僕らの距離

宇梶 純生

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最終章

異彩

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呼吸を する

当たり前の行動を
これほど 考えた事は ない

吐く息を 幾度も飲み込み
微かに漏れ出す風が
清人の髪を揺らす

清人の温もり
清人の骨格
清人の匂い

どれ ひとつとして
欠けては ならない存在

腕の中で
実感となり伝わり
脳へと繋がってゆく


「背が 伸びた」


久我の声に清人の躰が
びくりと跳ね
硬直していた清人の躰から
強張りが蕩け始め

久我の腕の中で
呆然と立ち竦んでいた清人の腕が
ゆるりと久我の背中に回る


「ずっと 僕は
   何を していたんだろう」


久我の胸元で
ぽつりと呟く清人は
自問自答を問いかけ
虚ろな眼を閉じ
溜息をつく


「後悔してるのか」


久我の言霊を汲み取る清人は
首を傾け ソファーへと
視線を向け

背中へ回した腕が外れ
久我の腕の中から
するりと身を躱すと

静かにソファーへと歩み
背もたれを指先でなぞりながら
立ち止まると 前髪を掻き上げ

華奢な少年の清人が
艶やかな表情で
二階の手摺りを眺める


そして 柔らかな髪を
さらさらと揺らし
久我に顔を向けた清人は
僅かに微笑む


「父を誘惑さそったのは 僕です」


だが 精一杯 演じる笑みも
動ぜぬ久我の眼差しに
震える唇を噛み締め
清人は視線を逸らした

明らかに落胆し
肩を落とす清人は
俯きながら耳元の髪を弄り
台所へ歩み始め

静寂な屋敷の中で
清人の奏でる物音だけ
響き渡る

台所から出て来る清人は
久我の前を素通りし
封印されていた部屋へと
鍵を差し込み

まるで  部屋の持主のように
戸惑いも躊躇いもなく
解放されたドアの向こうへ
清人の躰が吸い込まれてゆく

半開きのドアが
久我の侵入を待ち侘び
後を追う久我は

ドアを押し開け
暗闇の部屋の電気を
壁伝いに弄り点けた


洋館ならではの異質感が
凝縮した部屋は
壁紙から絨毯まで
統一された異国を造形し

アンティーク調の家具に囲まれた
窓のない部屋の中央に
異様な高さのキングベッドが
鎮座する

12畳程の部屋の中を
静かに浮遊する清人の躰が
ベッドの淵沿いを周り
鏡の前へ立ち竦んだ

そして鏡に映る姿を眺めたまま
鏡越しに見切れる久我へ
質問を投げ掛ける


「コバさんの情報を
   何か知ってますか?」


清人の背中は あの頃の少年ではなく
二年の月日を経た青年へと成長を遂げ

栄養失調寸前の痩せ細った腕も
血管が浮き上がる程 長く
首筋にそう頬骨が大人びて映る


「母親の所に居る」


衰弱し精神的に窶れていた
あの頃の清人へ
伝えられなかった真実

一瞬 ゴクリと唾を飲み込む清人が
鏡の前で表情を曇らせ
静かに瞼を閉じた


「清人の母親は 
    嶽宮本家で暮らしていたらしい

    葬儀……に……」


余りにも酷で言葉が詰る久我は
悔しさに顔が歪む

何もかもを把握する清人も
瞼を閉じたまま
微かに頭を左右に揺らし
弱々しい息を吐く

清人の方へ歩み寄る久我は
清人の真横から肩を抱きしめ
力強い言葉を掛ける


「清人は 何も悪くない」


だが 清人は冷静沈着に
涙すら浮かべず 虚ろな瞼を開け


「違うよ
    そういう事じゃない」


鏡に映る姿を眺める清人は
湧き上がる感情に顔を歪め
悔しそうに呟く


「コバさんとの約束
    ……僕は 守れなかった 」


それが 清人の〝後悔〟である事を
滲み出る言霊から
久我は汲み取っていた
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