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終末世界で私のレベルは5万を超えた。

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 ある日地球は、死んだら転生してしまう世界になった。

 全人類にアナウンスをした“神”によると、全ての魂を異世界に移動させたいらしい。数ある世界の統廃合だとか言っていた。

「いや、“神”の事情とか知らんし」

 もう何百回と繰り返した独り言をつぶやく。

「リ、リコがしゃべった……」

 隣にいる男が目を見開いている。銀色の髪にブルーの瞳で、絵に書いたような軽薄な男だ。

 「77日ぶりに声を聞いた」とか言って感動している。いちいちカウントしているあたり、ちょっとコワい。

 ふと、朽ちた郵便局の陰からゴブリンが襲いかかってきた。
 “神”がてっとり早く人類を転生させるために送り込んできたヤツら、地球の生物絶対殺すモンスターだ。

 ゴブリンの顔の前には【47】という光る数字が浮かんでいる。
 “神”がこっちの世界に適用したシステム――魂の総量を数値化したものだ。生き残った人たちはレベルと言っていたから、私もそう呼んでいる。

 ゴブリン【47】が飛びかかってきた。20メートルほどの距離を一瞬で詰めてくる。しかし私にはスローモーションのように見えた。

 私は構えるでもなく、ただ睨みつける。それだけでゴブリン【47】の頭部がはじけた。

「相変わらずリコは規格外の強さだよな~。レッドゴブリンだよ? 勇者である僕ですら倒すのに数秒はかかるっていうのに……リコときたら視線で射抜くだけだもんなぁ」

 軽薄な勇者が大げさに驚いている。
 中世ファンタジーかよって感じの銀色の甲冑がこれまたまぶしい。鬱陶しい、目にうるさい。

「…………」

 私はいつも通り勇者を無視することにした。
 でも、こんな人でも唯一のパートナーだったりする。人類の死滅した地球で、私はなぜか異世界からやってきた勇者と旅をしていた。

 私の塩対応に慣れている勇者が、勝手に独り言を続ける。

「この辺だっけ? 神様との待ち合わせ場所」

「……あと東に2キロ」

「し、しゃべった……リコがまたしゃべった……!?」

 いちいちうるさいな。

 勇者がここぞとばかりに話しかけてくるのを無視して、私は朝焼けを睨みつける。

 高層ビル群を飲み込んだ海岸線。
 がれきに埋もれた街並み。
 まさに終末といった感じの光景だ。

 私は今も、この世界で戦い続けている。
 “神”によると、転生すれば実り豊かな異世界で新たな人生を送れるらしい。

 うさん臭い。転生なんてするもんか。

 今から“神”に一発いれにいく。


***


 308日前、私は日本の平凡な女の子だった。まあ、他の子より小柄で、年齢より幼く見えて、人一倍疑り深くて、そのせいで友だちがいない以外は。
 高校に進学してダラダラと夏休みを過ごして、新学期が始まって。
 あの当時は心機一転バイトでもしようかな、とか考えていた気がする。

 そんなある日、世界を同時多発地震が襲った。立て続けにあちこちで火山が噴火して、山火事、モンスーン、干ばつ、天変地異のオンパレード。
 後で聞いた話だと、この初撃で地球人類の3割が死んだらしい。

 電子機器が動かなくなり、インフラが止まり、伝染病がまん延し、地獄が始まった。
 “神”からアナウンスがあったのは、少し経ってからだ。

『■■■……■■■、■■■■』

 頭の中に響く音のような声。
 なんて言っているのかさっぱり分からないけど、何を言っているのかは何故か理解できた。

 ――死んだら転生させてあげるから。
 ――転生先の異世界は豊かで命あふれる世界だから。
 ――もうこの世界は終わらせるから。

 だからみんな、とっとと死んでね――私にはそう言っているように聞こえた。

 案の定、自ら転生する人が爆増。
 後から聞いた話では、このあたりで人類は半数以上が死んだらしい。
 
 なのに私は、死ななかった。
 人より腕力も体力も劣る、生存力で言ったら絶対に人類の下の下くらいの私は生き残ってしまった。お父さんとお母さんはそんなひ弱な私をかばって先に異世界へと旅立った。
 何度か無人になった団地の屋上に行ったりしたけど、最後の一歩が踏み出せなかった。

 なんとなく“神”の言いなりになるのがシャクだったから。

 私が誰よりも弱い存在だからだろう、善良な人に助けてもらうことが多かった。

 どうやら運もいいようで、空から降り注ぐ落雷が外れたり、突然の地割れに飲まれなかったり、落ちているガラスを踏み抜くこともない。

 次第に、私のように運のいい人たちが各地で集まり共同生活を始めた。

 わずかな人々が、この地獄でやっとこさ生きる術を見出し始めた頃、“モンスター”がやってきた。

 ヤツラは、信じられないくらい強かった。

 緑色のゴブリンといえば雑魚モンスターと相場が決まっている--そう言って金属バットで立ち向かった人は秒で天国に行った。

 大人が10人がかりでようやく倒したけど、次の瞬間全員死んだ。ゴブリンの死体から放たれた毒ガスで。とことん人類を滅ぼす仕様らしい。

 私はたまたま落ちていた防毒マスクをなんとなく被っていたら助かった。いったい何億分の一の確率なのだろう。運の良さもここまでくると笑える。

 ふと気づくと、ゴブリンの死体の目の前に【2】の表示が光っていた。
 私の目の前には、【1】の表示。
 倒れた仲間の目の前にも、1、1、1、1、1、1、1、1、1、1と並んでいる。

 これも後に聞いた話だが、“神”は作業を効率化するために魂の量を数値化したらしい。人間は1。大人も子どもも1。
 で、モンスターは殺した生物の魂を回収するシステムになっているのだとか。

 ただ、“神”がミスったらしく、そのシステムが私たちにも適応されてしまった。
 漂っていた魂が、その場で唯一生き残っている魂の容れ物、つまり私に流れ込んできたのだ。

 私の数字は【2】になった。ゴブリンの2と、1を10人分吸い取ったのに、たったの2。

 どうも吸収できるのは魂の一部だけらしく、残りは異世界へ流れ込んでいくらしい。とことんクソ仕様だ。
 りあえばりあうほど、こちらの世界の魂の総量は目減めべりしていく。いや、わずかでもこちらで回収できるガバガバな設定を喜ぶべきか。

 私は【1】から【2】になって、強くなった。魂の総量がそのまま強靭さにつながるみたいだ。

 “神”は、人類を皆【1】に設定した。その中には赤ちゃんからプロ格闘家までが含まれる。そのレンジを全部ひっくるめて1。

 というわけで【2】になると、それはもう人類を超越した強さなのだ。垂直ジャンプで人の身長くらいは跳び越せるし、そのへんの石なら本気を出せば握って粉々にできた。

 この“レベルアップ”を経験したのは私だけではなかった。他にも【2】になった人間がちらほらと現れて、色んな方法で連絡を取り合って【2】の人たちで寄り集まるようになる。

 その中には天才みたいな人もいた。
 “神”の思考概念やシステムコードとかいうのを読み取ることで、望む力を手に入れる方法を編み出したのだ。みんなはと呼んでいた。
 手から火を出したり、少しの間だけ空を飛んだり、まさに魔法のような力だ。
 
 でもスキルを得るのはとっても難しい。
 私はもともと数学もプログラミングも苦手だったから、スキルを得ることはできなかった。ゲットできたのは、10人に1人もいなかったと思う。

 私たちの集団はどんどん加入者が増えていった。ほとんどが【2】で、【3】の人もちらほらいたと思う。やがてスキルを駆使してゴブリンを倒すうち、【3】にレベルアップする人も増えてきた。

 ……今思えば“神”が一気に掃除するために集めたんだろうな。

 ある日、ミノタウロス【99】が襲ってきた。

 誰もかれも手も足も出ず、千切られ投げられる。 
 私たちは逃げて、隠れて、また逃げた。

 逃避行のさなか、みんなは私もスキルを会得できるよう手伝ってくれた。「娘の面影があるから」「妹に似てるんだ」と言って、大人たちは楽しそうに私にスキルを教えてくれた。
 私は、死んだ誰かを投影しやすい存在だったのだろう。
 そんな彼らも、日に日に減っていった。

 最後には、みんなで私を庇って散った。
 私が最年少で、一番ひ弱で、庇護対象だったから。

 折り重なった仲間たちの下で、私は生きながらえてしまった。
 ミノタウロス【99】が満足げにその死体の山を眺めている。
 そして漂う魂がミノタウロス【99】と、私に流れ込んだ。

 私のレベルは【44】になった。
 2の人が120人、3の人が55人死んで、たったの【44】。

 それでも私はその時、おそらく人類最強になった。
 急激なレベルアップの副作用か、仲間たちの全滅というショックか、何がきっかけとなったのかは分からないが、私はこのとき初めてスキルを手に入れた。
 
 私の望みは単純だった。

「みんなの魂を返して……」

 その瞬間、私は漂う魂を全回収できるスキルを手に入れた。

 後に聞いた話では“神”はこのとき油断していたらしい。
 私の手に入れたスキルは、例えばシステムにバックドアを仕込まれるような規格外の力だったんだとか。
 ざまあみろだ。

 私ことリコ【44】は、自分より低レベルのモンスターを倒して回った。

「……99、ゲット」

 わずか1週間後にはミノタウロス【99】を片手で倒してやった。私のレベルは【177】。レベル上限に3桁目があったから驚きだ。
 1カ月後、私はリコ【369】になっていた。

 初めて、守る側になれるかもと思ったんだけど。
 この頃にはもう、いくら探しても生き残りが見つからなかった。


 そんな時、異世界から暗殺者がやってきた。好き勝手暴れまわる私を駆除するために、“神”が送り込んできたらしい。

 銀色の髪をなびかせ銀色の鎧を着込んだ軽薄そうな男は、自分のことを勇者と名乗った。

「お前が僕らの世界から生命エネルギーを奪う魔王だな! 覚悟しろっ」

 なぜか通じる言葉で、彼はそう叫んだ。

 いや、私たちの世界から奪っていったエネルギーのほうが大きいと思うんだけどな。
 そんなツッコミが喉から出かかったけど、やめた。

 勇者のレベルは、【999】だった。

 あ、私死んだわ。

「……降参するよ。せめて楽に殺してね」

 人類が最後に発した言葉だと思うと笑えない。それがなんだか可笑しくて、私は勇者に人類最後の笑顔を送った。

「な、なんてことだっ……君は」

「なに?」

「……僕の妹に似ている」

 私はまたしても、誰かの面影のお陰で助かった。

 どうしても君を殺せないと戸惑う勇者と、私は話をすることにした。
 久しぶりに誰かと会話をする喜びに興奮してしまったのだ。

「い、妹と牛飼いをしていたんだけど、ある日突然声が聞こえたんだ。お前を勇者に選んだから、魔王を倒してこいって」

 “神”もずいぶんやっつけ仕事っぽいことするなー、なんて思いながら、しばらくお話をした。私の素性や、以前の生活、死滅する前の人類の営み、死んでいった仲間たちのこと。不思議と涙は出なかった。多分3日間くらい話し続けていた気がする。

 今思えば喋りすぎたと思う。そのせいで勇者は、私が実はおしゃべりなんだと信じ切ってしまったから。

「リコっ、僕はリコを倒さない! リコが魔王なわけがない。僕も神様に騙されていたんだ、リコと同じように」

 出会って4日目には、勇者は私の下の名前を連呼するようになっていた。イントネーションが妹の名前に似ているらしく、言いやすいのだとか。

「で、勇者はこの後どうするの?」

「僕もリコと一緒に旅をするよ。リコのモンスター狩りを手伝ってもいい。勇者の僕がいればリコも百人力だろう? それに……いろいろとリコを守ってあげられるし」

 貧相で貧弱な見た目が功を奏したのだろう。勇者は私に妹を重ね合わせて、庇護対象と認識したようだ。
 また私は守られる存在になってしまった。
 でも、それも1カ月くらいで覆ることになる。

「リコ、一人で突っ込んだらだめだっ! ダークヒドラにはこの前敵わなかっただろ!? ここは僕に任せて――」

「886、ゲット」

「……へ?」

 勇者が手伝ってくれたのもあって、私はめきめき強くなった。
 驚いたのが、勇者――というか異世界人にはレベルの概念がないらしい。目の前に浮かぶ光る数字も、勇者には見えないようだった。だから謎に強くなっていく私に、勇者は唖然として、戸惑い、ふてくされるようになっていた。

「こんなのおかしいっ……どうしてリコが、か弱いリコがダークヒドラを平手打ちで倒してしまうんだ……」

 この頃の私は、リコ【1352】にレベルアップしていた。あっという間に勇者超えだ。まさか4桁目があるとは思ってなかった。

「勇者はもう、見てるだけでいいよ」

「くっ、こんなことなら弱いうちに唇を奪っておくんだったよ。いや無理にでも抱きしめておけば……!」

「勇者も平手打ち食らってみる?」

「やめてっ……今なら冗談抜きで死んじゃうから。でも、リコに叩かれて死ぬなら本望かも」

 勇者が最低かつ軽薄な笑みを送ってくる。
 私はため息をつき、次なる獲物を求めて歩き出す。軽薄男でも現状、私の唯一の話し相手だ。死なれては困る。

「あ、待ってリコ、僕が前を歩くから! リコは下がっててっ」

「私が前を歩いたほうがむしろ安全だと思う」

「ぐぬっ……じゃ、じゃあせめて隣を歩いてよ」


 それから私と勇者は何カ月も、世界中を旅した。昔行きたかった観光スポットも、別に行きたくもなかった大都市も、存在すら知らなかった世界遺産も、ほとんどすべてを網羅した。
 ハワイに行ったときは、「実は秘かに憧れてた」とつい口を滑らせてしまった。

「じゃあリコと僕の初デートってことで。ハネムーンもハワイでいいかな?」

 すっかり廃墟になったホテル群を見ながら、勇者が軽薄なセリフを吐く。

「……うるさいな」

 私はイライラしていた。世界中をめぐっても生存者はなし。そしてモンスターもこの頃にはほとんど狩り尽くしていた。旅の終わりはすなわち、私にできることはもうないということだから。

 その時、突然目の前にベヒーモス【44444】が現れた。
 おそらく“神”の最終兵器なのだろう。日本人にしか伝わらない縁起の悪い数字の羅列に苦笑する。

 私のレベルは【43999】。一人では絶対に勝てなかった。
 私は勇者と協力して、7日7晩かけてやっとこさ倒した。人外の死闘でハワイは消えてなくなり、勇者は「リコと僕の思い出の地がっ……」と崩れ落ちた。

 暦の上ではちょうど17歳の誕生日に、私のレベルは【55100】になった。

『……■■■■、■■■』

 予想どおり、“神”から「直接交渉しないか?」と誘いがあった。なんとなく“神”の焦りのような感情が伝わってきて、ちょっとだけスカッとした。まさにバースデープレゼントだ。

 それから私と“神”は日程や場所の調整がてら何度も何度も交信した。そこでレベルやモンスターのこと、“神”が人類にしてきた鬼畜のような所業なんかを知った。
 交信に夢中になりすぎて、この2カ月くらいは勇者と口もきいていない。


 そんで、今に至る。


「リコ、東に2キロってこのへん?」

「うん、夜明けのタイミングで姿を現すってさ」

「ああっ……リコの声はやっぱりかわいいね」

「…………」

 私と勇者が見つめる水平線の先。
 朝日が、ゆっくりと顔を出す。
 そこに被さるように、太陽よりも大きくて真っ赤な球体が水平線から上ってきた。

「チッ……」

「リ、リコ!?」

 思わず舌打ちをしてしまった。
 
 普通に現れればいいものを、わざわざ“神”っぽい大げさな演出して……ほんと、うさん臭い。

『■■■■……■■、■■、■■■』

 一瞬で視界を埋め尽くした赤い球体が、「返事を聞かせろ」と迫ってきた。
 この2カ月の交信で何度となく“神”から打診のあった条件。

 ――転生先、むっちゃいい条件用意するから溜め込んだ魂を譲ってほしい。
 ――諦めろ、どっちみち地面をひっくり返すのだから。

 ずいぶんと身勝手で傲慢な要求……というかただの脅しだ。
 
 私が「うるさい」という思いを込めて赤い球体を睨むと、次の瞬間、地面が跳ねた。

『■■■■、■■……』
 
 どうやら四国を裏返したらしい。

「……ふっざけんなっ!」

 愛媛にはお父さんの実家がある。

 私はキレた。




 半日くらい“神”と戦った。

 どうやら“神”は直接こちらの世界に干渉できないらしく、私が一方的に攻撃しまくったわけだが。

 とりあえず裏返った四国を裏返してもとに戻す。
 そして世界中の鉱物を物理的に凝縮して矢にして放った。

「人類の怒りビーム!」

 自分でも意味が分からないが、これもレベル5万超えの為せる技だ。
 次に絶対零度よりも冷たいエネルギーと、太陽表面よりも熱いエネルギーを混ぜて、なんか凄いレーザーを放ったりもしてみた。

「ハワイの恨みアロー!」
 
 途中、脳が沸騰しすぎて変なテンションにもなった。

「アロ波――ッ」

 渾身の平手打ちから放たれた衝撃波だったが、赤い球体にはほんのかすり傷を付けるだけだった。

 私は悟る。

「ああ……ダメだこりゃ」

 今どうあがいても“神”には敵わない。

「……降参するよ。せめて楽に殺してね」

 私は、私とこの世界の終わりを受け入れることにした。

『■、■■■……』

 やっと諦めてくれたか、と“神”が言った気がした。


***


「勇者、ただいま」

「リ、リコ……僕は一足早く終末を見たよ」

 私は“神”に少し猶予をもらって、勇者の待つ砂浜へと戻った。
 勇者の周りには、神々の戦いから守るためのトロピカルバリアーを張ってある。

 安全な場所で私のベストバウトを観戦してもらっていたのだが、少々刺激が強かったらしい。
 あちこちにクレーターができて、きのこ雲が上がって、空がキモいくらい真っ赤に染まってしまったのだから無理もない。

「おとなしく転生することにしたよ」

「なっ、え!? いや、それじゃあリコと僕の旅が終わってしまうじゃないかっ!」

 勇者が空に向かって叫ぶ。相変わらずリアクションが大げさだ。

「まあ、そうなるね」

「まてまてまてっ、いやだっ、僕はリコと離れたくない!」

 転生すると、その魂は一度まっさらな状態になり異世界のどこかで新しい命として芽吹くらしい。つまりここでの記憶の一切は消える。それどころか、人間に転生するかどうかも分からない。

「この2カ月、口聞けなくてごめんね」

 終わりが明確になったからか、私の心はこれまでの人生で一番といっていいほど澄みきっていた。こんな素直に人に謝ったのは、人生で初めてかもしれない。

「いやお別れみたいなムード出すのやめようか! あーくそぉ~っ」

 勇者は頭をかきむしると、手のひらに世界中の鉱物を凝縮させ始めた。やがてそれはキラキラと煌めく指輪へと形を変えていく。
 勇者が顔を真っ赤にして私の手に触れた。

「実は一目見たときにビビッときたんだ! 初恋なんだ俺のっ! リコ、好きだっ!」

 だー、だー――、だー――……と、やまびこが響く。

「うん、分かってる」

 何カ月も、ここまであからさまに好意を示され続けていれば、恋愛経験ゼロの私でも気づく。

 勇者はいい人だ。

 軽薄そうに見えて、絶対に手を出してこないヤツだってことも分かってる。
 軽薄そうな態度だって私の緊張をほぐすためだ。それも気づいている。
 ついでに勇者に妹なんていないことも。

 勇者の気持ちは嬉しい、と思う。
 でもきっと今の私にそういうアレな……恋心的な気持ちはない。惚れた腫れたとか分かんないし。
 そもそもだ、幾万もの犠牲と幾千もの人類の魂を背負っている私が、恋だ愛だのにうつつを抜かすわけにはいかないのだ。

「ごめん、勇者の気持ちには応えられない」

「いやいや、そんな頬真っ赤に染めて言うセリフじゃないでしょっ、リコ、どっちなんだよ?」

「え? だから私は……」

『……■■■、■■』

 空気を読めないのか、いや逆に読んだのか、“神”が急かしてきた。
 次の瞬間、世界を覆い尽くすような地響きがうなり始める。これが終末の音か。

「あ、勇者、私は転生じゃなくて転移だから」

「へ? なんだって!?」

 轟音で聞き取れなかったのか勇者が耳を寄せてくる。

「だから、魂全部あげる代わりに、私は勇者の隣に転移してもらえることになったから」

「なんだってぇっ!?」

 私はこの2カ月間、ずっと“神”と交渉を続けていた。転生ではなく転移なんて特別扱い、“神”も最初は渋っていたがしつこく食い下がってきたのだ。最後は拳でも訴えた。

 私の熱意が通じたのか、それとも面倒くさいと思われたのか、最終的には転移を認めてくれた。これぞタフネゴシエーションだ。

 水平線が盛り上がり、巨大な壁となって押し寄せてくる。マントルごと裏返っているのだろう。
 同時に私の中にいた大勢の魂たちが、体から解き放たれていく。

 私の血肉となっていた名も知らぬ人たち、私をかばって散った仲間たち、そしてお父さんとお母さん……この1年、一緒に旅行をしたみんなが離れていく。

 何カ月かぶりに、頬に涙がつたう。

「今まで私のワガママに付き合わせて、ごめんなさい」

 私一人だったら、とっくに諦めて自ら転生していた。
 でも、みんながいてくれたから頑張れた。勇者も、そばにいてくれた。
 異世界でも一緒にいたいと思わせてくれるくらいには、私に好意を寄せてくれたから。

「勇者、デート楽しかったよ。あっちでもしようね」

「ねぇ、だから俺のことどう思ってるのっ!?」

 視界が強烈な光に包まれた。


 ――――。


 ―――。


 ――。 


 目を覚ますとそこは、木々が鬱蒼と生い茂る森だった。

 立ち上がり、久々に緑の空気で肺を満たす。美味しくて懐かしい香りだ。
 地球は、ずいぶん前に植物が死滅していたから。

 隣で眠っていた勇者が、「ん~……」と声を上げながらゆっくり起き上がる。

「おはよう、勇者」

「リコ……ああリコだ、リコ、ほんとに転移したんだねっ! 良かった、ほんとに良かった……」

 今にも抱きつかんばかりに両手を広げている。

「あ、触らないでね。今の私、一般的な地球人くらい弱いから」

「ええっ!? て、てことは……」

 勇者がゴクリと生唾を飲み込む。
 勇者【999】が貧弱なリコ【1】に目をギラつかせてにじり寄ってくる。

「危ないじゃないか! さあリコ、僕の後ろに隠れてっ!」

 勇者は私に背を向けると周囲を警戒し始めた。相変わらず勇者は優しい人だ。
 するとガサガサと音がして、茂みからゴブリン【21】とゴブリン【23】が飛び出してきた。
 
「ぐっ、ここは魔の森だったか。くそっ、リコには髪の毛一本さわらせないぞ!」 

 勇者【999】が2匹を一瞬で消し炭にする。

「リコ、怪我はないか!?」

「平気」

 心配そうな勇者を尻目に、私は目の前に浮かぶ数字を凝視していた。

 【44】

 ゴブリン2匹に蓄積されていた魂が、世界に還らず私の中に全て流れ込んだ。

 やっぱり“神”は色々ぬけている。それは長い交信を通して分かっていた。身勝手で傲慢で、迂闊。
 もともとは神のミス、システムのバグで生まれたスキルだ。

 大量の魂という餌をぶら下げて、焦らして、焦らせて、転移させろと無理筋なお願いをして気を散らせば、もしかしたら私のスキルのことをうっかり忘れてくれるのではと、その可能性に賭けてみた。

 私は、賭けに勝った。

【33802459】

 300万ちょっと。それが“神”のレベルだった。

 正直、億超えを覚悟していただけに拍子抜けだ。決して届かないレベルじゃない。死闘の中でわずかだけど傷を負わせることもできた。“神”は無敵じゃないのだ。

 宇宙人か、異世界人か、未来人か、はたまた別次元の人間か。正体は分からないけど、うさん臭い存在であるのは確かだ。

 目の前で死んでいった人たち。
 それを水に流せるほど私は大人じゃない。
 
 絶対に許さない。
 レベルを上げて“神”をぶっ飛ばす。


「リコ……?」

 拳を握って黙りこむ私を、勇者が心配そうに覗いてきた。
 私はその瞳を、強い決意を込めて見つめ返す。

「これからもよろしくね、勇者」

「あ、ああっ……! 任せてよ、僕が一生守るからっ」

 勇者には悪いけどレベル上げに利用させてもらう。とりあえずは、さっさとリコ【1000】くらいにはなろう。

 深い森を、私はズンズンと歩き出した。
 背後から勇者が追いかけてきて、追い抜く。

「待ってリコ、僕が前を歩くから! ああいや、せめて隣にいてよねっ!」

 本気で焦った様子の勇者がおもしろい。首を大きく左右に振り、周囲を警戒しまくっている。ほんとは後ろにいて欲しいのに、私の意思を尊重して隣を歩いてくれているのだろう。そういう無駄に気づかい上手なところが……。

「あれ……?」

「ん? どうしたリコ?」

 勇者のおデコも頬も汗だくだ。……私の身を案じているから。
 それなのに森のそよ風で、銀色の髪が涼しげに揺れる。碧い宝石のような瞳がいつもよりキラキラしている。そういえば勇者に貰ったリングも、サファイアとアクアマリンを凝縮させたものだった。

 どうしよう、お腹が熱い。

「……レベル上げはゆっくりでいい、かな」

「え、リコ、どういう意味?」

「…………」

 思わず、いつもように勇者を無視して下を向く。

「ああ、またリコが無口に……次に声を聞けるのは何日後なんだっ!」
 
 多分、5分後……くらいだと思う。
 不意打ちで襲ってきたこの激情に慣れるまで、少し待ってほしい。


(了)
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