという側面があったらしい。だが、私は頭では理解できても、とても受け入れられそうになかった。妾を持つのは、男の勲章だという言葉を過去に聞いたこともあるが、私にその考えはよく分からない。

 ――私は卑しい身分の玄人の子供で、妾の子供だから、お母様は冷たかったのだ。

 再び思い出したら、私は声を上げて泣いていた。
 それに弟が出来たという。お母様の子供として育てるそうだが、お父様があまり帰ってこなかったのは、仕事が多忙なだけではなくて、きっと他の妾の家に通っていたのだろう。頭がグラグラする。

 私はこれまで、結婚がゴールだと思ってきた。けれど、結婚後にも生活はあるのだ。私の未来でも、まだ相手は決まっていないし未婚のまま終わってしまうのかもしれないが、無事にゴールできたら、お母様のような未来が待ち受けているのだろうか?

 そんなことをぐるぐると考えたが、涙が止まらない。声を上げて私は何度も咳き込みながら、ただただ泣く。吐きそうになって、口元を押さえた時ですら、涙は止まらない。まるで獣のように声を上げて、私は泣いた。

 今夜は、最悪の日だ。鹿鳴館でも、そして、花澄院の邸宅でも。
 辛いことばかりだ。


 翌日、起きると私の目は腫れていた。濡れた布で必死に冷やしながら、私は溜息をついた。

 ……私が不格好なのは、本当のお嬢様では無かったからなのかも知れない。
 玄人の女性は美しいというけれど、私のお父様のお顔と交じると、そうはならなかったのだろう……。

 内心で嘆いていると、より憂鬱な気分になってきた。何よりも悲しいのは、私はお母様に愛されていないと、はっきりと知ってしまった事かもしれない。

 なんとか目の腫れが引いたので、私は憂鬱な気分で、華族女学院へと向かった。

「あら、咲子様。今日はいつにもまして、目まで豚みたいね」

 時子様の言葉を聞いたのだが、私の頭には、上手く入ってこなかった。だから沈黙していると、教室に奇妙な空気が漂った。公家華族のみんなは、私が言い返さないから殺気立っていたが、少しすると顔を見合わせ始めた。時子様はといえば、目を見開いている。

「あ、赤いようね。瞼」

 腫れは引いたが、実際に鏡で最後に見た時も赤かった。見送りに出てくれた静子にも言われたから間違いがない。そもそも私は今後、静子をなんと呼べば良いのだろう。平民は、お母さんと呼ぶと聞いた事がある。

「咲子様?」

 時子様が、私の名前を呼んだが、私には、何も言う気力が無かった。今日は、毅然としているなんて、無理だ。今でも気を抜くと、私は涙ぐみそうになってしまうからだ。涙をこらえる方に、全神経を集中させていた。

 そもそも私の結婚が決まらないのも、卑しい血を引いていると、皆が悟っているからだったりするのかもしれない。不格好で性格が悪いという噂のせいでは無かったのかもしれない。

「咲子様は元が悪いのですから、たまたま豚のような目をしているからといって、お気になさる事はないのではないかしら……」

 どこか時子様がうろたえているような顔で、私に言った。けれど、気力が抜けきってしまった私は、彼女のイヤミに何も返せない。投げやりな気分に陥っていた。その内に、公家華族のみんなも動揺したように息を飲み始めたが、私は囲まれたままで、再び俯いた。

 この日は、何にも身が入らす、私は放課後の、白百合会のサロンにも顔を出さずに、静かに帰宅した。部屋で一人になりたかった。

 そう思って玄関に向かうと、お母様が立っていた。見れば、昨日の夜中の憤怒などまるで無かったかのように、久方ぶりに私に対して明るく優しい笑顔を浮かべていた。その表情に驚いて、私は二度瞬きをした。

「咲子、良い知らせが二つあるのよ」
「なんですか?」
「貴女に弟ができたのよ。この花澄院伯爵家の次の当主となる子供よ。私はしばらく胎教を考えて別荘で静養するわ」

 この声に、本当は母が生むのではないし、もう生まれていると私は確信していたが、曖昧に笑って返した。別荘で生んだことにして、正妻の息子として届け出るのだろう。私の笑顔は、ひきつるかと思ったら、作り笑いが浮かんだ。お母様も、本当はお辛いのだろうに、笑っていると感じたからだ。

「それともう一つは、玲子の嫁いだ鷹彬侯爵家で、音楽会があるそうなのよ。玲子の口添えで、是非咲子、貴女にピアノを演奏して欲しいそうよ」
「っ」

 私は驚いた。侯爵家の音楽会に、単独で正式に招かれるなど、初めての経験だ。しかし、本当のお嬢様ではなかったのに、私が行っても良いのだろうか。

「さすがは私と旦那様の娘ね」
「お母様……」
「貴女が立派な淑女として独り立ちする事こそが、私の幸せなのよ」

 それを聞いたら、私の涙腺は緩みそうになった。お母様はいつも私に厳しかったが、それは私の物覚えが悪いからだったのかもしれない。お母様は、やっぱり私のお母様だ。

 そう考えたら、少しだけ元気が出てきて、私は自然に笑う事が出来た。

「有難うございます、お母様」


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